第35話『勇者』
「そこまでだ」
青年の凛々しい声が集会ホールに響いた。
「私は手洗いに行っていたため事情は知らぬが、暴力は良くない」
立っているのは、ルグレとちょうど同程度の身長の大空寮の生徒だ。メイらと同じく、新入生と思われる。
がっしりとしたガタイだがむさくるしいほどではなく、程よい筋肉のついた青年だ。金髪碧眼、白くもありながら血色のいい肌を持ち、腰には時代遅れの西洋剣を下げている。
「我が名はアーサー・アークトゥルス。アークトゥルス家長男にして、次期当主である。私の前で無意味な暴力は許さん」
青年が言った。
「アークトゥルス!? アークトゥルスって言ったよね?」
カーミラが小声で言った。こういった反応をしたのは彼女だけではないらしく、静まり返っていたホール内が騒がしくなり始めた。
「え、なになに? 凄い人なの?」
ホールの騒がしさから推測するに、有名な人なのだろうとは分かった。しかし、メイはこの世界の常識を備えてはいない。彼が誰なのかなど分からなかった。
「アークトゥルスといえば、伝説の英雄の家系だよ。かつて世界に災いをもたらした『災厄の魔女』を封印した勇者の家系」
カーミラは興奮気味だった。
「凄い、だって、え、だって、次期当主って言ったよね? ってことは、あの腰に下げてる剣は『聖剣』ってこと!?」
メイには何が何やらさっぱり分からなかったが、どうやらこういうことらしかった。
その昔、これは伝説上の物語であり、いわば実際のことが定かではないというレベル、何百年も前の話だ。
かつて魔法と剣の世界だったこの星に、『災厄の魔女』という魔女が現れた。魔女は子どもを食らい、眷属を率いて人々を飢饉に陥れた。まさしく災害。人々から忌み嫌われ、恐れられたすべての不幸の元凶、死の象徴であった魔女。
預言者が言った。魔女を葬るのは、ヴラドの丘に刺さる『聖剣』を扱う者だと。それは最も高潔な者で、聖剣が相応しい者を選ぶ。
聖剣に選ばれたのは貧しい家の少年、アークトゥルスだった。彼は聖剣を携え、軍を率いて魔女の城を攻めた。ついに魔女を打ち倒し、十年に渡る不幸を終わらせた勇者アークトゥルスは、時の姫君を娶り、勲章を受け取り、正式に貴族となった。
以来、正当な血筋ではないが、アークトゥルスというのは王家の血を継ぐ一族であり、世襲貴族としてその権威をほしいままにしている。
つまり、目の前の青年アーサー・アークトゥルスは、その伝説の勇者の末裔にして、その貴族家の次期当主であるというわけだ。
「聖剣、実在したんだ……」
彼女たちにとっては、目の前で伝説の世界を見ているということになろう。
メイで言うところの、――なんだろう、えーと……、須佐之男命の子孫と草薙之太刀が目の前にある、みたいな感覚かな……って思うと、逆に凄さが分かりづらくなっちゃったな……。
「アークトゥルス……!?」
エヴァルドも驚愕していた。対して、ルグレは頭にはてなを浮かべている。
「は? ま、まじかよ、おまえ、知らないのか。伝説の勇者だぜ」
「…………」
ルグレも世間知らずらしく、顎に手を添えて少しの間、記憶を探ってみせた。
「……つまり、あれか? その腰につけたしょぼい剣が、伝説の『聖剣』ってやつかい?」
ルグレはアーサーの腰に下げられたバスターソードを指して問うた。
「ん? ああ、違う。聖剣は父上が持っている。私はまだ未熟なのでな。これはただの剣だ」
アーサーが応答した。左手で剣の柄を少し撫でて見せる。
「なるほど……」
カーミラがつぶやく。
「だが、王に捧げた剣だ。私はシェアト王国の平和と、正義、そして国王のためにこの剣の振るう」
アーサーは声を張って、そう宣言した。
それに対して、ルグレはニタリと笑った。
「ハッ、じゃあ、国王が悪を働いた場合は? 国王と正義、どちらのために暴力を働くつもりなんだ?」
「それはそのとき、私の精神が熟していれば、おのずと分かることだ」
ルグレの嫌な質問に対して、アーサーはきっぱりと応えた。胸を張っており、まるで、メイとは対極の人間のように感じた。意志薄弱で優柔不断なメイとは根本から精神性の異なる男だ。発言のすべてに自信があり、己の至らぬ部分について認めることを恥じていない。
「そんなことより、私は目の前の暴力を止めたいと考えている。君たちは、どうして喧嘩をしている?」
「…………」
アーサーの問いに、ルグレとエヴァルドがお互いを見合った。
「卿が削がれたな」
エヴァルドは肩をすくめてそう言った。ルグレも溜め息でそれに応え、双方は距離を取った。
*****
その夜、エル・エスフエルソが学園の到着するという旨の連絡を受けて、メイはルグレを連れて出迎えをすることにした。
王都ノヴァスルや、この発展都市メイマピゲリズなどは鉄道の開発が進んでいる。メイたちが学園に来るときはドヴァレーツに自動車で送ってもらったわけだが、ペガスス半島の国々は鉄道の存在により交通の利便性が格段に上がっている。自動車を持たぬ者でも、蒸気機関車に乗れば遠い街まで移動できるのだ。
蒸気機関車の止まる駅は、夜だというのに多くの人で賑わっていた。
複数路線が並ぶ巨大な駅には、老若男女問わず様々な事情を持った人間の往来があった。
「夜はまだまだ寒いねー」
メイは隣に立つルグレに言う。少しでも寒さを紛らわすため、服を上から肩をこすって摩擦熱を生もうと試みる。
「……早く戻りてえ」
ルグレは制服を上から黒いコートを羽織っていた。こんなことを言いながらもちゃんと出迎えについてきてくれるあたり、ルグレは可愛いところがある。ちゃんとエルのことを家族と認識しているのだろう。
――まあ、その程度の可愛さじゃ補えないほどの性格の悪さを持ってはいるんだけどね……。
「上着持ってくるべきだったなぁ。ルグレ、少しの間で良いからコート貸してよ」
メイはルグレの黒コートを指す。
「は? ヤダ」
「ちぇっ、ケチ」
「自業自得だ」
「ケチ」
「黙れ。うるせえ女はモテねえぞ」
「けちけちけちけち!」
「……。……ハッ、俺は理不尽な暴力による略奪行為には屈しない。どんな暴言を吐かれようと俺のコートは俺が着る」
ルグレはそう言って、ポケットから出したくちゃくちゃの箱から煙草を取り出す。鉄のケースに、10本程度、紙巻の両切り煙草が収められていた。
『星歴』というのは、この世界の暦のようだが、メイの知る西暦と関連性はあるのだろうか。少なくとも、科学技術に関してこの世界は、西暦1900年代――つまり産業革命後、第一次世界大戦から戦間期程度のものと、大方一致しているように思う。
メイの居た世界と全く異なる世界なので、一切の関連性はないと思われるが、煙草に関しても、いわゆるフィルター付きのものを吸っているとこを見たことがない。西暦1920年も、フィルター付き煙草などなかったため、その辺りも一致している。
どれほど頭を使ってみても、メイには世界の構造や関係なんて、微塵も推測できないけれど。
「遅いねー……、もう時間過ぎてるのに」
エルの乗った機関車は、到着予定時刻を過ぎても、駅に来ていなかった。
日本の良さを痛感する。時代の良さでもある。公共のものすべてが、原則時間通りに進行している国というのは、それだけで恵まれているのかもしれない。そんな環境で生きてきたメイだったので、エルの到着予定時刻より少し早めに駅に来ていたが、必要のないことだった。
「オスカーは呼んだのか?」
ルグレは煙を吐いて、メイに問うた。
駅のホームには、おそらくメイたちと同じ機関車を待っているのであろう者たちがおり、そのすべてが人間族のように見えた。男女問わず、煙草を吸っている者も散見された。
非喫煙者であるメイにとっては、何のメリットもなく健康被害を受けるので、公共の場での原則禁煙には賛成だったが、いざ付近に喫煙者が多くいても、意外と気にならなかった。どうでもいい。メイにとって、世界で起こる事象のほとんどが、どうでもいいことだった。
「呼んだよー。仕事があって、来れないってさ。オスカーは学生じゃなくて、講師として学園に来てるからね。私たちほど暇じゃないんでしょ」
「……興味がないだけだろ。人を歓迎できるような奴じゃない。心がないんだよ」
ルグレは言って、天を仰ぐようにして、上空に向けて煙を吐いた。
メイには反応に困る発言だった。例の、リーベルタース邸襲撃事件の報復の時には、息の合った二人に見えたが、関係は決して無問題というわけではないようだ。
「さむぅ」
メイは手を息をかけてみる。
「そういえば、ルグレも魔人なんだよね?」
「あ? ああ、パテルに聞いたのか」
パテルによると、パテル自身とルグレは魔人ということだった。
「うん、まあ。やっぱり、エヴァルドみたいなやつは許せない?」
エヴァルドは躊躇することなく、亜人族に対する差別発言を行った。一学生にあれができるというのだから、この国には亜人に反発的な人間族が多いのだろうと分かる。
「俺は魔人であることを恥じてない。そもそも俺は俺自身の出生をよく知らん。……ああいう輩が気に食わないのは、単に傲慢な態度が気に食わないってだけだ。言ったろ? 生まれを知らない俺にとって、生まれは重要じゃない。貴族に生まれようが、労働者に生まれようが、亜人だろうが人間だろうが、大事なのはどんな奴かってことだ。……エヴァルドはそこについて俺と意見が合わねえみたいだな」
「魔人って言うのは、魔女がいないと生まれないんだよね?」
魔人というのは、詳しくないが、どうやら大昔に『魔女』によって創られた一族ということらしい。魔女によって創られ、魔女によってのみ創られる。そのため、生物としての機能を全うできず、己が力では繁殖ができない。
「らしいな。興味ないけど」
「魔女って、まだいるんだよね、どっかに」
「らしいな。興味ないけど」
「やっぱり、家族が欲しい? 同じ種族の、家族」
メイの居た日本では、外国人を見ることのほうが珍しかった。メイの周りは自分と同じ民族ばかりがいた。なので感覚は分からないが、異民族に囲まれて、それを家族だと言われて暮らしていくよりも、悩みや感性、差別されてきた苦痛を共有できる同種族と一緒に暮らしたいと考える者もいるはずだ。
「いや、要らない」
ルグレはきっぱりと言い切った。
「たしかに俺は魔人だけど、あんま魔人だって自覚はない。両親の顔も知らねえからな――その両親ってのが、魔女ってことなのかもしれないけど、それに、屋敷のみんなは良い奴ばっかだった。ほとんど死んだけど」
リーベルタース邸襲撃事件のとき、後から事情を知ったルグレは怒りに支配されていた。
アランの実家、リンティネン家の、事情を知らぬ罪なき私兵たちを虐殺してみせたのだ。表現しないだけで、リーベルタース邸の使用人たちに愛着があったのだろう。
メイはなんだか心が苦しくなった。
どうして、こんなことばかりなのだろう。
両親を知らぬルグレに与えられた、代理の家族すら、彼は奪われた。しかし報復したって、意味なんてないのだ。誰も帰ってこないし、気が晴れるわけでもないだろう。それに、私兵たちにだって家族がいたはずなのだ。私兵たちの子どもは、家族は、ルグレを恨むだろうか。彼らはまたルグレから大切なものを奪うのだろうか。そうしたら、ルグレはまた報復するのだろうか。
メイはこの世界に来てまだ間もなく、何も知らない。けれど、どの世界に行ったって、変わらないことがある。世界は、不条理だ。
――汽笛の音が響いた。
メイたちの立つホームに、蒸気機関車が到着する。
ホームに蒸気が立ち込め、ルグレや他の者たちが吸っていた煙草の紫煙を有耶無耶に消した。
メイは蒸気機関車を見るのが初めてだったので感動したが、さすが都会の人間。他のみんなは大した反応を見せなかった。
機関車の扉が開き、ぞくぞくと人が流れ出した。人混みの中で、メイは辺りのきょろきょろと見回す。
「どのへんで降りるんだろう……?」
すると、メイたちの立っていた辺りのふたつ隣のドアから、
「ルグレ! メイちゃん!」
と声がした。
見れば、金髪のお姉さん……じゃなかった、美青年がいる。彼も髪が少し伸びて、肩の少し下あたりまで伸びているので、ますます女性のようにも見えたが、なんとっていも190センチメートルの高身長である。人混みの中でもすぐに発見することができた。
「やあ、久しぶり」
エルが言った。
彼は入学式直前に一度、実家に帰っていたらしい。彼はオスカーとルグレとは違って、孤児ではない。実際の母親は田舎で病床に伏しているらしく、定期的に会いに行くらしいのだ。
「…………」
ルグレはエルの挨拶には応じなかった。
「久しぶり、エル!」
メイがそう言って手を構えると、それに応えたエルがハイタッチをした。
「っていうか、メイちゃん、どうして上着着てないの……!? 寒いでしょ!」
「うぅ、忘れちゃったんだよ。ちょっとの間だしいいかなって……」
「ダメだよ、早く学園に行こう。冷えちゃう……」
三人は駅から流れていく人の波に紛れて、学園へと歩き出した。
「ルグレ、メイちゃんは女の子なんだから、身体が冷えないように気を遣ってあげなくちゃだめだろう?」
歩く道中、駅を出て、暗くなった大通りの歩道を歩きながら、エルはそうルグレを叱った。
「おいおい、もう1920年なんだぜ? 男女同権だろ……痛ェッ!?」
「ひィ……!?」
エルは言い訳をしようとしたルグレの頭に容赦のないチョップをかました。
あの悪魔……否、大魔神ルグレに暴力をふるうなど、エルという男には恐怖心が備わっていないのか。メイはそう思った。
「言い訳しない。男女同権だって言うなら、男子にも優しくすればいい。ぜひそうするべきだ」
エルが指を立ててルグレに説教する。
「メイちゃんだって大切な家族だ。仲間ってこと。そうでしょ?」
「ハッ、家族ね……」
――やばいィ……! すごい地雷だ。もう分かる、ルグレにとって家族の話題はめちゃくちゃ地雷なんだあ……!!
「……俺はこの女のことを、お前ほど信用してない」
「だったらルグレ、彼女を信頼する僕を信用すればいい。それならできるだろう?」
「…………」
ルグレは顎に手を当て、少し考えてみるという素振りを示した。
いったい、何を考えることがあるのだろうか。彼の中では、メイを信用できない明確な理由があるのだろうか。
「分かった、とりあえずな」
メイは、華麗にルグレを言いくるめていくエルに感服した。
エルは、もちろんだが、ルグレとの付き合いがメイより長い。彼の扱いについて心得ているようだった。メイは学園における彼の暴挙を止めることができなかったし、そうしようとも決心できなかったわけだが、あるいは、エルがあの場にいれば止められたのかもしれない。
「そういえば、エルはどうして入学が遅れたの?」
メイは問うた。
「聞いてない? 実家に帰ってたんだ。血の繋がってるほうの家族のところさ。ド田舎なんだけどね」
エルは養子ではないという話は、以前にも聞いていた。親がリーベルタース家と親交があり、厚意で住まわせてもらっているのだとか。
それと、警備ドローンなど一機も飛んでいないようなド田舎に住んでいるという話も、以前聞いた。
「実は、母親が病気で寝込んでるんだ。兄弟もたくさんいて、父さんはずっと前に死んだ」
「……大変だね。お見舞いに行ったんだね」
「うん、そう。それに、妹も弟もみんな可愛くてね、ほんとは僕がずっと面倒を見ててあげなくちゃいけないんだけど、家のことは次男がやってくれてるんだ。でもやっぱりさ、ほっとけないんだよ。だからたまに顔を見に行くようにしてる。その間だけでも手伝ってやろうと思って」
エルはそう語った。メイを信頼している、とは彼自身が語ったことだが、それを実感する。なかなか、人には言いづらいだろう。
「こいつは偉いぜ」
ルグレが言った。
「なんてったって、親の病気を治すために学園に通ってんだから。見上げちまうね」
「ほんとに、それって凄いことだよ。家族思いなんだね」
メイはなんだか自分が恥ずかしくなった。
メイには目的がないからだ。現状の目的は、元の世界に帰ることだが、自分の人生を通してどうしたいか、どうなりたいかなど、考えたこともなかった。自分はどこまでも曖昧だ。優柔不断だ。そう痛感する。エルには尊敬の念を抱く。それしかできなかった。
メイにとって、すべてのことがなんとなくどうでもよくて、なんとなく生きてきた。だが、エルに関しては、どうでもいいなど言えない。彼には幸せになって欲しい。ついでに、彼の家族に関しても。そう思った。
「母さん、今の医学じゃ治らないんだって。僕の魔法でも、だめ。僕の頭じゃあ、間に合わないかもね。だけど、僕や兄弟たちのような境遇の人間を救う、救われる未来につながるのなら、僕とってそれが最善だと思った」
やがて、学園が見えてきた。
夜の空に高く頭を突き出す学園は、要塞のようで、とても不穏に感ぜられた。




