第34話『ルグレの遊び』
各々が制服に着替え、入学式の時みたく行列を組んで、集会ホールへの向かった。
ルグレも制服を着て行列の中にいた。彼は態度も外見もやくざもんに見えるが、そのイメージ通り、早くも制服を着崩していた。それは他の多くのシャッテン寮生徒も同じことだった。
校舎の中へと入ると他の寮の列と合流し、廊下はごった煮状態になった。青色、白色、黄色といった華やかなネクタイを締める生徒たちの中で、シャッテン寮出身者のネクタイは陰気な黒色。
亜人族はどうやら、亜人族らしい特徴を隠して人間族のようにカモフラージュする力を備えているという話だったが、我が寮の生徒たちはお構いなく耳やら翼やら尻尾やらをさらけ出している。いいぞ、単一民族国家出身のメイには民族アイデンティティのあれこれに対して理解や共感はいまいちないが、ぜひ自分の出自を誇ってくれ。あるべき姿で歩いてくれ、と、そう感じた。
メイは唯一の友達であるカーミラ・オイレンブルクを連れだって、集会ホールへの入場した。
ホールには長テーブルと椅子がいくつも設置され、その上には豪勢な料理たちが並べられていた。ホールの奥には二年生の生徒たちが数人立っており、メイたち新入生の入場を拍手で歓迎していた。
立っている二年生たちは、どうやら新入生歓迎会の運営を任された、いわば「実行委員会」のようなメンバーだろう。
中心に立つ男子生徒の前にはマイクが置かれ、横に並ぶ面子は酒瓶を持っている。入学は17歳だが、酒飲ますのか、とも思ったが、実際のところ、この世界およびこの国における成人になる歳を、メイは知らなかった。
「おお、すげーな!」
ホールに入場していく新入生たちは、口々にそういった感想を述べた。入学式のときに見た集会ホールとは、まるで違った雰囲気だったからだ。
すぐに集会ホールは一年生たちでいっぱいになり、やがて、実行委員の二年生が口を開いた。
「全生徒じゃないかもしれないが、来てくれてありがとう。……退出のタイミングは各々の自由だから、ぜひ新入生同士、親睦を深めてくれ」
マイクの前に立つ二年生の生徒がそう言うと、彼のそばに並んでいた実行委員たちは、目前に置かれたテーブルに並べられたグラスに酒を注いでいった。ホール内の新入生たちが順々にそのグラスを受け取りに行って、あっという間にホールはざわざわとした喧騒に満たされた。
メイとカーミラも適当なテーブルの側に立って、グラスを片手に辺りを眺めていた。やはり、ホール全体からすると端に位置する場所だった。
メイは積極的な性格ではなかったし、カーミラも目立つことを嫌った。なにより、メイにとってこの世界は、自分の知らぬルールで溢れている。亜人族差別や種族間の軋轢を、メイの居た世界の民族問題に連想するのは容易だったが、逆に言えばそのほかのあらゆる事柄について、メイは世間知らずもいいところだった。
この世界に来た初めのころ、屋敷で初めて出会ったルグレに亜人への態度について、憶測とはいえ皮肉を言われてしまったのは、こういったメイの知識不足によるところだと思われた。実際、この世界に来たばかりで右も左も、もっといえば東西南北が存在するのかも分からなかったので、仕方がないと言えば仕方のないことなのだが。
とにかく、そういった小さな不安がメイの中には確かに存在し、それを原因にして、ほとんど無意識的に、多くの人と同時に交流することを避けているのかもしれない。
「良かったよ、このパーティが制服指定で」
カーミラが言った。新入生歓迎会は私服でよかったが、立食パーティについては学園指定の制服が要求されていた。
「そう?」
メイが聞き返す。
「ほら、こういうパーティってたいていはドレスを着るものでしょ」
――そうなんだ?
メイは貴族じゃない。貴族のパーティなんて映画でしか見たことがなかった。ヒュー・ジャックマンが出てたレミゼくらいしか見てないから、映画ですらイメージがある程度しか知識がない。
貴族たちが社交の場としてパーティを開くイメージはあるが、実際あのパーティが何のために開かれていて、どういうことをする場なのかなんて微塵も知らないのだ。
「でも私、ドレス嫌いなんだよね」
カーミラは言う。
「どうして?」
「だって、私ってそばかすあるでしょ? みっともないよ、ドレスなんて着たらそれが際立つ」
「そうかな、可愛いと思うけど?」
たしかにカーミラはそばかすの目立つ女性だった。しかし、メイからすると、オレンジのカールのかかった髪も相まって、妖精のようで可愛らしいものだった。
「可愛いことないよ、田舎者っぽい。メイは知らないかもしれないけど、いや言い方は悪いけど悪気があるわけじゃないからね、でも、貴族のくせに田舎者臭いって、やっぱり恥ずかしいよ。私の家はそんな立派な家じゃないし、実際田舎者だけどさ」
そういうものだろうか。貴族には貴族の矜持みたいなものがあるのだろうか。
どう取り繕おうが、人には人のコンプレックスがある。カーミラとしてはその感情を吐き出したくてこんな話を始めたのだろうが、メイはあまり深堀しないでおこうと思った。幼少期のトラウマエピソードなんて語らせたら、今後の関係に響きそうだ。
「私も都会の生まれじゃないよ。リーベルタース伯爵と血がつながってるわけでもないしね」
慰め程度に、メイはそんなことを言う。
「しかし、やはり学園も落ちたな」
メイたちのすぐ側で、そんな声がした。名も知らぬ、男子生徒二人組。黄色のネクタイから、大地寮の生徒だ。
メイたちの前に置かれる長テーブルの対面、ホール中心寄りの場所で、料理をつまんでいる。
「別に俺は差別しないけどさ、やっぱり不安だよ。亜人族がこうも溢れちゃあ」
コンチネント寮の生徒たちが、シャッテン寮の亜人たちを指してそう言っているのは明確であった。亜人族のほとんどがシャッテン寮に振り分けられており、その数も学園内の割合で見たらそれほど多くない。亜人族が通えるとはいえ、その人選は限られたものなのだ。
学園に通う生徒の大多数が、生まれの良い貴族の出であったり、有力な農民であったりする。
「そもそもメイマピゲリズ学園ってのは、社交の場という役割があったんだ。学園時代の交友関係は一生というからな。将来を見据えたとき、やっぱり人脈は不可欠になるだろ?」
男はもうひとりに語る。
「亜人族にはせいぜい、庶民院の議員が精いっぱいかな。それも現実的じゃないだろ、奴らは人脈なんていらないんだよ。とにかくさ、教育を受けるときくらいは安心できる場で受けたいって話だよ」
「まあまあ、わかるけど」
もうひとりはそれほど積極的ではなかった。
「実際、亜人族の犯罪率を見れば火を見るより明らかだ。彼らの存在は教育に悪影響だ」
メイは会話を聞いて、平等と博愛を愛する大地寮なんて名目はまったくの嘘っぱちだと思った。
精神性に反応して寮分けを行ったが、正確ではないらしい。そもそも、人間を4パターンに分けるなんて不可能に決まっているのだ。そう思うと、メイはむしろ楽な気持ちになった。影と名のついた寮に入れられては不穏なことこの上ないが、それほど心配しなくてもいいのかもしれない。
メイは臆病だ。なんの根拠もない不穏さに怯え、今もまた、目の前で行われる差別発言を咎める勇気もない。
臆病で、曖昧で、優柔不断な自分。そんな自分が、たまに、いや、頻繁に嫌になる。
ルグレのほうを見やった。
人数分は用意されていないが、ホールには椅子が設置されており、そのひとつに腰かけていた。ホール内はおおむね、さながら派閥のように、各寮ごとの生徒たちで固まっていたが、ルグレの周りにはすでに、寮を問わず人が集まっていた。取り巻きというより、彼の美貌に惹かれた者たちだと思われ、遠巻きに彼を見てひそひそと話す女子生徒たちも散見された。
いつの時代、どの世界だってそうなのだろう。ツラの良い人間はコミュニケーション能力や人間性が欠損していようと、友達が作れる。
「エヴァルドぉ、お前、シャッテン寮に入れられたんだってなあ」
ホールの真ん中あたりで、エヴァルドが他の寮の生徒と会話している。
「災難だぜ、ったく」
「まあほら、お前は性根が腐ってるからな。相応しいよ」
エヴァルドの友人が言った。大空寮の生徒だ。青色のネクタイをつけている。
「黙れよ。……くそ、邪魔だぁ! どけ!」
エヴァルドは側で座っていた亜人族のシャッテン寮生徒を無理矢理に退かして、椅子を強奪すると、どっかりと腰を下ろした。
亜人族の生徒と対面して座っていたもう一人の青年も、怖気づいてどこかへ消えた。その空いた席に、フィルマメント寮の生徒が座る。
「俺は万人が認める立派な差別主義者というやつだろうさ。だがな、お前らだって異国の民や異教徒を恐れるだろう、差別し迫害するだろう」
エヴァルドは目の前の友人に限らず、なるべく多くの生徒の耳に入るように大きい声で言った。自然にホール内は少し静かになった。
時代だろうか。世界観、価値観の違いだろうか。
今やメイの居た世界で忌み嫌われるファシストが、戦前はそうでなかったように、時代や世界、風潮によって、差別主義者や独裁者といったメイの常識では忌避される思想や存在も、彼らにとってはその限りではないのだ。
「恐れて何が悪い、憎んで何が悪い。俺たちは実際に、理解が及ばない存在によって生活を脅かされてるんだ」
影寮、大空寮、大海寮、大地寮。
様々な精神性によっていとも簡単に四分割された我々学生、新入生が、エヴァルドの声を聴く。
メイにとっては露悪極まる醜悪なスピーチでも、彼らのうちには理解者がいて、勇敢な魂の叫びに聞こえるだろう。
「豪邸や庭園しか知らんお坊ちゃまには分らんかもしれんが、農業も工業も、亜人族に浸食されてるんだ。奪われているんだ。俺たち人間族の、シェアト人の誇りも、尊厳も、生活も、未来も、土地も、国も。黙ってたらすべて奪われるんだ」
メイとカーミラはまるで、自分たちの身を守ってもらうように、ルグレのそばへと寄った。
ルグレはそれに気づくと、椅子にふんぞり返ったまま、にいっっといたずらな笑顔を浮かべて、
「いいところに来たなァ、面白いもんを見せてやるよ」
といった。見れば、ルグレのすぐそばにはもう一人、青年が立っていた。入学式のとき、ルグレにしつこく話しかけていた男だ。眼鏡と肥満体質の、オジール・モブリオだ。
「いいか、オジール。お前は立派な貴族の出なんだろ?」
「ええ、う、うん。けれど、家柄や名前は関係ないんだよね?」
オジールはすでに何かに怯えていた。それもそのはずだ、ルグレの笑みと言えば、悪巧みに燃える悪人のそれなのだから。
「ああ、家柄はそいつの価値を決めない。だが、買収できるかどうかが変わってくる。分かるな?」
「…………」
メイも、嫌な予感がしていた。メイはルグレに一定の信頼を置きながらも、彼の道徳を信頼してはいなかった。彼を信頼するのは単純に、その他の人間よりも知った仲だからであって、それ以上の理由はなかった。
「だから俺は悩んだんだよ、お前のために。たとえば俺がお前を買いたいと思ったとき、金じゃあ敵わねえわけだ。だったら一体、何を支払えばいいんだってな」
「る、ルグレくん、いったい何の話をしてるのか……」
「だからさ、お前、この間俺と友達になりたがってただろ? なってやるよ。いいか、これは取引だ。俺はあのエヴァルドって男に恥をかかせてみたいんだ。……今から、ここで、お前が思う精一杯の方法であいつに恥をかかせてきてくれよ。そしたら、ほら、友達ってやつになろう」
「…………」
オジールはルグレの言葉を聞いて、言葉を失っていた。絶句である。
オジールは黙ったまま、ルグレのすぐそばに座り込んだ。地面に、だ。
オジールも、カーミラも、ルグレの規格外の不道徳に驚愕していた。つまり、彼は今、こう宣言したのである。――オジールを買収する。その対価はルグレと友人になる権利である。その取引に応じる場合は、エヴァルドという筋肉質の男に喧嘩を売ってこい、と。
エヴァルドという男は巨漢だ。背が高く、筋肉があり、イケイケの男だ。正しく農夫の息子だ。働くための筋肉がある。対して、オジールは温室育ちの小太りの、眼鏡の冴えない男である。
「ルグレ!」
メイは横柄なルグレの態度を咎めた。
「何をさせようとしてるか理解してるの!? そんなことしたら、あんたは安全圏から楽しめるかもしれないけど、オジールが恨みを買うでしょ……!? オジールがいじめられたら、責任とれるの?」
「責任? なんだそりゃあ、取引にゃねえなァ。なあ、どうする、オジール? 幸いこの学園には貧乏な亜人族がたくさんいるからな、金で動いてくれるやつに頼んだっていいんだ」
ルグレは言って、悪い笑みを浮かべる。まったくもって理解できぬ、悪党だ、この男は。
「ルグレ……!」
「……や、」
恐れおののき、絶句していたオジールが口を開いた。
「やる、やるよ、ルグレくん……」
「そらきた!」
ルグレは手を叩いて喜ぶ。そんなに必要なのだろうか、彼にとって、エヴァルドを辱めることが。
「お前はやる男だと思ってたぜ、オジール。分かってるな、お前の思う精一杯の方法で恥をかかせるんだぞ。甘ったれたことしたら取引はなしだぜ」
ルグレの前で跪いたまま、オジールはエヴァルドのほうを睨みつける。覚悟を決めるように、唾液を飲み込む。額に汗がにじんでいた。
「やる、やる、やるぞぉ……!」
オジールが自分を鼓舞するように、小声で繰り返した。
彼は立ち上がると、テーブルの上に乗った、料理が盛りつけられた皿を一つ、持ち上げた。ルグレはその様子を、まるでクリスマスにプレゼントを受け取った少年のように期待と歓喜の表情で眺めていた。
「お、おぉい、きみぃ……!!」
オジールはエヴァルドに接近すると、彼に声をかける。
「あん?」
エヴァルドは振り向く。煙草を咥えている。
「くらえぇ!」
オジールは振り向いたエヴァルドの顔面に、皿を叩きつけた。綺麗に盛り付けられていた料理がエヴァルドの顔、制服に飛び散った。
「…………ッ!?」
絶句したのはエヴァルドだけではない。まるで時が止まったかのように、集会ホール全体が先ほどよりさらに静まり返った。
――うわー! 地獄だ! 今、このホールは地獄と化したんだ…‥!
エヴァルドの顔に引っ付いた皿が、がらんっと音を立てて落ちる。次いで、ぐちゃぐちゃになった料理が床に落ちる。
その向こうから現れたのは、顔を真っ赤にしてぷるぷると震えているエヴァルドの顔だった。
「て、てんんんんめぇ~~~~……!」
エヴァルドが勢いよく立ち上がると、音を立てて椅子が倒れた。静かになったホールに、椅子が倒れた音だけが響いた。オジールは、身長が高く体格のいいエヴァルドに怯えて、小さくなって震え始めた。
「なにしやがる……、なんのつもりだぁ!?」
エヴァルドが震えてうずくまるオジールの胸倉を掴んで引っ張り上げる。その様子を、パーティに参加した一年生たちが見守っていた。誰も声を出さない。誰も止めようとしない。勇気を讃える大空寮の生徒たちにすら、そんな勇気はないようで、もちろんメイにもなかった。
そんなホールの中に、ひとりだけ、ケタケタと笑う者がいた。――ルグレだ。
「何笑ってやがんだ、おい、お前、さっきの奴だなぁ? お前だって亜人が気に食わんのだろう。どうだ、可笑しいか、志を同じくする友が辱めを受ける様子は」
エヴァルドがルグレを睨む。
「く、くはははッ……、ああ、そうだな。……可笑しくて仕方ねえ。お前、真っ赤になって震えて、結構かわいい顔してるぜ。知ってたか?」
ルグレは座ったまま腹を抑えて笑っていた。
「……んぬぬ……っ」
エヴァルドの怒りはとうとう頂点に達したようで、今にも暴れ出しそうな様子だった。
「ああ、面白かった。……よし、オジール、戻って来いよ。取引成立だぜ」
ルグレはそう言って、目に浮かんだ涙をぬぐうと、オジールにハンドサインを出して戻るよう示した。
「ああ? なんだあ、おい! てめえが指示したのか……!? てめえ、女々しいやつめ、正々堂々、てめえが喧嘩を売ればいいだろうが」
エヴァルドはそう言って、オジールをぽいと捨ててしまうと、ルグレに詰め寄った。
ルグレも相当な高身長だが、細身の彼に比べて、エヴァルドは巨人にすら見えた。
「正々堂々? ハッ、くだらねえ。……やるかい? 殴られれば気が済むのかな」
ルグレはエヴァルドの顔を見上げる。目を真っすぐ見て、また、例の嫌な笑みを浮かべている。
「上等だ、この野郎……ッ!!」
エヴァルドがルグレの胸倉を掴む。
ああ、とうとう……というところで、ひとつ。声がした。
「そこまでだ」




