第33話『談話室にて談話』
その日、メイマピゲリズ領改めメイマピゲリズ区を除く、多くの地域を巻き込んだ全国的なゼネストがあった。
自動車産業を中心にあらゆる工業での生産活動が一時停止し、治安維持隊である国家憲兵の出動が求められるほどのデモが行われた地域もあったそうだ。
メイマピゲリズ学園の裏、それほど遠くない場所に位置する工業地帯でも大規模なストライキがあったそうで、学園の生徒たちはしばらく工業地帯のほうには立ち入らないようにとの注意喚起があった。
労働を拒否するだけでは飽き足らず、ストライキはデモの域にまで広がり、その工業地帯では生産設備の破壊行為や憲兵が流血する事件まで起きた。
完全失業率が全国で4.9パーセントを記録したときのことである。
ただでさえ職にありつけない国民が多い中、労働の正当な対価を支払われていない労働者が多い。社会主義者の扇動に乗って起こったストだった。そのため破壊行為等にまでエスカレートしたのだろう。
もはや、今回のストライキは抗議ですらなかったのだ。彼らは今、国家の情勢に深い不安と憎悪を抱いている。
上流階級のガキがそんな工業地帯に姿を現したならば、良い獲物である。
要は、変に刺激するなという注意喚起だった。
新入生歓迎会の夜は、立食パーティがあった。
メイらはそれに備えて、一度寮に戻って暇をつぶしてから、寮の談話室に行った。
談話室は人間族、亜人族がごった煮になっている。煙草を吸っている者が多く、決して狭くない談話室全体がうっすらと煙たい空気に満ちていた。
「ストがあったそうだな」
だれかが言った。
ルグレの姿は見えず、メイはカーミラを連れて談話室の隅に置かれたソファに座り込んだ。
「すぐ裏のバウアー区ではデモ活動が起こったらしい」
誰かが応えた。バウアー区というのはメイマピゲリズの裏、すぐ隣にある工業地帯のことを指すそうだ。
しかし、この寮はやはり亜人が多い。亜人じゃない、人間族の者も、上流階級の者ではないだろうということが見て取れた。
「この学園じゃあ誰も気にしてねえんだろうな。……注意喚起なんてしなくたって、金持ちのお坊ちゃんたちが向こうに立ち入るわけもないのにな」
「間違いない。それに、あの辺りは『アルセーヌ・ファミリー』の縄張りだそうだ。金持ちじゃなくたって誰も近寄んねえってんだ」
「ひゅー、おっかねえ」
アルセーヌ・ファミリー……?
またメイの聞き慣れない言葉だった。もっとも、聞き慣れない言葉を聞くのは、この世界ではもう慣れたものだったが。
「『アルセーヌ・ファミリー』っていうのはね、有名なギャング集団のことだよ」
メイの疑問に答えるように、カーミラが言った。
「ギャングなんてそうそういないからね、有名な人たち。資本家から強盗をして、労働すら叶わない亜人族やスラムの子どもたちに分け与えるんだ。要は、歪んだ正義感に寄ってる気違い集団のことなんだけど……、」
ロビンフッドみたいなものか、とメイは思った。貧民街に住む者たちからしたら、英雄にも映るだろう。しかし、行っていることは正当化にも限界があるような犯罪行為である。犯罪行為は、どのような理由があったとしても治安の不安定さを露わにする行為であり、治安の悪化を露わにするということは、つまりさらに治安が悪化するということなのだ。
しかしながら、メイはどうしてか、そんな存在にそれほど不快感を抱かなかった。
例の事件から、メイの道徳心や良心に変化があったのではないかと不安にもなったが、実際には、メイは顔も知らぬ他人のことなどどうでもいいのだろうと思った。昔から、自分は冷たい人間なのだろう。
「そんな正義感も所詮表だけ。裏じゃもっとやばいことに手を出してるって噂」
「へえ。怖いね」
「そんなことより、この寮じゃまともに友達も作れないね、私たち」
カーミラは伸びをしながら言う。
亜人族も人間族も、男子も女子も、
「私はカーミラだけでもいいけど……」
メイがそう言うと、メイの真意としては「屋敷に帰れば家族たちがいるし、浅く広く交友を持つタイプじゃないので間に合っている」という意味だったが、カーミラはきょとんとして、それから少し赤面した。
「馬鹿だねえ、あんたは」
何から何まで真っ黒なゴシック調で、灯りといえば薄く輝くシャンデリアと暖炉だけで、薄暗い寮の談話室。
そこにたむろするシャッテン寮一年生の間を、肩で風を切って歩く男がいた。
ルグレではない。ルグレは身体能力こそ常軌を逸しているが、身体は線が細くて、威圧感なんてないとメイは感じる。
対してその男は背が高く、肩幅もあって、見るからにマッチョ。四角形で整った顔立ちも、アメリカの映画に出てくるいじめっ子キャラのようで、一目見て「有害な男性性」を地で行くタイプだろうと思ってしまう。それに、それはあながち間違いでもなかったようで。
「おい、ひょろいの、退け」
「はぁ? おい、なんだよあんた」
男は暖炉前のソファをご所望のようで、そこに座っていた先客に声をかけた。
生徒たちは三人でソファに座って、雑談をしていた。
「分かるだろ? 今日は冷える。時代は平等性だ。お前だけ暖炉前を使ってるんじゃあ、不平等だろうが」
そこに、ルグレが登場して、メイの隣に座り込んだ。
ルグレもメイたちと一緒になって、暖炉前の男たちを眺める。
「ちょっと待ってくれよ、俺は別に独占なんてしてないだろう。ダチと一緒に温まってただけだ」
「もう十分温まった。そうだろ? どけよ、今度は俺の番だ」
男は虫を払うような手つきで、ソファに座る生徒たちに離れるように促す。
「なんなんだあんた、失礼じゃないか。なんの権利があるってんだ」
「俺は王だ。この寮のな。お前を退かす権利があるんだ」
「舐めやがって……!」
暖炉前を陣取っていた生徒が、手に持っていた煙草を暖炉の中へと捨てて、三人そろって立ち上がる。
男は動じない。
「はッ」
ルグレが心底馬鹿にするように笑って、煙草を手に取り、火をつけた。
「エヴァルド・ガリボルディ、ね」
カーミラが言った。
「暖炉前を奪おうとしてるあの巨漢。エヴァルドっていう奴」
「何年生?」
「私たちと同じ、新入生だよ」
「どうして知ってるの、一年生のことなんて?」
メイは言ってから、ああそうだ、彼女はゴシップ脳だったと思った。ああいた尖った生徒のことなら、たとえ新入生でも把握していておかしくないだろう。カーミラはとにかく、人の喧嘩だとか、不祥事だとか、そういった噂話が大好物なのだ。
「なんだ、やろうってのか」
エヴァルドという生徒が言った。ガラの悪い三人組を前にしてもまったくひるむ様子がない。それどころか、身体が大きいので三人そろってちびっこに見えてしまう。まるでちびっこ三兄弟を説教する父親だ。
「この……!」
三人組の先頭の青年が腕を上げる。
エヴァルドはそれを視認し、素早く手首をつかんだ。そのままぐにっと手首を捻ると、無防備にさらされた顔面にパンチを入れた。派手に倒れた三人組筆頭を前に、残りの2人は怯む。
「はっはっはッ、喧嘩を売る相手を間違えるなよ。お前ら亜人じゃあ、結局人間には敵わないんだ。知能が違う」
エヴァルドはそう言って高笑いをした。
――ヘイトスピーチだ……! 学園の亜人族のほとんどが集まるシャッテン寮の談話室であんなことを口走るなんて、凄いメンタルの持ち主だ……。
実際に、談話室の空気が少し緊張した。彼は亜人族の集まる中心で、堂々と亜人差別を口にしてみせたのだ。ザワザワとしていた談話室全体の空気が張り詰め、少しの間静かになった。
「ははッ、ウケる」
ルグレはすべてが他人事のように笑った。
髪が伸びて、青く染められているのはもはや毛先だけ、プリン状態というより毛先だけ染めた状態に近い。目を通り越して頬まで伸びた髪がルグレの表情を隠し、不敵でニヒルな嘲笑に影を与えている。
「別に俺ァ積極的に亜人を追い出せだの、献身的に人間に尽くせだのと言うつもりはねえよ。だけどな、忘れちゃいかん。偉いのは人間だ。お前たち亜人は尊い人間様に群がる蝿に過ぎない」
エヴァルドは談話室全体に聞こえるように、大きな声でそう宣言してみせた。
この一件以降、シャッテン寮はきっぱりと二分された。――亜人族と、人間族。元来、相容れない種族間の諍いは、このとき確かに、実感がもたらされたのだ。
シャッテン寮に限れば、マジョリティは亜人族のほうであった。
しかし、一口に亜人族と区別してしまえば簡単だが、その中にも様々な種族がある。竜人、獣人――獣人の中でもイヌ、ネコ、鳥といった種族、エルフ、ドワーフ、ゴブリンたちがシャッテン寮にはいる。そしてもちろん、圧倒的少数であるがルグレのような『魔人族』もいるわけだ。
亜人族は亜人族で団結できれば簡単な話だが、彼らの間でもまた軋轢がある。歴史、文化、宗教……種族間にまつわる嫌悪感や偏見が絶えぬのは、もはや致し方のないことである。
それにシャッテン寮を出れば、そこには人間族の学園があるのだ。他の寮はそのほとんどが人間族で溢れている。
社会から権利と機会を奪われた亜人族たちは、学園内においてもまた、孤立した。
「ルグレ、立食パーティは来るでしょ?」
メイはルグレに問う。本心は、エヴァルドの差別発言から気を逸らせたかった。
「立食パーティ? んだソレ」
「今朝、寮の監督生が言ってたでしょ。歓迎会のシメだよ、ちゃんと話聞かなきゃ」
「ま、気が向いたら行くかな」
ルグレはそう言って、短くなった煙草を暖炉へ捨てに行った。
「おい、邪魔だよ。お前は人間か?」
エヴァルドは目の前に姿を現したルグレを見て、声をかけた。
「さァな。今どきの亜人族ってのは人間のふりのするのが上手ぇから」
ルグレは魔人であって、れっきとした亜人族の一種族であったが、さらりとそんなことを言ってみせた。
「まったくだ。俺たちを敵視する亜人族が国内に流れ込んでいるというのに、宰相はそんな奴らと仲良くなろうとしてる。怖くて外も出られん」
「あんたは、貴族じゃないのか?」
ルグレがエヴァルドに問うた。
エヴァルドは偉そうに足を組んだまま応える。
「貴族じゃない。貴族なんてクソ喰らえだ。俺は平凡な農家の子どもだ」
「へえ、ご立派。そんじゃごゆっくり」
ルグレはそう言い残すと暖炉前を離れて、またメイたちのいる、談話室の隅へと帰ってきた。
彼は学園の制服を着てはいなかったが|(というか、今日は一年生は誰も着ていないが)、なんだか上等な素材のシャツを着ていた。白いワイシャツと、黒いスーツパンツだ。彼のほうがよっぽど貴族然としていた。
「る、ルグレくんは、貴族だよね……? メイと同じ、リーベルタース家でしょ?」
カーミラはなぜか怯えた様子で、ルグレに話しかけた。
「……? 誰だっけ?」
ルグレはカーミラの顔をまじまじと見て、首を傾げるとそう尋ねた。
「私、カーミラ・オイレンブルク。……メイのとも……ルームメイト」
「友達だよ。私の」
カーミラが言い淀んだ言葉を肯定するように、メイが補足する。
「あ、そう。初対面か」
「うん。……私も一応貴族」
「俺は養子だから、リーベルタース家の血は通ってない。だからこの女とも姉弟じゃねえし、オスカーも養父も他人。俺は貴族じゃない」
ルグレは貴族呼ばわりを拒絶した。
彼の出自について詳しく知っているわけではないが、ルグレの普段の言動から、おそらく『貴族らしさ』みたいなものが嫌いなのだろうということは察することができた。
「リーベルタース伯爵、独身だもんね」
カーミラが言った。本当に、この女は余計なことばかり知っている。一体どこから情報を仕入れているのだ。
しかし、恐れ知らずの女ではない。カーミラはそれ以上ルグレの出自について深く尋ねるようなことはしなかった。
「養子のこととか、そんなぺらぺら喋っちゃっていいの?」
メイはルグレに問うた。自分には無関係な話だから詳しくないが、そういう家庭内の事情というのは、あまり他人に語りたがらない人が多いように思う。
「いいだろ、俺たち、似ても似つかないからな。隠したってどうもならねえし」
「じゃあ、気にしてないんだね、そういうこと」
カーミラが言った。彼女のいう「そういうこと」の中には、養子であることや出自が貴族でないということだけではなく、「実の親がいないこと」を含んでいるのだろう。
「そ。だから、あんたも気にするな。……貴族だろうが、孤児だろうが、百姓だろうが、生まれでそいつを定義する価値観なんざクソだ」
「そ、そうなの。……よろしく」
カーミラはそう言って、ルグレのほうへ手を出した。
ルグレはその手を見て、ハッっと笑った。それは馬鹿にした嗤いのようにも見えた。しかし、結局ルグレはカーミラの握手に応じた。




