第28話『寮』
一度集会ホールから離れ、階段をひとつ上がり、廊下を歩く。
一見質素にも見えた薄い灰色の石材のような壁は、この学校のすべての壁や床を形成していると判明したが、2階のそれには立派な青色の旗などがかけられており、質素に徹しているわけではないのが分かった。
窓があり、その奥には中庭が見えた。一見、ファンタジー感のない、ある種SF的にも感じられる建物だが、中庭には中世風のファンタジーの名残りというか、匂いがあった。
「見慣れないでしょう、こういう建築は」
クニーチュが後に続くメイに言った。
メイは未だに緊張していた。入学早々……というか、まだ入学式すら終えてないが……主任の先生に怒られてしまうのではないか、と。
「元はアルフェル連合王国の建築です。校長の先生がこういった先進性のようなものが大好きなんですよ」
中世の城のような建築、ゴシックのような建築、住宅街は赤レンガや褪せた黄色、緑のコンクリート壁など、シェアト王国内の建築はメルヘンなものが多い。
アルフェル連合王国は文化圏としては類似していながらも、その在り方は大きく異なる。伝統を重んじる保守的なアルフェル国はレンガ造りの住居や中世の城塞が残っている一方、その色彩はここと比べるとモノトーンなものが多く、ロマネスク建築的な建造物や、モノクロにしたヴィクトリアン様式のような建築が多く立ち並ぶ。
そこに台頭したのが、メイマピゲリズ学園にも採用されたこの建築なのだそうだ。なんでも、元は風景画家だった男が建築家に転身して成立した建築様式らしく、その姿はモノトーンでスタイリッシュ、生気を感じないほどの無機質を感じる。岩を切り出したそのままの様子のように、直線的で平面的な情緒が現れている。
「へ、へぇ……」
「ふふ、緊張しているのですか? 大丈夫ですよ、貴女の状況はそれとなくリーベルタース伯爵から伺っています。今から軽く学校の説明をしにいくだけですので。連合王国とか、世界情勢や歴史はまた授業で学んでください。――ルグレくんも」
クニーチュはメイの隣を歩くルグレに言った。
「あーい」
ルグレは退屈そうに応えた。見ればわかる、彼はクニーチュの話を何も聞いていなかったようだった。
メイはクニーチュに呼び止められたあと、彼女の指示でルグレを呼び、二人でクニーチュに従って移動していた。なんでも、今からメイマピゲリズ学園についての説明と、簡単な手続きがあるそうだ。怒られるわけではないと分かって、メイは一安心した。そもそも、怒られるようなことをした覚えはないのだが。
やがて、一つの部屋に辿り着いた。
そこはどうやらクニーチュ本人の部屋のようで、招かれて入ったその内装は、彼女の趣味であろうもので溢れていた。薄暗く、小さな照明が3つほど下げられている。壁に添えられた本棚には学術書がびっしりと詰まっており、部屋の中心には応接のための低いテーブルと対面に置かれた2つのソファ、その奥には彼女の事務机がある。そこにもやはり学術書や仕事の書類などが積み上げられている。部屋は芳香剤の優しい香りで満たされている。
全体的に散らかってはいるが、不衛生な感じはしない部屋だった。
「こちらへ」
クニーチュに手で示され、それに従ってメイとルグレは応接用のテーブルの脇に置かれたソファへと腰を下ろす。ルグレの座り方は下品極まりなく、とても主任の教師の部屋での行動とは思えなかった。
「学校についてはどれくらい把握していますか?」
「あまり……。この街が学園を中心とした都市だとか、全校生徒が一万人を超えるだとか、そういう話は聞いてます」
メイがクニーチュの質問に答える。
「その通りです。このメイマピゲリズの都市は『学園都市』とも呼ばれ、この私立メイマピゲリズ学園高等部の他にも、初等部、中等部があります。研究施設も多額の資金が投じられ、シェアト王国の発展と繁栄に大きく貢献してきました。在学中は外出について制限されますが、都市内には商業施設も豊富で、卒業後もこの街から出る必要性のない、安息の地です」
クニーチュは決まり文句のようにそう説明しながら、事務机から二枚の書類を手に取ると、メイたちの前のテーブルへと置いた。
「本学園は全寮制です。生徒たちはみな、4つの寮のいずれかに属してもらいます。……多くの生徒は中等部から学園に通っているため寮がすでに決まっていますが、あなたたちにはどの寮に属するかという診断を受けてもらわなければなりません」
魔法のある世界において、『寮』というのがある種団結力を養うための装置として働いているのは、フィクション作品の中ならばよくあることだった。
若者たちは思春期という多感な時期を、わざわざ学校という窮屈な社会の中に身を置いて、さらに寮という簡易的な組織に属することで仲間意識、団結意識を持つ。団結意識はやがて寮ごとの対抗意識へとなるわけだが、ある意味ではこれが学校の狙いであることは明白だった。
資本主義体制となったこの世界においては、対抗意識が最も人を効率的に成長させる。
目の前の紙にはいくつかの質問があった。それは人の価値観と、思考方針と、魔法適性を問うものだ。
ルグレは文句の一つも垂れずに、すまし作業として質問に回答を書いている。
「寮の名前は、この学園の創立に際してメイマピゲリズ辺境伯とその協力者たちの意向により、星を形成する要素からつけられています。……ひとつは大空寮。――正義と高潔を美徳とする寮です。……二つ目は大地寮――平等と友愛を貴び、博愛による協調と平和を愛している寮です」
「西の共和国サマが喜びそうだ」
質問に答えながら、ルグレがそう言って鼻で笑った。
彼のことをよく知っているわけではないが、偏見で、平等とか博愛とか、そういった分かりやすい『きれいごと』を嫌っていそうだとは思った。
西の共和国というのは、アルゲニブ共和国のことだろう。やはりこれについても、メイは詳しく知らないが。
「こほん。……三つ目は、大海寮。――合理性に基づいた判断と、知識と知恵を蓄えることを理想とする寮です。そして四つ目が、影寮――他の三つのような価値観には縛られず、個性を重視する寮です」
嫌な予感がした。『影』の名を冠する寮なんて、いかにも悪役がいそうな感じだ。
自分の生活圏にはできるだけ不穏な陰は欲しくない。自分の置かれている物語のような立場と世界において、特別な意味――とりわけ不穏な意味――を持つものが身近にあるのは、良くないことだと感じた。
そしてその不穏な予感は見事に的中したようで、
「お二人ともシャッテン寮ね」
回答欄を埋めた書類をクニーチュに提出すると、彼女はそれを不気味な雰囲気のする洗面器のような、水溜めに沈めた。やがて再び水面に浮かんだ書類を見ると、彼女はそう言ったのだ。
嫌な予感は的中し、メイたちは影の名を冠する寮に配属され、それはつまり、さらに嫌なことが起こる布石のようなものに感ぜられた。
寮分けが終わると、メイとルグレは黒色のネクタイを渡され、そのまま入学式へと戻された。
この学校では紺色のブレザーが制服だが、所属する寮によってネクタイの色が違う。大空の名を冠するフィルマメントは青色、大地を冠するコンチネント寮は黄色、メーア寮は大海の名を冠するが与えられた色は波の白色、そしてシャッテン寮が影の黒。
幸い、入学式は始まったばかりだったようで、背の低い男性教員が進行していた。
学生たちは皆、緊張と不安と期待にざわざわとしていた。
「シャッテン寮の列は向こうです」
後ろから、まさに影のように現れたクニーチュに誘導され、メイとルグレはシャッテン寮新入生たちの最後尾へと合流した。
「そういえばルグレ」
メイが小声で隣の少年に話しかけた。髪が青く、毛先が少しカールしている。目つきの悪い三白眼は金糸雀色に輝き、真っ白な肌に入った切れ長な瞼に収められている。美少女の見紛うほどの美少年だが、その目元や口元には若干の幼さが残っていた。
「んあ?」
「エルは学園に来ないの? エルも17歳でしょ?」
車に乗っていたのは運転手のドヴァレーツを除けば、メイとルグレ、そしてオスカーの3人だった。
メイの制服やらを買いに行ったとき、エルが案内してくれたわけだが、彼が制服やら教科書やらを購入している姿は見なかった。もちろん、メイよりも先にリーベルタース邸に住んでいて、メイよりも先に入学を決めていたのならすでに購入済みという可能性もあるが。
「来るはずだけど、知らね」
「あれ、見ない顔ね?」
メイたちに気づいた一人の女子生徒が、振り返って声をかけてきた。
その子も黒色のネクタイをしている。線の細い女の子で、かわいらしい赤毛が肩の上でくるくると丸まった癖毛、頬には若干のそばかすがあるが、欧州的遺伝子に照らせば、それも魅力でしかなかった。翡翠色の瞳は新生活への期待に輝いている。
「私、カーミラ。カーミラ・オイレンブルク。あなたもシャッテン寮ね?」
カーミラと名乗った赤毛の女子生徒が手を差し出す。メイはその手を受け入れて、自己紹介で応答する。
「そう。私はメイ・リーベルタース。よろしく」
「なんだか元気がないね? ……シャッテン寮じゃ不満?」
言われて、メイは自分の顔を触ってみた。表情に出ていたのかもしれない。己の不安が。
「いや、えっと、そういうわけじゃなくて……」
「いいんだよ。『影』寮だからね、みんな不吉がるんだよ。実際、うちの寮だけ亜人族の子が多いしね」
カーミラの言葉を聞いて、メイはルグレの視線が気になった。
あの夜、パテルから聞いた。ルグレも魔人族といって、人ならざる、亜人族の者だ。当然だが、彼は亜人差別について敏感なのだ。
「でも不安になる必要はないよ。亜人族って言ったって、世間で言われるほど野蛮な子ばっかりじゃない。ちゃんと良い子もいるんだよ。……それに、シャッテン寮創設の理念は聞いた? 『他の三つの寮の価値観には縛られぬ、個性ある寮』だよ? それって素敵じゃない? 何色にでも染まることができるし、何色にも染まらないの」
カーミラは言う。メイは、彼女はきっと純粋で、素直で、良い子なんだろうなと思った。
「いいね」
「高等部からの入学なんだね?」
「みんなは中等部以前から知り合いなの?」
メイマピゲリズ学園にはこれからメイたちの入学する高等部以外に、低年齢向けの初等部と中等部が用意されている。
「まあ、一部はね。でも高等部からの入学も珍しいわけじゃないから、安心して」
そう言ってカーミラがメイの手に触れる。一度話した手を、あえてまた触れなおした。
「……でも、そうだね、じゃあ、入学式が終わったら、少しだけどんな子がいるのか説明しとくべきかな――」
学校というシステムは、多くの問題を抱えている。
「――学園では、上手く立ち回らなきゃいけないこともあるから」
それは第一に、思春期の青年たちを、社会に比べたらずっと狭い牢獄の中に閉じ込めることにある。




