第25話『新冬、新生活!』
蒼井メイはその日、お得意の寝坊をかましていた。
制服――メイが今日から通う学校は、紺色を基調としたブレザーのものだった――に着替え、急いで学校へと行く準備を始める。
この世界に来た初日、パテルに学校に通うことを提案されていた。様々な考えがあったが、結局知識を得ておくことの利を取った。そのときはまだパテルたちを信用していなかった故の判断だったが、どちらにせよ、行っておいて損はないと思う。
今日に向けてここ何日か、エルにほとんど付きっきりで準備を手伝ってもらった。その中で買った持ち物を、改めて確認しながら鞄に詰めていく。教科書、万年筆、着替え用の下着と私服をいくつか。
そして、魔法を行使する際に利用する『杖』。
「杖も選ばないとね」
ある日の商店街で、エルが言った。
いつの日かダイニングでパテルが、木の枝のようなものでパンを浮かせていた。あの木の枝が、『杖』と呼ばれる。
メイはこの瞬間を待ちわびていた。
魔法を使えるかどうかは個人の才能によるらしいし、未だメイは自分にその才があるのか分からないが、もし杖を使って魔法を行使できるようになれば、自分はさながらフィルムに写るヒーローのようだ。もしくはアニメの魔法少女か。
ともかく、魔法なんて、ましてや、杖なんてものも使えるなんて、夢のようだ。
その日は制服やら教科書やらと、入学に向けて必要なものを買いに行った日だった。
『杖』の販売を専門とする店。
「これは……」
そこには想像していたのとは違った商品が並んでいた。
想像していたのは、いわゆる典型的な魔法的ななんとか的なものだった。埃臭い小屋のような店内に、杖――木の枝のような見た目をした杖が入った長細い箱がいくつもおかれている、というものだ。
しかし実際には、いかにも商業的な内装をしていた。加えて、杖といってもいわゆる杖の見た目はしているものだけではなく、長杖や短いもの、それらに加えて杖と言われて想像する姿とはかけ離れたものもあった。赤色の石が埋め込まれたペンダントのようなものや、腕時計のような形状のものなど、大きさも形状も様々な商品が売られていた。
そのいずれもに『持ちやすい!』だの『手に持たなくてもいい!』だの『おしゃれ!』だのと書かれたポップのような紙切れがついている。
「『杖』といっても古い呼び方でね、厳密には『魔法発動補助装置』みたいな感じなんだ。その名の通り、魔法使いがは魔法を使うのを補助する、要は円滑に使いやすくするための道具だ」
エルが店内をぐるりと見渡して、メイにそう説明した。
「今はこうやって色んな姿をした『補助装置』がある。昔は魔法を使うイメージとして棒状のものが使いやすかったから頻繁に使用されたらしく、今でも杖って呼び方が残ってるんだ」
そう言ってエルは店内へと進む。メイもそれに続いた。
店内に人は少ないが、メイと同じくらいの年齢の青年が母親らしき中年女性と共に商品を見て回っていたり、中年夫婦が『補助装置』の新調をしにきていたりといった様子だった。
「メイも自分に合った『補助装置』を探してみよう。一応僕も魔法使いの端くれだし、何でも聞いてよ」
言われて、メイは近くのペンダントを手に取ってみた。
銀色の枠に、蒼色の石が埋め込まれている。
「自分に合った『補助装置』を探す基準としては、主に二つの軸が語られがちだね。ひとつは『魔法石』。これは魔力がこもった宝石のこと。魔法使いは体内で魔力を生成できるんだけど、魔法石を介することで魔力の操作が円滑になることが分かってるんだ。――この『魔法石』が魔法使いの体質とあってるかが問題なんだ。『補助装置』に備えられた『魔法石』が使用者と合ってないと、自分のイメージとそぐわない出力を出したり、逆に魔法の使用が滞ったりすることもある」
「ふーん、もうひとつは?」
「もうひとつは形。自分が身に着けやすい形状だったり、自分が魔法を使う上で想像しやすい姿だったりしたほうが良いとされてる」
アクセサリーのような外観をしているものが多いため、実際に手に持つ必要はないのだろうと思う。身に着けているだけでも効力を発揮するのだろう。
魔法を使う姿を想像しやすいというと、やはり短い木の枝のような形のものだ。
メイは店の中を進み、いくつかの商品を見てみる。
白い木で作られた、短い杖を手に取った。合奏団の指揮棒のようにも見えるサイズのものだ。
「そういう見た目が好きなの? 君もリーベルタース家にふさわしく、古典趣味なんだね」
エルにそう言われて、おばさんくさいということか、と勘繰ってしまうがぐっとこらえる。
「この店には補助装置を試せる施設が併設してる。メイちゃんが魔法使いなのかの確認も含めて、それ、試してみる?」
エルはそう言って適当な店員を呼ぶと、併設された施設へと案内させた。
そこは小規模な射撃訓練場のような造りになっていて、カウンターの向こうには、的として赤い丸が描かれた紙がたらされていた。
メイたちのほかには誰もいないらしく、案内してくれた店員もすぐに店舗のほうへと帰ってしまった。
「『基礎魔法』と呼ばれる魔法がある。『固有魔法』とは違って、魔法使いとしての資質がある人間なら練習すればだれでも使えるんだ」
「私には、その魔法使いとしての資質、ってのがあるかも分かんないんだよね? 練習もしてないし……」
メイは白色の魔杖を手に持って、エルを見上げる。
「最初はみんなそうだよ。なんでも初めては初めてでしょ? とにかくやってみよう、意外とできるかもしれない。――『基礎魔法』、最初に練習するのは『射撃魔法』と『防御魔法』かな。前者は特にいちばん簡単だって言われてる。単純に魔力を放出するだけでいいんだ」
言って、エルは手を突き出し、掌を的に向ける。
エルの手に微かな白い粒子のようなものが集まり、やがて石ころサイズの光へと収束すると、掌から射出される。光の玉は投鏑されるボール程度の速度で的へと飛び、赤い印の中心から少し左下にずれたところへと着弾。紙に穴をあけた。
「それでそれはどうやってやってるの?」
メイは問う。メイの居たところでは、魔法とは架空の産物であり、現実ではない、ただの幻想だった。
画面の向こうでは数多の勇者たちがすました顔で魔法を活用していたが、実際にはどうやって使っているのか。魔法陣を書いたり、呪文を詠唱したりと分かりやすいものもあったが、どうやらこの世界の魔法はそういうタイプではないらしい。
「なんだろう、なんか、イメージだよ。腕や足を動かすのと変わらない。掌に魔力を集めて、放つ、それだけ」
「だから私にはその魔力があるかどうかも分かんないんだよ?」
メイは溜め息を吐く。学校でも魔法を学ぶらしい。魔法は才能だというが、この世界も才能がなければ生きていけないのだろう。
「メイちゃんこの頃ネガティブすぎだよ。とにかくやってみてよ」
エルはそう言ってメイの肩を押して、的の下がったレーンに向けさせる。
エルの指摘どおり、この頃のメイはなにやらマイナス思考に陥りがちになっていた。それが二か月前のリーベルタース邸襲撃事件によるものなのかは分からない。実際に、あの事件の発端はメイが思っていたようなものではなく、パテル・リーベルタースの暗殺が目的だったようだ。メイが責任を感じるべき要因は特にはなかった。
しかしながら、メイは無力を思い知った。あの事件で、多くの使用人や戦闘員が命を落としていくのを、メイはただ傍観することしかできなかった。
自分はあまりに無力で、無力な者は人を守ることはできない。人を守ることのできない人間は、必然、人に守られることになる。自分という無力で無価値な存在を生存させるために、力を持つ人間が散っていく。
なんと非合理的で、非生産的で、非持続的なのだろうか。
無力というのは、争いがある世界においては、それだけで罪深いのだ。
「…………」
だというのならば、メイは、力をつけなくてはならない。
無力が罪であるならば、無力な自分を受け入れ、無力なままであり続けることを肯定するのは、大罪であろう。
メイは杖を掲げる。
ただの白い木の枝のように見えるが、その芯には魔法石が組み込まれている。
杖先に意識を集中させ、『魔力』という、実態のよく分からないものがその先端に結集する様をできるかぎり想像してみた。
すると、エルがそうしてみせたように、白色の粒子がどこからともなく浮かび上がり、ゆっくりとその杖の先へと集まっていく。やがてそれは白色の大きな光へと成長する。
――あとは、これを、放つ……!
パチンコを弾く、あの感覚だ。
メイの杖の先に完成した白い光は、ゆらりと歪んだ弾道を残しながら飛翔する。
「…………!」
達成感。そして、魔法を使えることが判明したことへの安堵。
飛翔した光は、的から大きく外れて、施設の煉瓦製の壁を少し削りながら、消失した。
「すごい、すごいよメイちゃん……! 練習もなく一回で成功させるなんて! やっぱり、才能があるんだよ!」
エルが、なぜかメイ本人よりもうれしそうにそう言った。
「それに、威力も出てるみたいだし、本当にすごいことだよ……!」
――ということがあった。学校へ通う準備を手伝ってもらっていた数日のうちの、一日の出来事である。
メイは自分が魔法を使えるということが分かって安心した。
それまるで、この世界で生きていく上での第一条件を満たせたかのような安堵だった。
結局、その白い杖が自分にあっているのだろうということで購入した。というか、パテルのお金で買ってもらった。
メイは学校へ行く用意を完了し、忘れているものがいないかの確認を終えると、立ち上がる。
「メイ、もう行けるか?」
ちょうどその時、部屋の外から声がした。リーベルタース伯爵家の長男、オスカー・リーベルタースであった。
11月のリーベルタース邸襲撃事件から二か月と少し。メイらリーベルタース家の生存者は比較的田舎町に置かれたパテルの別荘に移って過ごしていた。そして今日から始まる2月は新学期の始まりの時期だそうだ。シェアト王国の冬の終わりとともに、新たな生活が始まる。
「うん、遅くなってごめん」
メイは扉越しにオスカーに返事をする。
部屋を出ると、オスカーがいた。黒色のタートルネックの二ッとセーターの上から、黒いコートを着ている。筋肉質で男性的な肉体は、服越しでも分かる完成度だ。
「問題ない。念のため早めの時間を伝えておいた」
彼の計算高さは戦闘において非常に頼りになるが、実生活ではこういう素直さも相俟ってぐさりと刺されることがある。彼はメイが寝坊助なのを見越して、早めの時間を伝えていたのだ。彼にとってそこに一切の悪意はなく、善意でしかない。
オスカーもキャリーケースを連れている。学校にはメイだけでなく、オスカーも行くらしい。見た目と落ち着きだけで判断すると彼は20代前半に見えるが、彼の実際の年齢は19歳だ。メイの行く学校は四年制で、17歳で入学、卒業するころには21歳になっているはずである。彼は転入のような扱いになるのだろうか。
廊下を進んで、オスカーと二人で玄関前まで出ると、眠そうな顔のルグレと、エル、犬の顔を持つ執事ドヴァレーツがいた。
ルグレは青い髪がぼさぼさに暴れているが、紺色のブレザーを着てキャリーケースを持っている。エルも同様だ。
「おはようございます。ふたりも学校行くの?」
「おはよー。そうだよ、何度も言ってるけど僕らはメイちゃんと同い年だからね」
メイの問いにエルが応え、ドヴァレーツも頭を下げて「おはようございます、メイ様」と続く。ルグレは挨拶することはなく、「ん」と一音で主張してエルにネクタイを巻いてもらっていた。
「それでは、みなさまご準備ができたようですし、そろそろ行きましょうか」
ドヴァレーツがそう言って、玄関の戸を開き、手招きをする。それに呼応するようにメイたちが歩き始めると、後ろから声がした。
「いってらっしゃいませ」
カーラだった。隣にはイザベルとネアンもいて、手を振って見送ってくれていた。
「行ってきます……!」
今日から、メイも新しい生活が始まる。そう思うと途端に、自分もこの世界で生きることにすっかり慣れてしまったなと感じる。
もちろん、この世界で生存していく知識を得ることは必須である。この世界に囚われたときのために、支えになる者を大切にしておく必要性も理解している。しかしながら、メイは元の世界に帰るきっかけさえあれば、すぐに帰るだろう。この世界で生存していく覚悟とは別に、帰ることもまたメイにとっては欠かせない目的のひとつだった。
おそらく、メイの両親は、今でもメイを探している。行方不明、法的死亡なんて、彼らは許さないだろう。
それ以上に、彼らの精神的疲弊が心配だった。
彼らは、メイなしには生きていけないと思うから。




