第23話『狐はとんでもないものを盗んでいきました』
「Fuchs, du hast die Gans gestohlen……」
暗い細道に、処刑人の歌声が響く。
「Gib sie wieder her, Gib sie wieder her……」
所は、リンティネン邸地下。
こういった時のために、任務に出る前、こつこつと時間をかけて作り上げた地下道だ。粗悪な作りだが、脱出用には役立つと思っていた。
「Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schießgewehr……」
――畜生っ! こんなはずじゃなかったのに!
――やっぱりすぐにここに戻るのは間違いだった。後をつけられてたんだ、きっと。リーベルタースのところから、はるばるこんなところまで来るわけがない。
――どうしてバレた!? 完璧だったはずだ。あんなに時間をかけて計画を練ったのだ、こんなことになるなんて!
――乗るんじゃなかった、いや、違う、これでいいんだ。もう少し、もう少しで満たされるのだ。
「Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schießgewehr……」
――これで、私は満たされる。違う、だめだ、これでは達していない。もう少し、もう少しだ。もっと綿密な計画が必要だった。そうでなければ、『成れない』……!
青年は必死に逃げる。愉快に民謡を歌いながら、迫りくる処刑人から。
*****
ルグレは楽しく極悪非道な貴族を拷問していたはずだった。
しかし、今、自分は浮遊感と、腰の痛みを感じている。体当たりされた。それが分かった。
「クソっ……!」
そこらの車よりも高速で動く物体が、自分の腰当たりに体当たりをして、共に飛んでいた。
突き飛ばされたルグレの身体は、リンティネン邸2階から、窓を突き破って外に飛び出した。失速した身体が、空中で一瞬、止まる。
そしてルグレは視認した。自分の腰をホールドしているのが、黒いダイビングスーツのようなものに身を包んだ、褐色の少年であることを。頭を丸坊主にした、ルグレと同年齢ほどの、小柄な少年だ。それは高速で屋敷の中を駆け抜けて、リンティネン夫妻を守るように、ルグレを突き飛ばした。
察するに、この少年も、リンティネン家の私兵の一人だ。
「いでッ」
ルグレの身体が朝の野原に激突した。2階から飛び出したルグレと褐色の少年は、リンティネン邸敷地内の、広大な庭へと落ちたのだ。屋敷を囲う塀は片側が大きく敷地を取っており、馬を走らせるコースのようなものと、手入れされた庭園が広がっていた。
ルグレが咄嗟に身を起こすが、それよりも早く立ち上がっていた褐色の少年が、ルグレを見下ろしていることが分かった。
「オレの名前は、ヨナタン。ヨナタン・リッシェだ」
少年が言う。声が高く小柄だが、やはり同年齢だと思われる。同年齢の中では、むしろルグレが大人びいている方である。
「俺はこの屋敷に雇われてんだ」
「……みてえだな」
ルグレがやっとの思いで立ち上がる。
「ぶっちゃけあの夫婦がどうなろうが知ったことじゃねえけど、ま、俺らくらいの年齢はみんな腕試しが好きなんだよな」
ヨナタンと名乗った少年は、饒舌に話した。とても早口だ。
「な、って言われても、俺ァ喧嘩は嫌いだけど……」
「マジで。イキりたいざかりじゃん、17歳って」
「なんで俺の歳知ってんだよ……」
早口だし、テンションがうざい、とルグレは思った。
「とにかく俺の固有魔法を見てほしいんだって。俺は馬より速く走れるんだ」
馬と言えば、競走馬ならば時速70kmほどだろうか。確かに、魔法でも使わなければありえない速度だ。
――ちょっと見てみたいじゃん。
「へえ、腕試しするかい?」
「そら来た。行くぜ」
ルグレがにやりと笑うと、それに応えたヨナタンが、ルグレの服の襟の部分を掴む。そして、そのまま駆けだした。時速80km……それが実際のヨナタンの最大速度だった。しかし、そこに至るまでには走り出してから、車と同じように、加速の時間を過ごさねばならない。
速度だけではない。それなりに筋肉のあるルグレを、片手でつまみ上げる腕力。これもヨナタンの武器だった。
しかし、それらのことを、ルグレは瞬時に見抜いていた。
あのオスカーをして、嫉妬の感情を抱かせるほどの、戦いの才能。
それがルグレには備わっていた。
培った経験と知識、知恵と努力によって、合理的な作戦を立案し、正確な射撃や軍隊格闘術を使いこなすオスカーに対して、ルグレは、まさに才能を持つ少年だ。
オスカーにはない、圧倒的な『勘』を持っているのだ。知識がオスカーならば、さしずめルグレは知恵が立つといったところか。圧倒的な勘と、異常なまでの戦闘センス。それは相手の強みを瞬時に見抜き、有効な打開策を思いつき、たとえ格上の相手でも早期にして形勢を逆転させるポテンシャルを持つ。
銃もナイフも剣も、鍛錬の必要になることは、ルグレはオスカーの足元にも及ばぬ。しかしながら、こと肉弾戦において、この狂犬は本領を発揮するのだ。
「げば!」
最大速度に達したヨナタンが、ルグレを野原に投げる。
そして速度を殺さぬようにカーブをしたヨナタンは、切り返して、ルグレに突進。80kmに達した速度をそのままに、ルグレを殴りつける。
ルグレはそれを腕で受けるが、ヨナタンの攻撃は、いわば車が激突してくるようなものである。身体は突き飛ばされ、4メートルほども後方で尻もちをついてしまった。
すぐに次の攻撃に備え、姿勢を取りなおそうとするが、すでに接近していたヨナタンに、次の攻撃を浴びせられる。
ヨナタンはルグレを中心に野原を駆け回り、ルグレが完全に反応しきる前に彼を殴打した。
しかし、時間の問題である、とルグレは察した。目が慣れてきている。ヨナタンの動きに。
ヨナタンがルグレに攻撃するたびに、ルグレは自動車が追突してくるようなダメージを、必死に受け流した。
そして、見えた。
ヨナタンの動きが。
「ははッ……!」
走りながら、ルグレの笑い声を聞いたヨナタンが、首だけで振り返る。が、先ほどまでルグレがいた位置には、もう何もない。
「……? どこに行った?」
――そして次の瞬間。頭を鷲摑みにされたヨナタンは、身体を宙に浮かし、そのまま屋敷のほうへと放り投げられてしまった。
「う、ぎゃッ!?」
ヨナタンの背中に激痛が走る。ルグレの細い身体からは想像もできぬ怪力によって投げられたヨナタンの身体は、自己防衛魔法という基礎魔法により守られている。屋敷の壁を突き抜け、内装を滅茶苦茶にしながら、止まった。
「――なッ、速ぇ……!?」
瓦礫の上で目を開けるヨナタン。その眼前には、不敵な笑みを浮かべて立つルグレがいた。その笑みは、さながら、鬼神である。
「喰らえェっ……!」
ヨナタンは瓦礫と化した木材を投げつける。その木材がルグレの視界を遮った瞬間、ヨナタンは駆けだす。とにかく、速度を稼げばいいと考えているのだ。このまま、ルグレとの距離を取る。最大速度に達したヨナタンに、銃の弾を当てるのは至難の業である。逆に、ヨナタンは自分のペースに持ち込んで戦闘を行える。走りさえすれば、いつでも自分に有利な状況が作れるのだ。
「さァさァ皆様ご覧あれ!」
駆けだしたヨナタンの真横で、声がした。ヨナタンは足を止めずに見る。そこにいたのは、鬼神。
「本日ぶち殺しますは馬の走力を持つ怪人でェーごぜえます」
鬼神は、ヨナタンの横をぴったりと同じ速度で走っていた。最大速度には達していないが、常人に追いつける速度ではないはずだった。ヨナタンは、自分の眼が信じられなかった。
「なんでも彼、走るためには脚力が必要ってコト、知らなかったようでして……」
ルグレが、ヨナタンの顔面を掴む。こうなってしまえば、ヨナタンはライオンに噛みつかれたガゼルである。
ぐんっ、と力がかけられ、ヨナタンが失速。
その脚に、激痛。それはルグレが突き刺したトレンチナイフによるものだった。
「ぐ、ぎゃあッ……ああ、死ぬ、死ぬ、」
ヨナタンの腕力を以てして、ルグレのそれには遠く及ばない。もう、逃げられないのだとヨナタンは察した。
「……はっはッ、聞きたいんだけどよ、どォして気づかなかったんだ? 脚力がある奴を相手取ったら、ちょっと足が速いことなんか意味ねえってよォ」
ルグレはナイフを抜き、腹部に突き刺す。刺す、刺す、刺す、刺す、刺す。高速でヨナタンの身体をめった刺しにした。
「馬鹿、あ、やめ、死ぬ、死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……ッ!!」
トレンチナイフがヨナタンの身体に刺さるたび、ヨナタンの身体は異物感に襲われ、筋肉繊維が断たれ、神経が砕かれ、感覚が失われていき、原型を崩していく。やがて、ヨナタンの脳裏を埋め尽くしたのは、理不尽な現実。――目の前にある、『死』であった。
「それに生きることへの執着も足りてねえ。見せたがってた割にはくだらねえ男だったな」
*****
「はぁ……はぁ……」
『私』が目を開けたのは、薄暗くて狭い一室だった。この場所を知っている。もしものとき、まさに今のような事態に陥ったとき、自分だけでも助かるようにと作り上げた地下道。その途中にある、小部屋だ。何かの目的を持たせているわけではなかったが、一応作っておいたものだ。自分が使うより先に、敵に使われてしまうなんて。
「目が覚めたか」
男の声がした。
起き上がろうとしたが、両手も両足も枷がかけられ、身動きが取れない。
小さな電灯が、埃臭い小部屋を照らす。
「お前が内通者だな? アラン・エルスター――」
アラン・エルスター。それが、自分がここ1年ほど名乗り続けた名前だった。
「――いや、アラン・リンティネンのほうが正確か?」
アラン・リンティネン。それが、この世に産み落とされた私に、最初に与えられた名前だった。
「よく、わかりましたね……」
男を見上げる。目の前に立つ男は、オスカー・リーベルタースだった。この男にかかれば、自分が必死に用意した計画や陰謀、魂胆など、子どものままごとだったのかもしれない。
「素人にしてはよくやった」
オスカーは言った。その言葉は、敵のものでありながら、なぜか私を高揚させるものであった。
「だが、俺が鈍ったりしてなかったら、もっと早く気づけた。あの惨劇を招いたのは、俺の失態だ」
埃臭い小部屋。灯りは小さな電球一つ。私は椅子に縛りつけられ、目の前には、私を裁く処刑人がいる。
「無線機では遠方との通信は取れないから、別の回線を使わなければいけなかったはずだ。しかし、発展途上である魔法科学機器では、傍受を恐れたか」
魔法科学機器とは、いわゆる携帯電話のことである。あれは、極めて限定的な使用になるが、無線機のような働きをしてくれる、一般人向けの通信機器である。
「だが、俺に怪しまれないように外部とやりとりをする必要があった。……『郵便受け』か。よく考えたものだ」
敵に褒められていることが、今は素直に嬉しかった。殊に、この男に褒められることが。
私はこの1年ほど、己の姓を偽り、アラン・エルスターとして過ごした。リーベルタースという伯爵家の屋敷に潜入することが目的だった。私は短期間で仕込まれた、人を騙す能力をあますことなく活用し、リーベルタースの屋敷に住む使用人たちの中に溶け込むことに成功していた。
リーベルタース伯爵の動向を観察し、また暗殺することが最終目標であった。しかし、暗殺込みで私に任せられるほど、依頼主からの信用は得られていなかった。だから私は常に外部の協力者に、リーベルタース伯爵の動向や戦力のほどを連絡し続ける必要があった。
その方法が、『郵便受け』である。
私は使用人としてリーベルタースの家に雇われて以降、志願して郵便受けから郵便物を回収する職に就いた。
ペガスス半島の近代化は今や頂点に達したかに思われ、その中で通信機器も目覚ましい発展を遂げた。しかし、デジタルの悪いところは、常に足跡が残ることであった。諜報任務を遂行する上で、己の足跡が残るというのは、最も避けるべき事柄である。
なので私は、依頼主側からの情報を郵便受けを介して受取り、また、郵便受けを介して情報を通達した。
「お前の正体に気づかなかった要因に、動機がある。いまいち理解できない。……どうしてリーベルタース家に潜入した? あの家を貶めて、お前に何の得がある? 今更、家の名声を手に入れようとしたか、いや、それもどうも腑に落ちない」
この人は、何も理解していない。私はこんなに全身全霊を注いで、この人を理解しようとしているというのに。この人の眼中には、私は全く入っていないのだ。だからこそ、計画が上手く進んだともいえる。しかし、納得できない。それでは、成れない。
「動機……?」
私は、喉の奥から、必死に声を出した。
「そうだ、動機。誰かに頼まれたのか? もしそうだとして、どうしてお前がこんなことのために命を懸けたのか分からない。俺が早く気づいていれば、お前は無駄死にになっていたのかもしれないのに」
だめだ、聞いていられない。この人は、ずるい人だ。本当に気づいていないというのか、私の気持ちに。
「俺の、俺の動機は、『憧れ』だよ……!」
「……憧れ……?」
オスカーは面食らったように私を見下ろしている。
「そうだ! 家柄も、両親も、名声も知ったこっちゃない! 俺は、俺はただ、あんたになりたかったんだ……!!」
「…………」
「そして実際にあなたを出し抜いた! どうだ、偽物が本物に打ち勝つ瞬間は、今どんな気持ちだよ!」
「……いや、こうして捕まってるんだからお前の負けだろ」
オスカーは引いていた。だめだ、こいつは。私の気持ちを察するつもりもなければ、理解してくれる器量も持ち合わせていないようだ。
だが、それでいい。それがいい。
私はこの男になりたかった。
「アラン。お前はいったい何に飢えているんだ? まだ若い。いくらでも生き方を選べたはずだ。誰かに脅されたのか?」
古い名声や地位を懐古するばかりで、時代に取り残された下らない両親では、私の目標とはならなかった。
両親は幼き日の私を溺愛したが、私が成長し母と顔が似てくると、父親は私に飽き始めた。あんな凡夫、憧れるに値しない……!!
私が目指すべきなのは、もっと新しい男だ。
ペガスス半島で、近代化とともに発展し、拡張主義の広まった列強に、しかし打ち勝てると思わせてくれる男だ。
近代化が進めば、王族も貴族も意味がなくなる。古い価値観は廃棄され、国民が主体性を持って国を左右させる時代が来ている。もう、リンティネンなどという苗字にこだわる必要は私にはない。時代遅れな父親は、焦っていたのだ。だから関わりのなかった男の、本当かどうかも疑わしい誘いに乗ったのだ。あの父親さえこんなに馬鹿でなければ、私が命のかけてリーベルタースの屋敷に入り込む必要もなかったのだ。
だいたい、リーベルタースの当主を殺せばそれなりの地位を与える……などと言われて、とびつくことが論外だ。
父は旧時代に残された哀れな凡夫なのだ。近代化と産業革命の影響で、名ばかりの貴族などほとんど無価値にされている。頭のいい貴族たちはその財産を活用して産業化に順応しているというのに。
父と同じ轍を踏むわけにはいかない。
私は、新しい男になるのだ。
そうだ。私が飢えていたのは、目標だ。
目標がなければ、憧れがなくては、何のために生きているのか分からなくなってしまうのだ。
「俺は……、ただ、あなたになりたかったんだ」
私がオスカーに伝えたいのは、結局、それだけのことであった。
「理解しがたいな」
「そうだ、あなたには分からない。あなたは……ずるい人だ。俺はこんなにも……」
「狂気だな」
オスカーはそう言って、私を一蹴してしまった。
「俺は戻る。放っておいたらルグレがお前の両親を殺してしまうからな――」
オスカーは振り返り、小部屋のドアを開ける。
「――お前は好きに生きろ。次俺の前に現れたら殺す」




