第15話『事件前夜』
星歴1922年、11月15日。シェアト王国、リーベルタース邸。
ネアンの誕生日から3日が経過した。
メイはネアンの誕生日パーティーや、その準備の際、文化祭を想起しながら、使用人たちとの結束力が高まったように感じていた。そしてそれは、メイの思い込みではないようで、実際に使用人たち――男性使用人も、庭師も、厨房のシェフたちも――、屋敷のメンバーとの絆は深まっているような実感があった。
実際に、掃除をしていて屋敷を周っているときに執事たちと会っても、明るく挨拶をしてくれるようになっていた。少し前から厨房での仕事をさせてもらえていることもあるが、シェフたちともよく話すようになった。
メイは以前に比べて、自分がこの屋敷のメンバーの一員として受け入れられているのを感じ取っていた。
ここに来たばかりのころ、メイはオスカーやパテルを警戒していたが、それも和らいできていた。その頃は固く、機械的にも感じたネアンも、最近は、少しだけだが、笑顔を見せてくれることがあった。
そして今日。11月15日。
メイが着替えを終えて廊下に出ると、イザベルと出会った。
少し紫色の入った黒髪で、ふんわりとした癖毛の、メリハリのあるわがままボディの、先輩メイドだ。
「あ、メイちゃん!」
メイよりも少し背が低くて、相変わらず少し眠そうな垂れ目だ。
「あ、ベルさん! お久しぶりです。お休みだったんですか?」
彼女に会うのはずいぶん久しぶりだった。
それこそ、メイがここに来たばかりのころ、彼女はこの屋敷の使用人が勤務態度の緩いことを象徴するような存在で、数回一緒に仕事をした。それきり、しばらく会っていなかった。
「ん、うん! パパのお葬式があってね」
イザベルの父親といえば、幼少期の彼女を世界各地に連れ回し、めちゃくちゃな方言が混ざった訛りにした張本人だと聞いていた。
「あ、お父様、お亡くなりになられたんですね。……ご愁傷さまです……」
「うん。近い親族が死ぬと、あんなめんどくさいことになるんやな。お葬式以外にも、なんか色々させられちゃ」
イザベルは眠たそうな、溶けたような口調でそう言った。それは彼女の普段通りの、比較的元気な時の同じ口調だったが、彼女は彼女なりに寂しさを感じているのだと分かった。
分かっている。世の中は、こういった死や哀しさで溢れているものだ。メイは彼女の父親を知らないし、悲しむ権利などないようにも思う。けれど、彼女のさみしそうな顔を見るのは新鮮で、メイまで泣きそうな気持ちだった。彼女はいつもニコニコしていた印象がある。彼女には、ずっと笑っていてほしい。
「なんかたくさんお葬式に出ないといけんくて、めんどいかったわ。……それより、最近は屋敷はどんな感じなん? もう慣れた?」
イザベルはすでにメイド服に着替えていた。彼女はメイを誘導するように廊下を歩きながら、切り出した。
彼女は切り替えているようだ。切り替えようとしているようだった。ならば、なおさらメイが露骨に悲しんでは可哀想だ。
「もう慣れましたよ! 最近はネアンの誕生日があって、サプライズ・パーティーをしたんです」
「へえ! 楽しそうやん。いいなぁ」
「楽しかったです。ベルさんもいれば、もっと楽しかったと思います」
「ネアン、喜んでた?」
「喜んでましたよ。それはもう、涙を流すほどに」
メイがそう言ったのを聞いて、信じられない、というようにイザベルが目を見開いた。
「それじゃ、あとでうちもおめでとうだけ言おっかね」
それから、メイとイザベルはA館のエントランスホールまで来た。そこにはネアンやロッサなど、使用人たちが集まっていた。
使用人たちが囲むのは、パテルと、彼の荷物を持ったドヴァレーツ――ドーベルマンの顔を持った執事だった。
「それじゃあ、僕たちはもう出るから。……ルグレはどこだ?」
エントランスに集まった面々を見まわしてから、パテルがロッサに問うた。
そこには、様子を見に来たエルとオスカーの姿もあった。しかし、たしかにルグレは見当たらない。
「ルグレ様はいつも通り、遊びに行かれました」
ロッサが応答する。
「行先は知っているのか」
「存じ上げません」
「そうか。エル、気にしてやってくれよ」
パテルはロッサから目を離し、階段の上からエントランスの様子を眺めるエルとオスカーのほうを向いた。
「分かってますよ! あいつのことは僕に任せてください」
エルは元気よく返事をする。彼ら三兄弟は、パテルの実子ではないというのは、以前エルとオスカーと共に出かけた帰りに聞いた。
その中でもエルは、親を介した厚意でパテルの家に住んでいると言っていた。だから、彼はパテルに対して、三兄弟の中では最も好意的に接しているように見受けられた。実際に、彼はパテルに感謝しているのだと思う。
「ありがとう。それじゃあ、いいかげん出ていくかな」
パテルはこれから、王都まで出向いて、国会のような会議に出席するとのことだった。
こちらの世界の国の運営方針について、メイが知っていることはほぼ皆無だったが、貴族らしいので、そういう仕事もあるのだろう。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
ロッサがそう言って頭を下げると、それに続いて他の使用人たちも頭を下げた。メイも慌てて、彼らに続く。
頭を下げながらも、目線だけ少し上げて、パテル達の様子を見る。ドヴァレーツは、玄関から出ていくときに一度、わざわざ振り返って、見送りの使用人たちに一度お辞儀をしてから、扉を閉じた。
「さ、それじゃあ、皆仕事に戻りなさい」
ロッサが言って、玄関係以外の使用人たちが各々の仕事場へと戻っていく。
「メイ、ちょっと来てくれる?」
メイは階段を昇ろうとして、歩を止め、ロッサの元へと駆け寄った。イザベルはその様子を、階段の途中で足を止めて見守っている。
「重ね重ねになるけれど、ネアンの誕生日、本当にありがとうね」
ロッサには、誕生日会の時、直接お礼を言われていた。ネアンがここに来た時から、ずっと彼女を見守っていたらしいが、それでもロッサはネアンの涙も、笑顔も、誕生日会で初めて目撃したそうだ。
「いえいえ、みんな楽しそうにしていたので、何よりです!」
「ネアンはね、メイの先輩と言っても、まだ入ってきて一年と少ししか経ってないの。ここに来る子はみんな、パテル様が拾ってきてるんだけど、どの子もろくな親を持っていないのよ」
「…………」
「ネアンも、生い立ちは詳しく知らないんだけれど、たぶん、それほど愛された子ではなかったと思うの。……屋敷に来てからも、ずっと周囲の人たちを警戒していて」
「そうだったんですね……」
ネアンが屋敷に来たばかりのころのことは、もちろんメイの知るところではない。しかし、ネアンが周りを警戒している様子は、なんとなく想像がついた。
メイがこの屋敷に来たばかりのとき、ネアンに対して思ったのは『虚構』だった。無論、ネアンはその場に実在していたし、話すことも触れることもできた。実態を持った存在であった。しかし、ネアンには『実感』のようなものが伴わなかった。彼女は、まるで、その場で求められている姿を、そのまま演じているだけの、機械のようだと思った。
メイドという仕事を与えられているから、メイドとして模範的な行動をしている。そういう風に、メイの眼には映った。どこまでも『空虚』。そのような感想を抱いた。
「けれど、あの誕生日会以来、あの子、笑うようになったのよ――」
それは、メイも感じていた。先にも述べたように、小さく、控えめで、ぎこちないものではあったが、ネアンの微笑をみることがあった。
「――たぶん、あの誕生日会はね、貴女が思っているよりも、ずっと、ずっとネアンにとっては大切なものになっているんだと思うの」
ロッサの眼差しは、まるで我が子を慈しむ母親のようであった。
「生き物ならば誰しも、心の中にひとつ大切なものがあると、それだけで生きていこうってなると思うのよ。別にネアンが自殺志願者だって言いたいわけじゃなくてね。……けれど、あの誕生日会で、あの子は『大切なもの』を得たんだと思う。生きることへの実感や、喜びを得られたんじゃないかって。それを彼女に与えてくれたのは、メイ……貴女なの。だから、しつこいかもしれないけれど、ありがとう」
「…………」
メイは、ロッサになんと返せばいいのか、言葉が見つからなかった。
それでいいのだと、メイを肯定するように、ロッサは優しくメイの頭の撫でた。
大切なもの――それが何なのか、メイには上手く掴めなかった。誕生日会自体がそう、というわけではなくて、また、違うもののような気がする。濁した言い方をする以上、ロッサ自身も、はっきりとそれが何なのかを理解できているわけではないのだと思う。
「何の話してたん?」
話を終えて、イザベルのところまで戻ると、彼女はそう問うた。
「誕生日会、開いてくれてありがとうって」
メイは正直に答える。
「そう。偉いね、メイちゃん」
そう言って、イザベルもメイの頭の撫でた。
「そうですか? 私、そんな偉いことをしたとは思ってないんです。私の居たところでは、みんなお互いの誕生日を祝いあうものでした」
「うちらも、本当は祝ってあげればよかったんやけどな。うちはまだマシやけど、みんな他人のこと気にしてられるほど余裕はなかったんやと思う。メイちゃんは偉いよ。優しいんだと思う」
ロッサも、イザベルも、まるでこの屋敷の人間がみんな冷たい人たちであるかのような言い方をした。自分たちも含めて。そこには疑似家族的な様相も、愛情もないような……。
メイは、そうは思わなかった。この屋敷に来てから、慣れない土地で、慣れない文化の中で生活をしてきた。それを支えてくれたのは、他でもない、この屋敷の者たちだ。
そんな人たちが冷たいだなんて、メイには思えない。ロッサの言葉も、イザベルの言葉も、寂しさと愛情にあふれている。きっと、冷たい者たちとは、違う。彼ら彼女らはみんな、愛情の伝え方が下手なのだ。内心ではネアンを慮りながら、実際にはどう接したらいいのか分からないのだろう。
誕生日会なんて、メイにとっては楽しいイベントのひとつだというだけだったけれど、それで彼女らに一つ、愛情表現の方法を提示できたのならば、そんな幸福なことはない。
――コンコン、コンコン。
「……?」
メイがイザベルとともに階段を上がって、エルとオスカー(まだエントランスのようすを見ていたようだ)のもとへと到着した時、玄関が外側からノックされた。
玄関係のメイドが扉を開く。
「来たか」
とオスカーがつぶやき、
「あ、ガイルさん、ケニーさんだ」
とエルが続いた。
玄関の向こうから登場したのは、二人の男性だった。ひとりは色黒の大男、ガイルだった。この世界に来た初日、コンサートホールのようなところからこの屋敷まで、メイを護衛してくれた男だ。頬骨が張っていて、右目のすぐ横を大きな切り傷が通っている。もう一人はケニー。こちらは対照的に、顔の輪郭と目がシャープで、紫色の髪をオールバックにしているが、癖毛なのか、少し立ち上がっていてライオンの鬣のようになっている。
「よう、オスカー! ケニー!」
ガイルは玄関係のメイドに「どうも」と軽く会釈をしてから、エントランスに響き渡る大きな声で二人に挨拶をした。それから階段に立つメイとイザベルに気付いて、
「と、そちらはメイドのベルちゃんに、メイちゃんだったかな?」
と言う。この屋敷に何度か来たことがあるのだろう。
「どうもぉ」
と、イザベル。
「ガイルさん、ケニーさん! お久しぶりです! ……今日は何しに来られたんですか?」
メイもそう言って挨拶をした。彼らはメイを護衛した日、一泊してすぐに出て行ったとの話だった。
メイにとっては命に危険が及んだ、記憶に残る一日だったが、二人にとっては日常茶飯事だったろう。
「オスカーに呼ばれたんだよ。なんでも、今日からパテルさんがしばらく屋敷を離れるんだろ?」
「ああ。いよいよきな臭くなってきた。念のため、ってやつだ」
オスカーはそう言いながら、メイたちの前を横切って、エントランスまで下りた。
「メイちゃ、うちら、お部屋の用意しやんと!」
イザベルがメイの肩を叩いて言った。ガイルとケニーは客人である。宿泊するかは不明だが、A館には客人用の部屋がある。彼らのために部屋を整えておくべきだ。
「あ、そうですね……!」
「ガイルさんたち、いつも客間で一時間くらい雑談してるから、ゆっくりで大丈夫だよ」
階段の上から、エルが言った。
――事件はその日の夜に起こった。
その日は結局、ガイルとケニーは泊まるらしかった。パテルの仕事が長引くとかで、帰るのは明日の朝になるからだ。
パテルがいないというだけで、どうして屋敷に護衛をつける必要があるのか、メイにはよく分からなかった。しかし、まあ、彼らの判断である。パテルが帰るまでは屋敷を護衛するというのであれば、そうするだけで、むしろ心強いことだ。
その日の夕飯。
メイは厨房から食卓へと、みんなの食事を運ぶ仕事をしていた。他の使用人二人と一緒に。
食卓にはオスカー、ガイル、ケニー、エルが座っていて、他にも庭師など、仕事を終えた使用人たちが着いていた。ルグレはいない。
「よし、皆、晩飯はここまでだ。それぞれ、戦えない人間は戦闘要員のそばにいてほしい」
雑談をしながら食事をとっていた皆に向けて、オスカーが言った。
「……?」
メイは彼の言葉に困惑した。他のみんなもそうだった。
「どうした、オスカー。何かあったのか」
ガイルが問う。
「最近、屋敷では怪しいことが頻発していた。だから、ここの敷地全体にいくつかセキュリティを施しておいたんだ。念のため、な」
オスカーは自分の携帯端末を見ながらそう言う。
「今、それが反応した。野生の生き物じゃない。四方八方のセキュリティがほぼ同時に反応した。――俺たちは、すでに囲まれている」
とたんに、静かにオスカーの話を聞いていた使用人たちが吃驚し、ざわついた。
メイも、瞬時にこの世界に来た初日、黒い怪物に追跡されいていたその時の記憶を回想していた。自分自身の命が狙われていた、あの瞬間。
「それで、オスカー。敵の規模は?」
ガイルは早々に切り替えて、立ち上がっていた。さすがプロ、と言ったところか。そもそも彼は、こういった事態になったときのために呼ばれていたのだ。
彼は当惑したりなどしない。すでに、次の行動を見据えて思考している。
「正確な数は分からない。一個大隊程度の可能性も考えられる」
「そんなたくさん……いったいどうやって……」
エルが声を漏らした。
一個大隊という数が、この世界で性格に何人を指すのか、メイには分からなかった。メイの居た世界の常識で考えれば、楽観的には300人程度。悲観的には、1000人の可能性もある。
「俺たちは自分の武器しか持ってきてないぞ。弾薬だって、充分とは言えない。一個大隊を相手するなんて、聞いてないからな」
いつも口数の少ないケニーは、椅子で足を組んで座ったまま、そう言った。
使用人たちの中にも、戦闘訓練を受けたことがある者がいる、ということは聞いたことがあった。そのときはその重要性を意識していなかったが、土壇場になると、使用人らの戦闘力がいかほどなのか、とたんに不安になる。
「分かってる。俺の武器庫から貸すつもりだ。ついてこい」
そう言って、オスカーは食卓を離れた。
それに続いて、使用人たちやエル、ケニーとガイルも退出した。メイはそのあとを慌てて追いかける。
さっきまでとは、空気が違っていた。
今から、始まるのだ。
戦いが。
殺し合いが。




