第11話『郵便係の男』
城に着くころには完全に夜になってしまっていて、その大きな玄関扉を開けた先には、不安を顔いっぱいにしたロッサがいた。ふくよかな体型の、メイド長である。
暖色の照明と、ロッサ、そして彼女に続いて続々と姿を現す使用人たちに迎え入れられる。
夜への不安、暴漢への恐怖。加えて、車への破壊工作も、今になってから振り返ると不信感があった。
それらから解放され、温かさと包容力に迎え入れられ、メイはほぼ無意識にロッサの胸へと飛び込んでいた。
大した交流もしていない上、ついさっき一つ年下だと判明したネアンの前で。メイは情けなくロッサの胸に顔をうずめて、涙がこぼれるのを抑えていた。
「大丈夫、もう大丈夫だよ」
ロッサはそんなメイを拒絶するはずもなく、我が子を慈しむ聖母のようにメイをその胸に抱き、頭を撫でて落ち着かせた。
ネアンはそれを静かに見ていた。彼女はメイを、情けないともなんとも感じていないようだった。
「途中で暴漢に襲われたそうだな」
メイドの一人がエルに向かって尋ねた。今まで会った使用人はみんな敬語だったが、そういった礼節に関して、厳しくはないようだ(実際に、のちにパテルに尋ねると、『外の人にさえ礼儀正しければ、屋敷の中での言動にケチはつけない』という方針らしいと分かった。なんとも緩んだ方針だ)。
メイドは背が高く、褐色の肌の女性だった。艶のある黒髪からは、犬のような耳がぴんと立っている。
「だれから聞いたの?」
エルが返す。表の門から城までの間、一本道はメイ、エル、ネアンの三人でゆっくりと歩いたが、息切れしていた。緊張状態だったのだろう。緊張から解放された金髪長髪の美青年は、問うてから、安堵の溜め息を吐いた。
「オスカー様よ」
「じゃあ、彼は無事なんだね」
「当然よ。たかがゴロツキに負けるような人でないのは自明でしょう」
「それもそうだね」
褐色黒髪犬耳メイドは、オスカーを信用しているようだ。というか、オスカーはこの屋敷、城の人間に信頼されているようだった。
「さ、オスカー様のことは心配ありません。あなたたちも暖かくして寝てください」
ロッサがメイの頭をぽんぽんと撫でながら、エル、ネアンを含めた三人に向けて言った。
「ルグレは?」
エルがロッサに尋ねる。
「さあ? ルグレ様がお帰りにならないのは、いつものことでしょう」
ロッサはエルのほうを見向きもせずに応えた。まるで、今ルグレの話はしたくないとでもいうように。
「困ったなあ。僕らの心配はして、ルグレの心配はしないの?」
エルが苦笑する。対して、ロッサも呆れたように笑みを浮かべる。
「あの子だって、心配されるような子じゃないでしょう。エル様、少々過保護ですよ」
「心配されるような子だよ。僕は一番あいつが心配だけどな。僕らと同じ、まだ17歳だよ」
エルはルグレのことをやたら気にかけているようだ。
とはいえ、メイはつい先ほど、この国の治安の悪さを思い知った。へんなしゃっくりが出るほどの恐怖だった。メイの出身地は平和ボケした人間しかいない、治安の良いところだったからだ。
それを踏まえると、メイもルグレが不安だった。ルグレという青い髪の美少年は、エルの戸籍上の弟にあたるわけで、エルが彼を気にかけるのは当然だ。それに、ルグレは少し柄が悪い。ガラが悪い人間が、悪い人間だとも、悪い人間と交流を持っているとも決めつけはしないが、悪い人間に目を付けられやすいとは考える。
「みんなでいれば怖くないよ。探しに行く?」
メイはロッサから離れて、そう提案した。
「あら、お優しいですね。けれどね、ルグレ様はメイ様が思っているような、真面目で弱い人間ではありませんよ。人からの優しさをもらえるほど立派な人間でもないんですよ。どうせどこかでお酒でも飲んで、とっくに眠ってしまっていますわ」
ロッサは少し冷たく言った。ルグレは嫌われているのだろうか。……嫌われていそうな雰囲気を持ってはいたが。
「僕ひとりで探しに行くよ。ルグレはまだ17歳だし、それに、『軍人』でもないんだ」
「…………」
少しの間、ロッサも、誰も口を開かなかった。妙な雰囲気になった。
しかし、その空気を断絶するように、ロッサがぴしゃりと言った。
「だめです。何を馬鹿なことを言っているのですか。実際に怖い目にあって逃げてきたのはあなたでしょう。それに今あなたに外出許可なんてしたら、私がパテル様に叱られてしまいますわ。今日はもう寝なさい。今晩中は、私がオスカー様と連絡を取り続けます。ルグレ様のことも、オスカー様にお任せします。もう、子どもは寝る時間です」
その場は解散、就寝という流れとなった。
メイは急に心配になってネアンのほうを気にかけていたが、彼女はあの危険な夜の散歩を経てなお、平気な顔をしていた。平気な顔というか、本当に何も感じていないような顔。無表情だ。
「おやすみ、ネアン」
部屋を分かれるとき、自分から声をかけた。一応年上なのだし、相手は無口な少女だ。会話は先導して、積極的に関係を構築したかった。メイは、彼女と友達になりたいのだ。
「おやすみなさい、メイ様」
対して、返答は至って業務的な響きをしていた。
「ねえ、ネアン」
「……?」
「“様”とか、他人行儀なの、やめてよ。敬語もいらない」
「…………。――わかりました」
「敬語だし……」
「努力します。……努力、する」
*****
結局、その晩中にオスカーは帰ってきたらしい。
ルグレに関しては、ロッサの予想通り、知り合いの家に泊まっていたとのことだった。
なにはともあれ、怪我人が出なくてよかった。
*****
リーベルタース邸に来てから、二週間ほど経過した。
洋封筒のことや、城の外で見た黄色い目のことなど、不安に思う要素はまだまだ抱えっぱなしではあったが、メイはこの生活に慣れてきていた。
日本とは少し違った生活スタイルや、風景にも慣れてきていた。
あまり多くの人とは関わっていないし、名前もたくさんは憶えていないが、使用人の先輩たちも知っている顔が増え、居心地もだいぶ良くなってきた。
で、その日も蒼井メイはお得意の寝坊をかまし、大急ぎでA館の自室から、D館の女性使用人用控室に向かっていた。
繰り返すようだが、この屋敷は中庭を中心に囲うようにA、B、C、Dの4つの建物があり、それぞれ役割が割り振られている。D館はもっぱら使用人が仕事をするのを助ける役割を担う。A館は正門から入るとはじめに目に入る建物で、客人などを泊める部屋が多く設置されている。
「す、すすすす、すみません……!!」
メイは控室に立ち入るなり、中で待っていた女性に謝罪をする。
高身長で褐色肌、黒髪に犬のような耳を生やしたメイドだ。
年齢は20代中盤といったところか。黒い艶やかな髪は腰ほどまで伸びており、大型犬のようなぴんと立った耳が特徴的で、やはり亜人族だそうだ。鋭い灰色の眼をしており、顔立ちも大人びている。
彼女もメイド服を着ている。
「いいから、さっさと着替えてこい」
彼女の名前はエルナ。使用人の中では比較的厳しい。とはいっても、この屋敷は全体的に緩いのだが。とにかく威圧感があるのだ。
メイはロッカールームに行って、メイド服に着替えて、また控室へと戻った。
「メイ、悪いけど、エルスターが寝坊してるらしくてな。代わりに郵便受けまで、配達物を取りに行ってほしい」
エルナはメイに言う。エルスターというのは、男性使用人のひとりのことである。メイ自身には、今のところ交流はない。
「わかりました」
「悪いね。掃除とかは私がやっとくから」
エルナはそうやってもう一度謝ると、自分の作業に使う道具を持って控室を退出した。
そんなわけで。
メイは自室のあるA館まで戻って、一階へと下る。そうすると、赤色のカーペットが敷かれた、大きなシャンデリアが照らす表玄関に出る。
玄関を開くと綺麗に整えられたロータリー、花壇に囲まれた凛々しい噴水が視界に入る。
メイはその噴水を眺めながらロータリーを横断し、林に囲まれた一本道へと入っていく。
最初はどうも思わなかったが、この道、そこそこ長いため、何度も往復しているとストレスがたまる。この世界には自転車とかないのだろうか。
とはいえ、自然の多い海外の公園を散歩しているようで、気分は悪くない。
足の疲労と、心地よさが同居している。
「ごめんごめん!」
ふと、背後から声がした。
メイが振り返ると、おでこの広い青年が自転車に乗って、こちらに来ていた。自転車あるじゃん。
「また寝坊しちゃったよ。君がメイ?」
「そういうあなたはエルスター?」
「そう。フルネームはアラン・エルスターだ。アランって呼んでほしい。よろしく」
アランは笑顔で手を差し出す。メイはそれに応えて、彼と握手した。
年齢はメイと同じくらいだと思われる。16、17歳あたりだ。
明るいオレンジの短髪で、身長はメイより少し大きいくらいで、男性としては小柄だ。おでこが広いが、欧米人のようなきれいな弧を描く形をしているので、見た目は悪くない。目がくりっとしていて、いかにも人畜無害ですという顔つきをしている。
正直、こちらの世界に来てからというもの、年齢の割に大人びた外見の男たちしか見ていなかったのもあって、なんだか安堵を得られる少年だった。
「朝に弱いんだね」
メイは歩き出しながら切り出した。
アランは自転車から降りて、手で押しながら応える。
「そうなんだ。逆に夜はすぐに寝つけないタイプで。生活リズムとかじゃなくて、もうそういう体質なんだよ」
「あるあるだね。私も夜のほうが目が冴えるよ」
「まあ、そう言い訳もしてられないんだけどね。パテル様からは、この郵便受け回収係を頼まれてるんだし。……というか、自分で志願したんだけど」
アランがそう言って、メイは『ああ、この人、生活リズムを維持するって名目で一限目に授業入れちゃうタイプだ』と思った。メイはまだ高校生だが、世間では、大学の講義では一限目の授業を取るべきではないというのが定説だ。もちろん、メイが元居た国の話である。
「仕事熱心なのと、実際に成果を出せるかは無関係だからね」
「厳しいね。……でもまあ、みんながやりたがらない仕事を、率先して引き受けたいと思ってるんだ」
その心意気は尊重するが、結果として成し遂げられず、こうしてメイに尻拭いをさせているのだから、ただの綺麗事だ――と言おうとして、さすがに厳しすぎるか、とメイは口をつぐんだ。
できないのならば、できると宣言するべきではないし、できないことで他人に迷惑をかけてしまうならば、最初から他人に助けを請えばいいのだ。そうも思う。
とはいえ、彼はまだ若い。メイのいた国では、メイやアランのような年齢の人間は、労働すら経験していない者が多い。自分で自分の飯を食べているのだから、それだけでも立派といえるかもしれない。第一、母親に養われていたメイに、偉そうな説教をする権利はないように感じた。
「いいね。どうしてここで働いてるの?」
「街に出たんだろ? 少し街を歩けばわかったと思うけれど、この国は今働き口が全然ないんだよ。みんな貧乏なうえに、働いても給料はよくなかったりする。働けども働けども、だ。まだ10代だからって、若い男が、働けるチャンスをみすみす逃すわけにはいかないんだよ。パテル様には感謝してるよ、ほんと」
街の治安が悪化する原因は、往々にして社会が不安定であることだ。主には、経済不況。
スラム街の解体によって治安が良くなったという話をエルから聞いていたが、スラム街にいた亜人族を強引に職に就けさせたり、過剰な援助を行ったりで、宰相が反感を買っているという話もあった。
今まで職を持たなかった人間に職を与えた結果、順当に職に就けたはずの人間のための枠が削られているのだろう。――邪推かもしれないが、亜人族が低賃金で働かされているのかもしれない。そうすれば、簡単な職業は亜人族にやらせたほうだ、雇用主としては安上がりである。その代わり、アランのような若くして働く意欲のある人間、手に職をつけていない人間の働き口が減っているのだろう。
政府が亜人族に税金を投じるばかりでなく、亜人族に職さえも奪われてしまうとなれば、やはり反亜人感情も高まる。
経済って、社会って、政治って、本当に大変なんだな。と、メイは他人事のように思った。
「感謝してるなら、なおさら頑張らなきゃね」
正門まで辿り着いた。アランは郵便受けから郵便物を取り出すと、それを執事服の懐にしまった。
「メイ、午後の買いだしもついてきてくれたりしない?」
ところで、のちに知ったことだが、アラン・エルスターは22歳らしい。
たくさん間が空いてしまってごめんなさい。
次は早く出せるように頑張るね。




