8.最果ての地で
最果ての地で、彼は呆然と立ち尽くし私を見つめていた。
私は、「ごめんね」の思いを、
背中で精一杯、彼に伝えて家を後にした。
家を出て間もなく、一発の銃声が鳴り響いた。
私の頬を冷たい涙が伝った。
私は、スマホを手に取った。
「はい、こちら埼玉県警捜査第一課です。」
「あ、もしもし、ニュースにもなってる44人殺害事件の犯人が自殺しました。事情は後程説明しますので、直ぐに来てください。場所は埼玉県さいたま市○○区✕✕です。」
「わ…分かりました。すぐ警官を向かわせます。恐れ入りますが、あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「白原加奈子です。」
そう言って私は電話を切った。
道端を歩くハクセキレイを眺めながら、
私は記憶を巡らせて、とぼとぼと歩いた。
あれは…
今年4月のことだった。
私は、東京都にオフィスを構えるIT企業の事務職員として、
晴れて社会人となった。
雰囲気もよく、とても良い職場だと思った。
あの出来事が起きるまでは。
入社してすぐに、私の歓迎会が行われた。
あまりお酒に強くはなかった私。
社会人として、きちんとしなければと思う一方、
目上の方からのお酒を断れず、私は泥酔してしまった。
結果、無防備となってしまった私。
それをいいことに、(後々知ったことだけれど)9人の同僚たちが私を犯した。
会社の人間は、そのことに薄々勘づいていたはずなのに、誰も助けてくれなかった。
私は、悲しさも怒りも感じず、ただただ無の状態となった。
そんな私に追い討ちをかけるかのように、私の身体に変化が起きた。
誰かの子を身籠ったのだ。
うっかり検査薬を彼に見られてしまった時のことだ。
彼は泣いて喜んで、結婚しようと言ってくれた。
私はとても悲しくなって泣いた。
彼にはきっと嬉し泣きに見えたことだろう。
この子は、彼の子なのかもしれない。
そうだとしたら絶対に産みたい。
でも、もし違っていらどうすればよいのだろうか。
私は悩みに悩み、そして考えた。
それでも私は産みたい。
例え鬼の子だったとしてもこの子を産みたい。
なぜなら、父親は誰であろうとこの子は紛れもなく私の子なのだから。
絶対にこの子を産む。
そう、私は決意したのだった。
一方、私は、このことを彼を含め誰にも相談できなかった。
えも言えぬ孤独感が私をどんどん蝕んでいき、ついに鬱病を患った。
あまりにも耐え難くなった私は、大学生時代、バイトとして働いていたラーメン屋の店長と親友に、お店が終わった頃を見計らって相談しに行った。
一通り話を終えると店長は、弱りきった私を優しく包んでくれた。
ああ、私は救われる。
そう思った矢先のことだった。
(明らかに悪そうな)おじさんが店に入ってきて、
店長とおじさんが何かやりとりした後、私を拘束し犯し始めた。
その時、バイトの純也と美里は、ただ見ているだけだった。
助けてほしかった。誰でもいいから私に手を差し伸べてほしかった。
仕舞いに純也に至っては、おじさんに煽られて共犯者となった。
その翌日、私は流産したのだった。
私自身、これで完全に精神が崩壊して、自決とかしてしまうんだと思っていた。
しかし、私の心は復讐に染まることで見事に順応してみせた。
驚くことに鬱が治り、思考がクリアになったのだ。
みなぎる感情はただ一つ。
絶対に許さない。私を、私の子を奪った奴らを。
でも、あんな奴らのために、私が捕まって死ぬなんてことは絶対にあってはならない。
私は、奴らがいない世界で生き続けてみせる。
ここから、私の計画が始まった。
私にとって唯一心苦しかったのは、1年間真摯に付き添ってくれた彼を犠牲にすることだ。
しかし、私の手を汚さず奴らを葬るには、どうしても彼の力が必要だったのだ。
鬱など完治していた私であったが、
彼の前では、いかにも症状が悪化しているかのような素振りを見せて、時に泣き叫び彼を傷付けた。
ついに彼は病んだ。
病んで私の言葉を忠実に再現する、殻の状態になったのだ。
あとは、空っぽの彼に、私の憎しみを植え付けるだけだ。
そして、最期は私の死をトリガーに、彼は殺戮者となるのだ。
出来映えは想像以上だった。
彼は見事なまでに私の軌跡を辿って、奴らに復讐を果たしてくれた。
彼には本当に感謝している。
最後の最期まで私を愛し続けてくれた。
そんな彼を失うのは正直とても辛いが、奴らを葬る代償と思えばいたしかたないことである。
そして彼は今日、私の願いを叶えて散っていった。
そんな彼に、最期に「ありがとう」を伝えたい。
私は、最果ての地へ戻った。
私と彼が、一年間共に過ごしてきたこの家に。
彼は血を流して倒れている。
私は胸がぎゅっと締め付けられる思いになった。
私のわがままで愛する彼が死んだ。
これは、復讐を果たした清々しさとは分離する感情だ。
しかしなんだろう、どこか不自然だ。
私は彼の顔を覗き込んだ。
その瞬間、私の身体が、細胞が震え上がった。
彼の目が、私を捉えて笑っている。
私は悟った。彼の本当の目的を。
彼にとって復讐は、ただの過程に過ぎず、
私と最果ての地で最期を向かえることこそが、彼の目的だったのだ。
「加奈子…さあ、行こう。最果ての地へ」
そう言って彼は、
瓶に入っている何かの液体を混ぜ合わせた。
途端に私は察した。この部屋にいるとダメだ。
私は逃げようとするも手足が思うように動かず、その場に倒れこんでしまった。
徐々に意識が遠退いて行くのが分かる。
「そうだよね、こんなことしておいて、普通に生きていけるはずないよね。ごめんね。ほんとにごめんね。」
私の頬を涙が伝った。これまでにない温かい涙だ。
彼が私に何か呟いている。
「加奈子、最期に君を…」
彼が、私の顔を目掛けて腕を伸ばす。
「ごめんね。」
視界がぼやけてもはや物体を検知できない。
私の視界が徐々に暗くなっていく。
彼の大きな手が、私の顔を温かく包み込んだ。
数分後、警官が到着した。
その後、家の中から1人の遺体が発見された。
最果ての地で、羽をもらった
もう一度、飛ぶための全く新しい羽
曇り1つ無い空に、
ハクセキレイが意気揚々と舞っている。
- end -