兄の心、妹知らず……知らなすぎる
シスコン兄が迷いの森で荒ぶった時の小話。
お兄様推しの方は閲覧注意です。
珍しくシリアスなしで、糖分は気持ち高めな気がします。
「あの二人の距離感がなんかおかしい」
酒場にて、ソティーリオはブリジットを相手にひたすら愚痴っていた。愚痴られているブリジットは厄介な客に絡まれて迷惑そうな顔になる。
「あの二人って、ディアとフランのことかい? あれの距離感がおかしいなんて、なに今更なこと言ってんだい」
「いーや、前はあんなんじゃなかった。二人でチェザリアンにお礼参りに行ったあとからだ。絶対になにかあったね」
「だったらあたしに愚痴ってないで本人たちに訊けばいいじゃないの。あとお礼参りの意味が違うさね」
真っ当な正論だが、それができればこんな鄙びた酒場で愚痴ってはいないのである。
その後もソティーリオは延々と水だけをガブ飲みしながらぶつぶつ言っていたのだが、やがて「営業に支障が出るから帰んな」と酒場から叩き出されてしまった。まことに不本意だが、こうなってしまっては仕方ないので大人しく家に帰ることにする。
現在、ソティーリオはリンソーディアとヴェルフランドと一緒に同じ家で暮らしていた。部屋は二つあるので、片方をリンソーディアが、もう片方を男二人が使っている。
むう、とソティーリオの眉が寄った。ブリジットはなにも分かっていない。やはり同じ家に住んでいないと分からないものなのだろうか。
「……ただいまー」
浮かない顔で帰宅すれば、いつもはすぐに返ってくるはずの「おかえりなさい、兄様」という愛妹の声が聞こえなかった。不思議に思って家の中を見回せば、料理中のヴェルフランドと、その背中にべったりと張りついて微動だにしないリンソーディアの姿が目に入る。
「えっ、ちょ、ディアになにしてんの君?」
「どう見てもなにかされているのは俺のほうだろうが。いいからディアをベッドかソファーに運んでくれ。動けん」
鍋の中身が焦げないよう延々かき回していたヴェルフランドが、どこか困った様子で助けを求めてきた。いつもなら彼が困っていたところで笑って助けないのがソティーリオだが、今回はすぐに妹をヴェルフランドの背中から引き剥がす。どうやら妹は完全に寝ているようだ。
「なんでディアが君にくっついた状態で意識不明になってるのさ?」
「こっちが訊きたい。さっきまで大人しく洗濯物を畳んでいたはずなんだがな。なにを思ったのか急に突進してきてこの有様だ」
わけが分からん、とボヤきながらヴェルフランドが火にかけていた鍋を下ろした。めちゃくちゃ美味しそうな匂いなのが悔しい。
テーブルの上に次々と料理が並ぶ。幻想茸のポタージュに、爆弾鳥の蒸し焼き、そしてなぜか緑色をした……パン的なもの。言うまでもなく、これだけはリンソーディア作である。
「ディア、起きて。夕飯だよ」
「んー……」
ソティーリオがリンソーディアに声をかけるも、まだ眠いのか妹は寝返りを打って向こうを向いてしまう。しかしこんな時間にこれ以上寝てしまうと、夜ちゃんと眠れなくなってしまうだろう。少し可哀想だったが、起こさないほうが可哀想なことになるので、ソティーリオは妹を軽く揺さぶった。
「だめだよ、ディア。せっかくのご飯が冷めたらもったいないよ。ほら、起きて起きて」
「……はーい……」
甚だ不本意そうに唸りながらもリンソーディアは起き上がる。そして寝ぼけ眼をくしくしと擦り、カトラリーを用意していたヴェルフランドのもとへと歩いていく。
「フラン様」
「起きたか。まったく、人に寄りかかって立ったまま寝落ちするのはやめろ。危ないだろう」
「あなたのそばは居心地が良すぎるので、つい」
ちょっとボサボサになっている彼女の髪を手櫛で軽く整え、落ちてきた一房を耳にかけてやるヴェルフランド。そしてそんな彼の掌に、頬をすり寄せるリンソーディア。
ソティーリオはわなわなと震えた。これだ。こういうところだ。絶っっ対に前とはなにかが違う。
「ねえ、君たちさ、なにかあった?」
勇気を出してそう問いただすも、リンソーディアがきょとんとした顔で見返してきた。
「なにかって、急になんですか兄様?」
「えっと、ほら、あれだよ、その……」
妹の不思議そうな表情に、せっかくの勇気がみるみると萎んでいく。やはり自分の勘違いなのか。深読みしすぎなのか。でも。
「……なんでもないよ。さ、食べよう」
こうしてせっかくの機会を逸したソティーリオである。
一方、明らかに沈んだ顔をした彼の様子に気がついたヴェルフランドは、なんとなくいろいろと察してしまった。そして柄にもなくどうすべきかと思案する。思案しながら緑色の謎パンを手に取り、一口食べて、そのあまりの衝撃的な味にカッと目を見開いた。
「……!」
ソティーリオに気を遣ってあれこれと考えていたことも、すべて頭から吹き飛んだ。
「ディア」
「はい?」
「八十点」
「…………はいい?」
見た目がちょっとアレなので減点したが、あろうことか、味はかなりいい線をいっていたのだ。もはや奇跡とも呼ぶべき領域だ。すぐさまソティーリオもパンを食べて、その絶品ぶりに感嘆の声をあげる。
「わ、ホントだ。すっごく美味しい!」
「なにがあった、ディア。悩みがあるなら聞くぞ」
本気で心配してくるヴェルフランドの頬をリンソーディアが軽くつねる。なぜ美味しいものを作ると不調だということになるのか。
だが、これにはリンソーディア自身もびっくりだ。特になにかをしたわけでもないのに。いつも通り迷いの森から採ってきた薬草を……。そこではたと籠の中を確認した。
「……あ」
そういえば、今日はいつもとは違う種類の薬草も採取していたのだ。なんだっけ、これ。最近見つけた……ヨモギだかヨモギモドキだか……。
なるほど、美味しさの原因はこれか。リンソーディアは一人で納得した。分量や他の材料との相性も良かったのだろう。奇跡的な配合でたまたま上手くいったらしかった。
そんな意外すぎる出来事があったため、ソティーリオの疑惑も一旦はうやむやになった。
それが再燃したのは、翌朝のことである。
朝食の片付けを終えたリンソーディアが、ソファーで横になってだらけていたヴェルフランドに近寄ってきた。そして空いていた隙間にむりやり腰かけ、かと思えば覆い被さるように体を屈めてきたのだ。
ヴェルフランドが驚く間もなく、リンソーディアの髪が彼の表情を隠してしまう。
ソティーリオの手からバサリと本が滑り落ちた。その音で呆気に取られていたヴェルフランドはハッと我に返るが、リンソーディアのせいで声が出せない。彼女を押しのけようにも、なんだか離れるのがもったいないような気がして、結局そのままになってしまう。
触れ合っていた時間自体はそう長くはなかった。せいぜい数秒。しかしそれは、どこぞのシスコン男を激怒させるには十分すぎるほどの時間で。
「……お前、俺がリオに殺されてもいいのか」
「え?」
まだ至近距離でこちらを覗き込んできていたリンソーディアが首を傾げる。ヴェルフランドは溜め息をついた。どうやら彼女は兄が発する凄まじい怒気に気づいていないらしい。
「いや、……とりあえず今日は帰るのが遅くなりそうだから、夕飯は酒場で食べるといい」
頭上に疑問符を浮かべているリンソーディアを抱えて起き上がり、彼女を一度ぎゅっと抱きしめたのち、ヴェルフランドは脱兎のごとく窓から遁走した。
謎の奇声となにかが壊れるような騒音が周囲一帯に響きわったのは、その直後のことである。
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「ふーん、それで森の中にあんな立て札が立ってんのかい」
現在ブリジットの指摘通り、迷いの森の少し奥のほうには『死にたくなければここから先は立ち入り禁止』という真新しい立て札が設置されていた。設置したのは他でもないソティーリオである。
「ちゃんと周囲に告知してから暴れるなんて、さすが兄様。律儀です」
「暴れてんのはおもにあんたのせいだけどね」
完全なる元凶でありながらも呑気なリンソーディアに、酒場の女主人は呆れたような溜め息をついた。
ソティーリオがヴェルフランドを巻き込んで迷いの森で大暴れを始めてから、早二日。彼らの死闘ぶりは外からは分からないが、森から聞こえてくる不穏な音と、時折感じる地鳴りだけは誤魔化しようがなかった。
「で、いつになったらあの喧嘩は終わるんだい」
「兄様の気が済むまでですかねえ。少なくともフラン様はそれまで兄様に付き合ってくれるみたいですよ」
ちなみにソティーリオはここ二日ほど家に帰ってきていない。どこに行ったのかと思いきや、どうやらサラサエル邸に押しかけているようだった。博士からは「邪魔だから引き取りに来て」と言われたが、気の合いそうな嫁候補を紹介すると言ったら、しばらく面倒を見ることを快諾してくれた。
どこか遠くから、木が倒れるような音が聞こえてくる。今日もあの二人は遅くまで戦っているらしい。
「まあ、いいさね。でもあれが終息しないと、おちおちハーブも取りに行けやしないのがね」
「そこはすみませんとしか言いようがないですね」
ずずん、という音を全力で無視しながらブリジットが遠い目をした。別にわざわざ迷いの森まで行かなくても、一般的なハーブなら村のどこでも採取できる。だがやはり、森に自生しているもののほうが圧倒的に品質が高いのだ。それが当分お預けとなると少し味気ない気分になってしまう。
「力加減を誤ってクレーターができている箇所もありますから、終息後も森を歩く時はくれぐれも足元に気をつけてくださいね」
「ちょっと待ちな、あいつら本当に人間かい?」
あの二人の戦闘力の高さはブリジットも薄々感じ取ってはいたが、どう暴れたら地面にクレーターができるというのだ。
「あ、でもまだ二つだけですよ」
「いや、追い討ちかけないでちょうだいよ。こっちの感覚がおかしくなりそうだわ」
よほど妹を掻っ攫った幼なじみのことが許せないらしい。愛されていてなによりと言ってやりたい気もするブリジットだが、ここまで度が過ぎると逆にリンソーディアのことが心配だ。
「そうだ、ブリジットさん。ちょっと相談したいことがあるんですけど」
「ん? 愛されすぎて困るとかいうのは受け付けてないよ」
「なにを言っているのかさっぱりなので勝手に話を進めますが、実は博士に紹介しようと思っている女性がいるんですけどどう思います?」
「……詳しく聞こうじゃないか」
その日、リンソーディアとブリジットは『博士より一回りくらい年下で、めちゃくちゃ頭が良くて、あっさりした性格で、でも情に厚いお嬢様』が博士の嫁になるとどうなるかで小一時間ほど盛り上がったのだった。
実は先日チェザリアンで件のお嬢様に会った際、博士のことをさりげなく紹介しておいたのである。どうなるかは分からないが、本気で相性が良さそうなら少しお節介をしてみてもいいかもしれない。
一方その頃、迷いの森の奥では礫が飛び交いまくっていた。当たりどころが悪ければ即死しそうなそれに、ヴェルフランドが胡乱な目をする。
「本気で殺す気か、お前は」
「この程度で死ぬような奴に、僕のディアをあげる気はさらさらないからね」
はじめこそ木剣で殴り合っていた二人だが、最初の数撃で木剣が木っ端微塵になってしまい、それから手を替え品を替え、最終的には礫の投げ合いに発展している今現在。
木は倒れ、地面は抉れ、近寄ってきた大熊王は追い払われ、うっかり礫の直撃を食らった角鼠があちこちで気絶しているのが見える。以前は幻の鼠とか呼ばれていた角鼠も、この森ではただの鼠とさして変わらない存在だ。
「ディアと結婚したいなら僕の屍を越えていけ!」
「お前のそのテンションは本当に……」
なんなんだ、と言いかけて、ヴェルフランドはふと動きを止めた。その足元で礫が弾ける。
「……おい、リオ。十秒だけ休戦だ」
「なんで」
「なんでって……まさか自覚ないのか?」
怪訝そうな顔をしつつも同じく動きを止めたソティーリオに素早く歩み寄り、ヴェルフランドはその額に無造作に手を押し当てた。
「ちょっとなにす……」
「熱い」
「はあ?」
「お前にしては無駄な動きが多すぎるから変だとは思っていたんだ。むしろこの状態でよく無駄に動けたなお前」
それはもう、一周回って感心するほどの高熱だった。しかし当のソティーリオは自覚がないらしく、眉間に皺を寄せるだけだったが。
まさか、これが知恵熱というものか。そんなに妹のことで思い悩んでいたのか。ヴェルフランドは戦慄したが、あれは乳児に起きる現象だったと思い直す。大人が考えすぎて熱を出しても、それは知恵熱ではない。つまりこれは単なる発熱である。
などとヴェルフランドが考えているうちに、ようやく高熱を自覚したらしいソティーリオがばったりと地面に倒れた。それにより、森を大いに揺るがした事態は唐突な幕切れを迎える。
突然すぎる終幕にヴェルフランドは沈黙した。無言で周囲を見渡せば、鬱蒼としていた場所がやけに見通しのいい場所へと変化している。
どうすべきかとしばし立ち尽くしていたヴェルフランドだが、森の一角を消し飛ばしてしまった事実に変わりはない。
仕方がないので倒れたソティーリオを背負い、途中で『死にたくなければここから先は立ち入り禁止』の立て札を引っこ抜いて帰ることにした。ついでに酒場に立ち寄ってリンソーディアを回収する。
事の顛末を聞いたブリジットはぶっ倒れたシスコンに哀れみの目を向けた。なんとも情けないことである。
「ということは引き分けですか? フラン様の勝ちでもいいのでは?」
「こんな形で勝っても誇れるわけないだろう。それに勝つならあいつが正気の時じゃないとな。今のままだとそのうち寝首を掻かれそうで油断できん」
「あー、確かに死んだふりして相手を油断させて寝首を掻くのは兄様の得意分野でしたね……」
こう考えると今日中に決着をつけておきたかったところである。だがまあ、殺す気だけどトドメを刺す気はなかったようなので、最終的には渋々認めてくれることだろう。たぶん。
「ディア、帰ったらリオに山ほど薬草を入れたスープでも作ってやれ。こういう時はお前の手料理に限る」
「わかりました。解熱効果と鎮静効果、ついでに疲労回復効果までつけちゃいましょう。腕が鳴りますねえ」
「……それはもう料理じゃないと思うのはあたしだけかい?」
そして翌日、スープの効能なのかなんなのか、無駄に力が有り余った状態のソティーリオが村の至るところで目撃された。なぜか倒立前転をしながら移動する彼の姿に「ちょっと薬草を入れすぎましたかね」「さすがにあれの身内だと思われたくはないな」という元凶たちの会話があったとか、なかったとか。