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地獄の大山脈越え、冬の陣!

本編21-22話の大山脈踏破エピソード。


 大山脈を登り始めてから二時間。ヴェルフランドは早くも後悔しそうになっていた。



「寒い」


「あなたさっきから寒いしか言ってないじゃないですか。もっと愉快なことを話せないんですか」


「事実しか言っていない。大体こちとら雪山登山の経験がないんだ。少しは初心者を労われ。寒い」



 ざくざくと雪を踏みしめながら順調に足を進める二人だったが、途中でゴッと冷たい風が吹きすさび、二人は揃って首を竦めた。確かに寒い。平地なんかよりもはるかに寒い。

 しかし、この程度の困難はまだまだ序の口である。リンソーディアは穴ぼこが増えてきた周囲の光景に注意深く視線を走らせた。そろそろアレが襲いかかってくる頃ではなかろうか。

 冬なので、一番警戒すべき大熊王(ベアグランデ)は冬眠している。なので注意すべきは冬眠しない肉食動物たちだ。そして大山脈に生息している有名な肉食動物といえば。



「あっ、フラン様! 下がってください!」


「!?」



 反射的に飛び退くヴェルフランド。そこに、大きな影のようなものが勢いよく飛びかかってきたのだ。

 ついさっきまでいたその場所に、真っ黒な毛が特徴的で、狼よりも少し小さいくらいの大型の狐が姿を現す。それを見たリンソーディアは慎重に距離を取り、ヴェルフランドは目を瞠った。



漆黒狐(ネーロフォックス)か? ……まさか、この辺りが穴だらけなのって」


「全部巣穴ですね。でもうっかり捕まらなければ死にませんよ。迂回することもできますが、ここを突っ切るのが一番の近道でして」



 つまり、うっかり捕まったら死ぬのである。ヴェルフランドは無言で剣を抜いた。が、リンソーディアによって即座に鞘に戻される。



「あ、できる限り殺さないでくださいね。毛皮目当てで乱獲されて、いま個体数が激減してきているそうなんで」


「…………」


「『それがどうした』みたいな顔やめてください。まあ、あなたの命には代えられませんから、やむを得ないときは躊躇わなくていいですけど」



 先ほど飛びかかってきた漆黒狐(ネーロフォックス)が、ぐるると威嚇するような唸り声をあげた。見れば巣穴から一匹、また一匹と真っ黒な狐が続々と出てくる。

 冬眠しない動物たちは、基本的に冬の間ずっと食糧難にある。だからきっと、目の前にいるこの狐たちはみんな腹ぺこなのだ。ぐる、ぐるる、という唸り声がどんどん重なり、大きくなっていく。


 ヴェルフランドは面倒臭そうに溜め息をついた。殺すなというからには、ひたすら逃げるしかない。しかも後退ではなく、前進しながら逃げなければならないのだ。

 リンソーディアは軽く屈伸運動をした。ぐ、ぐ、と脚のバネを確認してから、準備万端とばかりに顔を上げる。



「では、私の足跡からできるだけ外れないでついて来てください。足の踏み場を間違えたらどこかに落ちて永遠にお別れですので。それでは行きますよー!」



 サラッと恐ろしいことを言いながら、リンソーディアはいきなり跳んだ。ヴェルフランドが呆気に取られるほどの、それはもう素晴らしい跳躍だった。どうやったら助走もなくあんなバッタ並みの跳躍ができるのだろうか。

 数匹の狐がリンソーディアを追って駆けていくが、彼女の動きが奇想天外すぎて、野生の狐たちのほうが翻弄されているのが見える。


 その場に残っていた漆黒狐(ネーロフォックス)たちがまた唸った。先ほどよりも明らかに距離を詰めてきている。ざっと数えても十匹以上。

 射程距離に入ろうものなら、一斉に襲いかかってくることは目に見えていた。



「…………」



 ヴェルフランドはリンソーディアが猛然と()()()いった足跡の位置を確認する。不規則に跳び回る落ち着きのない動きだが、歩幅的には余裕であとを追えそうだ。

 そんなわけで、ヴェルフランドはすぐさまリンソーディアの足跡を目がけて跳んだ。逃げるが勝ちである。リンソーディアを上回る速度で巣穴だらけの場所を素早く抜け出し、しつこく追ってきていた狐たちも撒き、ヴェルフランドはひたすら幼なじみの足跡を辿って走る。


 わりと傾斜のきつい場所に差し掛かっても速度は落とさなかった。ここにきてリンソーディアがやたらテンポよく跳んでいった理由を理解する。

 慎重に進むと、逆に足の踏み場がなくなってしまうのだ。勢いをつけて思い切りよく進まないと安全な足場に辿り着けない。

 最後に一際大きな跳躍をして、巨大な岩場の上で待っていたリンソーディアと合流した。



「あ、思ったより早かったですね。さすがフラン様。さては雪山登山の経験がないとかいうのは嘘ですね」



 リンソーディアが呑気に笑う。ヴェルフランドは半眼で幼なじみを睨みつけた。



「そんなわけあるか。というか、こういう予測可能な危険のことは事前に言ってくれ。うっかり死んだらどうしてくれる」


「なに言ってるんですか、どんな冬山の危険よりもあなたのほうが百倍危険に決まっているでしょう。むしろ大山脈のほうがあなたを恐れているのでは?」



 本気でそう思っているらしいリンソーディアに、ヴェルフランドは頭が痛くなってきた。なんでそうなる。



「もういい、さっさと先に進むぞ。時間が惜しい」


「そう言わずに、少し休んだほうがいいですよ。ここから先もっと酷いことになりますから」



 経験者がそう言うならそうなのだろう。ヴェルフランドは「分かった」と頷くと、背嚢から乾燥果実を取り出してリンソーディアに手渡した。小休憩を挟み、二人は大山脈の向こう側を目指してまた歩き出す。しかし、もっと酷いことになるとは一体どういうことなのだろうか。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 ……リンソーディアが言ったことは正しかった。そこから先は、まさに地獄の道行きだったのだ。


 雪崩回避、滑落回避、凍死回避。さらに最初に出会ったのとは別の漆黒狐(ネーロフォックス)の群れに襲われ、そびえ立つ絶壁をよじ登り、凄まじい暴風雪に耐え、ヴェルフランドは息も絶え絶えになりながら、リンソーディアのあとを追って稜線をザクザクと歩き続ける。



「フラン様、ここまでくればあと少しです。ここを降りればアークディオス領ですよ」


「ようやくか……でもここから先がまた長いんだろうな……」


「ええまあ、気休めで言いましたけど。そう一発で看破されると微妙な心境になりますね……」



 うんざりしながらも、行程自体はあと少しという言葉にホッとする。まったくもって大丈夫ではないが、心の余裕は多少できた。

 吹雪に見舞われながら露営した時は死ぬかと思ったが、今日の天気は今のところ良好だ。ヴェルフランドは眼下の景色を見下ろす。登り始めてからずっと、変わることがない真っ白な景色に飽き飽きしていたが、それでも山頂からの眺めは格別だと思──。



「おいバカなにしてんだお前は!」


「大丈夫です、あとちょっとで届きます。あとちょ、くっ……、私の指があと二十センチ長ければ……!」



 指が二十センチもあったら怪物である。というか、そこを指摘している場合ではない。



「やめろ落ちるぞ! 死にたいのか!」



 ヴェルフランドが慌てて幼なじみの体をがしっと掴む。少し目を離した隙に、あろうことかリンソーディアは断崖絶壁に身を乗り出して、下へ向けてぷるぷると手を伸ばしていたのだ。今にも崖下へと落下しそうなその体を力ずくで引きずり戻せば、心外にも恨みがましい目を向けられる。



「ひどいです、フラン様。せっかく手が届きそうなところに貴重な霊草の群生地があったのに」


「霊草? こんなに雪深い場所に植物なんて生えてるわけないだろう」



 疑わしげなヴェルフランドに、リンソーディアは断崖の下を指さした。



「それが生えてるんですよ。私も初めて見ましたけど、あそこです」



 言われた通りに覗き込めば、確かに断崖下には不自然に雪が解けている場所があり、そこに独特な形の赤い植物がわさっと生えている。そういえば熱を発する不思議な霊草の話は聞いたことがあった。恐らくあれがそうなのだろう。

 しかし、だからなんだと言うのか。ヴェルフランドはすげなく立ち上がった。



「よし、さっさと降りるぞ。今日中に行けるところまで行く」


「えっ、ちょっと待ってください。せめてひとつだけでも採取……うわ、分かりましたから縛ろうとしないでください!」



 無言でロープを取り出したヴェルフランドの本気に、さすがのリンソーディアも屈するしかなかった。だが一方で、ここまでしないと止まらない彼女も結構どうかしている。

 リンソーディアはすごすごと立ち上がった。未練がましく崖下へと視線を向けるが、ヴェルフランドによって首をごきりと戻される。



「うぎゃっ! 首、首がゴキンて」


「どうせ俺が寒がってるから採りに行こうと思っただけだろうが。そんなことのために命を張らんでいい」



 全部お見通しだったらしいヴェルフランドの言葉にリンソーディアは固まった。



「……ど、こから、気づいて」


「だいぶ前からだな。赤っぽいものを見つけるたびにハッとした顔してただろ、お前。俺が寒いって言うたびになにかを探して目が泳いでいたし。はじめは何を探しているのか分からなかったが、まさか炎雪草(えんせつそう)だったとはな」



 本当に、呆れてしまうくらいよく見ている。リンソーディアはがっくりした。その気配りを他の人にも向ければ……とまではもう言わないが、せめて彼自身には向けて欲しい。



「……だって、あなたは全然自分のことを大切にしないから。私があなたを大切にしなくちゃって思うじゃないですか」



 ヴェルフランドは強い。物理的にも精神的にも。だから放っておいても死にはしない。でも。

 死ぬ理由がないだけで、生きる理由もないのではと、リンソーディアは時々不安になるのだ。ある日、急になにもかも面倒になって、自分の命ですらポイと放り出してしまいそうな気がして。そんなのは困る。すごく困る。



「他に生きる理由ができるまで、私を生きる理由にしてください」



 どこか必死に言い募るリンソーディアに、ヴェルフランドは笑った。そして彼女の頭をぽんぽんと撫でる。



「心配するな。もうずっと前から、お前は俺の生きる理由になっている」



 思わぬ言葉にリンソーディアが目を丸くした、次の瞬間。

 びゅおぉおおぉお、と凄まじい風の音が鳴り響いた。肌を切られたかと錯覚するほどの、鋭くて冷たい風。不意打ちのようなそれに二人は揃って「うっ」と呻き声を漏らす。

 空を見上げれば、先ほどまでの晴天から一転、どんどんと怪しい雲行きになっていた。山の天気が変わりやすいことは、ここ三日ほどで嫌というほど実感していたが、やはりこれにはまだ慣れない。



「…………」



 二人は沈黙した。少しだけいい感じだった雰囲気も一瞬で霧散する。



「……よし、ディア。あの炎雪草を採ってこい」


「嫌ですよ。もうやる気が失せました。寒いんなら自力で火でも熾すなり踊り狂うなりしてください」


「俺が足を掴んでてやるから、お前は思い切り体を伸ばせ。イケる」


「勝手に話を進めないでください。首元に雪を詰め込みますよ」



 こうして山あり谷あり、喧嘩あり危険あり絶叫ありで、それでもなんとか二人は無事に冬の大山脈を踏破したのだった。


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