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「ラピュタ」に隠された本当のメッセージ

作者: nupp

【はじめに】

この文はスタジオ・ジブリ宮崎駿監督作品「天空の城ラピュタ」の考察解説です。

あまり居ないとは思いますが未視聴の方はこの考察を見ずにまずは作品をナマのまま観てください。


久しぶりにラピュタを見てふと気づいたことがあり、それについて考えはじめたら、きっかけにしていままで曖昧だった作中の謎が芋づるのように理解できたのです。そしてそれによって込められていた深いメッセージ性に初めて気づき、いたく感動したのでぜひ広く共有したいと思い投稿するに至りました。


最初にことわっておきますが、あくまで公式設定などを「元に」私が考察した内容ですので、公式が名言してる内容ではありません。個人での捉え方の違いが出るのは当然ですがもしかしたら「間違ってる」部分もあるかもしれないですので、その点は了承ください。

でも可能な限り主観を入れず、根拠や「そうだと思われる」部分を熟考したうえで考察にしたつもりなので楽しんでいただけたら幸いです。(これは公式から出されてる設定とかと違うよ!って部分があったら教えて下さい☆)

 


【いままで感じていた『ラピュタ』のテーマ】

「ラピュタ」の伝えたいメッセージは一言で言ってしまえば「自然とともに生きることの大切さ」「栄枯盛衰の儚さ」ですよね。

それをパズーがシータを助ける、というボーイミーツガールを通じて多感な少年層にも解りやすく伝えている素晴らしい作品です。

しかし、実はうp主は正直「ラピュタ」よりも「ナウシカ」派でした。

もちろんラピュタも大好きですがどちらかといえば僅差で、という感じで。

ナウシカもラピュタも大枠では似たようなテーマですが、より人間の「業」や「戦争批判」の部分に重点が置かれていてすごく重厚な感じで、自身が背伸びしがちな気質なので安易なボーイミーツガール的印象も完全には拭えないラピュタに「子供っぽさ」みたいなものを感じてました。

あと母性にあふれて美しいのに凛と戦うナウシカがカッコ良すぎるのも大きかったです。

それと同時に、「なんかラピュタって自然がどうの、人間が奢ってはいけない、みたいなのは判るけどなんだかいまいちボヤッとしてる」というふうにも感じていました。

ナウシカはすごくストレートで重い。ラピュタはすごくふわっとしか語られないので軽く感じちゃうんですよね。ナウシカは重すぎる、と感じる人はラピュタのほうがすきでしょう。



【きっかけ】

何度目か解らない(日本人なら解るよねw)ラピュタ視聴だけど、今回ふと気になったことがあったのです。


「あれ、ポムじいさん(炭鉱に落ちたとき助けてくれる石に詳しいじいさん)って何者なん?」


これいままで自分はそこまで気にしてなかったのですが、気になった人が多いらしく。

まぁ自分でもやっぱり思ったのは「古代ラピュタ文明、一般階級市民の末裔」というのが妥当でしょう。

そしてさらに疑問に思ったのは「ポムじいさんはラピュタについてどこまで知っていたのか」「知っていたのならどういう心境でシータたちを送り出したのか」という点です。

だってもしすべてを知っていたのなら「あの石を持つシータが王族の末裔で王位継承者であることをなんとなく察して、自分の目で真実を見させるためにあえて何も語らなかった」ってなるじゃないですか。

そんなの深くて胸アツじゃないですか。


で、ポムじいさんのシーンを重点的に見返して最終的に出た結論は


「ポムじいさんはラピュタ市民の末裔だが、何も知らない。でもうまく説明できない何かを感じてはいた」

です。


まずポムじいさんは「祖父に話を訊いた」と言っていますが、世間では詐欺師と言われてパズー父が死んでしまう程度にはラピュタについては「トンデモなおとぎ話」という扱いです。それもラピュタの写真まで公開したにもかかわらずです。まさかあの世界観にフォトショ合成なんてものがあるようには到底思えないのに、写真があっても信じてくれないのです。絵ではありません、写真です。

それほど荒唐無稽なわけです。「どうせ映画のセットみたいなので作ったんだろ?」ってことです。

そんな感じが一般的なのに、ポムという人の祖父は孫に「石が騒ぐのはラピュタが近いから」と語ります。

自身が老齢になるころまでそんな世間一般からすれば「ジジイの与太話」と笑われるような内容をちゃんと覚えているということは、ポム祖父はポムに何度も聞かせていたか、ポムにとってよほどそのときの様子が印象的だったのでしょう。


このことからもポムの家系はラピュタについて世間一般が知らない何かを知っていて、与太話と言われるようなことをわざわざ伝承として代々語り継いできたということが伺えます。本当に末裔かどうかはわかりませんが、そこはこの際重要でもないです。

「ポムじいさんが真実を知っていたかどうか」なので。


と、ここで「じゃあそもそも『真実』ってなんだろう」となったわけなんです。



【ラピュタの謎】

先述したような「ラピュタはナウシカと違ってなんかボヤッとしてる」ということの正体が知りたくなりました。ナウシカも映画自体は割とボヤッとしてますが、原作マンガで細かく語られているので。

まずは作中に残った謎をまとめてみようと思いました。


①ラピュタはなぜ滅んだ(地上に降りた)?

②地上に降りたあとどうなった?


それぞれ複雑に絡み合うことになりますが、大きく分けてこの2つだと思ってます。



【ラピュタが滅んだ理由と歴史の真実】

のっけから核心に迫る内容ですが、作中ではラピュタ王家がなぜ滅亡し地上に降りたのかは具体的には語られていません。ただし小説や設定資料では「原因不明の奇病が蔓延した」とあります。

シータいわく「土を離れては生きられないのよ」ですが、本当にそうでしょうか。

まぁわかります。自然が大事なのは確かです。でも別に空に行ったからと言って、すぐ死ぬわけでもないでしょう?

「んなこと知ったこっちゃない、俺罹ってないしー。残って便利なテクノロジーでヒャッハーするぜ!」って人が出ずにみんなで仲良く地上に降りたのはなにゆえって話です。城の中に白骨死体とかもなかったですしね。(ロボが埋葬した可能性もあるけど)


ドーラの船やゴリアテが走行しても人体に影響はない程度にはそんな大気圏ギリギリとかの高度ではなさそうです。

ドーラ一族みたいな「基本的に船に乗って空に住んでる空賊」が劣った現代の技術で生きてピンピンしてる時点で高山病とかそういう類でもないでしょう。上層の自然も影響なく残ってるし、せいぜい富士山と同じくらいの高さにあるわけですラピュタは。(そう考えるとむしろ案外低いなw)


いくら自然が恋しいからって全てを捨てるほどだろうか?

ていうか上層に自然あるじゃん。緑豊かじゃん。って思います。

そこでふと思ったのです。


『空に行ったからといってすぐ死ぬわけ…あったんじゃないだろうか…?』


直前に飛行船や高度の話を持ち出しておいてなに言ってんだと思うでしょうが、ちょっと待ってください。

浮遊都市ラピュタと現代人の飛行船には決定的な違いがあります。


そう

「飛空石」です。


まぁ観ていて誰もが解るでしょうが、ラピュタ文明の根幹を支えているのは「飛空石の結晶化技術」です。

あれほど高度な技術があって万能なのに、浮遊都市だけじゃなく技術そのものをラピュタ人は捨てています。

べつに飛空石の技術は地上でも使えばいいじゃないですか。地上でも機能することはシータが証明済みです。

それなのに結晶化技術に関する文献などはトエルだけじゃなくパロ家にも残ってない。

これはいくらなんでも不自然です。技術者の消失などでやむを得ず使えなくなったのだとしても、記録さえ残しておけばいつかそれを足がかりに技術の復活は適うでしょう。

だけどラピュタ王家が代々残そうとしたのは一つ残った王家の紋章と起動の呪文だけ。隠された文献の所在を示すようなものもなさそうです。


文献が敵国との戦争で消失、というのもありえません。ラピュタがそもそも当時敵なし無双状態だったことは疑いの余地もありませんし、都市はシータとパズーがバルスするまで欠損もなくキレイだし、戦闘兵器はおろか庭園用ロボまで無傷で残ってます。

あとあの技術描写から考えても、本気で後世に残す気があるなら「紋章がないと見れない、触れないようにする」とか「砲弾でもびくともしない所に安置する」とかいくらでもできそうなものです。

ラピュタ人が本気を出せば、たかが700年で外部的要因で大事な文献が害されてしまうなんてことは起こり得ないはずなんです。

ここまで来るとラピュタ人が故意的に技術を捨て、復活も望んでいなかったという強い意思を感じます。


つまり「滅びの原因はまさにこの飛空石であった」というのが真相ではないでしょうか。


そしてここまで書けば作中の描写と相まってうすうす気づいた人もいるでしょう。


「飛空石」とは現実世界における「放射線物質」「原子力」のようなエネルギーで、半永久的な動力と高性能と引き換えに多大な危険(放射能被ばく)をはらんだ存在である。

ということなのです。


ムスカがバルスのとき「めが、めがぁあああああ」となりますが、アレは眩しいからとかじゃなくて被ばく的な状態になって目が潰れたからかと思われます。

厳密には現実の被ばくと同じではないファンタジーなので、パズーとシータが無事なことはツッコまないでください。

あとコア飛空石が元々たくさんの根に囲まれてたこと、パズーの「根が守ってくれた」発言からあの根に鉛のように放射線(仮)を遮断するような効果があるかもしれません。


ラピュタという都市はそんな巨大な放射線物質の塊を中心に据えた、人体にとって大変に危険な都市だったのです。

住んでいるだけで放射能を浴び続け、被ばく(仮)してしまう恐ろしい都市。


ここでその都市の構造を思い出してください、ラピュタは巨木の根に当たる部分に巨大飛空石を埋め込み、その周りを城塞都市が囲み、木の幹や上層の部分には自然が溢れた緑豊かな情景でした。

デザインを見ても、城塞部分は土色、幹に近い部分は白壁の建物が立ち並ぶ上品な印象です。

単純に考えて、上のほうに行くほど王族を含めた上流階級が住んでいたんじゃないかと思いますね。

でもよりコア(放射線物質)に直接近いのは土色の都市のほう。


栄華を極めたラピュタ王国の市民階級に原因不明の奇病(被ばく症状)が出始め、時が経つにつれ被害は上流階級や王族自身にも及びだします。

原因をさぐった王家はやがて「文明の根源たる飛空石が奇病の原因」ということに行き着いてしまいます。

そして恐らく現実の放射能と同様に当時のラピュタ人にも手に負えないものだったのではないでしょうか。


天空城を捨てて地上に降りざるを得なくなった王家はそれと同時に重大な咎を負うことになります。


それは「ラピュタ市だけでなく地上も含めた世界すべてを破滅に導いてしまうかもしれない、天空城に残された飛空石を、今はどうしようもないけどいつの日かなんとかする」というものです。


ラピュタを覆ってカムフラージュしている雲が「竜の巣」とされて恐れられているのはたぶんですが、そこにいるだけで命に危険が及ぶラピュタに誰も近づかないようにラピュタ人が広めたものじゃないでしょうか。

何も知らない誰かが、なにかの間違いで巨大飛空石を核爆発のように爆発させてしまったらそれこそ一発で地球そのものが吹き飛んでしまうわけですから。


【降りたあと】

そうして地上に降りたラピュタ王家は本家トエルと分家パロに別れます。元から別れてたんではなくそのときに別れたとムスカがはっきりと言っています。

そもそも国自体が滅んでしまい利権が無いので分かれる理由がありません。ラピュタにはそこらじゅうに財宝も多く残っていました。野心を秘めた分家ならばラピュタの支配は無理でも財宝くらいもう少し持って行くでしょう。

なによりあの王家の紋章をムスカが動いて探すまで、700年も放って置くほうが不自然です。

下剋上を狙う野心のある一族ならいくらなんでもとっくに強奪してるでしょう。それも一族総出で動いて。

別に「セキュリティ満載のダンジョンの奥底に厳重に隠す」とかじゃなくて隠し場所、暖炉の中ですからね。知らない人には見つからないでしょうが、存在を知ってる者が居たら即バレです。サクッとトエル家皆殺しにして家中探せばどんだけ運悪くても半日で出てきます。


これは内部分断ではなく「責任を負う本家」と「一族としてその遂行を監視する命を背負った分家」だからです。

ムスカ自体は作中に見られるように「ラピュタの王になる」という野心を胸に行動していますが、彼はあくまで単独です。他にラピュタを知るものは周りに居ない様子ですし、シータに「しばらくは二人きり」と言っているのでパロ家の血を引く者もムスカ以外の生き残りがもう居ないことがわかります。

「一族の悲願」といったことも一切口にしていないことから、ムスカの野心はパロ家の総意ではなくたまたま古文書を発見したムスカ単独のものだと思います。パロ家に野心はなかった。

ちなみに財宝が残っている理由ですが、「ラピュタの民が財宝を持って地上に降りた」ということが広まれば地上人による略奪の対象となることを恐れて、持って降りることをしなかったのではないかなと思います。降りた時点で人口もかなり減っていたと推測されるので、金なんてあってもリスクにしかならなかったのでしょう。


しかし分家のパロ家には文献を含めた情報がたくさん残っているのに、本家であるはずのトエル家には石と伝承しか残っていないという矛盾が存在します。

ムスカは「記憶とともに失くされていった」という見解を述べていますが、これは彼がラピュタ滅亡の経緯、本家と分家の本当の使命を知らないための発言です。

むしろその論なら、伝承が無くなって「誰も意味の解らない文献と石」だけがトエルに残るんではないでしょうか。


この矛盾を紐解く鍵になるのが「ゴンドアの谷の歌」です。


土に根をおろし

風とともに生き

種とともに冬を越し

鳥とともに春を歌おう


というやつですね。自然とともに生きる喜びを歌った美しい歌に聴こえますね。

でもこれ、前述の「トエル家の背負った咎」を踏まえるとどうでしょう。

当時のラピュタ市民からしたら「放射能の都市なんか造って国を滅亡に追いやった王家がどの口で」となりませんか?

この歌こそがトエル家に文献も伝承もほとんど残らなかったことの答えです。


トエルの人々は自分たち一族の背負った責務に耐えきれなくなってしまったのです。

だから文献を全て燃やして歌を歌って忘れようとした。責を負うことなく地上に降りた市民の末裔と同じように、忘れたかったのです。

しかしことは世界滅亡がかかったものです。全てを捨てるまではできず、肝心の石と呪文だけは子孫に引き継ぎました。


それとシータが天涯孤独で家族が居ないのは飛空石が原因ではないかと思います。

トエル家には王家の紋章がずっとありました。もしもこの紋章の飛空石によってトエル家の人々が代々少しずつ被ばく(仮)し続けていたとしたら…

小さな石とはいえ王家の宝物です。純度が高く一際強い力を持っているでしょう。強い放射線物質を撒き散らす力を。


生まれた新しい命に罪はない。でもトエルの家に生まれたばかりに生まれながらにして一族の咎を背負い、やがてじわじわと奇病に侵されて死んでいく運命だと知る…それもいつまで続くか誰にも解らない。

そんな苦悩から逃れるためにせめて残酷な真実を物語る文献を燃やしてしまおうと考えた誰かが、かつて居たのではないでしょうか。



【パロ家当主のムスカという青年】

ムスカについても触れておきましょう。

ムスカがなぜあんな野心を抱くようになったのか、先述のように「最後の一人」になってまでラピュタを追い続けたのはなぜなのか。

その知る鍵は「ムスカがシータの本当の名前を知っていた」という事実です。


考えてもみてください。

シータは12歳(推定)です。700年も未来の王位継承者の真名が古文書に書いてあるでしょうか?

仮に当時のラピュタに「遠い未来まで王の名前は決まっていて、古文書に書いてあるように名前をつけなければならない掟」があったとして、文献もなく伝承も曖昧になったトエル家が頑なにそれだけを守り続けるわけありません。


「トエル家とパロ家は近年まで交流があった」のです。

正確には「王の使命を忘れかけたトエル家の監視をパロ家は現代まで変わらず続けていた」というのが事実です。

あまりの重責に歌を歌って忘れてしまおうとするトエルを責めることができずに、監視を続けるという体裁だけを守っていたパロの歴代の当主たちにも計り知れない苦悩があったことが伺い知れますね。


そうしてとうとうパロ家が果たすべき本当の使命ですら薄れかけた現代、パロの血を宿す最後の生き残りとなった青年、ムスカが当主となり家を継ぎます。

そしてムスカは家に残された古文書を読み曲解し、そして絶望してしまうのです。


「自分たちはいつかトエル家がラピュタに帰る日のために、奴らのためだけにに生きてきたというのか…?」

「なぜだ、奴らはラピュタのことなど忘れて、のうのうと歌を歌って暮らしているではないか!」

「リュシータ…なにも知らないこんな小娘がラピュタの真なる王だというのか…?」

「なにがトエルだ、なにがパロだ!誇りも忘れた王が玉座にふさわしいものか!!」

「そうだ、700年もの間誇りを胸にラピュタに思いを馳せ続けてきたパロこそが真の王だ!!私が、このムスカがいまこそ一族の思いを報わせるのだ!!」


作中でも彼は唯一の肉親であるはずのシータに対して異常なまでの執着と憎しみを顕にしています。

実は彼が直接的に手をあげたのはあの腐った軍隊とシータだけなんです。パズーだって親も居ないんだし、秘密裏に殺してしまうのが一番楽だしリスクもないはずなのに生かして金貨なんかあげちゃってます。

最後の玉座の間ではシータには一歩間違えれば殺してしまうかもしれないのに発泡してるくせ、パズーの「話がしたい」に対しては「三分も」時間たっぷりあげちゃうという優しさ。

度々「実は優しいムスカ大佐」とか「ショタコン」とかネタにされてますが、シータに対する極端な横暴のためにムスカを「極悪人」足らしめていますが、あれはシータに対して個人的な強い憎しみを抱いているというのが正解なのです。


「君はラピュタの正当な王位継承者だ」というセリフも、作品の説明的都合でさらっと流されてますけど、ムスカの立場からしたら別に敢えて教えてやる義理なんかないです。

彼があえて教えたのは、知って絶望するシータの顔が観たかったからでしょう。

そして真実を知って絶望しあからさまに「王になんてなりたくない」「石がほしいならあげます」という態度のシータにムスカはますます苛立つようになります。


「真の王であるはずなのになにも知らない」「若い小娘だからって何も知らないからこそ、その無知でさえ途方も無い大罪なのだ」というのがシータに対してのムスカの感情なのです。


彼は本来ならば誇り高く、誠意ある青年だったのでしょう。

しかし、彼が大佐まで上り詰めた軍隊と帝国、皇帝がとんでもなく腐敗していることは作中の帝国軍の人々を見ていればわかります。

彼はきっとそんな帝国の在り方にも憤りを感じていたに違いありません。

だから「自分がラピュタの王となり、この腐った地上を浄化して新たな世界を作り出す」「その全てをリュシータに見せつけながら、絶望に打ちひしがれたリュシータを奴隷のように扱うことで一族の無念を晴らす」という野望をいだいてしまったのだと思います。



【ポムじいさん】

こんな「真実」が背景にあったと考えてポムじいさんのところに立ち返ると、彼の受け継いだ伝承「石が騒ぐのはラピュタが近いから」は放射性物質同士が起こす共鳴みたいなもののことでしょう。

ポムじいさんは「ずっと石を見てきたから解るんだが」と自信なさげに言ったうえで、「強い力をもつ石は不幸も運ぶ」という話をするときも目を泳がせています。理屈では説明できない何かを感じていた、飛空石が放つ放射線に遺伝子の記憶みたいなもので感覚的に反応したのではないかな、と思います。(ちょっとオカルトじみてますが私はそう解釈しました)



【宇宙に登っていくラピュタとバルス】

最後に有名な「バルス」についても考察していきます。

このバルスという単語、ラピュタ語で「閉じよ」なんだそうですが、「滅びの呪文」だとするとちょっとおかしいんです。

要塞でシータが発動した「リーテ・ラトバリタ・ウルスアリ/アロスバル・ネトリール」は「我を助けよ、光よ甦れ」

トエルは「真の」パロは「従属」という意味なので、ラピュタ語って割とそのままを表していたり、呪文もそのままな事象が発生する感じです。

でもバルスを唱えたとき、厳密にはどうなりましたか?

たしかに城塞都市から下は崩壊しましたが、逆にそこから上は変化なし。

飛空石が活動を停止して落下するかと思いきや、むしろ対空して一定高度に留まっていたラピュタが上昇を始めて大気圏近くまで上昇してしまいます。(「大気圏は超えてない」というのは過去に宮崎監督が名言されてます)

この様子は「滅び」とも「閉じよ」ともかけ離れているように感じませんか?


崩壊するのが一般市民が暮らしていたエリアだけということは、この「バルス」という呪文はひょっとすると飛空石による奇病以前からあったのではないかと思います。

「万が一なにか危険があったとき(地上から攻め込まれたときとか市民の下剋上とかというのが妥当か)、下級階層を切り捨てて都市を軽くし、更に上空に逃げて王族と貴族階級を避難させるための緊急命令信号」だったのではないでしょうか。だから市民を犠牲にする非人道的で絶対に使ってはいけない滅びの呪文。


では「閉じよ」とはどういうことなのか。

これは作中に情報があまりに無いので100%憶測になるのですが、「そうでなければこの物語世界の行き着く先が破滅しかない」という理由から下記の考えに至りました。



実は「大気圏近くの上空までラピュタを上昇させてしまえば飛空石の影響範囲から地上は外れ、本当に文明を跡形もなく全て捨てれば根本的にではないにしろ問題は解決する」という事実に王家は気づいていた。

元々王族と貴族の緊急避難用にセットされていた命令「バルス」を用いればそれが可能であることも知っていた。

しかし、やはり「いつの日か飛空石の問題を解決できる日が来るのなら、地上に降りた民やそれまで耐え忍んできた一族の末裔がラピュタを再建し、栄華を、誇りを取り戻してほしい」という願いがあった王家は「バルス」を発動する決断ができず、「いつの日か」を胸に地上に降りた。

だから「バルス」はそんな一縷の望みも捨てなければならない究極の事態に陥ったときに本当に最後に使う「(文明を、そしてラピュタの歴史を)閉じよ」という呪文である。



ええ、トエル家は一族で責任を負いなんとかすると言いつつ、安全な解決策があるにも関わらずそれを実行せずに裏では復権を画策し市民や分家のパロ、ひいては自らの子孫たちをも欺き奇病で死なせて苦しめていた、というとんでもないクズですw

でも現実の歴史における独裁者なども実際同じような感じですし、これまでの経緯から考えてやりかねないなと思うのは私だけでしょうか。

そしてこれでないと「結局ラピュタは大気圏ギリギリまで昇って人の手の届かぬところに行った」だけで消滅したわけではありませんから、「何も解決してない」ことになってしまうんです。

だから私はこれが正解なんだと思うことにしました。


これで「ラピュタの栄光を再び」という王家の呪縛から解き放たれたシータは、飛空石のチカラに身体を蝕まれること無く、「一人の女の子」として生きていくことができる。

かつて栄華を誇った一つの文明がいま本当の終わりを告げたのだ。


…このほうが物語としてはスッキリしますよね。だからこれが正解でいいんだと思います。



【ラピュタの訴える本当のテーマ】

これが私が導き出したラピュタの本当のストーリーです。

「自然を大切に」「人間も自然の一部」「だから決して奢ってはいけないよ」

表向きに見えるそんなテーマの裏に隠されたメッセージ。


・「原子力、放射能や核兵器に対する強い警鐘とアンチテーゼ」

・「全てを手放さなければならなくても、それでも望みに縋らざるを得なかった哀れな人間の業」(「国が滅びたのに、王だけ生きてるなんて滑稽だわ」というセリフがさらに重みを増します。)


もうね、「いままでなんとなくモヤっとしてたナニカ」が全て晴れたような気がしませんか。

今ここまでじっくり考えて紐解いて見れば、ナウシカに負けないくらいにものすごく深くて考えさせられる重厚なストーリーだと気づけますよね。

「ラピュタは青少年向けのボーイミーツガールな厨ニ病」なんてちょっとでも考えてた自分が恥ずかしいくらいです。さすが宮崎駿監督。


みなさんもこの考察を参考にもう一度「ラピュタ」観てみませんか。

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