第56話 ―お酒の話/後編―
私の言葉に、ナダールがほんの少しだけ寂しそうに笑った。
お酒のこととなると表情豊かだな。
……服のことを話すときのアーシャに比べれば一〇分の一くらい豊かさだけど。
「ミヤコ様のおっしゃる通りです。社内でも意見が割れる所で、兄は製造中止派です。しかし姉が猛反対していまして……」
ミゲールさんとハツールさんだっけ? 兄姉のこと詳しくきいていなかったけど、二人が酒屋さんを継いでいる感じか。
「米の酒を造っているのはもう弊社だけなので、やめてしまうとこの国伝統の酒文化が消えてしまうんです。しかも葡萄の酒を造り始めたのは弊社です。自社が広めた酒のために、伝統の物づくりを途絶えさせるのは良くない……というのが姉の言い分です。立派な考えですし、経営に余裕があるうちはそれでいいのですが……」
ナダールも本当は製造中止派?
伝統を守るのはとても立派なことだけど、大きな酒屋さんなら社員も沢山抱えているだろうし、儲け重視で考えないといけない部分もあるよね。
それにしても、新しい洋風のお酒のせいで米のお酒が売れないって、元の世界の私の国も近い状況だな。
元の世界の日本酒の場合は若者が飲みやすいカクテル風の飲み方を提案したり、オシャレなパッケージにしたり、日本の伝統文化として海外旅行者のお土産物にしたり、アニメキャラとコラボしたり…………ん?
そうか、これからやろうとしていることと同じか。
「外国では米の酒を造っていないときいています。なので、珍しがってもらえるはずです」
「美味しいんですけどね~。おじいちゃんおばあちゃんや昔の人が飲むってイメージと、あと……国内だとお米のお酒はちょっと高価なので……」
アーシャはいつの間にかグラスの中身を飲み干していた。
美味しそうに飲んでいるなと思っていたけど……値段?
「そうですね。銘柄にもよりますが……同じ大きさの瓶の場合、米の酒は葡萄の酒の二倍の値段と考えて頂いて良いと思います。生産量が少ないので大量に作る葡萄や果実の酒よりはコストと単価が……それもあって、外国で売る方が良いんです。ドワーフの国のレートで考えれば、輸送費などを加えてもドワーフ国内の酒と同じくらいの価格で売れます」
この世界に来てから、お酒はナダールにもらったりラヅさんが出してくれたりお城で出してくれたりだから買ったことが無くて値段が解らないんだけど、二倍か……元の世界だとどうだろう?
ワインも日本酒も一〇〇円から数万円、ものすごいのは何百万円とか? 差がありすぎて比べにくい。
無理やり比較するとすれば……コンビニやファミレスの安いワインと安い日本酒なら、安いワインの方が美味しかった……っていうのは私の好みかな……この辺りの比較、私の知識じゃ無理か。
でも、一つ言えるとすれば……。
「だいたい事情は解ったよ。こんなに美味しいお酒が無くなるのは勿体ないから安定して生産してもらうためにもぜひ、ドワーフの国で売ろう!」
シンプルに、この美味しいお酒がもっと飲みたい!
グラスの中身を飲み干して、空になったグラスをテーブルに置くと、ナダールがすかさず瓶の中身を注いでくれる。あぁ、そんな沢山……こんなの酔っぱらっちゃう。
飲むけど。
「ありがとうございます! 外貨の獲得もですが、この国の地酒という伝統文化を守ることにもなり、国民の貢献と言っていいと思います!」
嬉しそうなナダールに私の頬も緩む。
利益優先みたいな顔しているけど、ナダールも実家の物作りとか伝統文化とか、大切にしているんだな~。
うん。そう思って飲むとますますお酒が美味しく感じる。
「パッケージも折角ならこだわりたいよね。瓶の形も漫画に合わせるとかできる?」
目の前にある瓶はボルドーワインの瓶の形に近い。
日本酒の瓶はもっとなで肩だ。
「そうですね。瓶は業者に相談してみます。あとラベルは……漫画に出てきたラベルをできる限り再現したいと思います」
お、目の付け所が良い。
漫画のファンって漫画に出てきたそのままのアイテムに弱いよね。
原寸で描きおろすよ……と、私が言うよりも先に、アーシャが口をはさんだ。
「漫画と同じラベルもいいですが、キャラクターの顔がドーンと大きく入っているのも人気が出そうですよね。漫画ファン向けのお店で売るんですし、キャラクターの方が目を引きそうじゃないですか?」
「それも一理ありますね」
アーシャの言葉にナダールは少し悩まし気に唸る。
うんうん。アーシャの言うことも尤もだと思う。
「ミヤコ様はどう思われますか?」
「うーん……これ、難しい問題だよね」
元の世界でグッズを出すときに、何度もメーカーや担当さんと話し合った議題だ。
SNSなんかを見ていても、グッズで欲しいのは「キャラクターが使っていたもの」なのか、「キャラクターが大きく描かれたもの」なのかは時々論争が起きている。
私だってアイドルや漫画のオタクだから気持ちは解る。
正直ね……
「両方欲しいよね。二パターン作ろうよ!」
私がファンだとしたら、絶対に両方欲しい。
なんならキャラクター別のバリエーションも作って五種類くらい欲しい!
……できると思うんだよね~。
元の世界で「主人公が食べていたスナック菓子」って設定でお菓子メーカーとコラボしたけど、あの時は同じ中身で六種類の絵柄の袋を用意してもらった。
その時のお菓子の製造方法だと、「面付け」って言って、包材六袋分ずつ並べて印刷、裁断するから六種類作れたんだけど……この世界でも何かしら方法あるでしょ? ラベルって紙を巻くだけだし。
「両方ですか……二種類のラベルを作るのは手間ではありませんが……」
ほら、技術的にはできるよね?
いいアイデアじゃない?
……と思うのに、ナダールは微妙な表情で首を傾げてしまう。
「中身が同じなのに見た目が違う酒が二種類あるというのは、店へ卸す時や店頭でのオペレーションが混乱しそうです」
「帳簿とかも面倒くさそうですよね。全くの別商品にすることもできますが、そうすると売り上げが分散されて実績として勿体ないですし」
ナダールの言葉にアーシャも頷く。
元の世界では複数デザインって珍しいことではなかったんだけど、こっちには無いのか……というか面倒くさい感じ? 流通とかパッケージの感覚が違うんだな~。
パッケージが複数種類あるのは、「上手くいけば二つ買ってもらえるから売り上げアップ!」って元の世界のお菓子メーカーさんが言っていたけど……デメリットもあったな……不人気キャラ一種類だけがどこのコンビニでも売れ残っていて、作者として悲しいというか申し訳ないというか……うん。この方法はやっぱりいいか。
他にどんな売り方したかなー…………。
あ、そうだ。
「だったら外の箱にキャラクターの絵をドーンと入れて、中の瓶は漫画と同じにするのは?」
「外の箱?」
「あ、この世界はない? 一本一本紙の箱に入れるの。元の世界だとちょっと良いお酒はこうやって売ってたんだけど……」
メモ用紙を取り出して簡単に紙箱と瓶の絵を描くと、この案にはナダールが食いついた。
「これは……いいですね。輸送中の瓶の保護にもなりますし、売り場ではラベルよりも広い面積で客にアピールできます! 瓶だけで売るよりも特別な感じがしますし」
「キャラクターが好きなら箱を飾ればいいし、異世界気分を味わいたいなら瓶で楽しめるし……一つで二度おいしいですね!」
アーシャも感心したように私のメモを覗き込む。
そうそう。両方の楽しみ方ができるのはファンに優しいよね! 解ってるな、アーシャ。
「ナダールさん、私の店がお願いしている紙箱の業者を紹介しましょうか?」
「いいんですか? 助かります。社内にある複製機ではラベルの複製しかできないので」
そうそう、この世界は印刷じゃなくて複製……あれ?
「……そういえば……紙物とか服は複製だけど、お酒や食べ物は複製じゃなくて普通にっていうか……その……育てたり料理したりするよね?」
複製しちゃえば簡単なのでは? と思うんだけど……どうやら違うんだな。
私の疑問に二人が顔を見合わせ、ナダールが淡々と説明をし始めた。
「食べ物の複製は、理論上可能です。しかし、複製しても腐る時間は同じなので、常に新しい物がないといけませんし、複雑な有機物は複製用の物子の種類も多く必要なので、複製よりも育てる方がコストがかからない場合がほとんどなんです」
「そう言えばそうか……」
言われてみれば、食べ物って腐る。
それに物子の種類が多いとコストがかかる話も、本を作る時に話していたよね。
「複製はしませんが、温度管理や湿度管理は魔法で行います。このお陰で年に数回、酒を仕込めます」
その辺りは元の世界の工場と同じだ。
昔は新米ができてからの寒い時期にお酒を造っていたのが、現代では温度管理している工場では年中お酒を造っているはず。
理解した、と思っていると、ナダールが更に続ける。
「そして……安全面での問題もあります。魔法で物子を組み替えたものを体内に入れると、体内の物子に影響が出ると言われています。薬など一部の物を除いて国が非推奨なんです。禁止ではないのでしている人もいるかもしれませんが」
物子って分子とか原子みたいな概念だよね……ちょっと違うかもしれないけど遺伝子組み換え食品に問題があるとかないとか言われているのと近い?
思ったよりヤバイ理由なんだ……怖っ。
「それはヤバイね、なるほど」
怖いと思いながらもグラスに残っていたお酒を飲み干すと、グラスを置くタイミングでノッカーの音が響いた。
――コンコン
「夕食お持ちいたしました」
夕食? 時計を見れば自室に戻ってきてからもう一時間。
いつの間にか一時間も話し込んで、お酒の瓶も……あれ? 空瓶が三本?
嘘? そんなに飲んだ!?
甘くて飲みやすいお酒ってついつい進んじゃうものだけど、あれ? あ、そうか、ナダールとアーシャも飲んでいたから、私の飲んだ量はそんなに多くはないよね?
……そんなに多くはない、とは思うけど、今日はもうここで止めておこう。
…………夕食の生ハムとピクルスの前菜がお酒にめちゃくちゃ合いそうだけど、我慢……我慢。
◆
この日は、ちゃんとここでお酒を止めておいた。
しかし、夕食前という一番空腹のタイミングで、ついつい一本飲み切ってしまったお酒はその瞬間よりも後から後からボディーブローのように効いてきて……。
「きもちわるい……」
翌日、この世界にやってきて初めて二日酔いになった。
アーシャとナダールは全然平気そうで、ちょっと悔しかった。
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