1 ハリス・フォード登場
「失礼します」
低く張りのある声で入り口にあった垂れ幕を持ち上げ入ってきたのは、私、ランバルシア子爵令嬢シェラルージェの護衛騎士を務めているハリス・フォード様だった。
「…っ!」
シェラルージェは驚きのあまり、あげそうになった悲鳴を咄嗟に口を押さえることで何とかやり過ごした。
今日は新規のお客様が来ることになっていた。
シェラルージェは新規のお客様の情報を知らされないことになっていた為、シェラルージェの知っている人が来て驚いてしまった。
訪ねて来る人の公の立場などを知ってしまうと私が萎縮して創術に支障をきたす可能性を踏まえての対応である。
その為、私の所にくるお客様はお父様達の厳しい審査を経て、私にとって安全と判断された方のみとなっていた。
「どうぞおかけください」
できる限り低い声を意識しながら、ハリス様に目の前の椅子をすすめる。
自分の声は僅かに震えていて、何重にも重ねた布を通して聞こえた声はおばあさんのようであった。
「失礼する」
一声かけて前の椅子に座ったハリス様は、少し緊張しているように見えた。
一度深呼吸をしてから、シェラルージェは自分の正体がばれないように気を付けようと気を引き締める。
ハリス様の前に座る私は頭から爪先まで全身布で覆い、唯一瞳の部分だけ空いている。
瞳の部分もよほど近くに寄らないと影で見えないようになっていた。
こんな見るからに怪しい姿をしている者を前にしても、ハリス様はまったく動じることはなかった。
「本日はどのようなご用向きでしょうか?」
私が尋ねると、ハリス様は少し言い淀むように視線を彷徨わせたあと、私の目の辺りをしっかりと見つめた。
「女性が身につける装飾品を創っていただきたい」
言い終えた後、ハリス様は恥ずかしくなったのか少しずつ顔を赤らめていった。
(…わぁ、可愛らしい、こんな表情もするのね。やだ、素敵)
普段の護衛騎士として側にいてくださるときは、ハリス様はキリッとした凜々しさ溢れる表情で、ご挨拶するときだけ優しく微笑んでくださる姿がいつも素敵だと思っていた。
けれど、今の恥ずかしがっている表情も素敵に思える。
「あの…」
一言も発しないシェラルージェを不審に思ったのか問いかけられてしまった。
「…失礼いたしました。まず貴方様をどの様にお呼びすればよろしいでしょうか?」
「どのようにとは?」
「呼びかける際のお名前でございます。もちろん偽名で構いません」
「偽名?」
「はい、私は外の世界とは関わりがございません。この中で知り得た情報は私とお客様だけの秘密となります。ですので、こちらで偽名を使っていただければ、こちらでお創りした物がどうなるのかは誰にも知られることがないのでございます」
「そうか、では私のことはハリスと呼んでくれ」
「…っ、ハリス様でございますね」
まさかここまで説明して本名を名乗られるとは思わなかった。
ここで驚いているのを気付かれると、私がハリス様を知っていることに気付かれてしまう。
一度ゆっくりと深呼吸すると、ハリス様に次の問いをする。
「女性が身につける装飾品と仰られましたが、何かご希望の物はお決まりですか?」
「そうですね」
贈る女性を思い出しているのか、優しい顔で真剣に悩んでいる姿に、贈られる女性が羨ましくなった。
こんなに真剣に悩んで選んだ物をもらえるならどんな贅沢な物よりも嬉しいに決まっている。
「身につけてもらえる物であれば、何でもいいのだけれど、………指輪、はさすがに引かれるかもしれないし、ネックレス? いや、ブレスレットか?」
私に言っているというよりも、頭の中で考えていることが口から独り言のように出ているみたいだった。
(これは声をかけていいものか悩んでしまうわ)
独り言を聞いてしまうのはとても悪い気がするし、かといって声をかけるのは憚られる。
どうしようか悩んでいると、私がじっと見ているのに気付いたのか、ハリス様は一瞬で顔を真っ赤にした。
(やだ、可愛い)
ハリス様は顔を赤くしたまま頭を下げた。
「申し訳ない」
「いいえ、何か良い物が決まりましたか?」
私はハリス様が気にしないように、出来るだけ平静を装って答える。
私が普通に対応したことに落ち着いたのか、始めのうちだけ動揺を見せたものの直ぐにいつもの顔に戻った。
「あ、ああ。いろいろ悩んでいて決めきれないのだが、何かお薦めはあるだろうか?」
「そうですね。どういう用途で使用されるかにもよりますが、付与する内容によって用意する聖石の大きさも異なるため、お創り出来るものが限られてまいります」
「そうか」
私の言葉を聞くと、ハリス様は少し考えるように黙り込んだ。
ハリス様が答えを出すまで待つことにしたシェラルージェは、いつもとは違う距離感に居るハリス様をじっくりと見ることにした。
いつもは護衛騎士でもあるため、シェラルージェの斜め後ろに控えていることが多い。
ハリス様と正面で向き合うのは、出掛けの挨拶の時と別れの挨拶の時くらいだった。
そして子爵令嬢として会う時は、いつも緊張してしまい声も小さくなり、言葉も詰まってしまって会話が続かないのである。
だからこんな目線が近くなる距離で普通に話していることが不思議でならなかった。
じっと見ていると、ハリス様は考えがまとまったのか顔を上げた。
「髪飾りでお願いしたい。付与は物理防御と魔法防御で出来るだろうか」
「問題ございません。聖石はハリス様がご用意されますか? こちらでも用意は可能でございますが」
「手持ちにいい聖石がある。後で持ってこよう」
「かしこまりました。ではその時にデザインを決めるということでよろしいですか?」
「ああ、宜しく頼む」
「はい」
私が頷くと、ハリス様は軽く会釈をして帰っていった。
(ふー、やっぱり緊張していたみたい)
強張った体を解しながら、シェラルージェは大きく息を吐き出したのだった。