1時間目(3)ラズベリー・パイって美味しいの?
「はい! コンピュータを動かしているのは『プログラム』です。カホさんありがとう」
魔女のマキナ・アイ先生は、小さく手を打ち鳴らしました。
プログラムだと言い当てた果穂さんは、あまり表情を変えませんでした。廊下側の席に座っている彼女は、パソコンやゲームに詳しいという噂です。きっとこの授業は簡単で退屈に思っていたのかもしれません。長い前髪で視線を隠すようにうつむいています。
「カホさんはパソコンに興味があるって、剛田先生の『クラスノート』に書いてありました。だからプログラムのこと、知っていたんですよね」
「……はい」
果穂さんは自信なさげです。ちょっと引っ込み思案なところがあって、クラスのみんなともあまりおしゃべりをしないのです。
「ラズベリー・パイ、先生も興味ありますよ」
「えっ……!?」
果穂さんが驚いて顔を上げました。
ラズベリー・パイ?
何のことでしょう? ラズベリーは「木いちご」つまり、木いちごのパイのこと?
クラスの女の子たちは全員、同じことを思ったに違いありません。みんな「美味しそう!」「わたしも食べたい」という顔をしています。
「……知っているんですか? ラズベリー・パイのこと」
「もちろんです。コンピュータのプログラミングの勉強にはもってこいですからね。先生、こっちの世界にきてパソコンやタブレットPCを支給されました。でも、自分で最初に買ったのは『ラズパイ』ですもの」
どうやら『ラズパイ』はラズベリー・パイの略みたいです。
「そうなんですか……! わたしも持ってます『ラズパイ』を3つ」
「そんなに? すごいなぁ、こんど教えてくださいね」
「は……はい!」
果穂さんは嬉しそう。あんなふうに楽しそうに笑うところ、初めて見ました。
あれ? でも、なんだか話が見えません。どうして『木いちごのパイ』が「コンピュータのプログラミングの勉強にもってこい」なのでしょう?
私は、頭の上にクエスチョンマークを浮かべていたと思います。
もしかしてマキナ・アイ先生と果穂さんだけがわかる、何かの暗号かもしれません。完全にふたりの世界です。ちょっとくやしいです。
「なぁ、ラズベリー・パイって美味しいのか?」
「本当のパイなら美味しいと思うけれど、あの二人の話してるのは違うと思うよ」
「はぁ? パイだろ、何がちがうんだよ」
「それは、その」
隣のレンは美味しいお菓子だと思っているようです。でもマキナ・アイ先生と果穂さんの話していた『ラズパイ』は何か別のものに違いありません。
あぁ、モヤモヤします。誰か謎を解いてほしいです。
「先生っ! ラズベリー・パイって美味しいんですか!?」
さすがは体育会系の花園翼さん、直球のストレート。手をあげての質問です。
「あっ、ごめんなさい、つい私だけ盛り上がっちゃいました。先生失格ですね。あのでね……、ラズベリー・パイっていうのは超小型の学習用コンピュータ・キットのことなんです」
コンピュータキット? 小型の?
これにはみんな「えー?」とか「そうなんだー?」とか、反応は様々です。教室のクラスメイトの大半は顔を見合わせました。みんな「知らない」という感じです。
「なんだ、食べられないのか」
レンががっかりしています。仮に食べ物だったとしても、ここで食べられるわけじゃないのに。ガッカリしている理由がわかりませんけど。
「ラズベリー・パイは手のひらサイズのコンピュータです。すごく簡単なつくりで、3000円ぐらいから買えるんですよ。これに自分でプログラムを組めるので、プログラミングの勉強用にちょうどいいんです。とっても楽しいんですよ」
なんと、手軽に買える小さいコンピュータのことなんですね。はじめて聞きました。知らなかったです。ラズベリー・パイという名前は美味しそうなのですぐに覚えちゃいました。
マキナ・アイ先生は、魔法の杖をくるりと回すと、空中に映像を浮かべて見せてくれました。実際のラズベリー・パイの映像のようです。
――イギリスのラズベリー・パイ財団が作った『Raspberry Pi=ラズパイ』は学習用の小型コンピュータです。
ちゃんと説明の文字も浮かび上がります。さすが魔法の先生です。
「イギリスのお菓子じゃなくて、コンピュータなのかー」
レンは現実を目のあたりにして、さらに残念そうに机にほおづえをつきました。授業中は姿勢を正しましょう。
「でも、ちょっと可愛い名前。美味しそうだし」
「日本だとぜったい『イチゴせんべい』とか、『イチゴだいふく』とかつけちゃうだろ」
「レンはまず食べ物から離れようか」
どうも3時のおやつの時間が近いせいか、お菓子の話から離れられません。
実際、ラズベリー・パイは、お菓子のパイとは似ても似つかないものでした。10センチ四方ぐらいの緑色の基板に、豆粒みたいな電子部品がいくつも載っている簡単なつくりです。
見た目はゴミ捨て場にあった「家電の中身」そっくりです。っと、ガラクタみたいな言い方はいくらなんでも失礼ですね。正確には家電製品の中にはいっていた電子部品や基板にそっくりなのです。
ラズベリー・パイの使い方は、モニターやキーボードとケーブルでつなぐみたいです。
モニターには記号や文字が映っています。おそらくあれが『プログラム』なのでしょう。うーん、なんだか難しそうです。
「あれを果穂さんもやってるの?」
「すごいね!」
「あ、うん……」
まわりのみんなは果穂さんと話したがっているのですが、すっかり照れているみたいです。私も、休み時間に彼女からラズベリー・パイの話を聞いてみたいなぁ。
「あっいけない。調子に乗って先に進みすぎちゃいましたね……。ここまでのおさらいです。コンピュータがプログラムで動いているという部分は、覚えておいてくださいね。実際にプログラムを組む勉強もありますから」
マキナ・アイ先生が、いかにも先生らしく姿勢を正しました。
きっと後ろから剛田先生がにらんでいるに違いありません。
後ろを恐る恐る振り返ると、ゴリラみたいな顔の先生はニッコニコでした。
「プログラム、難しそう」
ついうめき声をもらしたのは私でした。クラス委員長なのになんてことでしょう。
「大丈夫ですよヒメコさん。プログラミングの授業は少し先になりますから」
「は、はい……」
なんたる失態。クラスでコンピュータのお勉強が一番苦手なのは、私みたいです。
実際にプログラムを作るとなると、英語や数学より難しい気がします。大丈夫でしょうか。
『なぁマキ、今の話のどこを黒板に書けばいいんだ?』
黒板消しの上に腰掛けていた妖精、コンソル君が退屈そうに言いました。白いチョークをバットみたいにかついでいます。
っていうか、妖精さんが魔女先生を呼び捨てしました。マキ、なんて呼び方は親しい関係っぽいです。妖精のコンソルくんは見た目は少年、なのに意外と大人の男性なのかもしれません。
「いまのは『コンピュータがプログラムで動いている』って部分を書いてね」
『はいよー』
妖精コンソルくんは白いチョークを抱えたまま飛び上がり、マキナ・アイ先生の言葉を書き連ねていきます。
「とまぁ……こんなふうに、私の魔法を手伝ってくれるのは妖精さんです。これって、コンピュータとプログラムの関係に似ていると思いません?」
『オレを魂のないカラクリと一緒にするんじゃねーよ』
口の少し悪い妖精さんは、ちょっと不満げです。コンピュータはすくなくとも言い返してきたりはしないでしょう。
「ごめんね、こんな生意気な妖精に仕事を頼むのはちょっと大変です」
『大変でわるかったな』
「妖精に仕事を頼むには。たとえば『私の言葉を聞いて』『チョークを動かして』『言葉を日本語で書いて』……というふうに、魔法の言語で仕事内容をていねいにお願いします。これがプログラムを組む、という意味と同じ考えになります」
マキナ・アイ先生は魔法の杖で空中に図形を描きました。
妖精のコンソル君に呪文でお仕事を教え込んで、仕事を頼むシーンです。アニメーションか紙芝居のように展開していくので解りやすいです。
「コンピュータのプログラムも似た感じです。『開始』や『停止』、『繰り返し』『判断と条件』、あとは『印刷』『画面に表示』……というふうに、いろいろな仕事内容を組み合わせてプログラミングしてお仕事を実行させます」
「たしかに似てるかもね」
「なるほどー」
みんなも説明に納得したようです。
今度は「魔法と妖精」の代わりに家電、いえ「ラズベリー・パイとプログラム」が浮かび上がりました。
ラズベリー・パイにはテレビモニターと印刷用のプリンターがケーブルで接続されていました。
モニターの中で、ブロックのように『開始』『入力』『判断条件』。そして『画面に表示』『繰り返し』といった処理が並べられていきます。最後の方で『印刷』と『停止』が組み合わさりました。
キーボードを操作して処理をスタートすると、ラズベリー・パイに接続されていたプリンターから印刷された紙が出てきました。
「あんなふうに、パソコンって動いているんだ」
「英語とか数字で難しい呪文を書くのかと思ったけど、ちがうんだね」
気がつくと授業の時間もそろそろ終わりに近づいていました。
「学習用のソフトウェアを使えば、こんなふうに図形を組み合わせるだけでも、プログラミングのお勉強ができちゃいます。簡単なので苦手だなって人でも大丈夫! 得意だよって人は、みんなよりちょっとだけ難しいことにチャレンジしましょう。きっと楽しいですよ」
マキナ・アイ先生は教壇の上でみんなを見回しました。
クラスの反応は上々です。楽しみで仕方ない、という空気で満ちています。
「あっと、いけないもうこんな時間ですね! 次回は、実際に簡単なプログラムを組んでみましょう! では今日の授業はここまで……!」
私は苦手だけど、ちょっと楽しそうに思えてきました。
マキナ・アイ先生に教えてもらえるなら、プログラムの勉強だってやる気が出ます。
楽しい時間はあっという間です。
なんとなく苦手だなって思っていたコンピュータの授業もこれなら大丈夫かも、って思えてきました。
キンコーンカーンコンと、終業を告げるチャイムが鳴りました。
「起立……! 礼、ありがとうございました!」
「はい、ありがとうございました」
あとはホームルームと掃除を残すのみです。
「アイ先生、ではホームルー……」
後ろの席で授業の様子を眺めていた剛田先生が、何かを言いかけました。
「じゃ、私はこれでっ!」
マキナ・アイ先生は、窓脇に片足をかけると、クラスのみんなにむかって、明るい笑顔で軽く手を振りました。妖精のコンソル君も白いチョークから離れて、魔女のトンガリ帽子の「つば」の部分に飛び乗ります。
でも何故、窓から帰ろうとしているのでしょう? 教室の出入り口は反対側です。
「アイ先生! 何処に行くんですか!?」
「帰ります、お疲れ様でした剛田先生」
「お疲れ様……って、アイ先生!?」
剛田先生の呼びかけにはおかまいなしです。
仕事が終わったから帰ります。キッパリと答える清々しさ。さすがです、超クールです。
手に持っていた杖を窓の外に差し出すと、なんとホウキに変形。ホウキは窓の外にフワリと浮かびます。まるで見えないワイヤーで吊り下げられているみたいです。
「マジかよ、魔法のホウキじゃんかアレ!」
「え、えぇええっ!?」
「飛ぶの!? ここ3階だよ!?」
みんなが騒然とするなか、マキナ・アイ先生はひょいっとホウキに腰掛けると、ゆっくりと窓から離れはじめました。
「うそ!?」
「浮かんでる……!」
一斉にクラスメイトが駆け寄って、窓枠にずらりと並びます。
「アイ先生ーっ!? あのっ……ちょっ……!」
剛田先生が身を乗り出して、戻ってくるように呼びかけます。でも魔女先生はすでに学校の敷地の外までフワフワと飛んでいってしまいました。
もう誰もマキナ・アイ先生を止めることはできないでしょう。
「駅前のケーキ屋さんで売ってるラズベリーのケーキ、買って帰りまーす!」
紫色のドレスを着た魔女先生は、3階の窓と同じ高さに浮かんだままに離れていきます。クラスに向かって親指を立てると、一気にスピードをあげました。
ずひゅん……! と飛んでいってしまいました。
自由すぎます。
仕事とプライベートの切り替えを、しっかりできる大人の女性。憧れちゃいます。
「ラズベリーのケーキ、食いたいなぁ」
「先生もお菓子を連想していたんだね」
きっと、ラズベリー・パイの話をしているうちに、食べたくなったのでしょう。私たちと同じだったなんて、ちょっとうれしいです。
「すげぇ、本当に魔法で空を飛べるんだな!」
「先生、マジ超カッケー、本気でリスペクト」
島崎くんと杉田くんが本気で尊敬の眼差しをむけています。気持ちはわかります。
「魔法禁止条約とはなんだったのか……?」
二人のさらに横では、頭脳派メガネ男子のリク君が悩ましげに眉間を指でつついています。
うーん。言われてみれば。マキナ・アイ先生は授業中もバンバン普通に魔法を使っていましたね。ぜんぜん禁止されている様子はありません。むしろ活用しまくっています。
「きっと他人を攻撃する魔法や、死者を蘇らせるような魔法が禁止されているんじゃないでしょうか?」
魔法やファンタジーに詳しい花音さんが、独自の推理を披露します。
「世の理に反する魔法は禁止……。なるほど、一理あるな」
メガネの鼻緒を持ち上げるリク君。落ち着き払った様子は博士っぽいです。
「本当に中学生ですかリク君は」
「目の前で魔法を見せられては、考察するしかないからな」
「魔法は魔法だよー」
本来は相反するはずの現実的な理論派と夢見るファンタジー派。ガッチリ噛み合った瞬間を見た気がします。
何にせよクラスが打ち解けて、明るい雰囲気になったのはよいことです。これもマキナ・アイ先生のおかげですね。
さて、明日はどんな事が起こるのでしょう。
いまからワクワクします。
<つづく>




