第四章の四
ハイウェイの道路ぞいには、やたらラブホテルのネオンが輝いている。帰りの車の中では、さすがにみんな疲れたのか静かだった。
次から次に現れるホテルの看板を見ながら、ユキはボンヤリと2ヶ月程前の出来事を思い出していた。
東京に独りで住むようになってすぐに、電話番号を教えていないはずの高校の同級生から、立て続けに何人か電話がかかってきた。
全員男子だった。何故かみんなユキに会いたがる。
不思議な気がしたが、そのうちの2人は結構カッコ良かったので会う約束をした。
最初のヤツは、ディズニーランドに行こうと誘って来た。前から行きたかった所なので、ユキは喜んで出かけて行った。
だが、いざ会って一緒に遊び始めると、彼が楽しんでいないのがよくわかった。
ユキがそのことを言うと、ヤツは簡単に白状した。卒業して家を出た女子は、わりとヤラセルという噂があるのだそうだ。
ある意味ガッカリしたが、ユキもヤル事には興味があったので、帰りにヤツの部屋へ泊まって、結局ヤラセた。
が、2人とも初めてで上手くいかず、ヤッタとはとても言えない状況で終わった。
しばらくして、もう1人のヤツとも同じように会ったが、より悲惨な状況に終り、かなり険悪な感じで別れた。
もちろん2人からは二度と電話がかかることはなかった。
その時のヤツらが……上手くいかずに焦っている顔が…その間抜けヅラを、現れては消えるネオンの色にボンヤリとユキは思い浮かべていた。
隣りに堀田の寝息が聞こえる。グッスリ眠っているらしく、規則正しい呼吸だ。
前の助手席で今まで同じように寝ていた山根が、目を覚まして振り返った。
「もうすぐ東京に入るけど、下ろす所、堀田と同じとこでいいのかな?」
(もう着いちゃうんだ……いっそこの闇が、このままずっと続けばいいのに…)
心の中ではそう思いつつ、ユキは黙って頷いた。
河合がラジオのスイッチを入れた。流れているのは、静かなボサノバだ。チャンネルをまわさずに、そのまま運転を続けている河合の横顔を見ながら、山根がボソッと呟いた。
「ヤレヤレ、チャンスだったのにな。このまま車で入ればツーペアだったのにさ」
ツーペアという言葉に惹かれて、ユキは聞きかえした。
「なにがですか?」
山根はいたずらっぽく笑うと、もう一度河合の横顔を覗きながら答えた、「ラ・ブ・ホ・テ・ル」
すると、河合が前を見据えたまま、今までは決して聞かせなかったオトナぽい声で、ユキに向かって言い聞かせた。
「冗談よ、ねっ!山根さん」
山根のことを先輩と呼ばずに、さん付けしたのも初めてだった。ユキは急に自分が子供じみているのを感じて、運転を続けている河合を見つめなおした。
隣りでは堀田が、まだしっかりと寝息をたてている。(堀田はもっと子供だ)と、その時ユキは思った。
河合ミカの家が神田にあるので、2人は秋葉原まで送ってもらうことにした。
山根は先に渋谷駅で車を降りる。
渋谷に着く頃には、さすがに堀田も目を覚ましていて、降りていく山根と今日の集まりをネタに、冗談を言って笑っていた。
渋谷駅に着くと、車から出る山根の背中に河合がからかうように声をかけた。
「先輩!ここにもラブホテルいっぱいアリマスヨ〜行きますか?」
山根はクスッと笑うと、河合の方は見ずに、手を振りながら去って行った。
秋葉原に着くと、2人は河合に礼を言って車を降りた。
2人を下ろすと、河合の車は超遊び人らしいハンドルさばきで、夜の巷に消えて行った。総武線のホームは休日でも割に混んでいる。
黄色い電車がそう待たないうちにホームでドアを開き、2人はかなりくっついたまま、人に押されるように電車の中に入った。堀田がまた、困った顔をしている。
(可愛いいな〜)とユキは思う。
揺れる度に堀田が体をずらすのが可笑しかった。ユキはワザと恥ずかしそうな顔をして見せる。それを楽しんでいたかったが、堀田は次で降りてしまうので、ユキは慌てて話を探した。
「星野さん、映画に行ったって…、あれ嘘です」
「嘘って!何だってそんな…」堀田がユキの目を見た。
声は押さえているが、かなり驚いた様子だ。
ちょうど電車が錦糸町駅に着いてドアが開いた。ドア付近にいた2人は、気がつくと人に押し流されてホームに立っていた。
「山根さんが私に意地悪したから、私もお返しにちょっとカラカッチャッタんです。ごめんなさい!!」
ユキはわざと申し訳なさそうに、でもはっきりと明るい声を出して謝った。
ペコンと頭を下げる。
「ウム〜………」堀田は何か言おうとしたが、声にはならなかった。
「本当は星野さん、お家の用…お母さんが個展を開くんで、搬入のお手伝いに行ったんです。」
「そうなのか〜」堀田がやっと声を出した。
「だけど君、電車降りちゃったけど、たしか次の駅でしょ?もうすぐ次の電車来るけど…」
堀田の複雑な顔ツキなどお構いなしに、ユキはアッケラカンとした口調で答えた。
「いいんです。一度先輩の家行ってみたかったし、あっ…行っちゃいけませんか?」
堀田は疲れていた。いつになく体が重い。ユキが家に来るのは煩わしかったが、断るだけの気力もなかった。
堀田は一瞬ユキを睨むと、「好きにしろよ」そう言い捨てて、ユキに背を向けスタスタと歩き出した。
ユキは何も気づかない顔で、彼の後ろについて歩いていく。
10分程歩くと、賑やかな街並みからそれて、人通りの少ない古い商店街に変わった。
ユキは道を覚えるように、しっかりと周りを見回しながら歩いた。
相変わらず堀田は黙ったまま、前を歩いている。
商店街が途切れると古い町屋が並んでいた。堀田はその一軒の前で立ち止まると、「ここだよ」と、ぶっきらぼうな声で言った。
確かめるようにユキの顔を見たが、平然としたユキの顔を見て諦めたように家の中に入った。
玄関に入ると、土間から続く中庭を抜け、離れの暗い廊下で靴を抜ぎ、ハシゴのような階段を上る。
ユキはこの家が古くて薄暗い木造なので、日本的な淫靡さを感じてワクワクした。
堀田はいつものように部屋へ入ると、魚達の居る水槽の前に座った。水槽の向こうには勉強机があり、机の前が切り取ったように正方形の窓になっている。
堀田は部屋の中の電気は点けず、水槽の青白い光だけに横顔を見せていた。無表情な堀田の顔に、男の分からない世界を感じてユキはちょっとゾクッとした。
「親戚の法事で誰も居ないんだ。何か飲むなら主屋に行って持って来るけど…欲しい?」
ユキは首を振った。
「俺疲れてるから帰りは送らないけど、1人で帰れるよね」
ユキは黙っまま頷く。(今日はこれ以上機嫌が悪くなると怖いかも…)ユキは急ぐまいと思った。ここまで来たら後はゆっくりヤレバイイ、そう決めてすぐ帰る事にした。
堀田の意外な一面を見ただけで、今日は十分満足している。不必要なおしゃべりはせず、そのまましばらく堀田の隣りで大人しく水槽を見て過ごした。
時々堀田が、独り言のように魚の話をするのを、興味があるフリをして聞いていた。
少し経つと、お腹も空いたのでユキは帰ることにして立ち上がった。
「今日はありがとうございます。我がまま聞いてくれて、嬉しかったです」そう言い残してユキは部屋を出た。
「ああ、またな」堀田が部屋の中から声だけで見送った。
ユキは階段を下りると、急に追われるような気持ちになって急いで外に出た。
空を見上げるとまん丸な月が出ていた。
大きな月が、大きなおまんじゅうに見えて、急にお腹の虫がグウグウ鳴りだした。(早く駅まで行って何か食べよう!)そう決めたユキの足は妙に速く、頭の中は食べ物以外、もう何も浮かんでこなかった。