第八章
夏休みが終わり、学校が始まった。マサキからの連絡が来ないので、ユキはやきもきしていた。
大学の校内を探しても、なぜかなかなかつかまらない。しかたなく又メールを送った。
<もう帰ったヨネ。一緒にアンミツ食べようよ。駅で待ってようか?>
そんなメールを出したが、翌日になっても、返事は来なかった。仕方なく電話をかけた。
堀田マサキの携帯は留守電になっていた…普通なら、これで諦めるのだろうが、ユキの頭には小さい頃から<諦める>という言葉がない。
しばらくたってもう一度電話してみて、ダメなら駅で待つことにした。
するとやっと堀田マサキからのメールが返ってきた。
<分かった。今週末は家の者が旅行で留守だから、家に来い>と、書いてある。
(なんだ!家の人がいなくなるの待ってたんだ〜2人っきりって言ったもんね)ユキは又自分に都合よく解釈した。
週末、一番お気に入りの赤いスカートに白い夏のブラウスを着て出掛けた。
胸には母親から入学祝いにもらった、ハート形の銀のペンダントを付けた。
錦糸町の駅で降りると、駅ビルで堀田の好きなアンミツとビールを買った。
この間来た時に、道はしっかりと覚えておいたので、迷うこともなく10分程で、堀田の家に着いた。
昼下がりの中庭は、残暑の熱がこもりムッとしている。赤いダリヤの花が首を垂れていた。
(変な花…人間みたい)脇を通りながら、珍しくユキはそんなダリヤの形が気になった。
確かに、大きなダリヤが何本も首を垂れている姿は、うなだれた人間の集団に似ていた。
相変わらず薄暗い離れは、明るい所から入ると、しばらくは何も見えない。ユキは立ち止まって、階段をじっと見つめた……。
この上にマサキがいると思うと、自分が映画のヒロインになったように感じ、一息つくと、緊張した顔でゆっくりと階段を上りはじめた。
古い階段は一足ごとに、ミシッ、ミシッと軋む音を出した。
その音に気づいてマサキが、自分の部屋のドアを開けユキを出迎えるかも、と思ったが、ドアは閉じたまま開かない……。
「マサキ、マサキさん」ドアを叩いたが、返事がない。そっとドアを開けると、堀田の長い足が床に伸びている。
畳の上で横になっているらしい。眠っているのかと思い、顔を覗くとマサキはカッと目をみひらき天井を睨んでいた。
ユキはもともと他人に無頓着な性格なので、「アンミツ食べる?」と言って、堀田の顔を覗きこんだ。
反応がないので、「ビールも買ってきたよ」と、缶ビールを堀田の顔の横に置いた。
「サンキュー」やっと堀田が声を出して起き上がった。
「ちょうど喉が渇いてたんだ。暑かったろ?」と、珍しく機嫌がいい。
ユキはコクンと頷いて、マサキの脇に座り自分はアンミツを食べ始めた。
「俺の分とっとけよ」マサキが心配そうにユキを見た。
「ヤ〜ダ!2つとも食べちゃう!」ユキがふざけてもう1つのアンミツを手に取ると、マサキもふざけてユキを押し倒し、ユキの手からアンミツをもぎ取った。
自然に肌が触れたので2人ともその気になり、体を重ね始めた…
(今日はアレ着けなくちゃ)ユキは手を伸ばしてバックの中からコンドームを取り出し、マサキに渡した。
淫靡な事が好きなユキは、マサキの言う通りに色々な姿勢を取り始めた。
奴隷のように扱われるのが、不思議な快感だった……
ユキと出会ってからのマサキは、自分でも驚く程、どんどん人間なら求めてはいけない快楽に興味を持つようになっていた。
ユキの何がそうさせるのか分からなかったが、いつの間にか性の暗い淵の中に立っている自分がいた。
人間が誰しも持っている暗い情欲…今までその上に被せておいた知性という蓋を、いきなりむしり取られた…そんな感覚を、最近マサキは感じている。
だから、あれほど惹かれた星野ひとみにも、彼女を汚すような気がして距離が縮められないでいる。
さっきユキがやってきた時も、マサキはそんな自分の事を考えていたのだった。
だが、ユキを前にして、考えよりも行動が勝った。
そのスッキリした知性的な容姿とは不釣り合いな、淫らなセックスを、この日を境にマサキは、まるで実験でもするように、ユキと楽しみ始めた。
その日初めて、ユキは堀田マサキの部屋に泊まった。好きな男の隣で一晩中寝ていられる…。
夜中に眠っている堀田マサキの白い綺麗な横顔を、かすかな月明かりで見ながら、生まれて初めて<幸せ>だと思った。
ユキは母親の勝江が頭の禿げた醜い男とからんでいるのを見た時から、<私は絶対、若いイイ男としか寝ない!>と、心に決めていた。
だから、余計に堀田とこうしていられる事かとても満足だった。
ユキは、月に2〜3度堀田の家に行くようになった。堀田がユキを家に入れるのは、いつも決まって家に人がいない日だ。
体を重ねた後、2人ともウッカリ眠ってしまい、家の人が帰って来てしまった事もあったが、そんな時は見つからないように離れでジッと過ごし、明け方近く、家の人がまだ寝ている間に、そっと家を抜け出した。
いつも連絡するのはユキの方で、堀田から会う誘いは一度も来ない。
ユキが何度か電話すると、三度目ぐらいの電話で、やっと堀田からの連絡が来た。
最初は堀田からの誘いが無いのが気になったが、その後同窓会で、他の女達の男女関係を聞くと、みんなあまりユキと変わらない状況なので安心した。
<男なんていい事言って来るのはセックスするまでだよ!それも最初の2〜3回だけ!後はこっちがシッカリしなきゃ〜、すぐ逃げられちゃうんだから>
と言うのが、彼女達の定説だった。
彼女達も自分の方から男を誘うのだと言う。それからは、ユキも自分から男を誘うことに、なんの疑問も感じなくなっていた。
今までは、恥ずかしげに振る舞い、スリップは着けたまま性技をしたので、お腹の傷も幸いまだ堀田に見られていない。
ユキは学業はそっちのけで、堀田マサキの薄暗い部屋や、彼の長く白い足と自分の足が絡み合った時の、汗ばんだ感触と臭いばかり思い浮かべるようになった。
まるで麻薬中毒者のように、その感覚の中にボンヤリと一日中浸っている。大学もサボリがちになった。
マサキに会えない日は、部屋にこもってオナニーでその世界に浸った。
堀田マサキとのセックスは、最初の2度は普通だったが、3度目からは、口を使ったり、ポルノ映画もどきの変わった格好をしたりで、少しサドマゾめいたものに変わっていった。
ユキは雑誌や映画で見た性の技態に興味があったので、少しづつユキの思い通りの方向に堀田を誘導していった。
最初は困った顔をみせたが、男として最も性がほとばしる年頃の堀田は、見事に本質的に持っていた、自分のいやらしさにハマっていった。
そしてそのいやらしさは、ユキを満足させ、より一層マサキとのセックスにユキをのめり込ませた。
9月も過ぎ、10月の半ばになると、やっとスキー部の集まりが再開し、学園祭に何をするかを決める事になった。
ユキにその事を連絡してきたのは星野だった。ユキは久々に星野ひとみの声を聞いた。相変わらず、澄んだ鈴をふるような声をしている…。
(イヤだな)と、ユキは思った。他の女の持つ、男に好かれそうな特質は、ユキにとっては全てが呪わしい。
そしていつも思うのは……(この女、その上お腹もスベスベなんだ!!)…と、傷の無いその綺麗な体を呪った。
ユキのそうした毒は、接した相手にも徐々に伝わっていく。今までもそうだったが、今回久し振りにユキと話した星野ひとみは、電話で話しただけなのに、強い毒を浴びたように、気分が悪くなっていた。
ユキのタールのようなどす黒い気持ちを伝える声が、トラウマになってしまっている……。
あの時、合宿の終わり頃………ユキと自転車で夕食の買い出しに行った。
帰り道、後ろから着いて来ているはずのユキが、振り向くといない。
初めての場所だから、道に迷ったのかと心配になり、ひとみはユキを探しながら懸命に自転車を走らせた。
突然、感高い声で名前を呼ばれ、ビックリしてそちらを見た瞬間……自転車は得意なひとみが、見事に自転車ごとひっくり返っていた。
ハンドルに胸を、コンクリートに腰をぶつけ、気が遠くなる程の痛みを感じ、とっさにそこが、両方とも女の大事な部分なのに気付き、ひとみは不安で気分が悪くなった。
しばらく起き上がれずにいるひとみを、そばに寄って来たユキが、声も出さずに自転車に乗ったままジッと見下ろしていた。
やっと起き上がった星野ひとみが、サドルの曲がってしまった自転車を起こそうと、目を道に向けると……林の中の小道には細いロープが張られていた…………
あの時以来、ひとみはユキの声が怖い。
だが、安堂ユキがロープを張ったと思う事もできず、ひとみは不安定な気持ちのまま東京に帰ってきた。
病院で検査すると、腰は打ち身だけですんだが、胸は六骨にヒビが入っていた。
思いがけず1ヶ月以上の長い通院となった。今まで病気とは無縁で、病気など行った事のなかった星野ひとみは、不自由な生活をしながらの通院が腹立たしかった。
(このまま不快な気持ちでいたくない)そう思ったひとみは、あえてユキに進んで連絡した。
そうする事でユキへのトラウマを消し去ろうと思った。
堀田の事も気になった。あの後、合宿に残って2人は、どうなったのだろう?
日毎に痩せて、青く暗くなっていった堀田の顔付きが忘れられない。
合宿所の夜中の廊下で、ユキらしい人影を見た時には、男に会いたい一心のユキを憐れみもしたが、ロープの一件以来、考えが変わった。
星野ひとみは、ユキと電話で話した後、壁にもたれたまま珍しくボンヤリと、窓ガラスを伝い流れ落ちていく水滴を眺めていた。
外では細い秋雨が音もなく降っていた。
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