第六章
夏の合宿が始まった。7月の終わりの海は、まるで二十歳の若者のように輝いている。
小学校のイメージが残る宿舎に入って、部員のみんなは、いつになく子供のようにはしゃぎ、くったくのない日々を送り始めた。
もともと夏の合宿は、冬しか練習できないスキー部がお互いがバラけないようにと親睦を深めるのが目的なので、何かをするという決まりもなく、全員好きな事をして毎日気ままに過ごしている。
誰が決めた訳ではないが、気の合う者同士いくつかのグループに分かれ、それぞれに責任者がいる。指示が無くても毎年のことなので、慣れた先輩部員が各グループをリードしていた。
ただし、部屋だけはグループで分けず、女子部屋と男子部屋とに分けられた。
会計係りの星野とユキは夜は同じ部屋だが、グループは星野は河合と一緒にサーフィンをする堀田のグループになり、ユキはサーフィンをしないので水泳主体の別のグループに入った。水泳のグループには、一年生のイキノイイ男子が多い。
女はユキと先輩の酒井の2人だけなので、ユキは嬉しかった。堀田のグループには、このところ顔を見せなかった小向が後から加わる予定だ。みんな久々に小向に会うのを楽しみにしている。
合宿に入って2日目の夕食後、海で花火をすることになった。
キモダメシを兼ねて、夜の海岸の決められた地点まで二人一組で順番に出向くことになった。
堀田は河合ミカと組んで、一番最後に宿舎を出る。今夜のミカは浴衣を着ている。ミカだけでなく他の女達もほとんどが浴衣姿になった。
ユキは着物姿に自信があるので、合宿が始まる前に先輩の酒井をそそのかして、この趣向を企画させた。
ユキは最初に出発する組なので堀田達よりは1時間程前に海岸に着いていた。
体を重ねたあの日以来、堀田が何の反応も示さないのでユキはじれている。
(何とかシナクチャ…)頭にはいつもその言葉がある。
合宿に来ても堀田をその気にさせることばかり考えているユキだ。
今夜こそ、堀田に自分が恋人だという事を分からせたい…その思いが激しかった。
他の仲間と一緒に早めに暗い海岸に着くと、わざと明かりは点けずに真っ暗な砂浜で次々に到着する連中を脅かし始めた。人が怖がるのを見るのが好きなユキは、このゲームがひどく気に入った。
しばらくは堀田のことも忘れ、せっかく着た浴衣を脅されて転び、砂まみれになってベソをかく女や、日頃すました顔の男が怯えた声を出すのを見て、夢中になって遊んでいだ。
最後に堀田が河合ミカとやって来ると知って、うんと怖がらせるために、みんなには隠れて一人、途中の河辺の小道で待ち伏せる事に決めた。みんなのいる砂浜を離れて、暗い闇を歩いて行く。ドドォ〜ン、ドドォ〜ンと怖いほどの激しい海鳴が真っ暗な闇に響き渡っている。ユキは小さい頃から、どんな時でも怖いと思わずに生きてきた。
普通なら誰もが不気味と感じる事も、ユキにとってはかえって楽しく思える。今もワクワクしながら、しばらく行った所で、道ばたの草むらに潜んだ。
その頃、堀田は河合と2人、大きめの懐中電灯を頼りに夜の道を進んでいた。
さすがの河合も少し怖いのか、いつもより大きな声でしゃべり続けている。
堀田は河合のそんな様子が可笑しくて、あまり恐さを感じずに歩いた。やがて2人は、ユキの潜む草むらの近くまでやって来た。
と、突然、一瞬ポッと輝くと、堀田の手にした懐中電灯が消えた。
「ワッ!!止めてよ!変な冗談!危ないじゃない!!」河合ミカが、本気で怒った。
堀田もビックリした。ワザと消したのではない、急に…消えたのだ。電池は点検して新しいのを入れてきた。
「オカシイナ〜?」いくらいじっても、電灯はつく気配がなかった。
「本当に消えちゃったの!?」河合の声は怯えている。
「どうやっても点かないや…どうする?」堀田がそう言ってミカを振り向いた瞬間、
「キャー!!」と、ミカが悲鳴を上げた……手で近くの草むらを指差している。
見ると、その先…草むらの上に、赤い光が沢山の小さなろうそくのように揺らめいている。
揺らめく灯の幾つかが、人魂のようにスーッと闇に流れては消える……。
「ワーッ!!」と堀田も叫ぶと、ミカの手を引いて急いで闇の小道を走り出した。
ユキはキョトンとして、そんな2人を見ていた。自分がまだ何もしていないのに、何を見たのか怯えた様子で逃げていく2人に首を傾げた。
「変なヤツら!何シテルンダロ?頭オカシインジャナ〜イ!」ユキは一人、闇の中で声に出してそう言った。
立ち上がったユキの頭上には、さっきよりは弱まったけれど、相変わらず正体不明の怪しい光が、不気味に揺らいでいた。
堀田と河合はやっとみんなのいる海岸に着いた。息を切らせて駆けて来た堀田達を、山根と星野が出迎えた。
「今夜の恐がり組一番は、お前らだな!」山根が堀田の肩を叩いて笑った。
そう言われて、いつもならやり返すはずの2人が、今夜は硬い表情のまま黙っている。いつもとは違う様子に気付いた星野が2人に尋ねた。
「何かあったの?」
「あった…」堀田はできるだけ落ち着いた声で、さっき川辺の道で起きた、不気味な現象を説明した。
「そりゃあ、誰かがお前ら脅すために、花火でも仕掛けたんだろう?」と、山根がしごく当たり前の顔をして言った。
そう言われてしまうと、違うと言い返す自信もない。2人はそれ以上何か言うことも出来ず首を傾げた。
「そうに決まってるさ!お前らが見事に引っかかったんで、相手は今頃喜んでるよ。それよりみんな揃ったんだから、景気よく、ありったけの花火上げて宿舎に帰ろうぜ!」
山根と一緒にみんなに声を掛けて花火が始まった。小ぶりの打ち上げ花火もあって、暗い海岸に時折散る火の花に、みんなの歓声が湧いた。
花火が上がって明るくなると、浴衣の女達の楽しげな顔が一瞬映し出される……。
堀田はその度に、星野の顔を探した。だが堀田の目に入ったのは、はしゃいでいるユキの横顔だった。
他の女達が若い娘らしく可愛い色気を振り撒いているのに、ユキだけは水商売の年増を感じさせる奇妙な色気だ。堀田はまた、不可解な気分におそわれた。
そんな堀田に気付いたのか、ユキが堀田を見て手を振る……。堀田は慌てて次に上がった花火を見上げた。
その晩はそれぞれの部屋で、怪談話に花がさいた。堀田たちが"狐火を見た"と誰ともなく話が広まって、その話で寝る前の一時を楽しんだ。
そうなると、いろんな怪談話が飛び出して、とうとうこの宿舎にも幽霊が出ると言うお決まりの脅しで沸き立った。
そんな話を聞いた後は、みんなが寝静まってからトイレに行くのは怖い。そう思うとかえって行きたくなって、星野の部屋では何人かで声を掛け合ってトイレに行った。
後から行った組が部屋に戻ると、怯えた顔をして星野を起こした。
「一番奥の部屋……廊下の所、何か白い物が動いてるんだけど…」
それを聞くと、さっき実際に夜道で怖い思いをした河合ミカは、もう沢山だという素振りで、タオルのシーツの下に顔を隠した。
「私、見てくるわ」と、星野ひとみが立ち上がった。行くのだけはやめた方がと、みんなで止めたが、星野ひとみはサッサと廊下に出て奥の部屋に向かって歩き始めた。
こんな時、確かに星野も気持ち悪さや恐さを感じるが、原因を突き止めたい気持ちがいつもそれに勝ってしまう。
母親の裕子に似て、ユキとは違う別の次元で星野ひとみも物に動じる事は無かった。
目を凝らすと、確かに部屋と廊下を仕切るガラス窓を、白い人影?が覗いている。
少し離れた所に立ち止まると、星野は低いがシッカリとした声を出した。
「誰!?」すると白い人影は、素早く廊下の窓から庭に出て、夜の闇に消えてしまった。
が、星野は確かに浴衣を見た……(女物の…白地に蝶の模様、安堂さんが着ていた浴衣)…
理由は分からないが、堀田と何か関係したことがありそうに思えた。
安堂ユキのためにではなく、堀田のためにこの事は黙っていようと、星野は思った。
ユキの消えて行った闇をじっと見つめていると、女の心の奥底に潜む魔を覗くような気がして急に怖くなってきた。
日頃は見えていないけれど、自分の心の奥底にもこの闇が潜んでいるのだろうか?だとしたら一生それは感じたくない…と、思う星野だった。
そしてほんのかすかに、堀田の"男"に対する嫌悪の情が滲み出てきて、闇の中に逃げた安堂ユキがかえって哀れに思えてしまうのだった。
「何も無かったわ」部屋に戻ると、星野はそう言って布団に横になった。廊下に出て星野の様子を見ていたみんなは、信じられないと言う顔でいる。
みんな星野のそばを横ぎる白い影を見たのだ。でも、その場所にいた星野に何も見えなかったとすると、
「やっぱり幽霊ガイルノヨッ!!」ということになり、その夜から、完全にこの宿舎は幽霊屋敷に認定された。