808 三十一歳 ギリアムの切り札
バークレイ王国側から提出された書類は、念のために毒が塗られていないかなどを外交官が確かめてからカニンガム伯爵の手に渡る。
まず彼が内容を確認している時、ギリアムが口を開いた。
「今の我が国はマカリスター連合に属しておりません。先ほどの文書はマカリスター連合の総意ではあるものの、私の考えというわけではありません」
「風向きが悪くなったから同盟国を見捨てて自分だけ助かろうとする者を信用できると?」
「それは同盟行動憲章の一文をお読みくださればおわかりいただけるかと」
「ほう」
アイザックはカニンガム伯爵に視線を移す。
彼がギリアムが何を言いたいのか、その部分を発見した。
「陛下、こちらを」
カニンガム伯爵はアイザックの前に書類を置き、気になった箇所を指差す。
そこにはこう書かれていた。
――この同盟はアルビオン帝国が存在する間、自動で継続される。
「おわかりいただけましたか? 私は同盟国を裏切ったわけではありません。アイザック陛下の手により、アルビオン帝国が膝を屈した時点でマカリスター連合は解散しているのです。私が代表として訪れたのは、かつての同盟国との義理を果たすためです。アイザック陛下が私を指名されたからでもありますがね」
――ギリアムの切り札。
それは同盟を結んだ時の条文であった。
彼はマカリスター連合加盟国の言い分を聞いた時点で、アイザックが怒るとわかっていた。
だから自国だけは助かるための手段を探し、アイザックが責めにくい言い分を用意していたのだ。
形だけだったのかもしれないが、エリザベスの婚約を申し出るくらいである。
この場を切り抜ければ、バークレイ王国の価値を認めて懐に入れてくれるかもしれない。
これはギリアムにとって、唯一無二の逆転の一手だった。
肝心のアイザックの反応は……
「なるほど、こう来ましたか。フフフッ、ハーッハッハッハッ」
――高笑い。
(これは……、やったか!)
アイザックが愉快そうに笑っているのを見て、ギリアムは「そのまま笑顔のままでいてくれ」と願った。
だがアイザックの心中は、愉快とは正反対だった。
(ちくしょう! これじゃあまとめて潰せないじゃないか! いや、ちょっと待てよ……。バークレイ王国が残ったままだと、エリザベスを嫁に出さないといけなくなるんじゃないか? どうして、なんでこんな事になったんだ!?)
――計画がいきなり崩壊した。
その事に困り、アイザックはただ笑って考えがまとまるまで時間を稼ぐ事しかできなかった。
そもそも彼にエリザベスをバークレイ王国へと嫁に出すつもりなどなかった。
妻達に「ちゃんと子供達の婚約者を探しているよ」という建前作りに過ぎない。
本当に婚約を認めなくてはならないとなると、まだ覚悟が決まっていなかった。
ひとしきり笑って考えをまとめると、アイザックはギリアムに微笑む。
「まずは謝罪を。どうやらギリアム陛下の事を見くびっていたようですね。申し訳ない」
アイザックが謝った。
その意味は大きい。
バークレイ王国は窮地を脱する事ができたと考えていいだろう。
ギリアムは蜘蛛の糸を手繰り寄せる事ができたのだ。
それも自力で。
これは非常に大きな意味を持っていた。
「マカリスター連合がどのような条件で条約を結んでいたかを知らねばわからぬ事。お気になさらず」
もちろん、ギリアムは表立って喜んだりはしなかった。
アイザックから一本取ったとはいえ、喜んで機嫌を損ねてしまっては意味がないので殊勝な態度を取り続ける。
「ではマカリスター連合ではなく、バークレイ王国としてはどのような対応をされるおつもりかな?」
「我が国は侵攻前の国境まで軍を下げて占領した領土を明け渡します。必要に応じて賠償金なども支払うつもりです」
「なるほど、敵意はないという事か」
「我が国の宿敵はアルビオン帝国であり、エンフィールド帝国ではありません。恨みがない以上、争う理由もありません。領土は返してほしいですが、それは武力による解決ではなく、対価を支払うなどの交渉による解決を望んでいます」
ギリアムは真っ当な答えをする。
それがアイザックには厄介だった。
適当な言い訳をしてくるようなら、そこを突いて追い込む事もできる。
だが誠実な対応をされると、アイザックのような搦め手が得意な者にはやりにくい。
個性が薄く普通の対応であればあるほど、罠に追い込めなくなってしまう。
エリザベスのためにも追い込みたいのに、追い込めない状況になってしまっていた。
「では他の国はどうする?」
「アイザック陛下の意向とマカリスター連合の役目は終わった事を伝えます。その上でどうするかは各国の考え次第でしょう」
「義理は果たすが、連合が解散している以上、責任までは負えない、か。妥当なところだろう」
(それじゃあ困るんだけどな!)
もし子供達が見学していなければ、なりふり構わず潰しにかかっただろう。
しかし、子供達がアイザックの事を見ている。
落ち度のない相手を厳しく責めるような姿を子供達に見せたくはない。
子供達にカッコイイところを見せたいという欲求が、今になってアイザックの足枷となっていた。
(……逆転の発想だ。祖父がまともなら、子供や孫も比較的まともな部類だろう。変な家に嫁がせずに済むと考えればいいのでは? 嫌だけど)
本当は滅ぼしたいところだった。
しかし、アイザックは本気でアルビオン帝国南部への遷都を考えている。
それならばバークレイ王国は近所となる。
グリッドレイ地方を統治するキンブル侯爵家などのように、東部の貴族との婚姻を進めるよりも近い。
それに由緒正しい家柄であるため、嫁がせる相手としては悪くはない。
ギリアムを呼び出すエサにするだけではなく、本当に婚約させる相手としては申し分ないはずだった。
アイザックが覚悟できていない事を除けば。
「それではアルビオン帝国の一件が終わったあとの事を聞いておきたい。バークレイ王国はどう立ち回るつもりかな?」
「できますれば同盟を結んでいただけないかと考えております」
「我が国と同盟を結べるのは、リード王国以来の同盟国であるコロッサス王国とトライアンフ王国だけでいいと考えている。同盟は無理だ」
バークレイ王国としては、エンフィールド帝国と同盟を結んで安泰といきたかったのだろう。
しかし、アイザックはそれを一蹴する。
そうなると彼らに残された道は戦うか、臣従するかの二つである。
最初の様子から、半端な答えをすると命取りになりかねない。
「では仮に臣従する事を選んだ場合、我が国はどのような扱いを受けるのでしょうか?」
半端な答えはよくないとわかってはいる。
わかっているが、さすがに無条件で降伏の道を選ぶ事はできなかった。
まずは降伏するという仮定で、条件を聞き出そうとする。
「国の広さを考えれば侯爵位といったところか。他の貴族も降爵にする。もっとも、ウェルロッド公とウィンザー公の報告次第では、エリザベスの嫁ぎ先として公爵位を授ける可能性も残っている」
だがアイザックも、条件を尋ねてくる事を咎めはしなかった。
さすがにそこを責めるのは難しかったからだ。
(これだけ慎重なら、エリザベスをいじめたりもしないだろうな)
ギリアムの慎重さは、アイザックにとって残念な事にプラス評価となっていた。
クズであれば「やっぱりやーめた」と言う事もできただろう。
しかし一度前向きに考えると、悔しいながらもバークレイ王国は婚約の選択肢として悪くはなさそうに思えてくる。
アーチボルドやヴィンセントのように癖の強い者と接してきたせいか、ギリアムぐらい薄味だと相対的に良く見えるからだ。
「その件については、ウェルロッド公達がエリザベスの嫁ぎ先にふさわしいかを見極めてから答えるといいだろう。どうせアルフレッド派が支配するアルビオン西部を取り戻すまでは、マカリスター連合に所属していた各国と接する事もない。国境を接した時にもう一度確認の使者を送るとしよう」
「ではマカリスター連合加盟国への返答はなしという事でしょうか?」
「いや、前もって伝えておいてほしい事がある」
「どのような内容でしょうか?」
アイザックがニヤリと笑う。
「各国の言い分は理解した。ではアルビオン帝国で起こっている内戦が終わった時、各国が支配している地域で新たに国境を制定するとしよう」
「本当にそれでよろしいのですか!?」
「もちろん」
当然、ギリアムは驚いた。
――今のアイザックの言葉に嘘偽りがないのなら、最初に「盗人猛々しい」と非難したのはなんだったのか?
ギリアムは周囲を見回す。
誰もが「最初と言っている事が正反対だ」と驚いていた。
ザック達も何を言っているのかわからない様子だった。
ただ一人、カニンガム伯爵だけがギリアム達を憐れむような表情を見せていた。
(カニンガム伯は道中、様々な事を教えてくれた。外務大臣をやってはいるが、根っこのところは人が良い。その彼が我らに対して、わざわざあのような表情を見せるという事は……。言葉通りに受け取ってはいけないという忠告か!)
最後の最後で、ギリアムはマカリスター連合各国が求めている答えをアイザックから引き出せた。
しかし、それが本当にいい事なのか見当がつかなかった。
考えれば考えるほど、むしろ悪い事のように思えてくる。
「今すぐすべてを決める必要はない。せっかく来ていただいたのだ。しばらく観光していかれるといい。新年のパーティーに参加して、エンフィールド帝国の貴族と交流を深めておくのもいいだろう」
「ご招待くださるのならば、喜んで出席させていただきます」
「では、すぐに招待状を用意しよう」
会談は、この一回だけではない。
何度か話し合う事になるだろう。
だがギリアムは、何度話してもアイザックの結論が変わらないような予感がしていた。






