791 三十歳 遷都
子供達の十歳式を気持ち良く迎えるため、アイザックは案件を早めに片付ける事にした。
その一つが「アイザックと過ごす時間」の落札者の対応だ。
まずは彼らを宮殿の庭に呼び出した。
――落札者はセラドン商会。
アーク王国で木材を取り扱っている大手の商会だった。
平民の反乱で荒れた北部に本拠を置いていたので、今の彼らにとって五千万リードは大金のはずだ。
その金を使って会いに来るのだから、それなりの理由もあるだろう。
アーク王国民なので、万が一の事態を想定して、近衛騎士にも気合が入る。
「客人が到着いたしました。庭園に案内しているところです」
「わかった。では少ししてから行くとしようか」
いつものアイザックなら彼らを待っていただろう。
しかし、相手は他国の平民である。
皇帝が平民を待っているなど、本来あってはならない事だ。
皇帝らしい振る舞いをしてほしいと周囲から言われたので、今回は相手を少し待たせる事にした。
「……そろそろいいかな?」
「まだです」
アイザックは貴族として生まれて三十年。
それでも彼は待ち合わせで人を待たせる事に、いまだ慣れていなかった。
当然、側近はアイザックの性格を知っているため、もうしばらく我慢するようにと進言する。
「うーん、相手が平民でもあまり待たせるのは悪いし、そろそろいいだろう」
言われた通り少し待ったが、アイザックが痺れを切らした。
これが対等な立場であれば良い心掛けで済むのだが、皇帝と商人とでは格が違いすぎる。
彼に威厳がないと思われやすいのも、こうした腰の軽さにあった。
「ではゆっくりと向かう事にいたしましょう」
「……わかった。そうしよう」
忠告してくれる周囲の意見を無下にもできず、比較的ゆっくりと歩いて庭園へ向かう。
「客人はセラドン商会長のノア。それと娘のティナの二人です」
「娘連れか……。年は?」
「三十前後かと見受けられます」
「なら娘を売り込もうと考えているわけではなさそうだな」
この世界では二十歳前後で結婚するケースが多い。
三十歳の娘なら、すでに結婚しているだろう。
娘を売り込むために落札した可能性は外してもよさそうだ。
(もうこれ以上妻はいらないからな)
アイザックは安堵する。
ビジネスライクな話だけなら大歓迎である。
心持ち、足取りが軽やかになった。
庭園に近付くと秘書官の一人が先行する。
アイザックの到着を知らせるためだ。
アイザックが庭園に着くと、二人は庭園の入り口で姿勢を正して待っていた。
「待たせたようだね。私がエンフィールド帝国皇帝アイザックだ」
「セラドン商会で会長を務めるノアでございます」
「娘のティナでございます」
二人はうやうやしく頭を下げながら名乗る。
そして彼らの視線が逸れた隙に、アイザックはティナの薬指を確認する。
(指輪を嵌めているな。よし!)
三十歳を過ぎていても未婚である可能性はあった。
その可能性がなくなった事をアイザック喜ぶ。
そうなると彼女が持っているカバンが少し気になった。
中身の安全は確認されているはずなので、武器などではないだろう。
このあと、その中身について触れてくるのかもしれない。
「頭を上げてくれてかまわない。少し歩きながら話そうか」
アイザックは皇帝らしい口調をしながらも、親しみを込めた声色で語り掛ける。
彼らはアイザックの後ろに続き、さらにその後ろに近衛騎士が付いていった。
「すまないな。ブリジットの時間を落札してもらったが、さすがに彼女と過ごす時と同じく護衛なしというわけにはいかないのだ。護衛の同行は認めてもらう。だが自由な発言を認めよう」
「私どもの出自を考えれば当然でございます。謝罪など不要です」
「そういってくれると助かる」
それからしばらくの間は雑談をしながら歩き、ガーデンテーブルのあるところで休憩する事にした。
「ところで本当の用件はなにかな? ただの陳情というわけではないだろう?」
「さすがは陛下、お見通しでしたか。実は提案がございます。遷都のお考えはございませんか」
「遷都か」
もちろん鹿の角を生やした少年の事ではない。
遷都とは首都の移転の事である。
ティナがカバンの中を漁る。
安全が確認されているとはいえ、近衛騎士達の間で緊張が走る。
取り出されたのは紙束だった。
「復興が進んでいるとはいえ、まだまだセントクレア地方には手つかずの場所が多く残っています。こちらの書類にはセントクレア地方の現状を記しております。あそこならば陛下好みの街並みを作り出す事が可能です」
「存在する街を壊して作り直すよりも安く、平民の恨みを買う事なく街作りができます。決断は復興が終わる前になさるのがよろしいかと」
「ふむ……」
彼らは遷都を提案するために、アイザックと過ごす権利を落札したらしい。
それならば高額の入札もわかる。
セラドン商会は、アーク王国北部で木材を取り扱っている商会だ。
遷都となれば大量の木材を必要とするため、彼らも大儲けできるだろう。
理由がわかれば、アイザックもやりやすくなる。
「今はまだいいが、子供達が成長すれば後宮も手狭になる。今よりも広い宮殿を作るという点でも遷都は理に適っている」
ノアとティナの目が輝く。
「だが、セントクレア地方に遷都するつもりはない」
(あそこはクレアにやるつもりだからな。遷都してしまうとあげにくいじゃないか)
しかし、アイザックにはアイザックなりの考えがあった。
それによって彼らの提案は一蹴される。
「なぜか理由をお聞かせ願えますでしょうか? 水害があったとはいえ、エルフのおかげで治水工事は終わっています。それに肥沃な土地なので食料に困る事もありません。そしてなによりも土地を思うがままに開発しやすいと好条件が揃っています。セントクレア地方は今、最もお勧めできる土地なのですが……」
「好条件は揃っている。だが一国の首都は今お買い得だからという理由で決めるべきではない。領都としてなら今の意見も認めるが、首都は例え開発に苦労しようとも、百年後を考えて最も国家の発展に寄与する土地を選ぶべきだというのが私の考えだ。セントクレア地方は、その条件から外れている」
アイザックも遷都を考えなかったわけではない。
子供が大きくなって結婚してからも後宮に住まわせようとすると、どうしても今の宮殿では手狭になる。
だから広い場所に遷都する必要を感じていたからだ。
実はセントクレア地方を「聖クレア! 素晴らしい名前の土地じゃないか!」と考えた事もあった。
しかし、あそこは内陸部である。
経済の発展などを考えれば海の近い場所がいい。
豊臣秀吉が大坂を、徳川家康が江戸を開発したように、アイザックも遷都するなら海に近い場所に遷都したいと考えるようになっていた。
だからセントクレア地方は、娘のクレアにあげる土地として、すでにアイザックの中で決まっていた。
「それでは……、遷都するのにふさわしい土地はどこだとお考えなのでしょうか?」
ノアはすがるようにアイザックの意見を聞こうとする。
セントクレア地方に遷都してくれるのが一番だが、ダメならダメで次の一手を打つチャンスが欲しかったからだ。
「ファラガット地方かグリッドレイ地方。もしくはアルビオン帝国南部、といったところかな」
「帝国東部にアルビオン帝国南部……。海に近い場所をお考えというわけですか?」
「私は多くを望まない。首都に求めるのは一つ。平民であろうとも、金さえ出せば便利な暮らしができて誰もが住みたいと思う街だ。できれば世界各地の珍しい特産物を手に入れられる豊かな街を作りたい。そんな街を首都にしたいと考えている」
(ずっとコンビニが欲しかったからなぁ……)
アイザックが命じれば、夜中でも料理人は望む料理を作ってくれるだろう。
だが、そうした命令は気が引けるので、なかなか命じにくい。
当然ながら、この世界の街には二十四時間営業の店などない。
せいぜい酒場が開いているくらいだろう。
貴族暮らしの長いアイザックでも、立場が許すなら気兼ねなく菓子パンを買いに行けるような店が欲しいとずっと思っていた。
そしてもう一つ、海に近いところがいいと考えたのは新鮮な食べ物を手に入れるためである。
陸路よりも海路のほうが遠くまで早く、大量の荷物を運ぶ事ができる。
宮殿が海に近ければ、エンフィールド帝国では手に入らない珍しい果物などを子供達に食べさせてあげられるようになる。
そういった点でも、遷都はアイザックにとって十分視野に入るものだった。
だが、ノアとティナにとっては違った。
アイザックの言葉は「平民でも金を出せば遠い場所の特産物を買える、暮らしやすい街を作りたい」と聞こえていた。
ここまで平民の事を考える皇帝など珍しい。
良くも悪くも、生粋の上位貴族出身の皇帝とは思えない考えの持ち主にしか見えなかった。
「さすがはアイザック陛下。そこまでお考えだったとは……。セントクレア地方への遷都など申し出る必要などございませんでしたか」
「いや、セントクレア地方も悪くはない。あそこに本拠を構えているのなら、自分達の利益と故郷の復興も兼ねて提案する事は理解できる。ただもっといい場所があったというだけだ」
一応は客人であるため、商人らしい行動を咎めたりせず、アイザックもフォローをする。
「それでは陛下は、いつ頃遷都をお考えなのでしょうか?」
「戦争が終わってからではないとなんとも言えないな。それに遷都するともしないとも言えない。遷都するとなると一大事業だ。それだけ国家予算に余裕がなければ簡単には決断はできない問題だ。そもそも復興事業で木材は十分に需要があるはずだから、あまり期待しないでほしい」
「いえ、ただ遷都に適していると思って、これは是非とも提案するべきだと考えただけです。国家百年の計のための提案であり、私利私欲というわけではございません」
「そうか、それはすまなかった」
ノアも体面を守るために「私利私欲ではない」と否定する。
だが、実際は遷都による大量の需要を期待していた事は否めない。
とはいえ、彼らも今回の会談で利益がないというわけではなかった。
(ファラガット地方やグリッドレイ地方だと厳しいが、アルビオン帝国南部ならばまだ近い。木材を売りつける事は十分可能だ。それにもしアルビオン帝国を越えて、さらに西へと攻め込むのなら……。アルビオン帝国に遷都したほうがエンフィールド帝国全体に目を通しやすくなる。船を利用したいというのも、ファラガット地方など東部との連絡を取りやすくするためと考えれば……。アルビオン帝国南部への遷都もありえるな。降伏後にどんな動きをするのか要チェックだ!)
ノアは、まだまだ千載一遇のチャンスが残っていると考えた。
もしアルビオン帝国南部の貴族が一掃されるような事があれば、それはそこを直轄領にして遷都する準備を整えるという事である。
その時期に木材を大量に調達する事ができれば一財産築く事ができるだろう。
(これからアイザック陛下の動きを見逃す事はできないぞ! 一挙手一投足をしっかり見張らなければ!)
彼はそう決意する。
だが彼よりも早く、アイザックの行動を見張っている者達がいた。
「女の人は三十代で既婚らしいわよ」
「なら大丈夫そうね」
――パメラ達である。
彼女達は王宮の窓から遠眼鏡でアイザックを見張っていた。
「商人が娘を連れて会いに来る」と聞いて、ライバルが増えたりしないかを見張っていたのだ。
大丈夫そうだったので、アイザックの時間を売ったブリジットも安心する。
「人間の三十歳っておばさんでしょう? 若い娘ならともかく、おばさんと結婚なんてしないでしょ」
安心したせいか、彼女は口を滑らしてしまう
ブリジットに周囲から厳しい視線が集まり、彼女はたじろぐ。
「私達も三十歳なんですけれど? リサさんは三十五歳ですよ」
「それは……、ごめんなさい」
ブリジットもマズイと思ったのか、素直に謝る。
「ブリジットさんが陛下の時間を売らなければ、こんな心配をしなくて済んだのですよ」
「それもごめんって」
ロレッタの言葉にも素直に謝った。
「まぁもう済んだ事ですし戻りましょうか」
軽く溜息をつきながら、パメラが解散を言い出した。
ティナが新たなライバルにならなさそうなので、彼女達は見張りをやめてこの場を立ち去る事にした。
ブリジットは「ヤバイ事をしちゃったかも?」と焦りながら、ノアが若い娘を連れてこなかった事を神に感謝していた。







