781 二十九歳 降兵の取り扱い方
いいご身分だな、俺にくれよ ~下剋上揺籃編~ 1
2025年10月14日発売!
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ファーネス元帥の攻勢は、気球からの報告でウィルメンテ公爵も把握した。
だが動きを合わせるにしても、前を阻む塹壕が問題になっていた。
(銃兵は塹壕の突破に不向き。擲弾兵も手榴弾から迫撃砲とかいうものに装備を変更したから塹壕への攻撃が難しくなった。塹壕を越えて助けに行くのは難しいな。こちらからできる事といえば……)
――遠距離攻撃は大陸一の威力を持っているが接近戦ではイマイチだ。
自軍の強みであると同時に弱点となる部分が足かせとなっていた。
そこをどう対処するのかが指揮官の腕の見せ所である。
「大砲に銃兵を護衛に付けて、塹壕の二百メートル手前まで進ませろ。そこからなら大砲が敵部隊に届くだろう。ロケット砲はこのまま砲撃。塹壕に潜む敵の頭を押さえておけ」
従来の装備と違って、大砲ならば遠距離支援ができる。
突破が難しいなら支援を行えばいい。
そのため塹壕の向こうまで届きそうな距離まで近づくように命じた。
だが命じられたほうはたまったものではない。
「この中を突っ切れっていうのか!?」
大砲隊を任されているポールは、眼前の光景に注目しながら眉をひそめる。
ブランドン軍の兵士が大勢倒れている。
死屍累々といった状況だ。
大砲の車輪が引っかかってしまうかもしれない。
まともに進む事はできないだろう。
「何も死体の中を進む必要はないか……。少し北側を迂回しよう。銃兵隊長のスティーブン卿に先行してほしいと伝えろ」
――急がば回れ。
最短距離で死体の中を進むよりは迂回したほうがいい。
急げとせっつかれるかもしれないが、これはどうしても譲れない事だった。
「まずは五十門だけ移動し、砲弾を載せた馬車の同行も最小限にする。残りは順次あとから付いてくるように。まずは少数でもいいから支援できる場所への移動を最優先とする」
ポールは支援を行うという事を最優先とした。
全部隊使えなくともいい。
ブランドン軍が混乱すれば、それだけでもファーネス元帥の助けになる。
「支援砲撃を受けた」という事実が重要なのだ。
彼もこれくらいの事はわかるようになっていた。
大砲隊が移動の準備を行っていると、後方からアルビオン帝国軍の兵士が間をすり抜けるように前方へ移動していく。
彼らが物珍しそうに大砲を見つめてくるので、なんとなく大砲隊の兵士は緊張してしまう。
「こりゃあひでえ……。生きている奴はいるのか?」
「死んでたほうがマシだな……」
彼らはブランドン軍の中から生存者を探すために派遣された者達だった。
大砲の砲弾で撃たれた者は身体がちぎれ飛ぶなど、肉片を周囲に飛び散らしている。
これでは体が五体満足であっても、生きているとは限らない。
しかし、うめき声はそこら中からしているので、生きている者もいるのだろう。
その幸運な者を探しに向かう。
まずは槍の石突――刃の付いている反対側――で死体を軽く突いて反応を確かめる。
「俺達は助けにきた! 生きている奴は声を出すか手を動かすかしろ!」
「武器は捨てろよ! 死んだふりして襲いかかってくる奴は遠慮なくぶっ殺すからな!」
彼らは叫びながら生存者を探す。
ある者が、仰向けに倒れながら片手を挙げる者を見つけた。
生存者に駆け寄ると、救助にきた兵士は顔をしかめる。
「うわぁ……。これは矢じゃないな。なにか食らって穴が開いてる。これでよく生きていたな。トドメを刺してやったほうがいいんじゃないか?」
目に一発、胸に二発も銃弾を食らいながら生きていた。
それはとても幸運と呼べるものではない。
これまでなら助かる見込みのない重症を負って、ただ長く苦しんでいるだけに過ぎなかったからだ。
「生きていれば助けられるそうだから連れて行ったほうがいいんじゃないか? この傷で助かるっていうのなら、一度その現場を見てみたい」
「それもそうだな。連れて行くか。暴れたりしてくれるなよ」
二人がかりで一人の負傷兵を担ぎ、後方へ連れて行く。
大砲隊がいたところまでエルフが出てきており、そこには他の兵士が先に負傷者を治療させているところが見えた。
腕を失っていた兵士の腕が元通りになり、元気に起き上がるのが見えた。
「おいおい、マジかよ! スゲェ、なんていうか……。スゲェ!」
「お前、ツイてたな。エルフの魔法なら助かる――ぞ……」
エルフの目の前まで到着したところで、負傷兵の力が失われた。
素人目にもギリギリ間に合わなかった事がわかる。
「エルフさんよ、さっきまで生きていたんだがダメかい?」
「魔法で死者を生き返られる事はできない。できたとしてもそれは禁忌だろうな。申し訳ないが生きている者を探してきてくれ」
せっかく生存者を見つけたのにと、救助兵はガックリときた。
「ついさっきまで生きていたんですよね?」
そこに近くにいたエンフィールド帝国軍の衛生兵が話に首を突っ込んでくる。
「ああ、本当にそこまで生きていた」
「なら寝かせて、胴当てを急いで外してください」
「どうするつもりだ?」
「いいから早く!」
救助兵達の頭の中は疑問だらけだったが、渋々衛生兵の頼みに応じる。
胴当てを外すと、衛生兵は負傷兵の胸を一定のリズムで押し出した。
「おい、そんな事をやって何の意味があるんだ?」
「死んだばかりなら、これで息を吹き返す事があるそうです」
「そんな話、聞いた事ないぞ。エルフでも無理なのにできるはずがないだろ。誰だよ、そのホラ吹き野郎は?」
「アイザック陛下です」
衛生兵がキッと鋭い目つきで睨む。
ホラ吹き野郎と言ってしまった救助兵の目が泳ぐ。
しばらく気まずい沈黙が続き、その沈黙を破ったのは負傷兵の呼吸音だった。
「治療をお願いします!」
「ああ、わかった」
状況を見守っていたエルフも、死者が蘇った事に驚いていた。
それ以上に驚いたのは救助兵達だった。
「しっ、死人が生き返った!」
「聖人が神の摂理を曲げるとか、そこまでやっていいものなのか?」
自然の摂理に反する行為にドン引きしていた。
「今はそんな事はいいから、生存者を探してきてください。同胞であるあなた方のほうが信用して大人しく降伏してくれるはずなんですから!」
「ああ、まぁ、そうだな」
彼らは何度も首を傾げ「マジかぁ」と呟きながら新たな生存者を探しに向かった。
アイザックが試験的に初歩的な救命措置を教えておいたおかげで、生死の境を彷徨う者を救う事ができた。
この教えは「治療魔法が使える者が到着するまでの時間を稼ぐ救命措置」として、今後広く知られていくものだった。
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ファーネス元帥が率いる軍と戦っていたブランドン軍は、塹壕を越えて砲撃されるようになって撤退した。
二万ほど引き連れて逃げられたが、三万の死傷者と十一万もの兵が降伏するという大被害を出した。
いくら大貴族が味方に付いていても、この被害は簡単には取り返せないだろう。
だが皮肉にも大量の捕虜が出たからこそ、彼は逃げる事ができたのだ。
武器を取り上げても、これだけの大軍を捨ておく事はできない。
ちゃんと処理しておかねば背後を脅かす存在になってしまうからだ。
最初の困難は乗り越えた。
あとはこの状況を上手く利用するだけである。
ヴィンセントの提案により、降伏した軍を率いる貴族をウィルメンテ公爵が呼び集めた。
「陛下、我が領地はモズリー侯の隣にあります。攻め込まれたら抵抗できないので、やむなくブランドン殿下に同行していただけです。こうして陛下のもとに馳せ参じる事ができた幸運を噛みしめております」
「私もです!」
「私も!」
ヴィンセントを前にして、次々と「陛下に忠誠を誓っているものの、生き残るために仕方なく従っていただけだ」と弁明する者が続く。
(白々しい嘘ばかり並べおって。だがこやつらの兵が必要だ。今は見逃すしかあるまい)
「わかっているとも。これからは私のもとで忠勤をしてくれるのだな?」
「もちろんです!」
「では頼むぞ」
はらわたは煮えくり返っている。
だが、まだまだ自勢力が圧倒的優勢というわけではないので、ヴィンセントは彼らを引き入れるしかない。
しかし、口先だけであっさり認めるつもりはなかった。
「ウィルメンテ公に頼んで、お前達のために見世物を用意してもらった。これを見れば裏切ろうという気も失せるだろう」
「裏切るなど、まさか、なぁ?」
「最初から、そのようなつもりはございませんでした」
貴族達は、ハハハと愛想笑いをしながらヴィンセントの言葉を否定する。
彼らの作り笑いは、装甲車の登場によって凍り付いた。
「これは装甲車といって、エンフィールド帝国軍の戦車のようなものだ。馬を使わずに動き、槍を弾き返す鉄板で鎧われている。しかも攻撃手段も凄いぞ。おい、あれを撃て」
ヴィンセントは打ち合わせ通り装甲騎兵に指示を出す。
装甲車の機銃で十メートルほど先に置かれたフルプレートの鎧を打ち抜く。
突然の銃声に貴族達は身体をすくめ、耳を手で覆う。
彼らの反応を見て、ヴィンセントはほくそ笑んだ。
「さて、そこの銃兵。徴兵されて何年になる」
「一年であります!」
「ではあそこにある鎧を撃ってみよ」
「かしこまりました!」
今度は若い兵士に声をかけ、的を撃たせる。
火縄銃で鎧を撃って穴を開ける。
「この武器は銃というもので、ボウガンよりも遠くにある堅い物を貫く事ができる。さて、狩りに行った事のあるものならわかるはずだ。遠くにある動く物に矢を当てるのは難しいという事を。だが銃ならば徴兵されて一年目の兵士でも騎士を打ち抜く事ができる。五年、十年と腕を磨き上げた騎士でも近づく事もできずに撃ち抜かれるだろう」
貴族達はヴィンセントの言葉を聞きたくなかった。
彼の話が意味するところは一つだからだ。
「エンフィールド帝国も二十万、三十万という兵士を新たに徴兵する事ができる。それらに銃を装備させたらどうなるか……。言わずともわかるな?」
――新兵でも熟練兵を倒す事ができる。
これは革命的な事だった。
騎士階級を始めとする武官の地位を揺るがしかねない大事件である。
武官寄りであればあるほど信じ難く、信じたくない情報だ。
そしてヴィンセントの決断など関係なく、アルビオン帝国とエンフィールド帝国の格付けが決定的となる情報でもあった。
「私もここまでだとは思っていなかった。だが空を飛ぶ事ができるのだ。地上ならこれくらいはできるのだろうと納得もしている。お前達も私の決断が正しかったと受け入れろ。そしてもう二度と逆らおうと考えるな。大人しく従う限り、アイザック陛下に口利きはしてやる」
「はっ!」
驚いている貴族達に、もう二度と裏切るような気にならないよう釘を刺す。
これで彼らはブランドンに協力しようとは思わなくなるだろう。
(もっとも、領地を安堵されるかはわからんがな)
彼らの力は利用するが、それだけである。
ヴィンセントは「アイザックに口利きをする」と言ったが、それ以上の事はしない。
領地を安堵されるか、取り上げられるかはアイザックの決断次第だ。
彼らが不満を持ったとしても、それはアイザックの決断に文句を言うしかない。
なぜならその頃にはヴィンセントも皇帝ではなく、属国の王か貴族になっている。
「皇帝陛下のご裁可に一家臣が異論は言えない」と言い逃れするつもりだったので、裏切り者達がどうなろうと知った事ではなかったからだ。
裏切り者を無条件で赦すほど、ヴィンセントは寛大ではない。
珍しく温情を見せた彼の事を信じるのではなく、彼らはもう少し警戒するべきだった。