780 二十九歳 崩壊の序曲
「なんだ、なにが起きている!?」
ブランドンが叫ぶ。
高い場所から眺めていたが、中央の部隊が瞬く間に崩壊していく。
残った半数に満たない兵士が後退し、塹壕のある場所まで逃げ帰ってきていた。
まるで彼らを追うようにエンフィールド帝国軍も前進してくる。
「ブラーンドーン♪ エンフィールド土産を受け取ってくれ」
「父上!?」
エンフィールド帝国軍のほうからヴィンセントの声が聞こえたので、峡谷から脱出していたのだろう。
だがそれよりも、今まで聞いた事のない上機嫌な声でブランドンに語り掛けてくる事に驚いていた。
彼の声に呼応して、遠方から大きな火矢が放たれた。
それは塹壕前面にある土壁を高い弾道で越えて降り注ぐと、次々に小規模な爆発を起こしていく。
多くの悲鳴が挙がり、兵士達が散り散りになって、さらに後退していくのが見える。
「あれがエジンコートの言っていたアイザックのオルガンか? 大袈裟な表現をしているのだろうと思ったが……」
投石器やバリスタなどとは比べものにならないほど遠くから、比べものにならない破壊力を見せている。
まるで美しい流星群が地上を破壊しているかのような錯覚を覚える。
その塹壕付近の兵士は、そんな錯覚など覚えている余裕などなかった。
「まただ! また降って来た! もう嫌だ!」
「こんなところにいられるか! 俺は逃げるぞ!」
「待ってくれ、俺も行く」
時折、塹壕の中にもロケット弾が落ちてくる。
ここも安全な場所ではないと、一部の兵士が逃げ出そうとする。
それにつられて他の兵士も塹壕から抜け出そうとして、ロケット弾の被害に遭った。
精密射撃のできない兵器だ。
塹壕の中に落ちるよりも、その周辺に落ちるものの方が多い。
それを頭ではわかっている者もいたが、いざ爆発音に囲まれると恐れおののいて逃げ出してしまう。
冷静でいたのは、やはりベテラン兵士だった。
「おい、新米。こういうのはな、一回落ちたところにはなかなか落ちないもんだ。こっちに来い」
ベテラン兵士は塹壕内に落下したロケット弾の着弾地点に座っていた。
問題があるとすれば、そこにいた者の遺体が残っている事だろうか。
徴兵されたばかりの兵士には、遺体に近づく事も難しい。
極度の緊張で嘔吐している者、恐怖で体が強張って動けない者達は「なんて豪胆なんだ」と遠くから眺めている事しかできなかった。
しかし、時には同じ場所に落ちる事もあり、彼らはベテラン兵士達が吹き飛ぶ様を見せつけられる。
「ひいぃ、もうやめてくれぇ……」
「神様、これからエンフィールドの神様を信じます。どうか助けてください」
退くも進むもできない者達は塹壕の中で頭を抱えて突っ伏しながら祈る事しかできなかった。
彼らに共通した願いは、この暴風が一刻も早く止んでくれる事だった。
そんな彼らの願いとは違うものの、ブランドンも切実に願っている事があった。
「右翼と左翼はどうした! エンフィールド帝国軍が中央部隊に集中している間に左右から攻撃を仕掛ければまだ勝てるかもしれんだろう! 攻撃命令を再度出せ!」
ブランドンは旗を振らせて攻撃するように命じる。
だが両軍とも動かなかった。
それどころか少数のエンフィールド帝国軍に怯えて道を開けているようにすら見えた。
「奴らめ裏切ったのか!」
彼は激怒する。
彼はまだ、自身が勝てるかもしれないと後ろ向きな考えを持つようになっていた事に気づいていなかった。
前線と距離が離れている本陣にいる彼ですらそうなのだ。
エンフィールド帝国軍と対峙している指揮官や兵士が怯えるのも無理はない。
アイザックの「敵の数が多い場合は徹底的に一部隊を狙ってドン引きさせる」という作戦が成功したのだ。
自分の利権に関わる貴族達はともかく、兵士達の戦意はとことん落ちていた。
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一方、峡谷に立てこもるファーネス元帥達も唖然としながら、この光景を眺めていた。
「おいおい、アイザックのオルガンが死の嵐を撒き散らすだったか。今回ばかりはエジンコート将軍の報告が正しかったようだな。それ以外の言葉が出てこないぞ」
「しかも気球で観測して随時狙いを変えています。あのように的確に固まっている場所を狙われたらたまったものではないでしょう」
「いや、それよりも発射速度だろう。投石器などとは比べ物にならない速度で撃ち続けているぞ」
「しかも火炎魔法のように爆発して周囲の兵士を倒している。あれがエルフの魔法か?」
「噂では人間だけで運用している兵器らしいぞ」
「エルフの魔法なしで、あれだけの被害を与えられるなど末恐ろしいな」
彼らはただただ驚くばかりだった。
「私の時にはあんなものは使われなかった。おそらくエジンコート将軍との戦いで使い果たしていたのだろう。数は有限という事だな。もっとも一度あんなものを見てしまっては、いつ使われるかわからなくなって戦術の自由度が失われてしまうから、数に限りがあるとわかっても救いはないがな」
なすすべもなく一方的に叩き潰されるなどごめんこうむる。
ファーネス元帥は塹壕を吹き飛ばすロケット砲の威力を見て「あれを使われるのが自分でなくてよかった」と思った。
「これを見る限りではヴィンセント陛下のご判断は正しかったとしか……」
「陛下の慧眼はさすがですな」
周囲からヴィンセントの判断に対する賛同の声があがる。
内心では反対していた者達も、装備の歴然とした差を見せつけられると考えも変わる。
最初に降伏しようと言い出すのは武人として気が引けるが、あのヴィンセントが降伏すると最初に言っているのだから賛同しやすいというのもあった。
ファーネス元帥もヴィンセントに感心していたが、今は彼の仕事をするべき時だった。
「よし、全軍打って出るぞ! 敵軍が立ち直る前に追い打ちをかける!」
彼が命令を下した事で、呑気に戦場を眺めていた者達も現実に引き戻された。
慌ただしく各所に伝令を送り始める。
「まさかここまで一方的な状況になるとはな。勝利を確信していたであろうブランドン殿下には同情を禁じ得ない。だがこれも戦争だ。結果は受け止めていただかねば」
「そういえば閣下」
「なんだ?」
「ヴィンセント陛下は王都上空を飛ぶ飛行機という空を飛ぶ乗り物を見て降伏を決められたそうです。という事は、陛下が降伏を決意されるほどの恐ろしい兵器がまだ残っているのですよね?」
「……そうなるな。エンフィールド帝国軍の底がなかなか見えん。昔はそれほどの強敵ではなかった」
側近の一言で、エンフィールド帝国軍の恐ろしさをまた思い知らされる。
今のようになった原因は一人しかいない。
「アイザック陛下が即位してから――いや、即位する前からか。そういえばウェルロッド公爵軍が奇怪な武器を使うという噂が流れていた時期もあった。エルフの魔法を見間違えたのだろうと思っていたが、十年ほど前から準備を整えていたのか」
「各国から錬金術師を集めていたそうですし、奴らを使って上手くやったのでしょう」
「卑金属から貴金属を作り出すという夢想家共をどう使えば……。まぁ、あのアイザックのオルガンは妄想の産物のとも言えるか。妄想を実現する頭脳がアイザック陛下にはあり、錬金術師を手足として上手く利用したのかもしれん。ヴィンセント陛下も優れた頭脳をお持ちではあるが、あんなわけのわからない兵器を作れはしない。どれだけ多才なのだか」
「ウェルロッド公爵家三代の法則、というものでしょうか?」
「ならば先代ウェルロッド公もやっていたであろう。ウェルロッド公爵家という枠を超えた、ただの化け物に違いない。政治や軍事に秀でた者はどこの国にもいるが、あれほど多彩なのは世界中でも稀な存在だろう。我が国に生まれていれば、皇女殿下の誰かを娶って皇太子に指名されていたかもしれんな」
ヴィンセントなら、アルフレッドの代わりにアイザックを皇太子に指名しかねない。
即位前の実績だけでも、彼が思い切った決断をした可能性はあった。
すでに偉人と呼んでもいいだけの人物ではあるが、それだけに不安もある。
「それほどのお方にこれから仕える事になるのですよね……」
――偉大過ぎる皇帝にどう見られるのか?
取るに足らない存在だと思われたらどのような扱いを受けるのか、という不安はどうしても残る。
誰もがアイザックのような英雄ではないのだから。
ファーネス元帥は部下の緊張を感じ取っていた。
「捕虜になっていた時に何度か会う機会があったが、平凡な者は平凡なりにできる仕事を与えるなど、アイザック陛下は下々の者への配慮が行き届いている。ヴィンセント陛下よりは失敗にも寛容だろう。だが努力を怠る者には厳しいタイプだと感じた。だから今はやるべき事をやろう。ブランドン殿下を捕縛できずとも、ここで勝利に貢献すれば十分なアピールとなる。心配よりも行動だ」
「はい! やってやりましょう!」
ファーネス元帥の話を聞いていた者達はやる気を出した。
それを見て彼も安心する。
(食料が尽きる前に勝負を決められそうでよかった。エンフィールド帝国軍の装備は完全に誤算だったが、良い方向に動いたと思う事にしよう)
ジリジリと包囲網を狭められていたところを一気に逆転できる。
ファーネス元帥は勝ち組に付けた事に安堵し、かつての仲間達に少し同情した。






