776 二十九歳 ヴィンセント危機一髪
アルビオン帝国南東部、国境沿いにマコーミック男爵領。
その領都までヴィンセントは退避していた。
「さて、エンフィールド帝国に援軍を求めようと思うが、どの程度要請するかだな。意見はあるか?」
まず彼は側近達の意見を求める。
やはり彼らは悩む。
少数では意味がないし、多数ではヴィンセントの価値を落とす事になる。
エンフィールド帝国に頼り過ぎず、自力でアルビオン帝国を支配できる事を証明しなくてはならない。
そのためには、エンフィールド帝国全軍を派遣してもらうわけにはいかなかった。
「エンフィールド帝国が応じるか次第ではありますが、例の新兵器部隊を派遣してもらってはいかがでしょうか? 十万、二十万という規模にはならないはずですし、エンフィールド帝国の力を貴族達に見せつける事もできます」
側近の一人が意見を出すと、ヴィンセントはうなずいた。
「その事は考えていた。だが興味本位で新兵器の力を見てみたいという感情と、計算で弾き出したのかの区別がつかなくてな。お前もそう考えたのなら、悪くない考えなのだろう。他の者達はどうだ? 他の意見はあるか?」
「私もその意見に賛成ですが、新兵器の力を見てみたいという気持ちもあります。そもそも陛下が飛行機という新兵器の力を評価して降伏を決断されたのですから、その力を我らが確認する。他の貴族達に確認させるというのは重要な事ではないでしょうか」
「陛下に降伏を決断させるほどの力なのです。興味を持たぬ者がおりましょうか」
「ブランドン殿下に新兵器の力を見せつける事で矛を収めるかもしれません。それに実態が大したものでなければ、こちらが考え直すという事もできます」
新兵器の力を見てみたいという者が多かったが、中には「その実態を確認するいい機会だ」と考える者もいた。
その意見を言った者に視線が集まる。
「新兵器の力が大したものでなければ考え直す、か。私にアルフレッドやブランドンに頭を下げろというのか?」
ヴィンセントが嫌味ったらしく答える。
「違う意味に聞こえましたでしょうか? 国を二分どころか三分にした責任は取らねばなりません。新兵器の力が凄まじいものであったのならば、それ見た事かと胸を張ればよろしいのではありませんか?」
彼の側近は怯える事なく答えた。
ヴィンセントの側近には大きく分けて二種類いる。
――優秀である者と臆さずに意見を述べる者。
ヴィンセントは功績主義者ではあるが、それだけではない。
度を過ぎなければ耳に痛い意見も聞き入れる度量があった。
そして今回は限度ギリギリのものであったので、彼の首を刎ねるような事はしなかった。
「……それも仕方あるまい。まずはアルビオン帝国の事が最優先だ。無駄な内戦を収める事ができるのならば頭を下げるくらいはしてやろう。まったく、貴様のせいでエンフィールド帝国の実力が本物であって欲しいと考えてしまったではないか」
ヴィンセントがおどけた事を言ったので、場の雰囲気が和やかなものとなる。
そこへ知らせを持った者が駆け込んでくる。
「大変です! 北、三十キロの地点まで一万を超える数の軍が接近しているそうです!」
「なんだと! カレドンはなにをやっている! ……数千の兵しか与えていなかったから勢いに飲み込まれでもしたか」
アルビオン帝国東部の国境付近。
そちらに大軍は送ってこないだろうと考えていたが、どうやら考えが甘かったようだ。
わかっているだけで一万。
総勢を考えれば、もっといるだろう。
ここにはヴィンセントの護衛である近衛騎士団二千名しかいない。
このまま南下されれば危険である。
そして周囲にはすぐ対応できる軍はいない。
「補給部隊の通り道となっているここをただで明け渡すわけにはいかん。エンフィールド帝国に援軍を要請するしかあるまい。まずは国境付近にいる部隊に援護を求める使者を出すと同時に新兵器部隊の派遣を求める使者を出そう」
さすがにこの状況はまずいと考えたヴィンセントは、なりふり構わず援軍を求める事にした。
国境に接するマコーミック男爵領が占領されれば、前線への補給が遠回りしなくてはならなくなる。
補給の遅れは戦局に大きな影響を与える。
なんとしてでも守り切らねばならない場所だったからだ。
さすがにヴィンセントも逃げる事はできず、兵の士気を高めるために彼は残る事にした。
危機的状況なだけに、彼も覚悟を決めたのだった。
----------
いざという時のためにアーク王国側の国境付近に駐留していたウィルメンテ公爵のもとに、ヴィンセントの使者が到着する。
「可能性はあると言われていたが、とうとうアルビオン帝国に進軍する日が来たか」
ウィルメンテ公爵が感慨深げに呟く。
これまでアルビオン帝国との戦争といえば、アーク王国内で行われるものばかりだった。
リード王国の長い歴史の中でも、アルビオン帝国内に入っての戦闘は一度も行われなかった。
それがエンフィールド帝国になって、わずか二年ほどで実現した。
しかも攻め込むのではなく、援軍として赴くのである。
数年前の自分に話しても、与太話としか思えないような事が実現しているのだ。
不思議な気分になってくる。
だがその気分にいつまでも浸っているわけにはいかなかった。
「急げば二日で到着できるだろう。騎兵を先に行かせて支援させよう。すぐに向かうと返事を出しておけ」
万が一に備えて、アイザックは軍の一部を援軍に送るために西部へ集めていた。
その大半が新兵器の運用部隊で、彼らだけでも三万人。
そこにウィルメンテ公爵軍二万を合わせて、計五万の兵が動けるようになっていた。
ウォリック公爵はアーク王国全体の指揮を執る必要があるため、その援軍を任されたのはウィルメンテ公爵である。
重要な部隊を任された事で、彼はアイザックの信頼を勝ち取れたと喜んでいた。
「竜騎兵も同行させるとしよう。あの装甲騎兵とかいう鉄の塊は随伴できそうか?」
「確かまだ試作段階なので高速移動はさせないほうがいいという話でしたが……」
「ああ、そうだったな。敵軍を驚かす決戦兵器であって、まだ武人の蛮用には耐えないだったか。あれを見るだけで敵軍が逃げ出すと思ったのだが、今回は仕方ないか。騎兵と竜騎兵だけを先に送る事にしよう」
彼らの話す装甲騎兵とは、新しく開発された装甲車の事だった。
ロールスロイス装甲車のような形で、初期の自動車に装甲版と機銃塔を取り付けたものである。
弓矢は防げるが、魔法は一発防げたらラッキー程度の装甲でしかないが、その装甲版の重みはフルプレートの鎧どころではない。
エンジンの馬力が低い事もあり、前進12km、後退6kmという遅さ。
しかも不整地で最高速度を出すと振動で車軸が折れるという大きな弱点があった。
それでも戦場に投入したのは「弓矢の効かない鋼鉄の馬車が迫ってくる」という恐怖を与えるという目的だけだった。
実用性はアイザックも期待していないため、現状では高価なおもちゃでしかなかった。
「ウォリック元帥から大砲やロケット砲を使用する際の注意点は聞いている。今回は必要とする時に使えないという事のないよう、残弾数に気を付けて運用しよう。上手く扱えれば陛下の覚えも良くなるだろう。新兵器部隊が増えるなら指揮官の椅子も増えるだろう。その椅子を逃すなよ」
ウィルメンテ公爵は自分の家臣達に発破をかける。
新兵器部隊を直接任されていなくとも、その運用方法を意見する事はできる。
積極的に意見具申する事で、手柄を立てられるウィルメンテ公爵も、意見を出した家臣のほうも、お互いにメリットを受けられる。
まだまだ運用方法が確立されていないため、手柄を立てるチャンスはいくらでもあった。
出世をエサにウィルメンテ公爵は家臣のやる気を引き出そうとしていた。
彼らはすぐに出陣に取り掛かった。
すぐに動ける部隊から順次西へ送り出していく。
ウィルメンテ公爵は援軍が到着する頃には、ヴィンセントが危機に瀕していると考えていた。
しかし、カレドン将軍のおかげで接近してきている部隊の歩みは非常に遅いものだった。
食料を徴発して進まねばならなかったため、物資調達で足が止まるからである。
エンフィールド帝国軍の到着を確認すると、彼らは慌てて北へと逃げていった。
ウィルメンテ公爵は追撃を行わなかった。
ヴィンセントの要請により、ファーネス元帥達への救援を優先したからだ。
一万ほどの兵士を北の守りに残し、彼らは北西へと進む。
その道中、ヴィンセントもウィルメンテ公爵も、新兵器の力がどのようなものか期待に胸を膨らませていた。