754 二十八歳 クロードの昔馴染み 前編
国土が広がれば文官の仕事も増える。
それは種族融和大臣になったクロードも同じだった。
「今度はアーク王国西部か……。たまにはゆっくりと温泉にでも浸かりたいな」
「仕方ないですよ。これだけ急速に支配地域が広がったせいで、国境を接するエルフの数も急激に増えたんですから」
ファラガット地方やグリッドレイ地方のエルフやドワーフ達との交渉が終わったわけではない。
まだまだ話す事は残っている。
それを部下に任せてアーク王国へ向かっているのは、こちらの初期対応を行うためだ。
話が進めば他の者でも交渉できるが、最初に信頼を得るのが一番難しい。
こればかりは責任者であるクロードがやらねばならなかった。
とはいえ、何度も東西を行き来するのは辛い。
みんなのためなので我慢できるが、少し弱音が出てしまうのも否定しがたい事実である。
「お前も忙しくて家族と会えていないんじゃないか?」
「まだ一年くらいですからね。子供も大きいので問題はないでしょう。なかなか土産を持って帰ってこないと不満は言われそうですが」
「それくらいならいいじゃないか。こっちは爺様と顔を合わせるたびに『嫁を連れ帰れ』とか言ってくるんだぞ。お土産代わりに女を連れてこいとか、どこの蛮族だか」
「マチアスさんは相変わらずですね」
土産と妻とでは持って帰る難易度が段違いだ。
マチアスの変わらぬ横暴ぶりに、二人は小さく笑う。
「一回、ファラガット地方で奴隷にされていた女性を妻にしようと考えたんだが、それはアイザック陛下に止められた」
「陛下が? ……なぜです?」
いくらアイザックでも、クロードの結婚にまで口出しするのはやりすぎである。
彼はその事に引っかかりを覚えた。
「私は彼女の事を可哀想だ。だからこれまで不幸だった分だけ幸せにしてあげたい。そう思ったんだが、陛下には同情で結婚しても相手を傷つけるだけだと言われたよ。言われてみれば彼女を好きになったのではなく、相手の境遇で結婚しようと考えたようなものだ。その事を彼女が知れば、これまでで一番傷つくだろう。だから結婚はやめて、新しい生活に慣れる事ができるように支援するだけに留めたんだ」
「なるほど、そういう事でしたか」
アイザックがエルフの婚姻にまで口出ししてきたわけではないとわかり、クロードの秘書官も安心する。
「それは陛下のおっしゃる通りだったかもしれません。希望を見せて突き落とすほうが残酷に感じる時もありますから」
「そんなつもりはなかったんだけどなぁ……」
「こういう問題は本人の気持ちよりも、相手がどう受け取るか次第ですからね。閣下も独身が長くて女心がわからなくなってきてるんじゃないですか?」
「おい、これでも俺は男爵だぞ」
「それを言うなら、こっちはフランドル侯爵家の者ですけど?」
クロードはムッとして睨むが、秘書官はヘラヘラと笑っている。
同じ村出身でなくとも、エルフ同士なので付き合いはある。
こうした軽口を言い合える程度の関係ではあった。
良いか悪いかはともかくとして、このような会話ができる相手がいるおかげで退屈をする事はなかった。
----------
目的地のフーガ村に到着すると、青年達が出迎えてくれた。
「あんた、随分人間文化に染まっているな」
「ああ、交流再開して二十年ほどになる。文化を受け入れているだけで傾倒しているわけではない」
「ふん、どうだかな」
しかし、彼らの表情には歓迎の感情が籠っていない。
それには理由があった。
「何があったか聞いているだろうが、念のためにもう一度言っておく。俺達は八十年前にアーク王国と戦った時に死者を出している。奴らと和解するつもりはない!」
――それは人間とエルフの境界線上にあった薬草の群生地を奪い合う戦いだった。
エルフもすべてを魔法で済ませているわけではない。
怪我は魔法で簡単に治せるが、病気は薬に頼る事も多い。
双方にとって貴重な薬草を当初は分かち合っていたが、やがて奪い合いとなり、双方合わせて数十名が死傷する事件が起きてしまった。
大人のエルフに種族間戦争の記憶が強く残っている状態での抗争である。
人間への好意などあるはずがない。
それは人間に協力するクロードにも同様だった。
「アーク王国の人間と和解する必要はない。エンフィールド帝国と利用し合う関係になればいいだけだ。だから君たちも話を聞いてほしい。話の内容に興味があるから魔法を使って追い返さず、まずは自分達の意見を聞かせにきたんだろう?」
だがクロードも慣れたもの。
二百年の間に近くの人間と小競り合いをした事があるのは、この村だけではない。
他の村を説得してきた経験から、彼は落ち着いた態度を見せていた。
自分達の思惑を見透かされ、青年達の間で動揺が走る。
そんな彼らにクロードは優しい笑顔を見せる。
「いつまでも拳を振りかざしたままではいられない。しかし、どこかで拳を降ろすきっかけを望んでいる。だが種族間戦争前のような扱いをされるくらいなら今のままでいい。そう考えるのはどこも同じだ。アイザック陛下がそんな状況を打ち壊してくださるまでは私の村もそうだった」
クロードは青年の一人に近付き、彼の肩に手を置いた。
「少なくとも他の村のエルフと自由に交流ができるようになる。今はバラバラだがエルフ全体で協力体制を築きあげる事もできるんだ。人間に対抗するのも楽になる。これはお互いのためにもなる話なんだ」
「まぁ、そういう事なら聞くだけ聞いてやってもいいか……」
「そうしてくれ。気に入らなければ断ればいいだけなんだから。さて、村長のところへ案内してくれないか?」
彼も同族を諭すのに慣れていた。
彼らにどういえば耳を傾けてくれるかを理解している。
それに同族を集めて人間と戦う体制を整えておくべきというのも嘘ではない。
今はアイザックがいるが、彼の死後はどうなるかわからない。
エルフ同士、連絡が取れるようにはしておきたいところだった。
「こっちだ。近くの村から村長や長老が集まっている」
青年達は先導して案内する。
彼らについていくのはクロードと秘書官のみ。
大勢で乗り込むと威圧感を与えかねないので、他のお供は村の外で待機となった。
案内された場所には、老人以外にも多くの者達がいた。
人間との交流再開について警戒している者が多いのだろう。
この状況も他の地域と同じだった。
「皆さん、初めまして。エンフィールド帝国種族融和大臣のオチキス男爵、クロードです。アーク王国がエンフィールド帝国に併合される事となり、近隣に住む皆さんにご挨拶に伺いました」
彼が挨拶をした事で、村長達も名乗り始める。
その中には父や祖父に連れられて挨拶した覚えのある者もいた。
二百年振りなので相手が覚えているかはわからないが、見知った顔がいる事にクロードは嬉しくなる。
しかし、相手は違った。
「オチキス男爵か。随分人間に入れ込んでいるようだな」
二百年前は、エルフの貴族が少なかった。
その理由は「政治は我々に任せて前線で頑張ってほしい」と、政治の中枢から追い出されていたからだ。
人間やドワーフに比べれば、前線で戦う駒だったため貴族の数は圧倒的に少なかった。
それなのに、クロードは比較的若くして貴族になっている。
人間に媚びを売ると共に、同族を人間に売っている裏切り者のように思う者が出ても仕方のないものだった。
しかし、やはりこれも慣れた状況である。
「私が男爵位を授かろうと決めたのはエルフのためです。実は――」
彼はファラガット地方でなにがあったのかを話し始める。
――重大な休戦協定破り。
それはアーク王国民との小競り合いで怒りを覚えていた自分達が小さく思えるほど、エルフにとって大きな問題である。
話を聞いていた者の中から怒鳴り声をあげる者が出始める。
「そのため、私は国家の中枢に入る事を決めました。政治に関わる事で国内で起きている情報を手に入れやすくするためです。アイザック陛下は私に国内を自由に移動する権限を与えてくださりました。人間と積極的に関わる事で怪しい動きをしないか見張る事もできます。それに人間もドワーフもどんどん生活圏を広げています。森の中でひっそり暮らしていれば、いつまでも安全に過ごせるという保障はありません。生活圏が被った事で戦闘が起きた経験のある皆様にならお分かりいただけるのではないでしょうか?」
クロードの冷静な考えは、怒りで頭が沸騰していた者達にも好意的に受け入れられた。
人間社会の中に潜りこむ事で相手の動きを見張るのは、過去の自分達に必要な行動だったからだ。
「エンフィールド帝国では、これまでエルフが国の命令によって投入された事はありません。ファラガット地方でドワーフを救うために義勇兵を募っただけです。今後はフランドル侯爵領に住む者が戦争に投入される事はあるでしょうが、基本的には後方支援を優先させるとアイザック陛下は明言されております。この地に住む皆様は街道整備などの出稼ぎをしてくだされば結構です。断交するのではなく、人間社会に入り込む事で身の安全を確保する。そういう方法もある事を知っていただき、今後の対応を検討する際にその事を考慮していただきたいのです」
彼は最後の一押しをする。
――徴兵されるのは進んで貴族になったフランドル侯爵領のエルフのみ。
――この地域のエルフは出稼ぎするだけでいい。
戦争に利用されてきた記憶を持つ者達にとって、にわかには信じがたい条件だった。
「クロードといえば、あのマチアス殿の孫か曾孫だったかな? どことなく面影があるが」
長老の一人がマチアスについて尋ねる。
見知った顔なので、昔会った事を覚えていたのかもしれない。
「その通りです。祖父も元気にしております」
「そうか」
長老は何度かうなずく。
「……あのマチアスが大人しくしているなら、今のところ裏切られたりはしていないのだろう。ちゃんと仕事をしたら対価を払い、正当な取引もしてくれるなら考えてもいいのでは?」
「マチアスとは、リード王国の突撃のマチアスか? 種族間戦争で戦死していると思ったらまだ生きていたのか」
「年を取って丸くなったんじゃないか?」
「おぬしも昔からそう変わらんではないか。年を取ったからといって、あのマチアスが丸くなるとは思えん」
「やる時はとことんやる男だったからなぁ……」
どうやら旧知の人物の生存を喜ぶのではなく、マチアスが大人しくしている事を基準にエンフィールド帝国が信用できるかどうかの判断材料にしているらしい。
これはファーティル地方のエルフにも似たような事を言われた覚えがあるので、複雑な感情を覚えながらも祖父の武名に一応感謝する。
「わかった、前向きに考えよう。それと近隣の村から何人かずつ派遣してエンフィールド帝国の様子を確認したい」
「ご理解いただき感謝いたします。街道整備や治療行為を行う事でエルフの価値が向上しているところです。人手が足りないので出稼ぎに出てくれる者が増えるのは助かります。悪い事にはならないと保障いたします」
「この辺りにはドワーフの国どころか街もない。小さな村があるだけなので、交易ができるようになれば助かる事は助かる。だがアーク王国の人間とは距離を取りたいところだ」
「その辺りの事も今後じっくり話し合っていきましょう」
ひとまず「前向きに考える」と「交易ができれば助かる」という言葉を引き出せた。
これは大きな前進である。
もし断られてもエルフ同士の交流だけでも進めていければいい。
彼らが身内で話したいと言ったので、一度クロードは町外れの家へと案内される事となった。
秘書官と共にその場を離れようとすると、背後から一人の女が駆け寄ってくる。
「ねぇ、昔グレーターウィルで会った事のあるクロードさんですよね? 私の事覚えていますか?」
「あなたをですか?」
クロードは女性を見る。
年は近いようだ。
エルフの中でも比較的整った顔立ちなので、子供の頃も似たようなものだろう。
だがどうにも見覚えがない。
「申し訳ありませんが……、どちら様でしょうか?」
「覚えておられませんでしたか……」
女性は恥ずかしそうに頬を掻く。
「ヴァレリーです。覚えていませんか?」
「ヴァレリー? ……ハッ!」
クロードは、その名を聞いて一人だけ思い浮かんだ。
「焔のガストンのお孫さんのヴァレリーですか?」
「ええ、そうです。もう年を取ってオバサンになったのでわからなかったのかもしれませんけども」
恥じらう姿は淑女そのものだった。
しかし、クロードの記憶に残る彼女は違った。
――短髪で鼻水を袖で拭い、鼻糞も食べるわ、人前で尻を掻くわで品のない男の子という印象だったからだ。
「お前、女だったのか……」
「…………」
「ぐわっ」
クロードは無言で頬をひっぱたかれる。
体がふらつく強力な一撃だったので秘書官は二人の間に割って入ろうとしたが、それはやめた。
(クロードさん、あんたやっぱり女心がわからなくなってるんじゃないか? この機会に一度学び直したほうがいい)
「ヴァレリー」という名前は男女両方で使われるので、少し紛らわしかったのも事実。
ただ昔はどうあれ、今は立派な女性に成長しているのだ。
もう少し「子供の頃の記憶とは比べものにならないほど綺麗になったからわからなかった」など、手心を加えた発言をするべきだった。
旧知の仲なら、これも勉強になるだろうと見守る事にした。
本日、コミカライズ「第8話「交渉②」」が更新!






