748 二十七歳 アイザックを恐れない男
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帝国歴一年十一月一日。
合意に達したため、翌年の十二月三十一日までの休戦が決定した。
これにより前線では警戒は続くものの、後方では復興支援を中心にした活動が始まる。
戦争の長期化により、アイザックは事前にロックウェル地方の軍を動員していた。
ファラガット、グリッドレイ両地方が想定していたよりも安定しているため、軍を動かす余裕があると考えたからである。
彼らは開戦当初から戦っていたウィルメンテ公爵軍やウリッジ公爵軍などと持ち場を交代する予定だ。
その後は順次、交代で帰国して兵を休ませる事になっている。
この半年ほどの間、ドレイク元帥達は軍に所属していた者だけではなく、民間人にもエンフィールド帝国に従うように呼びかけるなど精力的に働いていた。
災害や戦争で息苦しさを感じていた者達は、彼らに言われるまでもなく支援を行うエンフィールド帝国に心が傾いていた。
しかしそれでも「元帥が呼びかける」という効果は大きく、消極的な協力からやや積極的な協力へと変わっていった。
アーク王国軍兵士は、元同盟国だったエンフィールド帝国よりもアルビオン帝国への敵愾心のほうが強い。
戦争を終わらせるために四千名の志願兵を集める事もできた。
今のところ、ドレイク元帥達はアイザックの期待に応える働きをしている。
戦後の処分にも期待できそうだった。
全体的には順調に進んでいる。
しかし、肝心の新兵器が上手くいかないと、来年の休戦空けに和平を結ばねばならなくなってしまうかもしれない。
アイザックが最優先で進めているのは二つ。
――飛行船と長距離飛行可能な飛行機である。
飛行船はファラガット地方で試行錯誤しながら建造中だった。
これには大型船の建造方法を学んでいたドワーフや、現地の造船技師も参加している。
飛行船の骨組みを作るには、建築設計士よりも造船技師に任せるほうがいいだろうと思ったからだ。
長距離を飛べる飛行機は、最も重要なエンジンはなんとかなったので、あとは燃料となるエルフを何人乗せられるか次第だ。
単発機では推力が足りないため、双発機にするつもりである。
アイザックは第一次世界大戦でロンドンを空襲したゴータG.IVの機銃座なしのものをイメージしたものを設計図にしていた。
機銃座をなくす事で重量が軽減された分だけ燃料を載せられる。
それだけ遠くへ飛ぶ事ができるだろう。
この二つのプランのうち、アイザックが期待しているのは飛行機のほうだった。
すでに単発機は飛行している。
それに対し、飛行船は大きな問題が残っていた。
――ヘリウムが確保できないので、水素を使うしかないという事だ。
地上からの攻撃が一発直撃するだけで大炎上を起こしかねない。
的が大きく、速度も遅いので飛行機と比べるまでもなく危険である。
しかも雷雲などの影響であっさり墜落しかねない。
そんな爆発物を実戦で使用するような考えをアイザックは持っていなかった。
だが、そのどちらかが完成すれば、ヴィンセントの心を挫く事ができる。
一縷の望みを託して開発を急がせていた。
新兵器の開発は時間がかかるもの。
アイザックはある程度の方針を定めるだけで、あとは専門家達に任せる事にした。
今は彼にもやらねばならない事があるからだ。
「なぜ私に教えてくださらなかったのですか!」
「その通り! 馬を使わない馬車なんて面白そうなものを黙っているなんてあんまりです!」
ジークハルトとピストの二人の対応である。
――電気の発見と魔導エンジンの開発。
その二つは、当然ながら彼らの興味を引くものだ。
しかもすでに自動車や飛行機のエンジンに採用しているため、彼らはのけ者にされた気分だった。
しかし、アイザックにも言い分はある。
「蒸気機関を使った自動車も研究開発中とか。まだ稼働時間に問題はあるものの、もうじき自動車と呼べるレベルのものになるそうじゃないですか。そちらの研究を邪魔したくなかったんですよ」
「だとしても――」
「じゃあ、電気や魔導エンジンの事を知った時、蒸気機関の研究を止めなかったと言いきれますか?」
「…………」
「……止めずにやれました」
ピストは黙り込んだが、ジークハルトはなんとか否定の言葉を絞り出す。
彼らが静かになったところで、アイザックは反撃に出る。
「新技術に興味を持つなとは言いません。ですがどちらか一本に絞るのは危険だという事はわかっていただきたい。現状、魔導エンジンは自動車や飛行機を動かせるものの、機関車のような大きなものは動かせません。でも蒸気機関は機関車を動かせる。どちらにも得意分野があり、苦手分野もある。だから今は実用レベルになるまで蒸気機関に専念してほしかったんですよ」
「そう言われればまぁ、理解できなくもないですが……」
「そもそも魔導エンジンはエルフの魔力に頼るところが多い。それに比べて蒸気機関は魔力に頼らなくても動かす事ができる。今は魔導エンジンのほうが優れているように見えても、百年後に世間で普及しているのは蒸気機関のほうでしょう。だから今は蒸気機関の実用化に努めてほしいと思ったのですよ」
これはアイザックの本心だった。
今はドラゴンの骨という高品質なバッテリーがあるが、その数には限りがある。
一時的には電気を使ったエンジンがもてはやされるようになるだろうが、それは一過性のものに過ぎない。
ドラゴンの骨に頼らないバッテリーが作れるようになるまでは、モーター駆動が主流になる事はないだろう。
だから蒸気機関を優先して、開発、発展させていったほしいと考えていた。
しかし、それは表向きの事。
蒸気機関を実用化し、量産できるようにしてほしいとは思っていた。
思っていたが「面倒な事になりそうだから二人に教えないでいた」というのが本当のところである。
だがリード王国において研究の第一人者だったという事もあり、どこからか耳に入ってしまったようだ。
その事実に気づかれぬよう、アイザックはなんとかして誤魔化そうとしていた。
「ですが、そのような技術が確立されたと教えてくださってもよかったのでは?」
「伝えれば研究を放置して王都にまで来たのでは? 現に今も来ているではないですか」
「もちろん来ますとも。でもそれは自分が新技術を知りたいという知的欲求によるものではありません。電気や魔導エンジンという技術が蒸気機関の発展に影響を及ぼすかもしれないではありませんか。技術は一つだけで完結するものではありません。相乗効果で何倍もの効果を残す事だってあるのです。それを陛下が知らなかったとは言わせませんよ」
それでもピストは食い下がる。
これにはアイザックも虚を突かれた思いだった。
彼にとって蒸気機関は「化石燃料で動くエンジンまでの繋ぎ」という印象しかなかった。
蒸気機関のために用意している石炭も、いつかは火力発電などに転用するのが主目的になると考えていた。
そう考えたのは前世の記憶があるからだ。
だがピストは違った。
アイザックのように未来の姿を知っているわけではない。
進化の過渡期である以上、様々な技術を参考にしたいと考えるのが自然だろう。
前世で蒸気機関が他の内燃機関に取って代わられた事を知っているからといって、この世界でもそうだと決めつけてしまっていた。
(魔法もある世界なんだ。スチームパンクのような世界に発展する可能性だってあるじゃないか。技術の将来性を潰す行為だったのかもしれないな)
「確かにその通りです。今は戦時中で予算に余裕がないので、色々と手を広げたくないと考えていましたが……。技術の発展のためには相互理解が必要だったかもしれません」
アイザックも少し反省する。
彼自身、前世とは違う技術体系で進化する未来を見てみたいと思ったからだ。
ピストが「そうだろう?」とでも言いたそうに勝ち誇った顔をしていた。
「じゃあ、ジークハルト。電気やモーターの技術を学ぶのにいくら出す?」
「えっ!? ……あぁ、そうだね。蒸気機関と違って共同開発というわけではないし」
ピストが満足気にしている分、ジークハルトが困った表情を見せる。
モーターの製造にはドワーフも関与しているが、開発はパメラの功績である。
特許は開発者のものなので、ライセンス使用料を支払わねばならない。
一緒に開発している蒸気機関と違って、エンフィールド帝国に金を支払う必要があった。
大事な事ではあるが、この場でアイザックが言い出す理由を、ジークハルトは考える。
「……お金に困ってるの?」
「正直なところ厳しいね。戦争を始めるのも終わらせるのにも金がかかる。臨時徴税を行うかどうか迷っているところだよ。だったら国民からより、あるところから取ったほうがいいだろう?」
「それは否定できないね。けど今は主要都市間で鉄道の普及を目指しているから、ノイアイゼンもそこまで余裕はないよ。もっとも、魔力タンクの新しい使い道が判明したと知れば、無理をしてでも金を出すだろうけども」
ジークハルトは苦笑する。
彼自身も適切ではないライセンス料でも即決で契約してしまいそうな気分だった。
新技術の話を聞くだけでそうなるのだから、実物を見ればタガが外れてしまうかもしれない。
「現在開発の新型が完成すれば、ノイアイゼンまで一日でいけるようになるだろうさ」
「一日で! そんな話を聞いたら魔導エンジンに夢中になっちゃいそうだ」
蒸気機関も実用段階にきているので、そちらに集中したいという気持ちもある。
だが「新技術」という言葉は狂おしいほど愛おしいものである。
ジークハルトは悶え苦しむ。
そんな彼とは対照的に、ピストは満足そうな笑みを浮かべているだけだった。
――まるで自分には関係のない事のように。
(そういえば、こういう奴だったな。予算の問題で頭を悩みたくないからと、ジークハルト達を上手く利用しているんだろう)
「私も蒸気機関の高性能化に力を尽くしています。性能を高めると自然と大型になってしまいますが、性能を維持したまま小型化にも取り組んでいるんですよ」
アイザックの視線に気づいたピストは、自分がやっている事を説明する。
彼は狂気の科学者というわけではなかった。
科学が冷遇されていたからか、予算確保のために手段を選ばない男である。
ここで余計な事を言って話の腰を折らない。
その上で自分の必要性をアピールするしたたかさを持っていた。
彼が一番恐れているのは「研究予算削減」という言葉である。
研究が停滞するとアイザックも困るので、その言葉は容易には言えないものだった。
だから彼も堂々とした態度でアイザックの前に立つ事ができるのだ。
もしかすると、アイザックの事を誰よりも恐れない男なのかもしれない。