734 二十七歳 自動車の試乗
アイザックはエンフィールド工廠へと出向いていた。
新しく開発したものを確認するためである。
「お待ちしておりました」
いつも見かける研究者達が出迎えてくれた。
彼らは自信に満ちた顔をしていた。
「その顔を見ると、上手く進んでいるようですね」
「もちろんですとも。あのモーターというものは素晴らしい! パメラ殿下に一言ご挨拶申し上げたかったのですが……」
「今回は連れてきていない。いずれ会う事もあるだろうさ」
「残念ですが仕方ありません。では早速ですがご案内いたします」
「ああ、頼む」
アイザックは滑走路へ案内される。
そこにはアイザックが作るように命じていた自動車と飛行機が鎮座していた。
乗り物の周囲にはエルフやドワーフも集まっている。
「設計者の陛下には必要ないかもしれませんが、まずは車のほうからご説明いたしましょう。元々は蒸気機関を載せる予定だった馬車――ではなく、自動車にモーターと魔力タンクを搭載いたしました。自動車用のモーターは金属の塊なので重いですが、蒸気機関用の石炭や水を載せる事を考えればトータルで軽くなっております」
「変速機は完成していますか?」
「変速機はまだ未完成です。無理に変更しようとするとギアが欠けてしまうので、現状ではどうしても動いている時にギアを交換する事ができません」
「モーター側と車輪側の回転数を同調させる仕組みを作るしかないでしょうね」
「現在開発中ですが、まだ時間はかかってしまいます」
「他にも開発、生産を行わないといけないものもあるので仕方ないでしょう。戦争が終われば開発資金や人員に予算を割く事ができるので今は辛抱してください」
アイザックは研究者にとって一からすべてを説明する必要もなく、必要な答えも返してくれる。
打てば響くとは、まさにこの事だ。
専門家よりも詳しく、理想とするゴールまでの道筋を示してくれる。
アイザックを前にすると自信を失いそうになるが、実際の組み立て作業は自分達が行っている。
適材適所だと前向きに考え、深刻に悩まないようにしていた。
「飛行機のほうは重心を調整するのに苦労しましたが、それでも人力とは比べ物にならない推力で飛ぶ事ができます」
――人力で飛行する飛行機。
グライダーの開発が一通り終わったため、ペダルを漕いで飛距離を稼ぐ方法を模索していた。
そこで前世にあった鳥人間コンテストのようなものを始めたのだ。
グライダーにプロペラを付ける事で、次の段階へ進みやすくした。
これは主にドワーフ達に好評で、自腹を切るほどのめり込む者も現れたくらいだった。
そのおかげでプロペラも実用レベルのものが完成しており、モーター用に角度を調整したものが用意されていた。
「今は複葉機だから自力での離陸が可能になっているんだろうけど、いつかは速度を求めるために単葉機にしなくてはならない。その時のためにも出力の向上とモーターの軽量化を考えないといけないね」
単葉機は現代的な主翼が一枚のもの。
複葉機はライト兄弟が開発したフライヤー1号のように主翼が二枚以上あるものの事である。
翼が複数あるほうが揚力を得やすいが、それだけ空気抵抗もあるという事だ。
遠距離を移動するのならパイロットへの負担が少なくなるよう、速度を求めるのも必要になってくる。
アイザックはその事に触れたのだが、肝心のエンジンがそこまでの出力がないので、これはまだまだ先の問題になるだろう。
「課題は山積みですが、それだけ遣り甲斐もあるというものです。予算を増やしていただくのが一番ですが、今は国難の時。ノイアイゼンからの支援でやれる範囲の事を頑張ります」
研究者は謙虚な態度を見せた。
もしアイザックが研究に無関心であったり、無知であったりしていれば態度も違ったものとなっていただろう。
しかし、アイザックは研究の先導者であり、最大の理解者でもあった。
「金を出しているのだからすぐに結果を出せ」と、せっつく支援者などとは比べ物にならない科学の庇護者なのである。
そんな彼に「技術に無知な奴だ」と見下すような者は、さすがにこの場にはいなかった。
「では今できているものを見せてもらおうかな」
「どうぞ、こちらへ」
まずは自動車のところへ案内される。
研究者の一人が車に乗り込んだ。
「基本的には閣下のご命令通りに作っておりますが、設計の都合上アクセルとブレーキは腕で作動させるものとなっております」
アイザックの知る足での操作ではなく、飛行機のスロットルレバーのようなものが速度を調整するものとして取り付けられていた。
ブレーキもハンドブレーキのような形である。
「足で操作するには機械式だと制御の力が弱く、操作に不安が残りました。油圧式は液漏れなどの問題が残っており、実用レベルに達するには基礎技術の発展を待たねばなりません。魔力タンクからモーターへ電力送るのとブレーキを確実に操作するためには、現状このような形を取らねばならなかったのです」
「まだまだ自動車も研究段階だからね。無理に足での操作に固執するのではなく、使える方法に切り替えるのも必要だ。研究を進めるだけ進めておいて、今後変更していけばいい」
「ご理解いただきありがとうございます」
研究者はホッとした表情を見せる。
アイザックが自分のやり方に固執するタイプではないとわかっていても、仕様を大きく変更するのには勇気が必要だったからだ。
だが「まずは目に見える結果を出さねばならない」という、これまで冷遇されてきた研究者の悲しい性が、その決断を後押ししていた。
アイザックに受け入れられた事で一安心である。
「乗ってみたいんだけど、これは試乗できるかな?」
「できます。できますが……、実用的な速度を出せるのは滑走路の上だけです。パメラ殿下が開発された硬質ゴムをタイヤに使っても、わずかな段差のある道を通れば車軸が折れてしまいます。陛下の考案された油圧式サスペンションが実用化されるまでは改善される見込みがありません」
「冶金技術と工作精度の向上待ちというわけか……。整備された街道なら走れるのかな?」
「従来の馬車と同程度の速度ならおそらく大丈夫かと思われます」
「ならば帝国化を記念するパレードでも使えそうだね」
新技術である自動車に乗って街中を移動する。
皇帝となるアイザックの力を示すにはちょうどいい。
――科学と魔法を融合した新技術を扱う新帝国。
その言葉だけでもロマンが掻き立てられる。
自動車などの開発が失敗しても、歴史にその名を残す事になるだろう。
「陛下、自動車の試乗はかまいませんが、飛行機のほうはお断りさせていただきます。空から落ちれば治療が間に合わない場合もございますので」
「ああ、わかっているとも。私もまともな訓練を受けずに危険な事をするつもりはない。飛行機にまで乗りたいなどとは言わないよ。技術が確立して安定した動作が期待できるようになってからにするさ」
アイザックも空を飛ぶのはまだ怖い。
安定して飛行ができるようになった気球にすら乗っていないくらいだった。
即死する危険を本能的に避けていた。
研究者や技術者がなんとかしてくれているとはいえ、おぼろげに覚えている知識で作ったものはそれだけ恐ろしいものだったのだ。
研究者は車から降りると、アイザックにヘルメットの着用をうながす。
運転席に座ってからは、シートベルトを装着して、何度も安全を確認していた。
この自動車は運転手が一人、後ろに二人乗れるタイプのオープンカー形式。
横転した時の備えはしておかねばならなかった。
後部座席にはエルフが座り、同じようにシートベルトを装着する。
「事故が起きた時は、すぐに陛下をお助けいたしますのでご安心を」
「ありがとう。事故を起こさないように気をつけるよ」
試作品の自動車は操作スイッチが必要最低限しかなかった。
あるのはエンジンのスイッチのみ。
メーターは車軸と連動した速度計と魔力タンクの残量計のみ。
ライトもウィンカーもワイパーもない。
アイザックは前世ならば道路に出た時点で警察に止められる車のエンジンスイッチを押し込む。
すると、思っていたよりも大きな振動と音が響き渡る。
さすがに電気自動車モドキとはいえ、静音性までは再現できていないようだ。
彼はゆっくりとスロットルを押し込む。
ガタガタと動きだした車は滑走路まで出る。
まずアイザックはゆっくりと滑走路の端を目指した。
端に到着するとハンドルを回して、車の向きを変える。
旋回半径も、やはり前世の車とは比べ物にならないほど大きなものだった。
(さて、速度はどこまで出るかな)
アイザックは徐々に速度を上げていく。
その光景を見ていた者達は「危ない事はしないでくれ」とハラハラとしながら見守っていた。
しばらくすると、アイザックは懐かしい感覚を覚える。
――そう、風がおっぱいのように感じられるという時速60kmの壁である。
速度計も60kmを指しているので、思った以上に精密なもののようだ。
懐かしい感覚ではあるが、彼は同時に寂しさを覚える。
(本物を知ったあとだとなんて虚しいものなんだ。この風で喜んでいた頃を情けないと思うべきか、喜べていた感性を大事にしたかったと思うべきか……。本当に遠いところに来てしまったんだなぁ……)
前世と同じ体験をした事で、アイザックは自分自身が大きく変わった事を強く実感する。
これが「オープンカーでおっぱいを感じられる風圧」でなければ様になったかもしれないが、残念な事に原点回帰をしてしまった。
しかし、それがアイザックのアイデンティティである以上、絶対に避けられない事ではあった。
彼は徐々に速度を落としていく。
それを見て、研究者達の心拍数も落ちていった。
(大人になるって本当に寂しい事なんだな。なんでも楽しめる子供の感性のままでいたかった。でも俺も親になったんだから、大人になった事を受け入れないと)
――あわよくばもう一度全身でおっぱいを体験したい。
そう思って速度を出していたのだが、その事にアイザックは気づかぬふりをしていた。
この日、彼以外にとっては最もくだらない理由で「モーターエンジンを搭載した自動車にアイザックが試乗した」と自動車史に刻まれる歴史的な日となった。






