726 二十六歳 武人の意地
アーク王国では、各戦線で攻勢が停滞していた。
南部はアーク王国軍を挟んで睨み合いが続き、中部では王都近郊で牽制が続いていた。
リード王国軍の主力が集まる西部でも、ファーネス元帥率いるアルビオン帝国軍相手に動きが取れないでいた。
「あちらには本国から援軍が続々と到着してきている。現状では攻勢を仕掛けるのは困難だ。今の空爆だけでは効果が薄すぎる。もっと効果的な攻撃方法はないか?」
ウォリック公爵は困っていた。
カーンが提案した空からの攻撃は、気球の数が少ない事もあって敵兵を減らす効果は薄い。
そこでウォリック公爵は本陣付近の天幕を燃やす事にした。
敵軍の戦意を削ぐ事ができるかもしれないし、おそらく本陣近辺に保管されているであろう予備の武具や食料などを燃やせればラッキー程度の嫌がらせで行っていた事だった。
だが意外にも、その嫌がらせは地味に効果があった。
宮廷魔術師が気球から放った火球が、ファーネス元帥が使っていた天幕に直撃。
人的被害はなかったが、書類が焼けるなどの被害を与えていた。
備蓄物資も一部焼けるなどの戦果もあり、リード王国側からはわからなかったが、アルビオン帝国側にしてみれば十分嫌がらせはできていた。
しかし、その結果がわからないため、ウォリック公爵は効果がまったく出ていないと思っていた。
「雪が降るような季節になれば一つあります」
ウォリック公爵の問いかけに答えたのはカーンだった。
彼は気球を使った方法を提案してから、たびたび作戦会議に呼び出されるようになっていた。
「どのようなものだ?」
「エルフに気球から大量の水を作り出してもらうというものです。敵軍が籠っている空堀の中に水を溜めれば使い物にならなくなるでしょう。また、濡れて凍える事で戦意喪失も狙えます。これは手榴弾を開発した『敵軍の戦死者も最小限にする』というアイザック陛下のお考えにも合致するのではないでしょうか?」
彼の提案は悪くはないものだった。
冬の野営は難しい。
しかも吹きさらしの塹壕の中だと、十分な暖を取れなければ凍死しかねない。
塹壕の中に水を流し込めば戦うどころではなくなる。
だが、ウォリック公爵に必要なのは今の状況を打開するための作戦である。
冬まで待つのは仕方ないのだろうが、物足りない提案だった。
それにエルフに直接攻撃させるのには心理的抵抗もあった。
「確かにその考えには一理ある。しかしそれまでになにもしないわけにはいかない」
ウォリック公爵はカーンではなく、他の者達に視線を送る。
「大砲は凄い。銃も凄い。気球も凄い。だが、そういったものに頼りすぎていた。一度初心に戻ろう」
彼の優しく、どこか諦めの混じった声は聴いていた者達の心を打った。
「まず言っておきたいのは、我が軍は弱いという事だ。東部侵攻作戦が上手くいったのは、すべてアイザック陛下のおかげだ。しかも相手は我が軍と負けず劣らず戦闘経験の少ないファラガット共和国とグリッドレイ公国だった。実戦経験豊富なアルビオン帝国軍とは比べるまでもない。だから我々が弱者であるという事を受け入れ、弱者なりの戦略を取ろう」
――弱者である事を受け入れる。
それは武人にとって受け入れ難いものだった。
だが即位してから四年の間に二カ国を傘下に加え、二カ国を併合できたのは、すべてアイザックの力があってのものだという事は誰もがわかっている。
そして「アイザックがいないからか、アルビオン帝国軍との戦争は簡単には終わりそうにない」という事もひしひしと感じていた。
これはウォリック公爵一人に責任があるわけではない。
カーンのような、たかが騎士に意見を述べさせないといけない以上、将軍達にも責任はあった。
「……受け入れるのは辛いですが、戦線が膠着している以上は受け入れねばならんでしょう」
「今のままでは陛下に顔向けできません。プライドよりも戦果を求めるべきだと思います」
渋々であったが将軍達も現実を受け入れた。
元帥のウォリック公爵が最初に言い出した事もあり、受け入れやすかったのもある。
しかし、それ以上に新しい兵器を利用した戦い方を思いつかなかったのも影響していた。
このままではカーンのような、新しい発想ができる者が重用される事になる。
そうなるくらいなら、どんな戦い方でも自分達が活躍できる方法を選びたいと思っていた。
「ではもっとも基本的な戦い方である数的優位を作り出す事から始めようか」
彼らはアイザックという存在に目が眩んでいた。
偉大すぎるアイザックから自分達の足元へと視線を移し、身の丈に合う、地に足のついた計画を立てようとし始めていた。
現実を受け入れるのは辛いものだったが、勝利こそ最も優先するべき事だという事を理解していたからだ。
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数日後、中部戦線を任されているウィルメンテ公爵のもとへ連絡が届いた。
「援軍を送ってほしいか……」
南部戦線はアーク王国を挟んで睨み合いが続いており、余剰戦力は中部戦線へと振り分けられている。
アーク人民解放戦線を含めれば十万を超える規模となっていた。
その内、二万から三万を西部戦線へ送り、敵軍の側背を突いてほしいという連絡だった。
ウィルメンテ公爵は相談するため、大規模の軍を率いるウェルロッド侯爵軍を率いるアンディと、アーク人民解放戦線を率いるハーミス伯爵を呼び出した。
「こちらも睨み合いが続いているだけで動きがありません。冬が来る前に戦果を挙げるのはいい考えではないでしょうか」
「西部戦線を押し込む事ができれば、中部や南部の敵軍を包囲する事ができます。もしくは包囲される前に撤退しようとするはずです」
二人とも乗り気だった。
中部方面には七万ほどのアルビオン帝国軍がいるが、そのほとんどは元難民である。
三万の兵を送ったとしても数では互角。
簡単にはやられるとは思わなかったからだ。
そうなると、どこの軍を送るかという問題を考えねばならなくなる。
「ウォリック元帥との連携が必要となるのなら、ウィルメンテ公が最適ではありませんか? 私では連携を取る自信がありません」
「それは私も同じ事。アーク人民解放戦線の兵では敵の側面を取ろうとするのも無理でしょう。リード王国軍の部隊を使うべきです」
「ふむ。私に異存はないが……、本当にいいのか? アンディ殿、王妃殿下も侯爵令嬢となれば後宮での立場も良くなるであろうに」
ウィルメンテ公爵は二人に尋ねる。
――特にアンディに功績をもらっていいのかと。
これが上手くいけば、爵位と領地をもらえるくらいの大戦果となる。
伯爵となったハリファックス家でも、後宮内では下位になる。
ティファニーのためにも戦果を欲しいのではないかと、ウィルメンテ公爵は考えていた。
そのアンディはというと、必死に首を振って身振りで否定していた。
「滅相もない! ただウェルロッド公爵軍を任されているというだけで伯爵にまでなったのです。特別な事をしたわけではないのに侯爵位を望むなどできません。ハーミス伯のような働きをされたお方こそ侯爵に報じられるべきでしょう」
「アイザック陛下の噂を聞く限りではありますが、おそらく私はこれまでの働きで侯爵位か領地を賜る事になるでしょう。それに先ほども言ったように、我が軍ではまともな攻勢に出れません。無理に功を求める必要がないのです。武の名門であるウィルメンテ公にお任せしたい」
「そこまで言われるのであれば喜んで引き受けよう」
内心、ウィルメンテ公爵は小躍りしていた。
妻からの知らせでは、やはりアイザックはローランドを警戒しているらしい。
ケンドラのためという名目だったとはいえ、公爵家の跡取りを殴るくらいだ。
ウィルメンテ公爵家とやり合う覚悟ができていると見ていいだろう。
アイザックとやり合うなど考えただけでも恐ろしい。
だからこそ、ウィルメンテ公爵は手柄を挙げねばならなかった。
戦争の趨勢を変える働きを見せれば、アイザックもウィルメンテ公爵家を認めねばならなくなる。
そうなればローランドを妹の婿として受け入れ、ウィルメンテ公爵家も安泰となる。
この面子ならば「ウィルメンテ公爵家に」と譲ってくれるだろうと思って集めたのだった。
「ウリッジ侯爵軍とブリストル侯爵軍、彼らとウィルメンテ公爵軍を併せれば二万四千ほどにはなる。彼らを引き抜いても大丈夫か?」
「守るだけならなんとかなるでしょう。いえ、してみせます。擲弾兵も一部連れて行かれますか?」
「擲弾兵よりも騎兵を回してくれるか? 作戦を考えると早さが欲しい」
「ではウェルロッド公爵軍から騎兵を二千回しましょう」
「すまない、助かる」
ウィルメンテ公爵は、擲弾兵よりも騎兵を求めた。
その理由は「塹壕に籠る敵を擲弾兵で攻撃しないといけなくなった時点で攻勢は失敗」だからである。
敵の側面や背面からの奇襲を求められているのであって、じっくりと腰を据えた攻城戦は求められていない。
擲弾兵部隊という新兵科に後ろ髪を引かれる思いはあったが、彼は自分に求められている役割を見失うような事はしなかった。
彼も武人として勝利を優先するべきだと考えたからである。