725 二十六歳 アイザックのおねだり
「パメラー、お願いがあるんだけど」
パメラの発表会のあと、アイザックは上目遣いをしながら彼女に頼みを持ちかける。
本来なら「キモッ」と返しているところだが、人前なのでそれは我慢した。
侮蔑の視線の代わりに笑みを浮かべる。
「さすが親子ですね。ザックも同じようにお願いをしてきますよ」
彼を拒絶するのではなく、素直に受け入れた。
「アイザックが下手に出て頼み事をする相手」というのは彼女の地位を高めるのにちょうどよかったからだ。
「ザックにおねだりのやり方なんて教えた事ないけどなぁ。まぁいいさ」
アイザックはメモを手に取り、そこに二つの絵を描いた。
一つは馬車のようなもの。
もう一つは風車の羽のようなものだった。
「モーターを開発したって事は、発電だけじゃなくてその逆。物を動かすために電力を消費する方向にも動かせるんだろう?」
「ええ、もちろんですわ」
「じゃあ、自動車と飛行機のエンジンを作れるだろうか?」
電気自動車は現代だけのものではない。
自動車開発の黎明期にも作られていた。
蒸気機関やガソリンエンジンの実用化よりも、魔法使いというわかりやすい燃料があるのだ。
そちらに考えが向かうのも自然な流れだった。
「理論上は可能ですが、内燃機関と比べて電動機関は重くなると思いますよ」
「それは問題ない。燃料を積む必要がなくなるので、その分は軽くなる。結果的には内燃機関と差はないだろう」
「そういう事でしたら大丈夫そうですね。ただ大型のモーターを作るのなら研究員だけでは人手が足りません。職人を雇う資金も必要になります。生産設備なども必要になってくるでしょう。今年度予算以外にも追加で支援していただけますか?」
「もちろんだ! と言いたいところだけど、今は戦争中だからなぁ……。戦場で戦う兵士の武器や食料に使う分が最優先だ。モーターの大型化費用を捻出するために臨時徴税まではしたくはないんだけど……」
アイザックは資金提供を渋る。
金がないのは事実だが、実は無理をすれば研究費用くらいはなんとかなる。
わざわざ渋ってみせたのは、この場にちょうどいい金づるが居たからだ。
「陛下、ならば我々が出します! 出させてください!」
――ヴィリー達ドワーフである。
彼らが電球や発電機を見て、ときめかないはずがない。
少しでも完成を早めたい、技術の発展を見たいと思うはずだ。
その感情をアイザックに付け込まれた。
欲する事自体が弱みになるのだから、それも当然である。
「ですが我が国でも最先端の技術ですので、そう簡単に技術提供するわけには……」
「技術を提供して欲しいなどとは言いません! 人手がいるなら我らが手伝います! だから少しでも電気というものに触れさせていただきたいのです! 成果を見るだけでもかまいません!」
「我が国では魔力タンクを使った魔道具が実用化されています。もし魔力が電気というものだとすれば、その道具があればエルフに魔力の補充を頼まずに済むのでしょう? 彼らの力を違う場所で使えます!」
「そもそもこの歴史的な発明品を目の前にして、指を咥えて見ている事などできません!」
「皆さんがそこまでおっしゃるのなら……」
アイザックはチラリとパメラを見る。
モーターの仕組み自体は簡単なものだ。
ドワーフなら一度完成品を見れば、試行錯誤して類似品を作る事もできるだろう。
だが彼らには特許という概念がある。
無断で真似をしないという文化の下地が作られていた。
そういった点では人間などよりもよほど信用ができる。
パメラもそう思ったのか、うなずいて応える。
「では研究所への資金提供と手伝いを認め、現時点で詳細な設計図はお渡しできないものの、対価として誰よりも先に完成品に触れる機会を与える、といったところでどうだろう?」
アイザックはパメラに条件を尋ねる。
「それでよろしいかと。ですが一つ補足がございます。資金提供をしていただきながらめぼしい対価がないのは、未熟な技術を渡して事故を起こさないためです。おそらく火薬が実用化するまでに多くの犠牲者がいたはずです。ノイアイゼンの方々なら、その事はご存じでしょう?」
「存じております。火薬の爆発で負傷した者はエルフの治療が間に合わず即死し、完成までに無数の死者を出していたとか」
「電気も同じです。先ほどお伝えしたように電気が強くなれば雷くらい強いものになります。火薬による爆発のように命を奪う威力があるでしょう。安全のためとお考えください」
「かしこまりました」
ヴィリーの出した条件は、あまりにもリード王国に都合が良すぎた。
だからパメラは、エルフ達に向けて「ドワーフの好奇心を刺激して搾取しようとしているわけではないですよ」という言い分をアピールしていた。
そして、彼女の誤魔化しはこれだけではなかった。
アイザックのせいで話の流れがぶった切られたが、用意していたものはもう一つある。
それを利用して、今の話を少しうやむやにしようと考えていた。
「もう一つお見せしておきたいものがあります。まずは彼に実演してもらいます。お願いね」
「はっ!」
壁際に控えていた宮廷魔術師が前に出る。
彼は両手を前に出して、指先を近づける。
「いきます」
指先の間に光が走り、バチバチッと音が鳴る。
それを見た者は「小さな雷だ」と思った。
驚きの声は出ない。
パメラの説明で、今のは魔力だとわかっていたからだ。
「これは魔力を体の中で循環させる事によって発生する事象です」
パメラは指先で、宮廷魔術師の右手から左手までを時計回りに指し示す。
「水を入れた袋を絞ると、どこかが裂けますよね? それと似たようなものです。右手の魔力を絞り、左手に集める事で魔力が溢れて外に出ます。そして外に出た魔力は近くにあるものに入ろうとする。雷と避雷針のような関係だと思えばわかりやすいでしょうか」
「なるほど、そう言われてみると似ているかも――」
「ぐわぁっ!」
エドモンドが話していると、隣にいたエルフが叫んだ。
彼の指先を見てみると、右手の人差し指が炭化していた。
「なにをしている!?」
すぐさま彼は呪文を唱えて治療する。
負傷したエルフはばつが悪そうな顔をしていた。
「申し訳ございません。簡単そうだったのでつい試してしまいました」
「魔力の扱いに慣れた方なら簡単そうに思えるでしょうが、先ほど申し上げたように魔力は雷のようなものです。少し加減を間違えれば怪我をする事もあります。ところでブリジットさん」
パメラはブリジットに視線を向ける。
「体内の魔力を操作した場合の影響はまだわかっていません。特に妊娠中の場合は完全に未知の領域です。出産が終わるまでは試してはいけませんよ」
「わ、わかってるわよ」
顔の前で指先を近づけていたブリジットだったが、両手をひらひらとさせてなにもしようとしていないとアピールする。
どうやら試そうとしていたようだ。
彼女の行動を止めたパメラのファインプレーである。
パメラは一度咳払いをして間を取り直す。
「エルフの方々ならば、魔力タンクに魔力を補充するという方法で似た事をしているというのがわかりやすいでしょうか」
「では……、逆に魔力タンクから魔法使いに魔力を供給する事もできるのですか?」
「理論上は可能、と言いたいところですが……。先ほどお隣の方の指が焼け焦げました。現状では供給を受けるのは難しいと思います」
「出すのは容易だが、戻すのは難しいというわけですか……」
「少量であれば大丈夫でしょう。ですが受け入れられる限度を超えると体に被害を与えてしまうようです。果汁を絞った果肉を果汁に漬けたからといって元には戻らないのと同じようなものでしょう」
宮廷魔術師は怪我をしなかったが、エルフは大怪我をした。
膨大な魔力に肉体が耐えられないのだろう。
出す事はできても吸収ができないという事自体は、珍しいものではなかった。
「我々も協力したいと思ったのですが、今はやめておいたほうがよさそうですな」
「負傷者の治療をしてくださると助かります。どうしても怪我人が出てしまいますので。あと、時々魔力を提供していただけますと研究を進めやすくなりますので、皆様の協力は大歓迎です」
「そういう事ならば喜んで力をお貸ししましょう」
――アイザックが食いつく研究をパメラが行っている。
エルフにとっても、これは無視できない状況だった。
あと半年ほどでリード王国はエンフィールド帝国となり、その時正式にエルフはフランドル侯爵として帝国の一員となる。
現状のままでも一定の評価を得ているが、それは協力者という立場だからだ。
貴族になれば、立場相応の働きを求められるようになる。
これまでと同じ仕事をするだけでは貴族としての立場を確固たるものにはできないだろう。
より良い立場を得るためには、目に見えるわかりやすい結果をアイザックに見せる必要がある。
その点、研究の手伝いは最適だった。
危険はあるが戦場に出るよりかは安全だろうし、アイザックの目に留まりやすいからだ。
そこに魔力の根源の研究という興味深い付加価値がついてくるのだから、手伝いを申し出る心理的抵抗はなかった。
「パメラさんって凄いのね。ティファニーは研究の手伝いをしているから知っていたの?」
リサがティファニーに小さな声で話しかける。
ティファニーはうなずいた。
「みんなを驚かせたいから黙っておいてほしいってお願いされていたの。まるでゴールがわかっているかのように完成まで一直線に進んだから、きっと完成形が頭の中でできていたんだと思う」
「それは凄いわねぇ」
「アイザックと並んで、ずっと学年一位の学力だったんだもの。同じくらい賢いんじゃないかな」
「もしジェイソンと結婚していたら、理化学研究所の所長なんてなれなかったでしょう。才能を発揮できる機会を得られてよかったよね」
「うん、私もそう思う」
小声とはいえ、彼女達の周囲にも聞こえていた。
そして聞いていた者達も「確かにこの才能が発揮されないのはもったいなかった」と内心同意する。
(アマンダさんは運動ができるし、ジュディスさんは占いができる。若い子達はみんな才能があっていいわねぇ。……はっ!?)
――若い子達。
五歳しか違わない相手に、そう思ってしまった自分自身に驚いた。
彼女もまだまだ若いと思っているが、ケンドラの乳母役から始まり、子供達の面倒を見る生活が続いている事で女から母へと認識が変わってきている。
彼女が思うより強く「アイザックに魅力的な女として見られたい」と思う他の妻達との間に、無意識の内に心理的な一線を引いてしまっていた。
その事に気づいたリサは、電気という新しい発見よりも、自分自身の心中に今日一番の驚きを覚えていた。