721 二十六歳 アルビオン帝国の対策
初戦が順調だった北部とは違い、アーク王国中部と南部を担当するリード王国軍は攻めあぐねていた。
「奴らがいなければ、アーク王国軍の残党などすぐに片づけられるというのに!」
それはアーク王国軍のせいではなく、アルビオン帝国軍の存在によるものだった。
アーク王国軍の支配地域は狭いものとなっている。
場所によってはアーク王国軍が立て籠もる街を挟んで、リード王国軍とアルビオン帝国軍が睨み合っている場所まであった。
睨み合っている原因は「相手に背後を襲われたくない」というものだった。
街を攻めれば、アルビオン帝国軍が横槍を入れてくるだろう。
先にアルビオン帝国軍を攻めてもいいが、その場合はアーク王国軍が打って出てくるかもしれない。
奇襲を受けないように警戒部隊を置けばいいのだろうが、残念な事に各地を占領するため分散しているので数を揃えるのもすぐには無理な状況だった。
「おのれ、リード王国軍め! もう少しで南部一帯を占領できるというところで邪魔をしおって!」
それはアルビオン帝国軍も同じだった。
いや、リード王国がアルビオン帝国に宣戦布告をしたという情報がギリギリ伝わっていたので、その混乱や怒りはリード王国側よりも大きなものだろう。
リード王国と「どちらがどれだけ多くの領土を切り取れるか」という競争だったのが、両国の戦争にまで発展してしまった。
ゴールをずらされてしまったので、アルビオン帝国側は大きな不満を抱えていた。
この状況で一番利益を得ているのがアーク王国軍だった。
風前の灯火だと自他共に認めていた状況だったにもかかわらず、リード王国とアルビオン帝国が動きを止めたのだ。
両軍ともアーク王国ではなく、お互いの動きを警戒して動きが止まった。
すぐに横槍を入れられない場所であっても、城攻めはやはり兵士が疲れる。
疲れ果てたところで攻撃を仕掛けられてはたまらない。
睨み合いが続いているおかげでアーク王国は命脈を保っていた。
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奇妙な睨み合いが続く他方面とは違い、北部戦線は動いていた。
「追撃に失敗したのは残念だが、まだ挽回のチャンスはある。足元をすくわれぬように気をつけながら進め」
リード王国軍は撤退中のアルビオン帝国軍の追撃に失敗していた。
エジンコート将軍の撤退戦が上手かったというのもあるが、それ以上にリード王国軍の追撃がまずかった。
・追撃する際に戦意を失った民兵を避けたため、散発的な攻撃になった事。
・砲撃によって壊走状態に陥った右翼部隊はともかく、それ以外の正規兵は整然と撤退していた事。
主にこの二つの要因で追撃部隊が逆襲を受けていた。
リード王国軍も東部侵攻作戦での戦闘経験がある。
しかし、それは計画と相手に恵まれたものだった。
ファラガット共和国、グリッドレイ公国。
両国共に、戦闘といえばロックウェル王国との小競り合い程度。
本格的な戦争を経験してこなかった。
両国の間でも戦争は起きた事がない。
ロックウェル王国をしゃぶり尽くすには、頭を押さえつけ続けられる力が必要だったからだ。
無駄に戦争を起こして力を失うような真似をしなかったため、リード王国に負けず劣らずの戦闘経験のなさだった。
だがアルビオン帝国軍は違う。
彼らは戦闘経験が豊富だった。
――勝利も、敗北も。
勝ち戦ばかり経験してきたリード王国軍とは違い、彼らは負け戦も経験している。
――どうすれば損害を減らして追撃を振り切れるか?
上手く負けるための経験も積んできている。
将軍クラスでも、ファラガット共和国のフォレット元帥と比べるのが失礼なほどの実力を持っていた。
本来ならば、同レベルの相手を奇襲で倒しただけのリード王国軍が簡単に勝てる相手ではなかったのだ。
「追撃部隊が連携を取れなかっただけ」と考えたウォリック公爵は、軍を二つに分けた。
一つは南下し、もう一つはアルビオン帝国方面へと進ませる。
敵の補給路を遮断するためである。
主力はアルビオン帝国軍の本隊がいるらしき方向へ向かっていた。
追撃に失敗してウォリック公爵は不愉快ではあったものの、アーク国民が解放者として迎えてくれたおかげで少しだけ機嫌を直す。
できる事ならエルフを使って治療を行い、地域住民の支持を得たいところだったが、今はアルビオン帝国軍の撃退のため進軍を優先する。
アルビオン帝国軍は連絡が届かずに逃げ遅れた者以外は撤退していた。
ウォリック公爵は敵軍の整然とした撤退に嫌な予感を覚えていたが、それは伝令によって現実だと知らされる。
「これは本当か?」
「敵軍の騎兵に追い散らされましたが、敵陣の様子はこのようなものだったのをこの目で確かめました」
「うーむ……、ポール砲兵隊長を呼べ」
伝令の報告は、リード王国軍にとって最悪ともいえる内容だった。
ウォリック公爵は確認のためにポールを呼ぶ。
「ポール・デービス。お呼びにより、参上いたしました」
ポールは全力で走ってきたのだろう。
肩で息をしながら名乗る。
「ご苦労。まずはこれを見てくれ」
「はっ!」
ポールは伝令の報告書を見る。
「えっ、なんで!?」
ウォリック公爵の前だというのに、ポールはうろたえる。
それだけ驚く内容が書かれていたからだ。
「なんでアルビオン帝国軍が塹壕を!?」
――穴を掘って土嚢を積んで砲撃に耐える。
アイザックが大砲対策として考えた塹壕という対処法だった。
それをアルビオン帝国軍が行っているらしい。
ポールは激しく動揺していた。
「私にもわからん。城攻めで安全に近づくために溝を掘るというのはよくある事だが、それを防衛で使うのは珍しい。これまで大砲に似た攻撃を受けた事があるのかもしれん」
ウォリック公爵の考えは当たっていた。
アルビオン帝国は大国とはいえ、魔法使いの数が特別多いというわけではない。
同盟を組んだ周辺国の圧倒的な数の魔法使いによって、局地的に不利な状況を作られた事がある。
その時に役立ったのが塹壕だった。
土は衝撃を吸収する。
しかもコンクリートなどとは違い、どこの戦場でも簡単に手に入る。
兵器の発達した現代戦でも土嚢が使われるのは、どこでも入手できて優秀な防護壁となるからだ。
その事をアルビオン帝国も経験から理解していた。
一メートルほど掘り下げ、堀った土を前面に積み上げる。
それだけでも平均的な魔法使いの魔法なら、氷や岩を飛ばしてこられても兵を守るのには十分である。
リード王国軍の攻撃が鉄の球を飛ばしてくるのなら、これでも十分なはず。
そう考えたファーネス元帥は、塹壕を掘ってリード王国軍を待ち構えていたのだった。
「お前もこれはアイザック陛下がおっしゃっていたものと同じに思うか?」
「陛下は袋に土を詰めるとおっしゃっていましたが、おそらく効果は同じだと思います。鉄球は土でバウンドしますから……。一度掘った土なので柔らかいでしょうし、埋まってしまうという可能性もあるでしょう」
「つまり、大砲は効果がないと?」
「たまたま塹壕の中に弾が飛び込まない限り、大砲では被害を与えるのは難しいと思います」
「陛下のおっしゃる通りならば、爆発するロケット砲のほうが有効だったが……」
塹壕を攻撃するなら大砲よりも、破壊できるロケットのほうが有効的。
そうアイザックが話していたが、初戦で全弾を討ち尽くしてしまったため、ロケット砲部隊は補給のために一時帰国している。
このままでは砲撃による被害は与えられそうにない。
思っていたよりも早く難しい問題に直面してしまった。
「あの、よろしいでしょうか?」
ウォリック公爵の側近が申し訳なさそうにしながら発言の許可を求める。
「どうした?」
「砲撃にこだわらずに考えてみるのはいかがでしょうか? わざわざ穴の中に兵を入れているのです。敵軍の陣形が固定されているのですから、どこを攻撃するか選べるこちら側が有利なのではありませんか?」
ウォリック公爵は、しばらく目をパチパチとさせてから、ポールと見つめ合う。
ポールは気まずそうに視線を逸らした。
(砲撃が有効だったから、どう使うかに気を取られてしまっていたか!)
(相手が砲撃に対応してきた事に驚くばかりだった……)
二人とも砲撃の目覚ましい結果に目を奪われてしまっていたようだ。
「砲撃にこだわらなくてもいいのでは?」と言われれば「そうだね」としか答えようがない。
気まずい思いをしていたが、ウォリック公爵は口を開く。
「どうせ残りの弾薬も少ないんだ。一度砲撃を加えて実戦での塹壕の効果を見てみるだけにするか。味方の兵士で試すわけにはいかんしな」
さすがに塹壕の効果を確かめるためとはいえ、生きた人間を中に入れて砲撃実験するわけにはいかない。
実戦で試せるのだから、実験だと割り切ってしまえばいい。
そう考えを切り替えた。
「ポール隊長は砲撃の準備だけを進めておくように。あとの計画はこちらで考えておく」
「了解いたしました!」
気まずさを覚えていたポールは、そそくさとその場を立ち去った。
「では騎兵からより多くの斥候を出させろ。気球も準備させるんだ。まずは敵の陣容を調べる」
「了解です!」
ウォリック公爵はここから逃げるわけにはいかないので、なにもなかったかのように振る舞うしかなかった。