716 二十六歳 雑兵の切り崩し
六月二十日。
ウォリック公爵達は会議を開いていた。
主だった将軍や、ハーミス伯爵といったアーク人民解放戦線の面々も出席している。
その議題は難しいものだった。
「アルビオン帝国軍には多くのアーク国民が組み込まれている。彼らの犠牲を最小限に抑えたいのです」
ハーミス伯爵達の要求は理解できるものの、勝利を考えるのならば後回しにされる類のものだった。
被害を最小限に抑えるという事は、彼らを逃がすか捕らえるかしなくてはならないという事だ。
ただ敵を倒せばいいという戦い方と比べるまでもなく、難易度が段違いである。
「そんな事はできない」と即答したいところだが、ハーミス伯爵の境遇に対する同情や、今後の統治を考えると彼の頼みを無下にはできない。
「アルビオン帝国にいる兵士の家族を救い出すにしても、まずは正面にいる敵を倒さねばなりません。それから兵士の家族を安全地帯に移動させるとなると……。アーク王国内に侵入しているアルビオン帝国軍を倒すよりも難しいでしょう」
「数十万人の民を護衛しながら戦うのは不可能とは申しませんが、多大な被害を覚悟しなくてはなりません」
将軍達からは否定的な考えが出る。
それはウォリック公爵が思っているであろう事を代弁するためだ。
元帥という最高責任者が直接否定すれば角が立つ。
配下の強い反対によって渋々諦めるという形を作るための行動だった。
しかし、すぐに採択は取るような事はしない。
悩んでいるという形を作るため、他の意見を聞きながら考えるフリをする。
「お飲み物をお持ちしました」
「では一時休憩としようか」
議論が行き詰まったところで、ウォリック公爵の秘書官が飲み物とお菓子を持ってきた。
ウォリック公爵としても、ハーミス伯爵に決断を告げる前に一息入れられるのはありがたい。
休息を取る事にした。
秘書官の背後から数名の騎士見習いがお茶などを運んでくる。
その中の一人がウォリック公爵に近付く。
「元帥閣下、私の事をご存じでしょうか?」
「お、おい。なにやってるんだ?」
他の騎士見習いが止めようとするが、その騎士見習いは堂々とした視線をウォリック公爵に向けていた。
(二十半ばといったところか。この年で騎士見習いをやっているのは珍しいが……)
「いや、知らんな」
もしかしたら、年齢的にアイザックの同級生だったりするのかもしれない。
だが知らないものは知らない。
彼は正直に知らないと答える。
「では私の家族や友人もご存じありませんか?」
「名も知らぬというのに、なぜお前の家族を知っているというのだ? まずは名を名乗れ」
「それでは、敗走中にもし私が逃げ出したとしても、戦死したか敵前逃亡したのかもわかりませんね?」
「貴様!」
ウォリック公爵は目をひん剥いて騎士見習いを睨みつける。
名前を名乗る事もせず「逃げても気づかないだろう?」と言い出したのだ。
このような者を許す事などできない。
将軍達が動く前に、他の騎士見習いが集まって彼を拘束する。
しかし、ウォリック公爵の脳裏に、ある情報が浮かんだ。
彼は騎士見習いから視線を外し、テーブルの上にある書類を探り始める。
そして、その中から一枚の報告書を取り出し、そこに書かれている事を読み上げる。
「アルビオン帝国は正規兵と民兵の接触を最小限にしている。お互いの名前すら知らないと愚痴っている。戦って死ねと命じるようなものなので、兵士達に情が移らないようにしているようだ、か」
ウォリック公爵は先ほど騎士見習いが言った事と、この情報を組み合わせて、なにかできないかを考え始める。
「アルビオン帝国軍に組み込まれている民兵に『名前を憶えられていないのなら、誰が戦死したかどうかもわからない。降伏しても家族が処罰される心配はない』と伝えれば、アルビオン帝国正規軍だけを相手にするだけでよくなるのではないか?」
「おおっ、それは名案ですな!」
ハーミス伯爵が、ウォリック公爵の案に賛同を示す。
戦って心をくじいて降伏させるよりも、戦う前に戦意を失わせるほうがいい。
「民兵の部隊は指揮官がアルビオン帝国兵というだけで、そのほとんどが徴兵されたアーク国民ばかり。指揮官を殺せば、あっという間に統制は取れなくなるでしょう。あちらは寄せ集めなので、暗殺のためにこちらの兵を潜り込ませる事は簡単でしょう」
「ならば攻勢時期をずらす必要があるな」
七月一日にアルビオン帝国軍へ攻撃を仕掛ける予定だった。
根回しをするにはまだまだ時間がかかる。
急いで延期を伝えねばならなかった。
「マクドナルド殿、一カ月あれば根回しは可能かな?」
「エルフの診療所を続けていただけるのであれば可能でしょう。いえ、やってみせます。是非とも時間をいただきたい」
「わかりました。では侵攻開始時期を一カ月遅らせましょう」
「感謝いたします!」
ハーミス伯爵が深々と頭を下げる。
アーチボルド達がどうなろうと彼はどうでもよかった。
だがアーク国民は、自分の復讐に巻き込まれた被害者だ。
一人でも犠牲者を減らしたいと考えていたので、ウォリック公爵の提案に喜んで飛びつく。
ウォリック公爵は彼に笑みを見せると、見習い騎士に視線を移す。
「それで、お前の名前と出身地は?」
「グリッドレイ地方のハーバー州オマリー村のカーンです」
「グリッドレイ地方出身の平民か」
元グリッドレイ公国出身者でも、見どころのある者の一部はキンブル総督が中央へ送りこんでいた。
見習い騎士は十代から始めるが、二十代になってからリード王国正規軍の見習い騎士に推薦されたのだから、それ相応に見どころがあるのだろう。
先ほどの問答からも、彼の能力は窺う事ができる。
ウォリック公爵に答えのヒントを与えるだけに留める事で「答えを導き出したのは元帥閣下だ」と功績を譲る事ができる。
「俺がこの状況を打破する方法を考えた」と誇る事もできたのにだ。
平民が自らの手柄を誇るよりも、上官に手柄を譲って取り入るという形を取ったほうが得策だと考えたのだろう。
貴族社会では後ろ盾のない調子に乗った平民など簡単に潰される。
どうすれば平民の自分が貴族社会で生き残り、出世できるのかを理解している。
これは若者とは違い、年を取った経験が生きているのだろう。
「離してやれ」
彼を解放するように命じると、他の騎士見習い達はその手を放す。
「カーンと言ったな。覚えておけ、私やアイザック陛下は部下の功績を奪うような狭量ではない。良い案が浮かんだのなら、回りくどい事はせずにハッキリと進言しろ」
「了解いたしました!」
ウォリック公爵は自分の事だけではなく、さりげなくアイザックの事も含めていた。
「さて、お前は将軍が集まる中で勝手に発言した。その事は処罰せねばならんが――」
カーンは表情を強張らせる。
「両軍合わせて数万の人命を救うかもしれない進言をした。だから今回は不問に処す。手柄が欲しかったのだろうが、今後は意見を述べる時には発言の許可を求めろ」
「申し訳ございませんでした。閣下の温情に深く感謝申し上げます」
「それと褒美も与えねばならんだろう。とりあえず、お前を騎士見習いから騎士に昇格する。前衛と本陣回り、どこに配置してほしい?」
ウォリック公爵はカーンの配属先にどこがいいのかを尋ねる。
彼は迷わずに答える。
「前衛でお願いいたします。私はグリッドレイ地方出身ですので、リード王国軍の一員として忠誠と勇気を示したいのです」
「いい心がけだ。この作戦が上手く進み、お前が生き残っていれば未来は明るいものとなるだろう。頑張って生き残れよ」
「はっ!」
カーンが敬礼する。
その彼を見て、ゴードン将軍は一言言いたくなった。
「元帥閣下の生き残れという言葉は、敵と戦って、その上で生き残れという意味だ。逃げてでも生きろという意味ではない。閣下のご寛恕に甘えるような真似は決してするな」
「騎士に任命してくださった元帥閣下に恥じぬよう誠心誠意努める所存。将軍閣下のお言葉、ありがたく胸に刻んでおきます」
「わかっていればよい」
――ウォリック公爵に褒められた若者に、ちょっとマウントを取りたくなった。
それだけである。
カーンが上手く対応したので、ゴードン将軍はそれで満足した。
(以前、貴族にでも仕えていたのかもしれんな。帰国したらこやつの事を調べてみるか)
二人のやり取りを見て、ウォリック公爵はそう思った。
少しお茶は冷めてしまったが、用意されたものを配ると見習い騎士達は出ていった。
「おい、ああ、いや……。騎士殿、元帥閣下の前であんな事を言い出すのはマズイですよ。自信があったとしても気をつけないと」
カーンの同僚だった見習い騎士が先ほどの行動を注意する。
だが、カーンに気にするそぶりはなかった。
「処罰されるとしても殺されまではしないだろう。現状を打破するヒントを与えたのに、その行動を咎められれば見習いをやめて、どこか他の国に仕官するだけだ。俺は一度仕える国がなくなった。リード王国で生まれ育ったお前達と違って、自分を評価してくれるところに行くだけさ。元帥閣下が認めてくださったから残るけどな」
「なるほど……」
騎士見習い達は、なんとなく「こういう奴が出世するんだろうな」という感想を抱いた。
敵に立ち向かう勇気ならば負ける気はしない。
しかし、彼のように上官に対して強気に出る事はできない。
なぜなら彼らは昔からのリード王国の人間だからだ。
相応のしがらみがあるため、周囲に迷惑をかけない立ち回りをしなければならない。
カーンのように「命以外はなにも失うものはない」という立ち回りなどできないのだ。
それは直感的に感じ取っていても、簡単に真似のできる事ではなかった。
会議の結論が出たところで、ウォリック公爵はファーティル公爵ら東部の部隊に伝令を出す事にした。
今回は馬ではなく、飛行兵を使った伝令である。
アルビオン帝国軍との戦端を開くのを遅らせるという情報を早めに伝えておかねばならないからだ。
「では頼んだぞ」
「お任せください!」
宮廷魔術師から飛行兵へと転科した兵士が敬礼をする。
不慮の事故を考えて、彼らは二人一組で飛行する事になっている。
彼らはハンググライダーに乗り込むと、魔法を使って空に飛び立つ。
その姿をウォリック公爵は眺めていた。
「さすがはアイザック陛下。先を見通しておられる。飛行兵の効果を見て、そう実感させられる」
騎兵だと馬を休ませながら進むので、一日に四十キロも進めば上出来だ。
だが実際は坂道などもあるので、そこまでは進めない。
しかし、飛行兵は違った。
風さえ良ければ、彼らは一時間で四十キロ先まで手紙を届ける事ができる。
しかも森や丘を気にする事なく、一直線に飛ぶ事ができるので曲がりくねった道なども関係ない。
考えていたよりも遠くへ早く手紙を届ける事ができるのだ。
その効果は、これまでにも実感していた。
「この飛行兵の存在だけでも戦局は大きく変わるぞ」
戦前、ウォリック公爵は「伝令に宮廷魔術師を使うなら、戦場で一人でも戦力にしたい」と考えていたが、今はその考えは変わっていた。
その一人を伝令に回すだけで、遠くにいる味方部隊と連携を取りやすくなる。
敵軍を挟み撃ちしやすくなるなど戦術の幅が広まるのだ。
より多くの戦果を残す事ができるだろう。
連絡手段の高速化による効果を、戦場に出ずともアイザックはわかっていた。
その事に驚きながらも、自分の人を見る目が正しかったと満足していた。