713 二十六歳 強者と弱者
大使が言った事は本当だった。
リード王国軍は以前反乱軍が支配していた領域を占領するだけで、それ以上占領地域を広げようとはしなかった。
アーク王国軍はリード王国軍の動きを怪しみながらも、治安維持に必要な兵だけ残して、大半の兵を西部に動かした。
リード王国が攻めてくるのなら、元々いた兵では防ぎきれない。
それならばリード王国が攻めてこないという事に一縷の望みを託して、アルビオン帝国を防ぐのに全力を振り分けるほうがいいと割り切ったのだ。
幸いな事に、彼らの願い通りリード王国は動かなかった。
援軍として共にアルビオン帝国と戦ってくれないのは不満だったが、最悪の結果にならなかっただけマシだと考えるしかなかった。
それに一応は反乱軍の領域に布陣してアルビオン帝国軍の注意を引きつけてくれている。
以前よりかは負担が減っているので、多少はプラス要素となっていた。
だが、そのリード王国軍はというと――
「怪我人がいれば治療する。遠慮なく申し出よ」
――アルビオン帝国軍に徴兵された民兵を治療していた。
北部方面のアルビオン帝国軍も酷い状況で、リード王国やトライアンフ王国から支援のあった反乱軍に比べ、凍傷で鼻や指がもげるという負傷者が多い。
今の段階で戦端を開く予定のないリード王国軍は、アルビオン帝国軍と交渉した際に負傷兵が多い事に気づいた。
そして彼らが元アーク王国民だという事にも早い段階で気づいていた。
アーク国民にはいい顔をしていたほうが都合がいいので、彼らの治療をウォリック公爵が命じたのだ。
「指が治った! これでまた畑仕事ができる!」
「よかった、鼻が治って本当によかった……」
「お前は顔しか取り柄がないもんな」
「うるせぇよ」
治療を受けた兵士達は浮かれている。
生涯残る傷が治ったのだ。
その喜びもひとしおである。
治療したエルフも嬉しくなる。
「けど、怪我が治ったら治ったで戦争しないといけないんだよな……」
「なんのために治療してもらったんだかわからなくなるな……」
だが彼らはすぐに肩を落とした。
怪我が治れば、また最前線送りになるからだ。
今のところ北部方面の情勢は穏やかだが、他方面に送り込まれるかもしれない。
ここに残る事ができれば安全だろうが、いつかはリード王国軍と戦う事になるだろう。
治療をしてもらった相手とは戦いたくない。
いずれにせよ、彼らの未来は明るいものではなかった。
「戦うのが嫌なら投降すればいいんじゃないか? 元々アーク王国民だったのなら抵抗もないだろう?」
彼らにリード王国の兵士が声をかける。
しかし、彼が期待していた反応は返ってこなかった。
「そうしたいところなんだが、家族がアルビオン帝国にいるんだ」
「降伏したなんて知られたら家族がどうなるか……」
「そうか、そんな事情があったんだな……。他にもなにか教えてくれないか? なにか手助けできる事があるかもしれない」
リード王国の兵士は、さらなる情報を聞き出そうとする。
アルビオン帝国の兵士は「親切な奴だな」と思ったのと、辛い思いを誰かに話したいという気持ちから口が軽くなっていた。
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「――以上が診療所からの報告です」
「なるほどな、アルビオン帝国軍の大半が難民を徴兵したものか」
「装備がバラバラだったのも、そのせいだったのか」
――セントクレア地方の復興部隊が、道中で行った医療行為。
それが高評価だったため、北東部を制圧しても民衆の抵抗はなかった。
だから彼らを真似して、アーク人民解放戦線やアルビオン帝国軍の怪我人や病人を治療してやったのだ。
しかし、ウォリック公爵は治療を行うだけではなく、同時に相手から情報を引き出そうとしていた。
どうやらそれは成功のようだった。
アルビオン帝国軍の正規兵であれば、情報漏洩防止のための教育を受けていなくとも、必要以上の事を話してはいけないと思って口をつぐんでいただろう。
だが彼らのほとんどは強制徴集された難民であるため、アルビオン帝国への愛国心も欠片も持ち合わせていない。
だからペラペラとすんなり話してくれた。
その情報は、リード王国にとって有用なものとなっていた。
ウォリック公爵は意外にも頭を使うタイプだった。
アイザックへのアピールも「搦め手を使うよりは真っ直ぐに押すほうがああいうタイプは弱い」と考えていたからだ。
もっとも、七割方は素の性格ではあったが。
「こちらの方面は九割方が民間人を集めた雑兵ばかりというが、アーク王国軍が対峙しているアルビオン帝国軍も数の割には侵攻が遅い。あちらも雑兵ばかり集めているという可能性はあるな」
「その場合、アルビオン帝国正規軍がどこにいるかが重要になってきますね」
「ああ、その通りだ。きっと奴らの主力はどこかで爪を研いでいる。これを見誤ると危険だぞ」
攻めるにあたり、一番の問題はアルビオン帝国軍本隊だった。
雑兵相手に戦い疲れたところで横槍を入れられてはたまらない。
アーク王国からの難民を使い捨てにしている事から、正規軍は切り札として温存している事が予想できる。
主力の居場所は警戒しておかねばならなかった。
「アーク王国の首都圏を攻めるため、あちらに集まっている。そう考えたほうが気は楽になるが、思い込むのは危険だ。私の祖父もアルビオン帝国相手に戦死している。アーク王国軍よりもリード王国軍を優先的に狙ってくる可能性も十分にあるのだからな」
「ええ、私の父も先々代と共に亡くなりました。復讐を考えて返り討ちに合わないように気をつけないといけませんね」
ウォリック公爵家は、過去にアルビオン帝国との戦争で大きな被害を出していた。
その時もアーク王国への援軍によるものだったので状況は似ている。
同じ轍を踏まないように細心の注意を払っていた。
もちろん、隙あらば報復はするつもりである。
「まずはアルビオン帝国軍の動きを見よう。奴らがアーク王国中部への攻勢を仕掛けるようであれば隙ができる。その場合、アーク王家は見捨てる事になるが……。まぁ問題なかろう」
彼らもハーミス伯爵達がされた事は知っている。
反乱を企てたのならばともかく、リード王国との同盟再締結を主張して処刑されそうになったというのは、リード王国の貴族として不愉快極まりない事だった。
アイザックから「アーク王国は無理に助けなくていい。アルビオン帝国軍の撃滅を優先してほしい」という指示をされてなくとも、アーク王家を率先して助けようとは思えなかっただろう。
彼らは自分達の勝利のため、アーク王国はアルビオン帝国軍を釣るための釣り針のようにしか考えていなかった。
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そのアルビオン帝国軍はというと、アーク王国西部から動けないでいた。
それはリード王国軍のせいである。
「リード王国軍は北部から動いていない。だがそれはこれからも動かないというわけではない。動かないだろうと思い込むのは危険だ」
アルビオン帝国軍の指揮官、ファーネス元帥も細心の注意を払っていた。
相手はたった二年で二カ国を攻め滅ぼしたリード王国軍である。
しかもエルフを地方領主として王国に組み込んだ。
反乱軍の支援にまとまった数のエルフを送り込んでいる事も確認されているため、難民の集団という域を越えない北部方面軍では時間稼ぎもできないだろう。
それどころか正規軍でも相手をするのは厳しいかもしれない。
下手に動く事ができない状況だった。
「アーク王国の王都までは攻め落とし、占領地はそれ以上増やさない。軍を温存してリード王国軍を威嚇しながらアーク王国の西半分を割譲させる。それくらいが無難だと思うが皆はどう思う?」
ファーネス元帥は兵の損耗を最小限に抑えるにはどうすればいいのかを考えていた。
いくらエルフがいるとはいえ、万全の軍を相手に戦うのはリード王国側も躊躇するだろう。
――被害の少ない大部隊を相手に戦う。
自軍が受ける損害を考えれば、正面切っての戦いはできる限り避けたいはずだ。
だからアルビオン帝国軍本隊の消耗を抑え、その存在感で決戦を回避するという方針を考えていた。
「その考えは正しいと思いますが……。リード王国軍の元帥はウォリック公です。祖先の恨みを晴らすために、あちらは決戦を望んでいるのではないでしょうか?」
――貴族は過去の遺恨を忘れない。
数ではアルビオン帝国軍が圧倒しているが、質ではリード王国軍が上かもしれない。
リード王国に赴任している大使から「アイザックもアーク王国の分割統治に賛成のようだ」という報告を受けているが、相手はウェルロッド公爵家の当たり年である。
そう思わせるだけ思わせて裏切ってくる可能性が高い。
アイザックの言葉を鵜呑みにして軍を動かすのは危険だった。
「アーク王国軍と合流していればまだよかったですが、北部に駐留しているのがいやらしい。我らが東進すれば北から横腹を突かれるかもしれません。今のアーク王国軍でもそれなりに時間は稼げるでしょうからな」
普段は勇猛果敢なバーラム将軍も、今回は慎重な判断をするべきだと考えていた。
勇敢だからといって退く事を知らないわけではない。
時には退いてもいいとわかっているからこそ、誰よりも勇敢に前に出る事ができるのだ。
「バーラム将軍。夏までに王都へたどり着けるか?」
「兵の損耗を考えなければ」
ファーネス元帥から、この質問をされる事を予想していたのだろう。
バーラム将軍は即答した。
彼の答えに元帥は満足そうにうなずく。
「本隊から魔導師団を含む二万を預ける。夏が終わるまでに王都を陥落せよ。南部方面軍にもアーク王国軍の動きを止めるために攻勢を仕掛けさせる。北部はウォリック元帥に使者を送り、交渉によって時間を稼げるだけ稼ぐとする」
「お任せください。軍の損害は極力減らします」
「頼むぞ」
彼らの目論見のため、民兵がさらに厳しい境遇へと追いやられる事となった。
それも当事者の意思など関係なく。
――強者の意思によって弱者の意思など踏みにじられる。
かつてアイザックがエリアスやジェイソンに対して危惧していた事が、ここアーク王国で実現していた。