710 二十六歳 寒暖差
今年もよろしくお願いいたします!
リード王家において重要な家族会議が開かれていた。
「この件についてみんなはどう思っている?」
アイザックが深刻な表情をしながら妻達に問う。
「ペットくらい飼ってあげてもいいのでは?」
「私もそう思います」
パメラの意見に他の妻達も同調する。
しかし、アイザックは「そうしよう」と即答しなかった。
「ではインコやオウムといった鳥なんかどうだろうか?」
「子供達は犬や猫を飼いたいと言っていますけど?」
「犬や猫はね……」
子供達の願いは叶えてやりたい。
問題は、なにを飼うかである。
「犬は噛んで子供達に大怪我させるかもしれないし、猫も顔をひっかかれたりしたら大変だろう?」
子供を心配するアイザックに対して、妻達は「いつものが出たか……」と冷ややかな視線を送る。
「私は猫を飼っていましたけど、ひっかかれたりはしませんでした。いじわるをしない限りは仲良くできますよ」
まずはロレッタがアイザックの言葉を否定する。
「陛下はパトリックを飼って後悔されていたのですか?」
「最高の友達だったけど……」
リサの鋭い指摘により、アイザックの目が泳ぐ。
「私もパトリックとの楽しい思い出は心に残っています。子供達にも良い思い出になると思いますよ」
ティファニーも、リサの意見に加担する。
これでアイザックの「大型犬は危ない」という意見が封殺された。
もちろん、これは犬種による。
だが大人しい犬種ならば問題ないと、アイザック自身が証明してしまっていた。
「犬はともかく……。猫は机の上に乗って、コップを落としてガラスの破片が飛び散ったりするかもしれない。ひっかかれたりする事はなくても危ないだろう?」
「猫と遊ぶ時は、木のコップやお皿を使わせればいいだけじゃないかな?」
アマンダが極々普通の対処法を答える。
「私も……、猫は好き……。可愛いから……」
ここでアイザックが「君のほうが可愛いよ」と言えていれば、ジュディスだけは味方になってくれたかもしれない。
だが今の彼にそんな余裕もなければ、そこまで気が利くほうでもない。
この状況を打破するチャンスを、みすみす見逃してしまっていた。
「そもそも子供の怪我って心配するほどのものかな? 王宮に常駐しているエルフもいるし、今は私だっているじゃない。噛まれたり、ひっかかれたりするくらいどうって事ないわよ」
ブリジットがアイザックにとどめを指す。
魔法があれば、エルフでなくとも多少の怪我はどうとでもなる。
アイザックの子供達は、絆創膏を貼って怪我の治りを待つ必要などない。
気軽に魔法で治療を受けられる立場である。
ペットによる怪我などどうという事はないのだ。
「ただペットを失った時は悲しいかな。だいたい十年くらいしか生きられないし」
(これだ!)
意外な事に、そのブリジットが最後の最後で助け舟を出した。
アイザックはチャンスを今回は見逃さなかった。
「それ――」
「でも命の大切さを学ぶには大事なのよねー。命には限りがあるから、思いっきり生きようっていう事を学べるから」
ブリジットの裏切りに、アイザックが憮然とした表情をする。
助け舟だと思って手を伸ばしたら、オールでその手をぶっ叩かれた気分だった。
「私もパトリックが死んだ時は悲しかったなぁ……。命の大切さは、もっと前に学んだけど」
「命の大切さを子供に学ばせるのは大事よね」
またしてもティファニーとリサのタッグが、アイザックの心をえぐってくる。
彼女達に悪気はないのだが、子供同士で殺し合うような事だけは絶対に避けたい。
子供達のためにも、ブリジットの「命の大切さを学ぶのに良い」という発言に乗る。
こうなるとアイザックもなすすべがない。
「ではなにを飼うか、何匹飼うかを話すとしようか」
渋々ペットを認める方向で、建設的な話をしようとする。
しかし、その心中は穏やかではない。
(こうなったのはすべて婚約者候補達のせいだ! ペットが可愛いとかいう話をしやがって! 子供達が一番可愛いに決まってるだろう!)
兄弟仲が良好なので、アイザックはペットを飼う必要はないと思っていた。
むしろ取り合いになったりしないかを心配していたくらいだ。
だからパトリックの事があっても、ペットを飼おうとはしなかった。
なのに、よそから来た子供の一言で、子供達がペットを欲しがるようになった。
子供を心配するという気持ちも本心ではあった。
だがそれ以上に「赤の他人に子供が影響された」という事が、アイザックの嫉妬のような感情を掻き立てていた。
――子供のペットを飼うか飼わないか。
そんな議題を真剣に語り合えるのも、リード王国が平和だからである。
まだ色々と言いたかったアイザックだったが、ぬるくなったお茶をまずそうに口に含み、不満と共に飲み込んだ。
----------
リード王国とは違い、アーク王国では凄惨な状況が繰り広げられている。
その中でも最も悲惨なのが前線付近で起きていた。
「おい、朝だぞ! 起きろ!」
「…………」
「こいつもダメか……」
――アルビオン帝国軍、アーク王国軍、そして近隣の住民。
彼らから多くの凍死者が出ていた。
これは主に砦や柵を建設するために森を伐採したのと、急激に人が増えたせいで薪として使える木材が不足したせいだった。
双方合わせて十万人以上が凍死する大惨事となっていた。
もっとも、アルビオン帝国軍側の被害は徴兵した難民に集中しており、正規軍の凍死者はいない。
アルビオン帝国軍の戦力が目減りしたにもかかわらず、アーク王国側のほうが間接的に被害を受けているようなものである。
ヴィンセントの「難民を使ってアーク王国領を奪うと同時に口減らしをする」という計画は非情なまでに成功していた。
だが彼も兵士の命を効率的に消耗させるため、食料に関しては十分に与えていた。
しかしながら、それには問題があった。
「ぬるま湯でいいから、せめてお湯が欲しいな……」
体を温めるためではない。
食事をするために必要なものだった。
――食事をするのに覚悟が必要な状況だったからだ。
「おい、若いの。一気に食うなよ。一つずつだ。ゆっくり口の中でふやかしてから口を動かせ」
年配者が若者に注意をする。
現地調達により食料は十分にあった。
だが保存が利くように固く焼かれた乾パンは、厳冬により凍りついていた。
下手に触れれば皮膚を引き剥がす凶器となる。
慎重に口の中に入れ、体温で自然に解凍されるまでじっとしておかねばならない。
彼らは生きるために乾パン一つを食べるにも、体温を奪われながら命を削られる思いをして食べているのだった。
寒くなる前までは「肉が食える!」と大人気だった塩漬け肉には、もう誰も見向きもしなくなっていた。
「戦争が嫌で家族と逃げたのに、なんでこんなところにいるんだろう……」
一人の兵士が弱音をこぼす。
だが涙はこぼさなかった。
この寒さで泣いてしまえば、涙が凍って酷い目に遭うとわかっていたからだ。
「いっその事、やっちまうか?」
ある兵士が指揮官のいる天幕へ視線を投げる。
見張り役の正規兵は暖かい場所で過ごしている。
彼らを殺し、暖を取らねば自分達も凍死してしまいかねない。
生きるために行動しなければならない時だった。
「アルビオン帝国にいる家族が……」
「俺も逆らったら家族がどうなるか心配だ」
「だけど俺らがここで死んじまったらおしまいだろう?」
「それはそうだけどさ……」
これまでにも反乱を企てる者は大勢いた。
しかし、その多くは家族が人質に取られているため、考えるだけで実行に移す者はほとんどいなかった。
「黙っててやるから、もうそんな事言うなよ」
「そうだ、やめとけよ」
巻き込まれて同罪として処分されるのが嫌な者達が彼を止める。
周囲の賛同を得られず、一人で行動を移すのは怖いので、反乱を言い出した者は口をつぐむ。
――それで話は終わったはずだった。
翌日、彼の姿は消え、彼がいた部隊には一日分の薪が配給されていた。
――これまでにも反乱を企てる者は大勢いた。
しかし、反乱は巻き込まれるのが嫌だと思った者の密告によって未然に防がれていた。
今回も、たった一日の暖を取るために売られてしまった。
だが彼らを非難する者はいない。
反抗心を持つ気力すら残っていないからだ。
それだけ今日一日を生きる事だけに誰もが必死な状態だった。
彼らは、ただのぬるま湯ですら甘露のような極上の飲み物に感じられていた。