692 二十五歳 フィッツジェラルド侯爵の上奏
家族の集まり以来、アイザックは落ち込んでいた。
(ケンドラに嫌われたかも……)
――妹があれ以来、まともに口を聞いてくれないからだ。
一応、無視はせずに「おはようございます、陛下」と一応は答えてくれるが、どこかよそよそしい。
そんな彼女の態度がアイザックを悩ませていた。
(どうしたら許してくれるんだろうか? みんなも教えてくれないし……。女心って難しいな)
パメラ達も今回の事には助言してくれなかった。
「それくらい自分で考えなさい」と突き放されてしまうのだ。
だがアイザックも馬鹿ではない。
ケンドラが怒った理由はわかる。
しかし、どうすれば許してくれるのかというのが難しかった。
「陛下、そろそろお時間です」
「わかった。行くとしよう」
ずっと考えていたいが、これからフィッツジェラルド侯爵との面会の予定がある。
いつまでも悩んではいられない。
仕方なく応接室へと向かう。
アイザックが訪れた事をノーマンが室内に知らせる。
それから扉を開けると、フィッツジェラルド侯爵が立ち上がって待っていた。
「国王陛下、突然の来訪失礼いたします」
フィッツジェラルド侯爵がうやうやしく頭を下げる。
「事情は伝令が持ってきた上奏文を読んで知っています。持ち場を離れてでも直接伝えたいという気持ちも理解できましたよ」
アイザックは椅子に座ると、フィッツジェラルド侯爵にも座るよう勧める。
彼が着席したのと同時に口を開いた。
「それではアーク王国への仕置きをお考えくださったのですか?」
「ええ、もちろん検討しました」
フィッツジェラルド侯爵は期待に満ちた目を見せる。
しかし、アイザックの視線は冷ややかなものだった。
「検討した結果、現状では手出しするべきではないという結論に至りました」
「なぜでしょうか? 陛下は聖人認定されるほどのお方。あの惨状を見れば、きっとお考えも変わるものかと」
「聖人認定は教皇聖下が勝手に行ったもの。私が望んだわけではありません。今のところアーク王国で起こっているのは内乱。国王として内政干渉は行わず、静観するべきだという判断を下しました」
これだけでは納得しないだろうと思い、アイザックは説明を続ける。
「国が乱れているから周辺国が介入してもいい。そういった前例は作りたくはありません。そのような事をすれば、リード王国が乱れた時に他国の介入を招く事になるでしょう。もっとも、信義にもとる相手には無駄でしょうがね。フィッツジェラルド侯が領主になったばかりの時、慣れない事もあって領地に多少の混乱が起きていました。その時に周辺の領主から『統治がなっていないから我々が統治する』と、領地に兵を送り込まれたらどう思いますか?」
「……恨みますし、放っておいてほしいと思います」
「今のアーク王国も同じ事。一時の感情で動いたら遺恨を残します。リード王国が表立って動けるとすれば、難民の受け入れ人数を増やす事くらいでしょう」
「そこをなんとか――」
フィッツジェラルド侯爵はさらに頼み込もうとしたが、アイザックの言葉に引っかかるものを感じて一度口を閉じる。
「裏ではなにか動かれておられるのでしょうか?」
彼も侯爵である。
すべて言葉通りには受け取らず、アイザックの言葉に隠された意味を見抜いた。
「噂ではアーク王国の話を聞いてファラガット地方の元兵士達が義勇軍を編成したとか。あそこは平民の国でしたからね。平民を虐げるアーク王国を許せなかったのでしょう」
「ほう、それは興味深い噂ですな」
占領したばかりのファラガット地方で、地元の有力者が勝手に義勇軍など編成できるはずがない。
武装するには、当然リード王国の許可が必要だ。
そうなるとファラガット総督のウリッジ侯爵の独断ではなく、アイザックが手を回した可能性が高い。
(私が来るまでもなかったか)
――すでにアイザックは手を回していた。
フィッツジェラルド侯爵は自分の一人相撲だと悟る。
「義勇軍の規模などはわかっているのでしょうか? もちろん噂で聞いた範囲で」
「三千人規模だそうですよ。総大将は元シューティングスター城を守ったハリー・スミス将軍。副官に要塞司令官だったジョンソン・コナー。補佐としてジャスティン・マーロウらが付くそうです」
「彼らの名は聞いた覚えがあります。マーロウ家は特に」
スミス将軍とコナーは、アイザックの戦術により孤立させられて降伏に追い込まれた者達なので、名前は知っていても印象は薄い。
だがジャスティン・マーロウは違った。
平民の国で堂々とマーロウ伯爵家を名乗るイカれた一家である。
「確か葬送騎士団という私兵まで持っていたはずですが彼らも参戦するのですか?」
「生存者の中で参戦の意思を持つ者は義勇兵として参加させています。不屈の十三人衆や憤怒連合会といった傭兵なども含まれているので、ただの民兵よりはマシでしょう。それに今度はまともな戦いができると、士気もそれなりに高いそうですよ」
彼らは擲弾兵により叩き潰されるわ、元帥が逃亡するわという前代未聞の事件に遭遇し、まともに戦う事ができなかった。
リード王国軍を相手にするのではなく、アーク王国軍ならば普通の戦いができるはず。
それにアーク王国軍相手はわかりやすい悪なので、戦ってもいいのかという葛藤に際悩まされる事もない。
「俺達だって本当はやれるんだ!」という証明をしたいという者達が志願しているのでやる気はある。
三千名とはいえ、形だけの義勇軍とは違うのでそれなりの働きが期待できるものだった。
「傭兵団も参加するのですか」
「特に戦災孤児が集まって作られている憤怒連合会は、ファラガット共和国のほうが悪だったと知って『騙された!』と怒り狂っていたそうですからね。平民を弾圧するアーク王国相手には容赦なく戦ってくれるのでしょう」
「それは頼もしい。そうなると食料支援も?」
「行う予定です。それも大規模なものを」
アイザックの言葉を聞いて、フィッツジェラルド侯爵は胸を撫でおろす。
彼の姿を見て、ふとアイザックの頭に疑問が浮かぶ。
「他国の平民の事なのに、そこまで心配されるのですね」
「自領に居た頃なら気にしていなかったかもしれません。ですがあの惨状を目の当たりすると、とても平静ではいられませんでした」
「現地で見るのと情報で知るのとの違いですか。私もファラガット共和国で奴隷にされていたエルフを見たので、その気持ちはわかる気がします」
アイザックは何度もうなずく。
そして口元に指を当てて、ここからは秘密だという仕草を見せる。
「ここからは独り言なのですが――」
フィッツジェラルド侯爵も、こうして独り言という形で情報を与えられる事には慣れている。
ここからは誰にも話してはいけない内容だと理解した上で、アイザックの言葉に耳を傾ける。
「アーク王国で反乱を起こした者達。彼らはアーク人民解放戦線を名乗り、王国政府と完全に袂を分かつ動きを見せています。そして彼らから援軍要請が来ました」
「反乱軍から援軍要請が? そんなもの――」
彼はハッとした表情を見せる。
「そういえば陛下は『王家からの援軍要請がなくとも、一国民からの援軍要請があれば動く』と公言されておられたような……」
フィッツジェラルド侯爵の言葉に、アイザックは肯定も否定もしなかった。
ただニヤリと笑みを見せただけだ。
だが、それだけでも十分に答えとなっていた。
「万が一に備えていたのが功を奏した形となりました。思っていた形とは違いますが、これでアーク王国に介入する口実ができます。ですがすぐにではありません。当面の間は義勇軍の派遣や武器供与といったくらいでしょう。準備もせずに動けば戦場になった地域に住む人々が困りますのでね」
「食料の現地調達など行えば、アーク王国軍と変わりません。そうならないようにするのは正しい事だと思います」
話しているうちに、ふと一つの考えがフィッツジェラルド侯爵の頭に浮かんだ。
「難民を支援するためという名目なら大量の食糧を輸送していても不自然ではありません。……いつから、どこまでお考えだったのですか?」
彼の頭には「すべてアイザックの計画通りに進んでいるのでは?」という考えが浮かんでいた。
それが事実なら、いつから計画していたのが気になった。
「天罰が下ると聞いた時、という事にしておきましょうか。天罰はアーク王国首脳部が受けるべきで臣民は関係ありません。彼らを助けるため、そして万が一の事態に備える対策は考えていた……という事にしておきましょうか」
「さすがは陛下、そこまでお考えだったとは」
「ただの独り言ですよ。これが事実かどうかはわかりません」
「そうでした」
二人はフフフッと笑う。
(まさか喧嘩を売るための準備が役立ったなんて言えないよなぁ)
(神託を受けた教皇聖下の演説から、ここまでの間にこれだけの計画を立てておられたとは。さすがは陛下だ。そしてやはり民を救うための行動をするという決断まで早い)
「私がアーク王国に制裁を加えるべきだと進言するまでもなかったようですね」
「そんな事はありません。私も現場の声を聞けてよかったです。私の独り善がりではなく、アーク王国の所業に怒りを覚えている方々がいるとわかっただけでも心強いですから。ですが今すぐにというわけではない事を覚えておいてください」
「もちろんです」
「それと――」
アイザックの笑顔が邪悪なものを含んだ笑顔へと変わる。
「現状を見かねたリード王国がアーク王国へ援軍を出そうと考えている。これをここだけの話、という事でゆっくり広まるように噂を流しておいてください」
「よろしいのですか? このような行動は秘密裏にしたほうが……。アーク王国への援軍でよろしいのでしょうか?」
「ええ、嘘ではありませんから。そのような噂が流れればアーク王国も動く事になるでしょう。その反応が見たいのですよ」
「それでは任地に戻り次第、部下にそれとなく話してみます」
「お願いします」
アイザックはせっかくなので、フィッツジェラルド侯爵の動きを利用する事にした。
使えるものは使うべきである。
そのほうがリード王国の被害は少なくなるからだ。
アイザックもすべての人を救えるわけではない。
そのためアーク王国の国民の優先度は低いものになるのも仕方のない事だった。