605 二十一歳 雲を掴むような話
会談後、アイザックは各地の領主に軍の動員に関する命令書を出した。
ファラガット共和国との国境までは馬車なら二ヶ月程度で到着できるが、大軍による移動だと三ヶ月はかかると予想されていたからだ。
四千人規模の軍が横に四人、縦に千人という形で移動する場合、一メートル間隔でも一キロもの長い行列になってしまう。
物資を輸送する馬車なども考えれば、もっと長くなるだろう。
そんなに長い隊列がパレードの行進のように進めるわけではない。
みんながみんな同じ歩幅で歩けない以上、高速道路の渋滞のような現象が起きる。
百名や二百名という少人数で馬車を護衛しながら移動するのとは違って、移動時間を多めに見ておかなくてはならなかった。
アイザックは開戦時期を四月末から五月頭の暖かくなってくる頃に定めていた。
そのためには年末までには出陣準備を整えてもらう必要があった。
だから今から連絡をして準備をさせるのだ。
そして、アイザックが知らせたのは領主達だけではない。
当然、妻達にも告げる。
「――というわけで、私も出陣する。上手くいけば戦争は二年で終わらせるつもりだけど、戦争は相手があるもの。こちらの狙い通りに上手くいかない時もあるかもしれない。けどその場合でも二年後には一度戻ってくる。王都をいつまでも留守にしておくわけにはいかないからね。留守の間は、パメラに後宮をまとめてもらう。みんなにも協力してほしい」
自分の留守中は、正室であるパメラに妻達を任せる。
彼女を代表者として扱う事で「アイザックが彼女を特別視している」と、みんなに見える形にして示すためだ。
「出陣なさると寂しくなりますね……」
「そうですわね……」
リサが呟くと、ロレッタが同調する。
他の妻達も似たような反応を見せていた。
特に結婚から一年も経っていないジュディスやティファニーの二人は、他の妻達よりも不安そうにしていた。
「陛下は二年で戦争を終わらせるとおっしゃいましたが、要塞化された都市一つを落とすのに数カ月かかる場合もあると教わりました。いくら陛下でも、二年で戦争を終わらせるというのは雲を掴むような話でしかないのではありませんか? それに戦場には危険もあります」
だがアマンダは違った。
彼女は父親から戦争に関しての教育をしっかりされていたからか、アイザックの話に疑問を持った。
それもそうだろう。
アイザックはファラガット共和国に戦争を仕掛けるという事だけ話して、詳しい戦争計画まで話していなかった。
和平交渉による領土の割譲などを求めるにしても、二年という期間で区切っているのが不可解だった。
「戦争計画は一部の者しか教えていない。大勢に詳しく説明すると情報が漏れた時に困るからね。この中から情報が漏れたんじゃないかと考えるのが嫌だから話さなかったんだけど……。話を聞かなかったら、どうなるのかわからずに不安だよね」
アイザックは悩む。
しかし、計画を知る者が多くなればなるほど情報が漏れやすくなる。
「ファラガット共和国に攻め込む」という情報を教えただけでも、かなり譲歩したものだったのだ。
これ以上、教えるのは難しい。
だが不安なままでいさせたくはない。
「二、三日待ってもらおうか。計画を話せなくとも、その不安を払えるかもしれない」
そこで一計を考えた。
アマンダは、アイザックが大言壮語を吐いていると思っている。
きっと他の妻達も同じだろう。
ならば計画を教えられないなら教えられないなりに、彼女らの不安を払拭してやるべきだ。
そのための方法を、アイザックはすでに思いついていた。
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二日後、アイザックはみんなを王宮の庭園に呼び出した。
今回は妻達だけではなく、子供達も一緒だ。
広い芝生の上にテーブルや椅子が用意され、ティータイムを楽しむ用意がされている。
そこには、かまどが用意されており、ガラス製のキッチンガードのような囲いがつけられていた。
さらにかまどには鉄パイプで鉄棒のような柱がつけられており、鉄棒の中央から穴の開いた空き缶のようなものが吊り下げられていた。
「お茶を楽しむ前に、まずは見て楽しんでもらおうか」
アイザックは缶の中にザラメを入れる。
熱でザラメが溶けたのを確認すると、補助についている菓子職人に視線で合図を送る。
彼はかまどの横に取り付けられたクランクを回す。
その力が吊り下げられた缶に伝わり、勢いよく回転させる。
すると、缶の中から細い糸のようなものが噴き出した。
アイザックはそれらを木の棒にまとわりつかせていく。
不慣れなため不格好ではあるが、徐々に糸の塊は大きくなっていった。
「綿菓子……」
「ご存知なのですか?」
「ええ、少し」
パメラは、アイザックがなにを作っているのかを察した。
その考えが口からこぼれてしまい、リサが尋ねる。
だが、パメラははっきりと答えなかった。
これからアイザックがなにをしようとするのかわからないものの、その邪魔をしないためである。
リサもパメラがそれ以上話そうとしないので、執拗に聞き出そうとはしなかった。
その間にも、アイザックの手は動き続けていた。
棒から綿菓子を取り外し、皿の上に載せていく。
三皿分作り上げると、残りは菓子職人に任せた。
「おまたせ」
皿をみんなの前に置く。
「ふわふわでくもみたーい」
綿菓子を見て、ザックが感想を述べる。
他の者達はパメラの言葉で「綿」を想像していたが、彼の言葉で「確かに雲のようにも見える」と思い始めていた。
「そう、雲みたいなお菓子だよー。パパは雲も掴む事もできるんだ」
アイザックがそう答えた事で、妻達はアイザックがなにをしたかったのかを悟った。
――雲を掴むような話と言われたので、雲を掴むところを実演して見せた。
そこからなにを言いたいのかまではわからないが、力を見せようとしている事だけはわかった。
アイザックがこれからどうするのかを、みんなが見守っている。
「ほら、ザック。食べてごらん」
アイザックは綿菓子を一口サイズにちぎると、それをザックに食べさせた。
「おいしい!」
「そうか、それはよかった」
砂糖の塊なのでただ甘いだけのはずだが、新しい食感が美味しく感じさせているのだろう。
ザックが喜んでくれたので、アイザックの頬が自然とほころぶ。
「じゃあ、次はクリスだ」
アイザックは子供達に順番に食べさせていく。
生後半年で離乳食を食べ始めたレオンまでは食べさせた。
しかしジュディスの息子マルス、ティファニーの息子アルバインはまだ乳児のため、今回は見送る。
綿菓子を食べられる年齢の子供達は、思い思いに掴んで食べていく。
「では次はみんなだな」
子供の次は妻達である。
だが手ずから食べさせるという意味ではない。
まずは侍女にお茶を入れさせる。
「パメラは砂糖をこれくらいだったかな」
綿菓子という形になったのでわかりづらいが、みんながお茶に入れるくらいの量を入れていく。
お茶に綿菓子が溶けていく様は、大人でもどこか心を弾ませるものがあった。
みんながお茶に口をつけたところで、アイザックは本題に入る。
「以前『雲を掴むような話だ』と言われたけど、私はこうして雲を掴む事もできるんだ。戦争に参加してもきっと大丈夫さ」
「…………」
もしパメラが「綿菓子」の一言を発していなければ、みんなもアイザックが本当に雲を作り出したと思っていたかもしれない。
しかし彼女の一言で「これは簡単に人が作り出せるものなんだ」とわかってしまったため、その感動は薄かった。
アイザックの「大丈夫だ」という言葉にも反応が薄い。
そのため全員がなんとも言えない微妙な反応を見せる。
アイザックはパメラに非難がましい視線を向ける。
彼女は、テヘッと笑って小さく舌を出す。
「子供もいるいい年の大人がなんという仕草をするんだ」とアイザックは思ったが、パメラの整った容姿でやられると許してしまいそうになる。
「不安を覚えるなとは言わない。だが私も妻や子供達を残して死んだりはしない事は約束しよう。今は私をただ信じて待っていてほしいんだ。頼むよ」
「はい、陛下」
「ところで、これは綿菓子という呼び方でよろしいのですか?」
「ああ、もう綿菓子と呼んでいいよ……」
いい事を言おうとしたものの、イマイチしまらない結果になってしまった。
だが、アイザックは充足感に包まれていた。
この世界において子育ては女の仕事だ。
しかも乳母や侍女達といった手伝いがいるので、前世とは違って男が手伝う事はない。
男が子育てに関わるのは教育に関する事くらいだが、今はまだ教育といえるほどの事はしていない。
一緒に遊んだりするくらいだった。
子供と遊ぶだけではなく、もっと子供の世話を焼きたいと思っているアイザックにとって、それだけで満足できる状態ではなかった。
こうして子供にお菓子を作ってやり、直接食べさせるのは彼にとって幸せを感じる事だった。
戦争に対する妻達の不安は拭いきれなかったものの「子供の笑顔が見れたからひとまずよし!」と、アイザックは前向きに考えていた。