588 二十歳 親馬鹿王アイザック
ランカスター侯爵から「王妃として迎え入れてほしい」という正式な返答があった。
そのため、ハリファックス子爵家にも「ティファニーは王妃として迎える」という通達をする。
結婚式は半年ほど先になるだろう。
寵姫と違って王妃は貴族を集めて結婚式をするので、これで結婚の準備をする時間が作れる。
ランカスター侯爵が疲れ切った顔をしていたので、説得が難航していたのだろうと思われる。
しかし、これで現在のところ解決しないといけない問題は片付いた。
あとは随時必要な行動を取っていけばいいだけである。
日常の業務も早くに終わったある日の事。
アイザックは昼間から妻子を集めた。
これまでは「みんな働いているのに真っ昼間から家族と会うのは悪い」という気持ちがあったが、仕事が終わればいいだろう。
みんなが働いている時に家族と過ごす背徳感がアイザックをハイにしていた。
「ザックちゃ~ん、パパでちゅよ~」
「ぱぁぱ」
ザックの可愛さのあまり、思わずキスをしてしまいそうになる。
だがパメラに「虫歯菌がうつる」と言われたのを覚えているので、頬ずりだけで我慢した。
その姿に、パメラとリサ以外の者達が驚いていた。
アマンダとロレッタは、アイザックがここまで子煩悩なタイプだと思わなかったからだ。
パメラは前世のアイザックを知ってはいたが、ここまで子供好きだとは知らなかった。
しかし甘いところがあると知っているので、子供に優しくするのに違和感を覚えなかった。
リサは「ケンドラへの対応を考えれば、実子をこれだけ愛するのも無理はない」と、当然の事として受け止めていた。
「今日は兄弟との顔合わせでちゅよ~」
アイザックは一人一人順番に会わせていく。
ベビーベッドの中にいるので寝ている子もいたが、兄弟の顔合わせを済ませる。
「みんなと仲良くするんでちゅよ~」
「陛下」
アイザックがザック達を前にデレデレとしていると、パメラが話に割り込んでくる。
「そのような言葉を使うのは控えてください。子供の成長を阻害してしまいます」
どうやら彼女は、アイザックが「でちゅねと言うのがキモイ」というのではなく、その言葉遣いが子供成長に影響がないか心配だったようだ。
「パメラ、それは違うぞ。『わんわん』だとか『ねんね』だとかの簡単な言葉を使ってもいい。一番大事なのは言葉遣いではなく、子供とのコミュニケーションだ。他者との交流が子供の成長を促すという論文があるんだよ。情報は常にアップデートしないとな」
もしアイザックがなんの知識もなければ、彼女の言葉をそのまま受け入れただろう。
だが彼には前世で既婚者から仕入れた知識がある。
女子高生だった彼女よりも自信があった。
とはいえ「前世ではそういう話があったらしい」とは言えないため「論文で読んだ」と誤魔化す。
言い返されたパメラは「なにがアップデートだ!」と少しイラッとしたが、眉をピクリとも動かさなかった。
感情を表に出さないのは侯爵令嬢として育てられてきたのと、優秀なパメラの体のおかげだろう。
しかし、彼女も言われるがままではない。
「そうではありません。『でちゅね』という言葉遣いをおやめいただきたかったのです。そういった言葉を使って子供が誤った発音を覚えた場合、矯正するのが大変だそうですよ」
「そ、そうか……」
パメラにも子育てに関する知識があったようだ。
これにはアイザックも言葉が詰まる。
「こんなに可愛いのにか?」
「可愛いからこそ、しっかりとした言葉遣いを教えてあげるほうが子供のためになるのではありませんか? 親の自己満足で子供に負担をかけるのはいかがなものかと」
「むぅ……」
パメラは言われるままではなかった。
イラつかされた分は言い返すだけの気丈さがあった。
だがアイザックを侮辱するのではなく、正論を使ってやり返す。
そうする事で、他の妻達に「私はアイザックを言いくるめる事ができる」と、正妻の座を譲らぬアピールをするのだった。
「ザック、ごめんよ~。今度から気をつけるからね~」
猫撫で声はやめなかったが、アイザックも一応言葉遣いを気をつけようとする。
アイザックがパメラの進言を大人しく受け入れたため、他の者達はパメラが別格の存在だと認識した。
しかし同時に、アマンダとロレッタに乗り越えなければならない壁としても認識されるようになった。
(さすがは元王太子妃候補……、僕じゃあ簡単には勝てそうにない。もちろん負けるつもりなんてないけどね)
(パメラさんは知識が豊富ですわね。私もこれからの事を考えて、最新の知識を集めないと!)
これまでパメラは「アイザックと流れで結婚しただけだ」と思われていた。
だから恋のライバルとしては弱者であると考えられていたが、二人はまるで長年一緒に暮らしてきたかのような関係にすら錯覚させられてしまう。
その熟年夫婦感は、二人に危機感を抱かせる。
「わんわんで思い出したのですが、ペットとかは飼わないのですか? パトリックのように良い友達になってくれると思うのですけれども」
パメラに対して強いライバル心を持っていないリサが、普段通りの口調で意見を述べる。
「あぁ、パトリックは良い友達だったね……」
アイザックは子供達を見る。
前世でも子供とペットが遊ぶ動画は定番の人気動画だった。
見た事のある動画のように、自分の子供達がペットと遊ぶ姿が目に浮かぶ。
だが同時に恐ろしいニュースも思い出す。
「いつかは犬や猫を飼うのもいいだろう。でも今はダメだ」
「なぜでしょう? あなたもあんなに喜んでいたのに?」
「この子達がまだ幼いからだ。パトリックの事を思い出してほしい。家に来て一年ほどで、六歳だった僕を押し倒せるくらい大きくなった。躾をしっかりしていたとしても、もし動物の本能が露わして、子供達に噛みついたりしたら命に関わるだろう? だから五歳くらいまではペットを飼うのはやめたほうがいいと思う」
――大型犬が子供を噛み殺すという事故というのを前世のニュースで見た事があった。
パトリックであれば、ザック達をアイザックの子供だとわかって優しくしてくれただろう。
しかし、今から新しいペットを飼って子供のそばに置くのは、万が一の事を考えると怖かった。
「小さな犬や猫ではどうですか?」
「小さくても爪や牙がある。怪我をしたらどうする? 傷跡は魔法で治せるだろうが、痛みは残るかもしれないぞ」
アイザックの言葉に、リサが小さく溜息を吐く。
「子供を大事に思っている事はわかります。ですがケンドラさんも棘のある花に触れたりして、実際に痛みを知って様々なものを学んでいったのですよ。子供は言葉で言って素直に聞く生き物ではありません。経験から学ぶ事も多いので子供を痛みから遠ざければいいというものではありませんよ」
「それはそうかもしれないけど……。でもやだなぁ……」
この中で一番子育ての経験があるのはリサだった。
そんな彼女に否定されれば、知識しか持たないアイザックは「子供のためだ」と渋々受け入れるしかない。
リサとのやり取りは、二人の絆の深さがわかるものだった。
それだけにアマンダやロレッタは焦る。
だがアマンダには、ロレッタと違って一歩踏み込める強みがあった。
「そういえば、子供の婚約者ってどうなってるのかな?」
パトリックの話はわからないが、子供の話ならば彼女も話に加わる事ができる。
そこで気になっていた事に話題を変えようとしていた。
「アーク王国の王太子に男児がいるらしいから――」
「あそこはダメだ!」
アマンダの言葉を、アイザックが遮った。
その声が怖かったのか、子供達が泣き出した。
しばしの間、大人達は子供をあやすのに時間を使う。
子供達が落ち着いたところで、アイザックは理由を説明する。
「ロレッタとの結婚式のあと、王太子のフューリアスから子供を婚約させないかという提案はあった」
「なら、それを受けてもいいんじゃないかな? 同盟国の結束を固める事にもなるから」
アマンダの言葉はもっともなものだったが、アイザックはかぶりを振る。
「私もそう思った。だからクレアとの婚約はどうかと言ったんだけど、だが奴はなんて言ったと思う? 『母親が男爵令嬢では不満だ』と言ってきたんだ! あんな奴のところに娘はやれん!」
「まぁ、そんな酷い事を」
今思い出しても、アイザックにとっては腹立たしい言葉だった。
パメラも「酷い事を言う人だ」という反応を見せる。
しかし、当のリサは違った。
「他国の王族に嫁がせるのであれば、そのような返事をされるのも当然ではないのですか?」
結婚するまでは「男爵家や子爵家の次男や三男を婿として迎え入れる事ができれば上等だ」と思っていたのだ。
彼女は自分の立場をよく理解していた。
男爵令嬢が寵姫になる事はあっても、王妃になった例はない。
「本来ならば寵姫の娘」として扱われていたであろうクレアが王太子の息子、それも嫡男の婚約者にふさわしいはずがない。
むしろアイザックの提案に無茶がありすぎた。
そのアイザックはというと、ザックをパメラに預けてクレアを抱き上げる。
「こんなに可愛い子のどこに不満があるというんだ!」
「出自でしょう……。メアリーならば喜んでくれるのでは?」
冷静な対応をするリサであったが、アイザックのヒートアップは止まらない。
「そもそもリサの出自にケチをつけるという事は、子爵家出身の母上を含め、私やケンドラの事も心の中で見下しているという事だぞ。ならば私の娘であるメアリーもダメだ。あのような差別主義者のところに娘はやれん。嫁入りしたあと、どんな嫌がらせをされるか……」
「それは……、そうかもしれません」
ルシアの事を持ち出されると、リサも「そんな事はない」と強く否定できなくなった。
リサもアーク王国の事は詳しくないが、リード王国と似たような貴族制度であれば、ルシアの孫にあたるメアリーも王妃にふさわしくないと思われても仕方ない。
それだけこの世界では子爵家と男爵家は低くみられてしまうのだった。
身分の差は絶対である。
だが、だからこそ王族の血統に価値があると思われるのだ。
その事に関する良し悪しは受け取る人によって変わる。
アイザックには悪いほうへと受け取られていた。
「では、この子達の婚約者はどうなさるおつもりですか?」
「この子達は――」
「一生、親元で養うというのはなしですよ」
「くっ……。リサ、王の言葉を遮るのは失礼な行為だぞ」
「ケンドラさんの時と同じやり取りになると思いましたので。そうでなかったのなら申し訳ございませんでした」
「う、うむ、許そう」
――リサに先を読まれてしまった。
そのせいでアイザックは言葉が詰まる。
「でも、こんなに可愛い子供達をずっと手元に置いておきたいと思ってなにが悪いんだ……」
「悪い事ではありません。ですが以前パメラさんに子離れの心構えを持てと言っておきながら、自分が子離れできていないではないですか」
「そうですわね。私達と比べて子供と接する時間が短いから仕方ない面もあるとはいえ、陛下にも率先していただかないといけませんね」
リサが痛いところを突いてくると、パメラも同調して攻撃してくる。
(仲良くやれとは言ったけど、こんなところで連携攻撃を仕掛けてくるのは勘弁してくれよ)
アイザックは助けを求めて、アマンダやロレッタを見る。
「ならば、ザック殿下の婚約者も決めずにおくのですか? 王太子の婚約者は重要になってくるかと思いますけれども。だからパメラさんも生まれてすぐにジェイソンとの婚約が決まっていたのでしょう?」
すると、ロレッタが救いの手を差し伸べてくれた。
「ザックの婚約者も五年――いや、三年後には決める。その頃にはリード王国を取り巻く状況が大きく変わっているはずだ。その時、ザックにとって一番いい相手を選ぶつもりだ」
「そういうお考えですか……。ならば、自然と相手は絞られるかもしれませんね」
「その時までには子供達の婚約者もちゃんと選ぶ。本当だ。だからその時までは待ってほしい」
子供を思いやっている気持ちは本物のようであるが、アイザックの言葉は嘘臭かった。
この時、アマンダとロレッタの二人のアイザックに対する印象が変わった。
結婚前であれば「子供をそこまで愛してくれるいい父親」と思っていただろう。
だが今は違う。
――家庭的で子煩悩な夫=家庭を任せられる夫ではない。
その事に気づいてしまった。
彼女達は妻として、母としての視線で見る事によって、これまでのアイザック像とは違うものが見えてきていた。
アイザックの夫や父としての評価は揺らいだ。
しかし、だからこそ彼女達は自分の存在価値を見出す事ができたとも言える。
目下のところ、目指すはパメラやリサのように意見を言えるようになる事だった。