530 十八歳 ランドルフの頑張り
王宮に到着した頃には、アイザックは泣きやんでいた。
それでも、ランドルフも困っていた。
ニコル達の処刑が終わったあと、泣き腫らした顔で登城したのだ。
ゲスの勘繰りは避けられない。
――本当は、ニコルの事を愛していたのではないか?
こういった噂はすぐに広まる。
ランドルフは、即位前に好ましくない噂が流れるのを恐れた。
だが、彼の心配は杞憂だった。
今のアイザックを相手に、そのような醜聞を広める者などいない。
これまでの実績だけならともかく、ドラゴンの相手までこなす人の形をした化け物を相手に陰口など叩けるはずがない。
心配する必要などなかった。
しかし、ランドルフ本人は「アイザックが泣き崩れる」という状況に慌ててしまい、うろたえていた。
「アイザック、一度屋敷に帰るか?」
そのため、無理をせずに安全策を提案した。
だが、アイザックは首を振る。
「お爺様達に話しておくべきです。そうすれば、必要なフォローをしてくれるはずです」
「私から話しておいてもいいが……」
ランドルフは、ハンカチでアイザックの顔を拭く。
ふと「こうして世話をしてやるのは、いつ以来だろうか」と考える。
アイザックは手間のかからない子だった。
――ネイサンやケンドラと比べれば不気味なほどに。
こうして顔を拭いてやったりしたのは、幼児の時に数えるほどしか覚えがない。
そんなアイザックの顔を、誰もが認める偉人となってから拭いてやる事になった。
その事に、ランドルフは複雑なものを感じていた。
「いえ、直接話したほうがいいでしょう。それが助けを求める側の誠意です」
「そうだな」
ランドルフは心配していたが、アイザックがここまで言うのならば大丈夫だろうと思っていた。
だが、アイザックは平静ではない。
ニコルの事で頭がいっぱいで、必要最低限の事しか考えられない状態だったのだ。
その判断が正しいのかは、まだわからなかった。
馬車から降りると、アイザックが泣き腫らした顔をしていたので、出迎えにきた者達や供回りの者達が驚いた。
「皆も驚いた事だろう。私も驚いた。これは……、一区切りついた事により、感情が溢れ出たものだ」
アイザックが何も言わない事に焦ったランドルフが誤魔化そうとする。
「エンフィールド公の王家への忠誠心は、誰よりも強いものだった。エリアス陛下をお救いできなかった事などもあったので、反逆者の処刑が終わって張り詰めていた糸が切れたのだろう。この事は口外しないでおいてほしい」
ランドルフは皆にそう頼んだが、その必要はなかった。
泣いているのを弱いなどと受け取る者などいなかったからだ。
今のアイザックは、人間の枠を超えた超越者のように思われている。
「人間のようなところもあってよかった」と受け取られていた。
しかし、これもランドルフの言葉があってのものである。
何も言わなければ、それぞれが勝手な想像をしていただろう。
アイザックが先頭では目立つので、ランドルフを先頭に移動する。
まずは宰相であるウィンザー侯爵のところへの報告だ。
処刑が終われば報告にいくと話していたので、彼は応接室でモーガンと談笑をしながら待っていた。
だが、アイザックの様子を見て話が止まる。
「何かあったか?」
「まぁ色々と……」
モーガンの問いかけにランドルフが答えた。
その態度を見て、大きな問題が起きたと判断した。
「重要な話がありそうだな」
モーガンが手を振る。
メイド達が出ていき、残ったのは腹心中の腹心と呼べる者達だけである。
アイザックの部下も、ノーマンとマットといった者以外は出て行った。
「まずは順番に報告致します」
この報告は、ランドルフがする事にした。
その間に、アイザックが立ち直ってくれると信じて。
ランドルフの報告を、モーガン達は平然と聞いていた。
しかし、それも最初だけ。
ニコルが死んだあとのチャールズとマイケルの反応を聞いて、顔色が変わる。
「まさか、本当に……」
「だが、それが事実ならば、ジェイソン達の変貌も納得できる」
モーガンとウィンザー侯爵は顔を見合わせて「信じられない」と話し合うが、実際に見た者がいるのなら信じるしかない。
それに話を聞くだけでも異常さがわかる。
チャールズだけとはいえ、反省の色を見せたのだ。
以前の彼らからは想像もできない変化である。
影響があったと認めざるを得ない。
だが、それはそれで疑問が残る。
――アイザックが、なぜ落ち込んでいるのかが。
聞くのが恐ろしかったが、ランドルフに続きを促す。
「それでアイザックの事なのですが……。あまり多くを語りません。ですが、自分も影響を受けていたと言っていました」
「なにっ!」
またしても、モーガンとウィンザー侯爵は顔を見合わせる。
これは大きな問題だ。
ランドルフも問題だと思っていたが、それ以上に二人は衝撃を受けていた。
ひょっとすると、王家を裏切ったのも彼女の影響によるものだったかもしれないと思ったからだ。
だから、アイザックは落ち込んでいるのかもしれない。
――自分の望む行動と結果ではなかったから。
これは大問題である。
アイザック次第で、今後の国家運営に支障が出るというレベルの問題ではない。
自分達の命に関わる問題だ。
もしもアイザックが「なぜお前達は王家に尽くそうとしなかった! この不忠者!」と考えれば、間違いなくモーガンとウィンザー侯爵は粛清の対象となる。
どの程度、影響を受けているのかを確認したいところだった。
しかし、不用意に尋ねるわけにもいかない。
「アイザック、今の気分はどうだ?」
モーガンが、アイザックに様子を尋ねる。
「最悪ですよ……。もっと早く気付けていれば助けられるはずだったのに、助けられなかったんですから……」
「そ、そうか」
(やはり、心の奥底では陛下を助けたかったのか……)
モーガンは、そう思った。
これはジュードが恐ろしい人物でありながらも、忠臣として働き続けた事が影響している。
アイザックも、本当は父同様に王家を裏切るような人物ではなかったのかもしれない。
裏切ってしまってから、自分の本心に気付くのはどのような気分なのだろうかが気になった。
「その影響というのは、どういうものだったのだ? 今になれば操られていたと思うようなものなのか?」
「……いえ、違います。影響を受けていたとは思わず、あの時はそれが当たり前だったと思うようなものです。自分がおかしな行動を取っていると思わせない。それがネトルホールズ女男爵の力だったのかもしれません」
「そうか……」
モーガンは考え込む。
アイザックの言う事が正しいのならば、ジェイソン達も「自分は間違った行動を取っていない。こうするのが当たり前だ」と思っていた可能性が高い。
エリアスを幽閉した時も彼らには後悔していた様子がなかったので、ニコルの影響だと思えば納得できそうだった。
「ネトルホールズ女男爵が死んで気付けるようになった……か。しかし、魔法を使っていれば近衛騎士達が魔力に気付いたはず。なぜ気付かなかったのか」
「発言よろしいでしょうか?」
「かまわん」
ウィンザー侯爵の疑問に、マットが発言の許可を求めた。
なにかのヒントになればと、すぐさま許可を与える。
「私は先祖より、ずっと受け継がれるような強い呪いを受けておりました。それはクロード殿とブリジット殿のおかげで解呪されましたが、これまで人間の魔法使いには解呪どころか、呪いと気付かれる事はありませんでした。エルフも気付かぬほど微量の魔力で、時間をかければ影響を与える事も可能なのではないでしょうか?」
「微量の魔力で時間をかけて……。王立学院の仕組みが仇となったか」
マットの説明を聞き、ウィンザー侯爵は理解できたような気がした。
だが、それがすべて正しいとは思えない。
もっと複雑な何かがあるような気がしていた。
「ネトルホールズ女男爵が不思議な力を持っていた。その噂は広がるだろう。もしかすると、ジェイソンを救えていたかもしれないと言い出す者が現れるかもしれない。アイザックには立ち直ってもらわねば困るぞ」
「即位式はまもなく行われる。今日のところは帰宅して、落ち着いてもらったほうがいいだろう」
モーガンとウィンザー侯爵は、まずはアイザックに落ち着いてもらおうと言い出した。
ランドルフも、その意見に賛成だった。
家族と過ごせば、アイザックも立ち直る事ができるだろう。
今はパメラやリサがいる。
特にパメラのお腹を見れば、アイザックも前を向いて頑張ろうと思うはずだ。
「では、私が連れて帰ります」
「うむ、任せるぞ」
アイザック抜きで話は進む。
アイザック自身も仕事をする気分にはなれなかったので、反対はしなかった。
「すみませんが、あとを頼みます」
二人にあとの事を任せ、素直に帰宅する事にした。
アイザックも、自分のしでかした罪を受け入れるために、一人になる時間がほしかったからだ。