461 十八歳 別れの悲しみ?
クリストファーに、フェリクスやダッジ、ジークハルトとクロードといった者達と話す機会を作った。
彼もダッジの事を気にしていたし、親族の不安を取り除いておきたいと思ったアイザックの思惑も合致したからだ。
クリストファーは話す前から難しい顔をして、ダッジを見ていた。
「領内を通過した時と比べて、覇気がないというか……。体調が優れないようですが……」
彼が難しい顔をしていたのは、ダッジの顔に力がないからだったようだ。
敵対はしていたが、つい心配してしまう。
「気分が優れないのは事実ですが、体調には問題ありません」
「まぁ、事情があるとはいえ、捨てるような形で国を離れるのは心苦しいでしょう」
クリストファーも、彼らが領内を通過する時に事情を聴いている。
元帥という立場にあった者が、国を捨てる心苦しさは想像以上のものだろう。
「いえ、この悩みはエンフィールド公によるものです」
「えっ? あぁ……、そうでしょうね」
彼は「裏切らないように脅されたんだな」と考えた。
それが最も納得できる答えだったからだ。
「気球というものを見せていただきました。噂に聞いてはいたものの、本当に空を飛ぶとは……」
しかし、ダッジの答えは違った。
アイザックのせいではあるが、それは発明品のせいだという意味だったのだ。
「クリストファー殿、あなたも軍を率いる身。高所の優位性はおわかりでしょう」
「一方的に攻撃できるというものですね」
――重要拠点に壁が築かれるのはなぜか?
敵の侵入を防ぐというだけではない。
高い場所から攻撃を仕掛けると有利だからだ。
弓矢を射かける場合、低い場所から高い場所を狙う場合、近くに寄らねばならない。
だが、高い場所から撃った場合は遠くまで届く。
高所の優位性は、弓一つ取っても大きなものだった。
「矢の届かない空から一方的に撃てるというのは、大きな優位性を得られるもの。ですが、それ以上に敵の布陣を監視できるというのが大きい。先陣が敵の目を引き付けている間に、後陣が敵の側背面に回り込む。その動きを看破できる影響は、計り知れないほど大きい。今まで重要だった戦場の駆け引きが不要になった。エンフィールド公のような時代を切り拓く若者が出てきた以上、私は引退した方がいいのかもしれません」
「閣下……」
「おいたわしや……」
ダッジの参謀達が彼に同情する。
――手榴弾の次は気球。
次々に戦術家を過去のものにする技術を見せられた。
それは暗に「お前は必要ない」と、アイザックに言われているような気がしてならなかった。
そのせいで、ダッジは落ち込んでしまっていたのだ。
「まだまだダッジ先生のような方を必要とする時代が続くとは言ってるんですけどねぇ……」
これにはアイザックも困惑していた。
手榴弾はともかく、気球の方はちょっとしたサービス精神で見せてやっただけである。
それがまたダッジをへこませる事になるとは思いもしなかった。
正直なところ「そのメンタルで、よく元帥とか将軍をやっていられたな」と思い始めていた。
「あれはエルフの魔法がないと実用的ではないので、戦場に出るとしてもまだまだ先ですよ」
「ですが気球と手榴弾を組み合わせれば、城攻めも一方的なものになるでしょう。未来の戦争の形を考えるだけで、寝込んでしまいそうになってしまいます」
「そう簡単には変わりませんって。そもそも、リード王国には火山がないので、手榴弾の自作は難しいですから」
「火山!?」
アイザックの言葉に、ジークハルトが反応する。
「なぜ火薬の原料の事を?」
「……僕はピストから科学を学んだんだよ。どのような原料を混ぜ合わせれば、どのような反応を起こすのかは予想できるよ」
(やっべぇ! 余計なところに飛び火した!)
――ダッジを慰めようとしたら、ジークハルトに疑心を抱かせるような事になってしまった。
アイザックは慌てて誤魔化そうとする。
「原料を輸入しようと思えばできる。やらないのは、ノイアイゼンとの信頼関係を重視しているからだ。争いの火種は少ない方がいいだろう?」
「……エンフィールド公ならば、本当に製造法を知っていそうですね。ですが、これまでの行動に鑑みて、その言葉は信じさせてもらいますよ」
「ありがとう」
今まで「三種族の共存」をアピールし続けてきた成果があったようだ。
しかし、彼の言葉から「誰かから聞き出したな」と疑っている雰囲気を感じた。
「なぜか火薬の知識を持っている」という疑いは晴らせたが、新たに「裏工作をしているかもしれない」という疑惑を持たれたと考えていいだろう。
商人はもとより、ピストあたりもスパイとして疑われるかもしれない。
「手榴弾はドワーフ製の素材を使っている……。ギャレット陛下のおっしゃっていた事は正しかったようだ。リード王国とドワーフの結びつきが強固になれば、リード王国に太刀打ちできなくなる。そこにエンフィールド公の知恵が加われば……。もう笑うしかない」
ダッジが自嘲じみた笑みを浮かべる。
(王都で会った時は強キャラ感のある渋い爺さんだったのに、手榴弾を見てから変わっちゃったな。ヘラった爺さんの相手とかしたくないんだけど……)
彼の笑みを見て、アイザックは失礼な感想を抱いていた。
しかし、彼を変えてしまったのはアイザックである。
老人介護の気分で相手をするしかないのかもしれないと考えていた。
ダッジの姿を見て、以前と違う印象を持ったのはアイザックだけではなかった。
クリストファーも違う印象を感じていた。
(フォード元帥が卓越した戦略眼を持っていたせいで目立たなかったものの、ダッジ将軍も我が国を苦しめた手強い相手だった。そんな彼がこんな弱気なところを人に見せるとはな)
それだけアイザックが凄いのかもしれないが、彼に苦しめられたファーティル王国の者としては、にわかに信じられなかった。
それに、気になる事もある。
「ところで手榴弾とは?」
「あぁ、それは――」
アイザックが簡単に説明をする。
すると、クリストファーは複雑な顔を見せた。
「その話、ニコラスからも聞いていませんが……」
「まだ実戦配備したところですし、情報は秘匿しておいた方がいいので。それに国外に武力を誇示するような真似もしたくありませんでした。ですので、身近な人物にだけ見せたのですよ。そのような新兵器があると知れば、同盟国相手でも脅威を感じなかったと言えますか?」
「……おそらく難しいでしょう。強力な力を持てば、使いたくなるのが人間というものですから」
クリストファーは納得してはいないものの、アイザックの考えに理解を示す。
「その武器が自分達に向けられるのでは?」という恐怖は、同盟国であっても持ってしまう。
人である以上、そう感じるなというのは無理だ。
「だから隠していたんですよ。ただ、ドワーフと関係のあるエルフには見せていました。彼らなら先に知っておけば、魔法で対策も取れるはずです。どうでしょう、クロードさん」
「今すぐにというわけにはいかないでしょうが、対策はできると思います」
クロードは自信を持って答えた。
だが、彼は何も対策など考えていない。
アイザックに言われて、その必要に気付いたくらいだ。
しかし、正直に言えば隙を見せる事になる。
虚勢を張って、エルフの立場を悪くしないようにだけ心がけていた。
「手榴弾は対人間用の兵器です。しかし、人間でも対策が取れるものでもあります。そのため、初めて使う時までは隠しておきたかったのです」
「最初の衝撃で恐怖心を植え付けるためですね?」
「その通りです」
一度恐怖心を植え付ければ、対策を取っても「本当に大丈夫か?」という恐怖で動きが鈍る。
その有用性をクリストファーもわかってくれたようだ。
彼は大きなため息を吐く。
「ダッジ前元帥と話をする事で何か得るものがあればと思ったのですが……。エンフィールド公の存在が何もかも霞ませてしまって、わけがわからなくなってしまいましたよ」
「それはそれなりに長く付き合っている私も同じです」
「僕達もエンフィールド公には驚かされるばかりで、色々と考えさせられます」
クロードやジークハルトが、クリストファーに同意する。
彼らもアイザックのせいで、今までの常識を壊された経験がある。
混乱して当たり前だと思っていた。
クリストファーのダッジとの面談は、アイザックの非常識なまでの存在感を思い知らされただけで終わる。
だが、彼からファーティル王国の貴族に知れ渡れば、リード王国へ戦争を仕掛けようとする雰囲気は収まるかもしれない。
――ダッジですら自信を失うほどの人物。
その噂の影響は大きいはずだ。
ジークハルトに疑われそうになる失言はあったが、その分以上の利益はあったはずである。
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ロレッタが出立する前日の夜。
お別れのパーティーが開かれた。
彼女は、アイザックのもとから離れたくなかった。
ある意味、彼のそばが一番安全に思えたからだ。
しかし、アイザックの隣にはパメラとリサがいる。
王女という立場と、既婚者に対する引け目から、彼女は大人しくファーティル王国に帰る事となった。
だが、全員が国に帰るわけではない。
ニコラスだけは、クリストファーの頼みにより観戦武官として同行する事となった。
他にも、ジークハルトやクロードが同行する事になる。
マチアスからも「村から十人ほどなら知り合いを呼べるぞ」とウキウキして申し出てきたが、こちらは断った。
今回の内戦はリード王国の人間の手で終わらせなければならない。
特に手榴弾を、エルフの魔法によるものだと思われたら困るのだ。
ロックウェル王国の時は「戦闘に巻き込まれてくれないかな」と思っていたが、状況が変われば真逆の考えとなっていた。
状況が許すかどうかの差は大きいものだった。
「私もここに残りたいのですけれど……。わがままですわね」
「ええ、わがままです。ロレッタ殿下の身に何かあれば、両国の間に致命的な亀裂を作ってしまいますから」
「そうですわね…………」
ダンスを踊る人々を羨ましそうに見る。
「殿下。よろしければ私と一曲、踊っていただけますか?」
「はい、喜んで!」
アイザックは最後に一曲踊って思い出を作らせてあげようとした。
これはパメラとリサの「ダンスに誘ってあげなさい」という威圧感のある視線に負けたものだったが、それを知らないロレッタは喜んで受けた。
ロレッタは、ダンス中にはしたないと思いながらも、ジュディスを見習ってアイザックに体を密着させる。
これでアイザックが反応してくれれば、女としての魅力を感じてくれているという事。
だが、アイザックはジュディスの時のような反応を見せてくれなかった。
(結婚したから、もう妻以外の女は女性として見ないという事なのかしら)
ロレッタの中に、そこまで強く想われるパメラとリサに対する嫉妬が芽生える。
そして、もうアイザックが届かないところにいるのだと思うと、それ以上に強い悲しみが生まれた。
(胸が触れてる! でも俺だってもう経験者だ。もう服越しに胸が体に触れたくらいでは動じないぞ。毎晩、直接触れているんだからな!)
アイザックが平常心を保っていられたのは、すでに経験を済ませていたからだった。
体が密着して嬉しいという気持ちはあるが、以前のような反応はしない。
しかし、常に新鮮な思いができていた頃も、あれはあれでよかったような気がする。
大人になった事に対して喜びと、子供に戻れない寂しさを感じていた。
二人のダンスは、見ていた者達に後に「別れの悲しみを感じるダンスだった」と語られる事になる。