444 十八歳 簒奪の不備
「殿下。実は昨日、ロックウェル王国のシルヴェスター殿下と会談を致しました」
今回の会話に関係なさそうな人物の名を出されて、ジェイソン達は怪訝な表情を浮かべる。
だがアイザックは気にせず、その時の会話内容を説明した。
「いかがですか?」
「いかがと言われても……。あちらが戦争を仕掛けないというだけだろう?」
ジェイソンは「相手が動かない」と言っただけだとしか思わなかったようだ。
その反応を見て、アイザックは内心ほくそ笑む。
彼の知能が、そこまで落ちているという証拠だからだ。
これならアイザックの狙いも気付かれないだろう。
「いえ、そうではありません。シルヴェスター殿下のお言葉には、気付かされるものがありました。それは戦争の副次的効果です」
アイザックは、様子を窺いにきたシルヴェスターに感謝する。
おかげでジェイソンを奈落の底へ叩き落とす事ができそうだ。
「ロックウェル王国では、新国王が即位すると数年の内にファーティル王国を攻めるというのが慣習化されています。それは打倒ファーティル王国という目標を持つ事で、国内の意思を統一するためです。これは極めて厳しい経済状況にあるロックウェル王国が、今まで民衆の蜂起を抑えられていた事からも効果的であると思われます」
まずはロックウェル王国が、いかにして挙国一致体制を続けられていたかを話す。
しかし、ジェイソンは懐疑的だった。
「しかし、そのような陳腐なやり方が本当に効果があるのか?」
「効果があり、よく用いられるからこそ陳腐と言われるようになるのです。例えば、ウェルロッド侯とランカスター伯の仲の良さは周知の事実。しかし私はランカスター伯とは縁がなく、同じ貴族派の貴族としか意識しておりませんでした。ですが、ファーティル王国への救援で轡を並べて以来、ランカスター伯との関係が深まりました。戦場という非日常の場所で共に戦う事により、仲間意識が高まるのです」
「なるほどな。つまり、私にも主だった貴族を連れて戦場に出ろと言いたいのだな?」
「はい、その通りでございます。殿下が王となったあと、ご親征なさるべきだと愚考致します。できますれば、初戦は確実に勝てる相手がよろしいでしょう。やはり、勝てる王というのは求心力がありますので。そうでしょう、ウィルメンテ侯?」
「武官には強い者に対して敬意を抱くという気質がございます。エンフィールド公のおっしゃる通りです」
いきなり話を振られたものの、ウィルメンテ侯爵は、すぐさまアイザックの意見に賛同する。
アイザックの意図を感じ取ったからだ。
「確実に勝てる相手か……。どこかいいところがあるのか?」
「ロックウェル王国です」
アイザックは、キッパリと言い切った。
この件に関しては自信がある。
「軍の縮小が進められているのに加え、退役した指揮官が我が国に多数引き抜かれています。軍の再編は難しいでしょう。それに、シルヴェスター殿下のお言葉も大義名分に利用できます。殿下の行動により国が乱れると見て、軍を動かさない見返りを求めてきました。これは失礼極まりない行為です。ロックウェル王国征伐の名分と致しましょう」
「ロックウェル王国か……」
ジェイソンはアイザックではなく、ニコルをチラリと見た。
そして、ウットリとした顔を見せると首を左右に振る。
「ダメだ。あの国は山地が多いが、風光明媚な土地だとは聞いた事がない。ニコルには似合わない」
(似合うかどうかの話はしてねぇ!)
アイザックは苛立ちを覚えるが、必死に感情を抑える。
「ロックウェル王国は魅力的ではないかもしれません。しかし、その先をお考え下さい。私としては、次にファラガット共和国を攻めるのがよろしいかと思います」
「……海か?」
「左様でございます」
さすがに今のジェイソンでも、ファラガット共和国の持つ大きな特徴を忘れてはいなかったようだ。
もしかしたら、海ならニコルに似合うとでも思ったのかもしれない。
「海は果てしなく続く湖のようなもので、大変美しいそうです。それだけではなく、海の塩は岩塩とは違う味わいがありますし、海には魚の他にも貝や海藻といった美味なるものもあります。食事面でも、より充実したものとなるでしょう」
「そういえば、干しアワビというものを食べた事がある。確かにあれは美味であったな」
ジェイソンが興味を持ち始めている。
これがチャンスだと思い、アイザックは「もう一押しだ」と攻める。
「カツオという魚を乾燥させたものを手に入れる機会がありました。その身を削って米の上にのせ、醤油をかけるという食べ方をしたのですが、なかなかの美味でした。川魚とは違う風味があるので、海の魚もおすすめです」
「……そうか」
残念な事に、ジェイソンにはピンとこなかったようだ。
(なぜだ! あんなに美味しいのに!)
だが、これはクロードにもドン引きされた食べ方でもあった。
『それは腹を満たすための手抜き料理として食べられる事もあるが……。猫まんまという名前が付けられているように、猫のエサでもある。貴人が食べるようなものじゃないぞ』
そう言われたせいで、またしても奇人扱いされてしまった。
人前で食べ辛くなってしまったが、アイザックもごちそうばかりでは飽きてしまう。
時には、お新香と一緒にシンプルなもので食事を済ませたいと思った時には最高の食べ方でもあった。
それがジェイソンにまったく理解されず、アイザックは悔しさを覚える。
「……かつお節?」
なぜかジェイソンではなく、ニコルが反応した。
ゴメンズの面々が、彼女に視線を向ける。
そして、アイザックに嫉妬混じりの視線を浴びせた。
どうやら、彼女の興味を惹いたのが気に入らないらしい。
とはいえ、アイザックとしてはチャンスである。
彼女の興味を利用しようと考えた。
「削ったものは、そう呼ぶらしいですね。よくご存知で」
「えっ! あぁ、それは……。本で読んだ事があったから」
「海沿いのエルフが保存食として好んだという文献もありますね。さすがはネトルホールズ女男爵。勉強家だ」
(知っている単語が出てきたから反応しただけか……。食い意地が張っているってわけじゃないのか)
「食べてみたい」という答えが返ってきたのなら、食の話題で押せただろう。
だが、ニコルに興味がないのなら違う話題で、ジェイソンに興味を持たせるしかない。
「それに海といえば、やはり魅力的なのは港でしょう。世界各地から珍しいものが集まってきますし、物資の輸送が楽になります。港を手に入れれば、リード王国の発展に大きく寄与する事でしょう」
「リード王国が世界に羽ばたくための第一歩というわけか」
ジェイソンは、またしても考え込む。
「しかし、遠征するとなると、国内を任せられる者が必要だな。誰かに宰相を任せたいところだが……」
「宰相には、クーパー伯を推薦します」
「クーパー伯に?」
「そうです」
この人選にはアイザックも自信があった。
「クーパー伯は法務大臣の力を使って、身内や親しい者の犯罪を揉み消したというような悪い噂を一切聞きません。宰相を任せても、地位を利用した不正はしないでしょう。政治的にも中立を保ち、職務を全うしてくれるはずです」
クーパー伯爵は良心的な人物だ。
アイザックが、法律上で許されている行為を行おうとした時、頭を抱えていた。
「法律で禁止されていないからといって、なんでもしていいわけではない」という事をわきまえている。
脱法行為はせず、真面目に職務を全うしてくれるだろうと信じていた。
もちろん、それだけではない。
他にも大きな理由があった。
「宰相の人選に関して考えた時に思いついたのですが、ウィンザー侯だけではなく、ウェルロッド侯にも大臣を辞任していただきましょう。彼らにも出陣してもらうべきです。当然ながら、前線で戦うというわけではありません。殿下と轡を並べるために、形だけでいいので戦場に出てもらうのです」
「共に戦場に出る事で連帯感を深めるというわけか」
「その通りです。ただ年齢に不安があるので、ファラガット共和国まで付き合わせるのではなく、ロックウェル王国を陥落させれば帰国させるという配慮も必要となるでしょう。ですが、それだけの手間をかける甲斐はあると思います」
当然、これはジェイソンのためではない。
祖父と義祖父のためであり、自分のためだった。
彼らを王都に残しておけば、人質にされるかもしれない。
だが「ジェイソンと共に出陣する準備のため」という名目ならば領地に帰す事ができる。
アイザック達が安心して戦えるようにするには、ジェイソンの言う「宰相を辞めさせる」という提案に乗るのが最善のものに思われた。
クーパー伯爵を宰相に推薦したのは、彼が領地を持たない法衣貴族だからだ。
それに元々王都に住んでおり、ジェイソンに歯向かえる軍も持っていない。
捕らえられても、内戦には影響しない。
しかも幸いな事に、アイザックとの縁も薄い。
暫定的に宰相に据えるのには最適な人材だった。
「それと聞きそびれてしまいましたが、行動を起こすのはいつ頃になりますでしょうか?」
「そう遠くないうちに動きたいが、新婚早々ニコルを寂しがらせたくないからな。結婚から一、二ヶ月はゆっくりしたい」
「ならば、フィッツジェラルド元帥には留任していただきましょう。指揮官が変わって数か月では軍も混乱するでしょう。歴戦の将軍達が補佐すれば問題はないはずです。そもそも、我が国には実戦経験のある者が少なくなっています。一戦もせずにフィッツジェラルド元帥がダメだと決めつけるのはよろしくないでしょう」
「そういう考え方もあるか」
アイザックの言葉に、ジェイソンは理解を示す。
今なら意見を言えると思い、調子に乗って次々に質問をしようとする。
「ところで、この一件はミルズ殿下はご存知でしょうか?」
「いや、まだだ」
「では、戴冠式を執り行うセス大司教猊下と連絡は取っておられますか?」
「それもまだだ」
(何も進んでねぇ!)
ここにきて、ついにアイザックは気付いた。
――ジェイソンの根回しが近衛騎士団にしかできていない事に。
(なんだよ、悔しがって損した。こいつ、必要最低限の事しかできてなかったんじゃないか。侍女だってビビってたし、根回しが全然できてないじゃないか。よくこれで親を捕らえようとか思えたな)
そう思うと、アイザックは心の余裕を持つ事ができた。
これなら、打倒ジェイソンは簡単に進みそうだ。
ウィルメンテ侯爵も「そんな状態で陛下を幽閉したのか?」と呆れてしまう。
「では、クーパー伯やフィッツジェラルド元帥も含め、彼らの説得は私がやっておきましょう。明日にでも皆を集めて、殿下への協力を誓わせます」
「すまんな」
「先ほど申し上げましたように、殿下のために陰で動くのが私の役目。私にお任せ下さい」
「頼むぞ」
「はっ!」
これで有力者を集めても文句は言われない。
堂々と集まって、反ジェイソン派の立ち上げをさせてもらうだけだ。
上手くいってホッとしたところで、ダミアンが動く。
「殿下。エンフィールド公の言葉を疑いもせずに信じてもよろしいのですか?」
その言葉に、アイザックはドキリとさせられる。
(まさかダミアンが気付くとは!)
――思いもよらないところでダークホースが現れた。
もし、ジェイソンがアイザックを怪しんで「これからは常に見張りをつける」とでも言い出したら厄介だ。
アイザックは「余計な事を言いやがって」と、ダミアンを睨む。
「エンフィールド公は『砂糖控えめで美味しく食べられるようになりました』という謳い文句で人を騙し、砂糖を減らした菓子で暴利を貪っている男。信用なりません」
アイザックは、めまいを感じて机に突っ伏してしまいそうになる。
ウィルメンテ侯爵も「はぁ?」という声が漏れそうになる。
(小さい! 器があまりにも小さすぎる! どうせなら、もっとまともな言い掛かりつけてこいよ!)
それは二人だけが感じたわけではなかった。
この場にいるほとんどの者達が、ダミアンの発言に眉をひそめていた。
「あの、殿下……。贈答用の菓子は確かに高価ではありますが、それは職人が手間暇をかけて作っているからです。学院の近くの店舗などは、学生のお小遣いで放課後に気軽に寄っていける価格にしております。暴利を貪ると言われる覚えはございません」
「何を言ってるんだ、こいつは?」と戸惑いながらも、アイザックは否定する。
「それは……」
ジェイソンも戸惑っていた。
特に彼は金銭感覚が他の者達とは違う。
高いか安いかがわからなかった。
助けを求めるように、ニコルに視線を向ける。
「うーん、私は特に高いとは思わなかったかな。喫茶店ならあれくらいだと思うし。手伝ってくれているアイザックくんを悪く言うのはよくないよ」
「なら、気のせいでしたね。失礼致しました、殿下」
ニコルが否定したら、ダミアンはあっさりと意見を翻した。
しかも、アイザックへの謝罪はなしである。
ニコルの興味を惹いた嫉妬による行動なのかもしれないが、アイザックはイラッとする。
このままだと余計な事を言いそうなので、ウィルメンテ侯爵に話を振る。
「ウィルメンテ侯は、フレッドと話さなくていいのですか?」
「元気な姿が見えたので……」
「ジェイソンの手伝いをしたのか?」と聞きたくないほどに、フレッドは元気な姿をしていた。
しかし、親として聞いておきたい事もある。
「今日は帰ってくるのか?」
「卒業したし、もう子供じゃないんだ。俺はこのまま殿下のおそばにいる。一人の騎士として役立ちたいんだ!」
「そうか……。わかった……」
元々フレッドは頭がいいとは言い難かったが、ここまで馬鹿ではなかったはずだ。
教育が良い、悪いを越えた愚かさ加減に、ウィルメンテ侯爵は泣きたくなっていた。
「フレッドの元気な姿を確認できたので、私の用事は済みました。同席させていただき、感謝しております」
彼も「用件は済んだから帰りたい」と、話をまとめ始めた。
「ならば、今日はこれくらいにしておこう。二人とは有意義な話ができて満足だ。大儀であった」
ジェイソンも、さすがにこの雰囲気は読めたらしい。
もう帰っていいと言った。
「では、また後日。進展がありましたら改めてご報告致します」
アイザックとウィルメンテ侯爵は一礼をして、部屋を退出した。
女官が一人先導し、アイザックとウィルメンテ侯爵を前後から挟むように四人の近衛騎士も同行する。
しかし、それは二人を警戒してではない。
警護しているように見せかけて、女官を見張っていた。
アイザックは、ふと彼女に見覚えがある事に気付く。
「そういえば、何年か前にも案内してくれた方ですよね?」
見覚えのある年配の女官に声をかけた。
すると、彼女は「はい」とうなずいた。
その声は震えていた。
アイザックは意識して優しい声をかける。
「すみませんでしたね。色々と忙しくて、なかなか殿下に会いに行けませんでした。もっと会いにいければよかったんですけど……」
――また遊びに来ていただけませんか?
アイザックが頼みを忘れていなかった事を知り、女官は一度身を震わせる。
そして、その頼みが果たされていれば、今と違った状況になっていたのではないかと考えてしまった。
だが、アイザックに非はない。
責めるのは、ただの八つ当たりでしかないという事はわかっていた。
「殿下は、エンフィールド公の話は面白いと仰っておられました。会えない事を残念がっておられましたが……。エンフィールド公はお忙しいお方。無茶なお願いを申し上げたと恥じております」
「そんな事はないですよ。当時は、まだ時間に余裕がありましたからね。自分の事にかまけ過ぎてしまっていたようです。反省すべきところだと受け止めています」
言葉では殊勝な事を話しているが、それは近衛騎士へのアピールでしかない。
本当は、ジェイソンを引きずり落とすための準備を行っていたところだ。
それでも女官の心に何か影響を与えたのだろう。
ノーマン達が待つ控室の前で、一言、声をかけてきた。
「リード王国の未来をよろしくお願い致します」
――殿下をよろしくお願い致しますではなかった。
もしかしたら、アイザックの態度からジェイソンに従う気がないと感じとったのかもしれない。
長年、王宮で働く者だけあって察しがいいのかもしれない。
「任せてください」
彼女の言葉から、アイザックはある事に気付く。
(そうか、ジェイソンは昔の俺だ)
――近衛騎士という武力を手に入れた事で、すべてが上手くいくと思いこんでいる。
それは屋敷を警護する騎士を掌握した事で、万事上手く進められると思っていたアイザックの姿と被る。
アイザックの時は身近な者達が諫めてくれたが、ジェイソンには諫めてくれる者がいない。
ジェイソンは、唯一諫めてくれそうな相手である国王夫妻を幽閉してしまった。
ニコルやゴメンズは止めないだろうし、他の者達はエリアスですら捕らえたジェイソンに何も言えなくなってしまう。
彼が過ちに気付くのは難しい事だろう。
――ニコルの影響がなくとも、経験ではジェイソンに大差をつけて優位に立っている。
それがわかった事で、アイザックは心に少し余裕を持てるようになった。






