390 十七歳 周囲との認識の違い
「ロレッタ殿下は好きになるとか以前の問題で、人となりを全然知らないんだ。エリアス陛下やヘクター陛下が乗り気なのはわかる。両国の友好のためにはいいだろうからね。でも、政治的な面が強い婚約はしたくないんだ」
「いやー、それはどうだろう」
アイザックがロレッタとの婚約を渋る理由を語ると、カイが否定的な言葉を放った。
「俺もパーティー会場にいたけどさ。顔の傷を治してくれたってだけでも、ロレッタ殿下がお前を好きになるきっかけとしては十分だと思うぞ。あと、王都アスキスを取り巻く状況を考えれば、ヘクター陛下も惚れこむのもわかるな」
カイは一度言葉を切り、ファーティル王国へ行っていなかったポールとレイモンドに視線を向ける。
「お前達に想像できるか? 交差点の周囲の家を潰してバリケードにして、道一本、家一軒を奪い合うような闘いを王都の中でする事を」
「うーん、難しいな……」
「王都が戦場になるのは想像できないね」
「そうだろう。けどファーティル王国では、それが現実に起こっていた。休戦交渉が終わってからだけど、俺はガレキの山と、それに覆い被さるように死体の山ができていたのを見たんだ。かなり激しい戦闘が行われていたと思う。きっと王宮にまで闘いの音は聞こえていただろうな。怖かったと思うよ」
今度はアイザックの方に視線を向けた。
「だからさぁ、政治的な理由だけじゃないと思うんだよね。命が危ないところを助けてくれた。しかも長年苦しんでいた顔の傷も治してくれた。ロレッタ殿下には惚れる理由が十分にある。ヘクター陛下も国が危ないところを救ってくれたんだ。フォード元帥を討ち取ってな。政治的な婚約っていう面もあるだろうけど、お前に婿候補として惚れこんだっていう面の方が強いんじゃないか?」
カイは「政治的な理由だけではないだろう」と指摘する。
「あっ!」
彼の言葉に反応したのはアイザック――ではない。
ノーマンだった。
「それでは、ジュディス様の事はどう思われているのでしょう? ジュディス様は閣下に、かなりの好意を持たれておられたように見受けられましたが……」
――命を助けられた。
その点ではジュディスも同じ。
むしろ、直接助けられた分だけロレッタよりも気持ちが強いかもしれない。
アイザックが彼女をどう思っているのか確認しておく必要があった。
「ジュディスさんは、非常にとても魅力的な人だと思う。だけど……、やっぱり彼女と結婚したいとまでは思わない。ロレッタ殿下もそうだけど、助けてもらった感謝の気持ちを恋愛感情に思いこんでいるんじゃないかと僕は考えている。冷静になって考える時間があれば、きっと思い直してくれるんじゃないかな」
「それならば、なぜ髪留めをプレゼントされたのですか? あの時の閣下は、本当にジュディス様の事を心配なさっておられたように見えました。それこそ――」
――ティファニー様の時のように。
ノーマンの言葉が詰まる。
ジュディスを助けた時のアイザックは、先ほどティファニーを慰めた時と同じ心境だったのかもしれない。
ならば心配はしていても、その気はなかったという事だ。
ティファニーやジュディスは、きっとアイザックが好意を持っているから親身になって心配してくれていると思っただろう。
「非常に紛らわしい行動をしてくれたものだ」と、ついノーマンは眉をひそめる。
だが、アイザックは彼の言葉が詰まったのを「心を弄ぶためですか?」と聞こうとしてやめたのだと思った。
それを上司に尋ねるのは失礼だからだ。
アイザックにプレイボーイを気取る気はないので、すぐに誤解を解かねばならないと考える。
「あの時は本当に心配していたよ。でも、必死になっていたのは……。ジュディスさんに髪留めをしてもらうための言葉だったんだ。新しい人生を歩んでもらうためのものだったんだよ。そのために一生懸命説得していたんだ」
アイザックも「夜中に廊下で出会った時、漏らしそうだったから」という事までは言わなかった。
さすがにそれを友達の前で話すのは恥ずかしい。
「ホラー映画とか見たあとに一人でトイレに行ける? 付いていってやろうか?」というノリで、からかわれるのがわかっていたからだ。
本当の事は隠し、心配していたという事だけを伝える。
「そのまま親しくなって結婚したいとか、そういう気持ちはなかった。ティファニーのように元婚約者の事を諦められないというのは辛いはずだ。マイケルのような男は諦めて、新しい人生を歩んでほしい。それしか考えていなかったよ」
「そうだったのですか」
――ジュディスにティファニーと同じ轍を踏ませたくない。
その言葉には説得力があった。
ティファニーは、今もチャールズの事を忘れられていない。
特にマイケルなど、チャールズとは比べ物にならないほど悪い男だ。
忘れさせようと一生懸命になるのも理解ができる。
ジュディスには酷かもしれないが、下心がなかったと説明されれば納得できる答えだった。
「そういえば、ジュディス様はともかくとして、ロレッタ殿下に対して好意が本当になかったのでしょうか? ハンカチを受け取っておられたそうですし、いくらかは好意を持たれておられたのでは?」
「うっ……」
トミーが触れてほしくないところに触れた。
いくら「ドラゴンと交渉に向かうのが怖かったからお守りとして受け取った」と言っても、嫌いな相手からは受け取らないはず。
一定の好意があるからこそ、受け取ったのではないかと思っていたからだ。
アイザックも、ハンカチの問題に触れなければならないとわかっていた。
わかってはいたが、自分のペースで話したい内容だった。
だが、話題になった時に話すのが、切り出すのに楽だという思いもある。
アイザックは勇気を出して、本当の事を話し始める。
「実は……、ハンカチにまつわる話を忘れていたんだ」
「はぁ?」
アイザックの告白に、一同が思わず首をかしげる。
上司だとかそういうのも関係なしに「何を言ってるんだ、こいつは?」という表情を見せてしまっていた。
周囲の視線に肩をすくめながらも、アイザックは話を続ける。
「だからその……。出立する前に、みんなから受け取っちゃって……」
「みんなとは?」
「…………ロレッタ殿下にジュディスさん。それとティファニーにアマンダさん」
「はぁっ!?」
今度は立ち上がって驚く者も現れた。
――ロレッタ以外にも三人の女の子からハンカチを受け取っていた。
この新事実は、いくらアイザックとはいえ信じ難い行動だった。
「お前……、何を言ってるのかわかっているのか……」
カイが今まで見た事もないほど引いている。
もしかしたら、ネイサンを殺した現場を見た時と同じくらい驚いているのかもしれない。
しかし、これは否定できない真実だった。
パメラからも受け取っていた事を知れば、どれだけ驚くだろう。
「みんながお守りとして持っていってほしいっていうから、つい受け取っちゃって……。だって、みんな心配しているだけだっていうから……」
「渡した子達は『ドラゴンを大人しくさせたから、褒美として結婚を認めてほしい』って言ってくれると期待していたと思うよ……」
レイモンドも引いていた。
彼女達の心境を考えれば、アイザックの行動は裏切りに近い。
いくら心細かったとはいえ、ハンカチを軽々しく受け取って許されるものではないからだ。
「いや、だからバレンタインデーの話を忘れていたんだって。今まで縁がなかったから、ハンカチの話を忘れてしまっていたんだ。だから、本当にお守りとして邪魔にならないものを渡して――」
「嘘だっ!」
ポールが立ち上がり、感情のままテーブルに拳を叩きつける。
「婚約者のいない男がバレンタインデーを忘れるなんてありえない! 俺はずっと『告白してきてくれる女の子って、どんな子だろうな』って期待と不安に満ちた思いで女の子と出会う日を待ちわびていた! 忘れるはずがないんだ! 絶対に!」
彼には感情的になる理由があった。
今はモニカという婚約者がいるが、とある事件で彼女と親しくなるまでは婚約者がいなかった。
一人身だったからこそ、バレンタインデーの事を忘れずにいられなかったのだ。
(その気持ちは……、よくわかるな)
――まるで前世のアイザックのように。
前世では「家族以外からチョコを貰えないかな?」と期待して、絶望を味わうを繰り返す人生だった。
昌美と一緒にチョコを作っていた鈴木の妹から義理チョコを貰えたのだけが、バレンタインデーにおける唯一の良い思い出である。
似たような思いをポールがしていたとわかり、アイザックはかつてないほど親近感を覚えていた。
「レイモンドに『アビーがさ』って話をされるたびに、どれだけ悔しくて、寂しい思いをしてきたか……。アイザックだって小さい頃は女友達がいっぱいいたし、バレンタインデーの話題と無縁だったってわけじゃないんだろう? 忘れていたなんて下手な言い訳しないでくれよ」
彼はどうやら、アイザックがとぼけているのだと思っているらしい。
本当に忘れていたと言われても信じられないのだろう。
だが、アイザックは本当に忘れていたのだ。
嘘をついているわけではない。
「いや、本当に忘れていたんだ。ティファニー達とは恋愛関係の話をする年頃になる前に疎遠になった。男友達ができたからね。ポール達とも恋愛の話をしなかったし、異性を気にするような年頃になる頃には色々と忙しくて考えている暇がなかったんだ。嘘じゃないよ」
「でもさ――」
「ひとまず落ち着きましょう。今は他に話すべき事があります。そちらを優先すべきです」
熱くなっているポールを、ノーマンがなだめる。
話さなくてはならない事が残っているというのは事実。
今はポールの嘆きを聞いている暇はないのだ。
「現段階でハンカチの問題は解決しているという事でよろしいのですよね?」
「うん、まぁ……。みんなにはわかってもらえたと思う」
「なら、今はそこに触れないでおきましょう。他に好意を持たれていると判明している相手はおられますか?」
話が逸れそうだったので、ノーマンが話を戻した。
彼は秘書官としての役割を果たしてくれた。
アイザックも素直に彼の言葉に応える。
「あとは、ブリジットさんかな。僕が性的な目で見ないのが嬉しかったんだって。……みんなはブリジットさんを性的な目で見てた?」
アイザックはブリジットにさほど興味がない。
可愛いし、ゲームの世界にしかいないエルフという種族にも興味がある。
だが、胸のサイズがこの世界ではかなり控えめだ。
その分、異性としての興味も薄くなる。
昌美のような雰囲気をしていたという事もあり、アイザックは性的な目で見る事はなかった。
だから、みんなも興味はないだろうと思いこんでいた。
「……えっ?」
――だが、違った。
全員が視線をテーブルに向けていたり、天井を見つめたり、そわそわと周囲を見渡していた。
反応はまちまちだが、その態度から「ブリジットを性的な目で見ていた」という事が丸わかりだった。
「全員、見てたのか!」
アイザックは驚く。
他の者達はともかく、見た目は落ち着きのあるマットまでもが、ブリジットを性的な目で見ていたというのには一際大きく驚かされた。
「あれほど美しい娘であれば……。仕方ないでしょう」
「ブリジットさんは憧れのお姉さんって感じだったし……」
「反応の薄いほうがおかしいんじゃないかな」
マット、レイモンド、ポールが「可愛いから仕方なかったんだ」と言い訳をする。
ついでに反応の薄いアイザックの方がおかしいと指摘もした。
「だってブリジットさんって、年上だけど妹っぽい感じがしない? 性格はケンドラとは大違いだけどね。だから性的な対象には見えなかったんだ」
「妹って……。百歳以上の相手に凄い事を感じてるな。俺は羨ましいとしか思わないけど」
カイはアイザックの器の大きさに呆れる。
美しい娘に「美しい」以外の感情を持てる余裕があると思ったからだ。
そのせいで「ケンドラとは大違い」というところは気にならなかった。
「他にはおられませんか?」
「いないよ。仮にいたとしても、簡単に断れる相手だと思う」
この答えに、ノーマンは安堵の溜息を吐く。
「閣下の問題は『好意を持っていない相手に勘違いをさせてしまった。それをなんとかしなければいけない』というもの。ならば、一人ずつ地道に解決していくしかないでしょう。意見のある方はいますか?」
――だが、誰も答えなかった。
気まずい沈黙が続く。
「ノーマンはないの?」
「えっと、それは……」
アイザックがノーマンに尋ねるが、彼も口籠ってしまった。
この事態を解決する案が浮かばないようだ。
「閣下」
ここでマットが名乗りを挙げる。
彼は先ほどから、的確な意見を述べてくれている。
自然とアイザックの期待も高まった。
「閣下の背中は私が守り通してみせます」
「刺される事前提で話さないでくれるかな! そうならないように対策会議をしているんだからさ」
(ダメだ、こいつ……。諦めてやがる)
残念ながら、彼はまったく役に立たなかった。
しかし、いざという時には頼りたいので、マットの意見を心に留めておく。
「アイザック」
今度はポールが意見を言おうとしていた。
「公爵閣下なんだからさー、もうみんなと結婚すればいいじゃん。それでうまくまとまるよ」
「まとまらないよ! だいたい、みんなと結婚したら、一人一人がおろそかになっちゃうじゃないか。そういう事をしたくないから、みんなに打ち明けたんだよ。それに、できない理由もあるし……」
「できない理由って?」
「アマンダさんにはロレッタ殿下と結婚しないでほしいって頼まれてるんだ。僕がファーティル王国に行くのが辛いって……。それだけじゃなくて、ロレッタ殿下にはジュディスさんと結婚しないでほしいって頼まれた。殿下とアマンダさんが言い合った時、僕に『怖い』って抱き着いてきたのを『女の武器を使っている』って嫌っているらしい」
「そういう事は先に言ってくれよ……」
新たな衝撃の事実に、ポールが呆れる。
「アイザック」
カイが何かを悟ったような表情で、アイザックに声をかける。
「もう無理だ。諦めろ。なっ」
「なっ、じゃないよ! 諦めろってなに? みんなと結婚しろって事か? それともぶん殴られろって事か?」
「どっちを選ぶかはお前次第だ。なんでこんな状況になるまで放置してたんだよ……」
彼の指摘に、アイザックはぐうの音も出ない。
あまりにも辛すぎる現実を突きつけられてしまう。
「だから、なんとかならないかと思って相談したんだ。一人で考えるより、みんなで考えた方がいい考えが浮かぶだろうと思ってさ」
「問題が難しすぎるぞ」
あまりにも難しい問題を突きつけられ、カイは天を仰ぐ。
言葉にせずとも、その態度が「打つ手なし」と言っているようだった。
「閣下、まずはティファニー様への対応をリサ様に頼みましょう。一つずつ解決していくべきです。一番は誰が好きなのかをはっきりさせるべきだとは思いますが……」
「今はまだ言えないね……。今は。協力を頼んでいる身で悪いんだけど、それは聞かないでくれ」
「それならば仕方ありません……。私も今すぐにどうすればいいのか思い浮かびませんので、考える時間をいただきたいところです。リサ様なら女性の立場から何か良い考えが浮かばれるかもしれません」
「そうだね。いきなり答えを求めるのも難しい。各自、どんな手段を取ればいいのか考えておいてほしい」
アイザックも「今すぐ答えを求めても仕方がない」と諦める。
しかし、宿題を渡すだけでは終わらせなかった。
「最初にも言ったように、ウェルロッド侯爵家の未来に大きく影響する問題だというのはわかってもらえたと思う。……この状況をどうにかできたのなら、ウェルロッド侯爵家内での出世は思いのままだと思ってくれていい。本当に頼む」
アイザックは皆を半ば脅すような事を言いながらも、頭を下げて頼む。
皆も自分に影響を及ぼす大問題なので、神妙な顔でうなずいた。
その中で一人、レイモンドはテーブルを見つめながら考え事をしていた。
だが、彼が考えているのはカイとは違う内容だった。
(ティファニーに話した内容を考えると、子供の頃に会った事がある人物。五歳くらいの時には婚約者がいて、アイザックと会う機会がある者。それでいて、名前を出せないような相手か……)
彼はアイザックが好きな相手が誰なのかを考えていた。
推測するだけの材料は揃っている。
相手が誰かわかれば、ロレッタ達への牽制も可能かもしれない。
(言わなかったのは、牽制にならないような子爵家や男爵家の娘だから? それとも、言えないような相手だったからか? ……まさか!)
レイモンドは一つの可能性に気付く。
――ウェルロッド侯爵家と付き合いがあり、アイザックが会っていそうな相手。
もし「ジュディスも好きではない」と聞いていなければ、ジュディスの事を思い浮かべていただろう。
彼女は幼い頃からマイケルとの婚約が決まっており、先ほども魅力的だと言っていた。
それにランカスター伯爵は、モーガンと仲が良い。
幼い頃に会っていてもおかしくない相手だ。
だが、彼女は違った。
――ならば、ウェルロッド侯爵家と付き合いがあり、婚約者のいる年の近い娘とは誰か?
レイモンドは、一人の侯爵令嬢を思い浮かべた。
アイザックが彼女に他の女の子とは違うような雰囲気を見せていたからだ。
何よりも「誰にも好きな人だと言えない相手」という点では合致している。
「王太子の婚約者が好きだ」となどは絶対に言えない。
(あれっ、でもアイザックは婚約者から奪いたいって言ってたような……)
レイモンドは気付いてはいけない事に気付いてしまったような気がしていた。






