364 十七歳 三年生の始業式
三年生として初めての行事となる始業式の朝。
アイザックは上機嫌だった。
(今年で、すべてが決まる。幸いな事に、今は良い流れがきている。楽観視するわけにはいかないけど、今年一年も頑張る理由としては十分だ)
その理由は、モーガン達から知らされる情報によるものだった。
ジェイソンが卒業式で見せた姿は、世間には好意的に受け取られていた。
――王宮で大事に育てられていたから、女性への犯罪に過剰反応してしまったうぶな王子様。
事件当初は、このような受け取り方をされていた。
そのため、ジェイソンの評価は下がらなかった。
むしろ、人間味があるところを評価されていたくらいだ。
――しかし、この状況でマーガレットが、大人しく手をこまねいているはずがなかった。
『ネトルホールズ女男爵は、とても可愛らしい女の子。殿下も彼女に気があったから、ムキになって死罪にしようとしたのかもしれないわね』
奥様方が集まるお茶会で、彼女はこのような話題を持ち出した。
アイザックも「本命のロレッタ殿下か? 対抗のアマンダか? 単穴のジュディスか? 大穴のティファニーか?」と噂されているくらいだ。
これくらいのゴシップは、話題としてよくある内容である。
内容自体は、単体なら不審がられるものではない。
――だが、卒業式でジェイソンが見せた姿と合わさると、ただの噂ではすまなかった。
フレッドと学院が話し合いの中心になったとはいえ、和解にはニコルの意向も汲み取られているという事はわかる。
――被害者本人が「それでいい」と認めた処罰を、ジェイソンは覆そうとした。
その事実が「ニコルに気があるのではないか?」という噂を「本当に犯人を許せなかったというだけか?」という疑問へと変わらせる。
マーガレットは、いつかは誰もが疑問に持つであろう事を話しただけだ。
後日、非難されるような事は言っていない。
ただ、世間話をしただけである。
その「ただの世間話」をするだけで、将来の種を蒔いていた。
これは彼女自身も「ジェイソンはダメだ」と判断したからこその行動だった。
心の中では「話で聞くほど愚かではない可能性もある」と思っていたところだ。
しかし、ジェイソンが卒業式で取った行動は、幼い頃の聡明なジェイソンとは思えないほど酷いもの。
卒業式の話を聞いた時、彼女の中から「ジェイソンが反省して、アイザックと和解するかもしれない」という考えが消え去った。
代わりに「なら、アイザックを王にした方が手っ取り早い」という思いが強くなる。
マーガレットは、モーガンのようにエリアスから何かを言われて反発したわけではない。
ジェイソンにアイザックが潰されそうだと思ったから、計画に賛同しただけだった。
だが、もうためらいはなくなった。
今はアイザックのため、ウェルロッド侯爵家存続のために行動するのみである。
彼女からジェイソンの評判が悪くなっていると聞いたので、アイザックは機嫌がよかったのである。
モーガンからは、アイザックでも予想できていた話が聞けた。
あの日、卒業式には有力貴族が来賓として呼ばれていた。
ウィンザー侯爵も、ウィルメンテ侯爵も、ウォリック侯爵もである。
――なのに、エリアスが頼ったのはアイザックだった。
誰かに「なんとかしろ」と命じる前に、アイザックが行動したのも、エリアスが誰かに命じなかった事に影響している。
アイザックが立ち上がった時点で、エリアスはアイザックに頼る事にした。
「身近にいる者達に相談しよう」という考えを放棄してしまったのだ。
当然、アイザックを頼るエリアスの態度は、貴族達にとって面白いものではない。
かねてより持っていた不満に上乗せする形となっていた。
特にアイザックは「命令拒否権を求める」くらい、エリアスに対して厳しい態度を取っていた。
なのに、エリアスはアイザックを頼ろうとするのだ。
長年、仕えてきた者達が面白いはずがない。
エリアスは、真っ先に頼るべき者達に不快感を与えてしまった。
モーガンは踏ん切りがついているので、まだマシだ。
彼以外の「王家に仕えるしかない」と思っている者達は、不満を内に溜め込む事になる。
今は我慢できていても、きっかけがあれば不満が噴出するだろう。
アイザックも貴族達と交流を深めているが、人脈を築いたと自慢できるほどの深い関係ではない。
顔見知り程度の者ばかりの、仮初の関係でしかない。
リアルタイムの情報を得られるのは、本物の人脈を持つ祖父母の協力を得られたからである。
その幸運に、アイザックは感謝していた。
----------
「おはよう。春休みはどうだった?」
始業式なので、生徒会長の役目はない。
ジェイソンも生徒の列に座っている。
アイザックは、自分の前に座るジェイソンに声をかけた。
声をかけられたジェイソンの表情は、イマイチ冴えない。
「考え事ばかりで、楽しくはなかったな。そっちはどうだ?」
「僕も考える事が多かったかな。ドワーフの友達が『新しい発明はないのか?』と聞いてくるんだ」
「ドワーフとの交流か。なら仕方ないな。彼らの興味を惹くものなんて、そう簡単には思いつかない難しい問題だ。どんなものを提案したんだ?」
「今年は忙しかったから、また今度って誤魔化しておいたよ。期待に応えないといけないと思うと、やっぱり疲れるね」
アイザックは、手榴弾の事を話さなかった。
対王国軍用に準備しているものなので、話せなかったのだ。
表面上はジェイソンと友人のように話しながら、アイザックが本当に誤魔化したのは、今この場での話だった。
「アイザックくんでも、困る事があるんだね。ボク達も手伝えたらいいんだけど、ドワーフが喜びそうなものって思いつかないな」
(君も悩みの種なんだけどね)
話に入ってきたアマンダに、つい心の中でツッコミを入れる。
当然、その思いは表情に出したりしない。
それを言えば、彼女を傷つけるという事くらいは、女心を理解していた。
「ドワーフならば、採掘関係が喜ばれるのではないでしょうか? 鉱山に関係するものなら、ウォリック侯爵領でも活用できるでしょうし」
パメラも会話に参加してきた。
「ドワーフといえば鉄。鉄といえば鉱山」と連想したのだろう。
アイザックもそうだったが、さすがに採掘関係は前世でも縁がなかったので、いいネタが思いつかなかった。
「そうだね。みんなの役に立ちそうなものがないかを優先して考えてみるよ」
パメラの前で格好つけたかったが、思いつかないものは仕方がない。
問題を先送りにする。
(ジークハルト達には、夏休みに作った飛行機みたいなのを用意しとけばいいだろうしな)
今年は忙しくなる。
ジークハルト達が興味を持っていた飛行機を見せれば、とりあえず満足してくれるだろう。
そこでアイザックは、前世に作った事のあるものを作ろうと考えていた。
――夏休みの工作で作った、輪ゴムで飛ばす牛乳パックの紙飛行機だ。
あれならば折っただけの紙飛行機と違って、明確に胴体と羽根の部分が別れている。
紙飛行機ではあるが、次の段階へ進む一歩として、別物扱いしてくれるはずだ。
輪ゴムはないが、手で飛ばすだけでも楽しんでくれるだろうと、アイザックは信じていた。
「去年は色々とあったからね。まずは目先の課題を解決していくつもりだよ。ちゃんと向き合わないといけない事もいっぱい残っている。雑な解決はしたくないから、一つずつ地道に片づけていかないと」
「それは同感だな」
「その通りですわね」
「ちゃんと向き合うのは良い事だと思うよ」
彼らはアイザックの言葉に同意した。
だが、彼らは同じ事を考えているようで、まったく違う事を考えていた。
アイザックは「今日からマイケルが復帰するし、顔を合わせたくないなぁ」というもの。
ジェイソンは「ニコルを幸せにするにはどうすればいいのか」というもの。
パメラは「ジェイソンから確実な方法で救ってほしい」というもの。
アマンダは「自分との結婚について、しっかりと考えてほしい」というもの。
――それぞれ、自分の事に関して考えていた。
表向きは穏やかな雰囲気の会話は、こちらを睨む教師の視線に気付くまで続けられた。
----------
クラス替えでは、ティファニーとニコルが一組に移動した。
代わりに二組にきたのは、チャールズとレイモンド、そしてシャロンだった。
他にも数名が入れ替わったが、アイザックは二組のまま。
パメラと同じクラスになる事もなかった。
ホームルームが終わると、アイザックは脱力感を覚えた。
(これもすべて教師の悪意に満ちた善意のせいだ……)
アイザックも、薄々と感じていた。
ティファニーとニコルを、チャールズと一緒のクラスにしないという配慮がされている。
ならば、その逆もあり得るという事を。
――アイザックは正妻候補の婚約者がいないので、フリーのアマンダと同じクラスにしておいた方がいい。
という、ありがた迷惑な配慮をされているのだろう事は想像に難くない。
ルーカスが自分の家族と、シャロンの家族を説き伏せ、婚約が決まったら同じクラスになった。
この事から、アイザックは確信を持っていた。
これはアイザックの妄想ではなく、ある程度は予想が当たっていた。
王立学院は婚活の場でもある。
アイザックのように、公爵位を持ってフリーな立場の者には、ふさわしい家格の者と同じクラスにするのが一般的だった。
ただし、成績でクラス分けがされるので、強引にジュディスをアイザックと同じクラスにしたりはしない。
学年の違うロレッタも同様に、学年を捻じ曲げてまで同じクラスにはしない。
あくまでも、学生としてのルールから逸脱しない範囲内での配慮である。
その配慮のせいで、アイザックはパメラと同じクラスになれなかったのだ。
だが、婚約者は同じクラスにするという決まりは、基本的にはない。
一年生の時、チャールズとティファニーのクラスが違った事が証明している。
ジェイソンとパメラが特別なだけだ。
「王太子妃が間違いを起こした」という疑問をジェイソンに持たれては困るので、ジェイソンと同じクラスにされているだけだった。
しかも、それだけではない。
学院側も、クラスに一人は中心となる人物を振り分けるようにしている。
優等生のクラスが二つあるのなら、一つはジェイソン、もう一つはアイザックとなるように考えられていた。
これらの理由から、アイザックがジェイソンと同じクラスになる事はなく、ジェイソンと同じクラスにいるパメラと一緒になる事ができなかったのだ。
もし、ジェイソンが一年生の時に別れを切り出していれば、アイザックにもパメラと同じクラスになるチャンスはあったのかもしれなかったのだ。
(アマンダと結婚しろっていう無言の圧力をかけられてもな……。「婚約したけど、卒業式には本命が他にいたと気付いた。」なんて可哀想だしなぁ……)
それができるのなら、すでにやっている。
アマンダと婚約すれば、ウォリック侯爵家の助力をほぼ確実に得られるからだ。
だが、アイザックはアマンダとの婚約を利用しなかった。
使い捨てる事が前提の政略結婚に抵抗があったからだ。
その結果……、事態はより複雑になってしまっていた。
(卒業までに……。バレンタインデーまでに、他の男を選んでくれと伝えておかないといけないな)
アイザックは、アマンダの想いを知ってしまった。
しかし、彼女の事を可愛いと思っても、魂を揺さぶるようなものは感じなかった。
胸が小さくて揺れないからというわけではない。
それならば、当時五歳だったパメラにも惹かれるはずがない。
さすがにアマンダでも、五歳児よりは胸はあるのだから。
彼女だけではなく、ロレッタやジュディスにも断っておかねばならない。
最初からこんなにモテるとわかっていれば、反乱など考えたりはしなかった。
パメラを救い、ジェイソンの面子を潰さないように立ち回っていただろう。
アマンダかロレッタかはわからないが、婚約者と波風立たない人生を送ろうとしていたはずだ。
モテようと思って行動していたわけではないので、このような状況になった事に、ただただ困惑させられるばかりだった。
(まぁいいや、今日は帰ろう。入学式用のスピーチを考えないといけないし)
アイザックは、考えを中断した。
新入生には部活動の勧誘が行なわれる。
正式な部活動ではないものの、今年は新入生に勉強会の説明をしてほしいと学院側から要請されている。
学生に顔を売っておきたいアイザックとしては断る理由などない。
あとで後悔しないためにも、今はやれる事をやっておこうと思っていた。
「もう帰るの?」
アマンダが、アイザックに話しかけてきた。
「スピーチを考えないといけないからね。アマンダさんも生徒会役員としての仕事があるんだよね? 準備はしなくてもいいの?」
「大丈夫だよ。準備は終わってるから。他の人も同じなんじゃないかな。今日はやる事がないから、みんなも帰ると思うよ」
「そうなんだ。前もってわかっていれば準備ができていいよね。僕は今日言われたばかりだから、急いで作らないといけないんだ」
「ハハハ、大変だね」
アマンダは同意しながら「じゃあ、帰ろうか」と、さり気なくアイザックと一緒に帰ろうとする。
家の方角が反対方向なので、一緒に帰るとしても校門までだ。
だが、そのわずかな時間だけでも、ほんの少しだけでも、アイザックと長く一緒にいたいという思いがあった。
一年振りにアイザックと同じクラスになったレイモンドは「えっ、この状況で僕達も一緒に帰るの?」と、ルーカスを見る。
見られたルーカスは、そっと視線を外す。
彼の視線の先には、シャロンがいた。
「今日は勉強会のスピーチを作る手伝いをするから、ウェルロッド侯爵家の屋敷に行くよ。パメラにもよろしく」
「わかった。いってらっしゃい」
――ルーカスは婚約者同士の話をする事で、目の前の問題から視線を逸らした。
レイモンドは、裏切り者を見るような目でルーカスを見た。
同じクラスに婚約者がいれば「先にアビゲイルと帰って、あとで屋敷に行くよ」と言えるのだが、残念ながら違うクラスだ。
「じゃあ、帰ろうか」
アイザックは、シャロンと話しているルーカスではなく、フリーな状態のレイモンドに声をかける。
二人に声をかけているのだが、自然とレイモンドだけに言っているかのように錯覚してしまう。
当然、アマンダの視線はレイモンドに向けられる。
アマンダ本人は特に気にしていないが、レイモンドは違う。
「邪魔者め」という目で見られているように感じていた。
今日は部活がないようなので、まずは隣のクラスにいるカイとティファニーに一声かける。
それから、ポールやジャネットといった、違うクラスの友人を探す。
ポールはすぐに見つかったが、ジャネットが見つからなかった。
「あれ? 部活がないからいると思ったのに」
「部活がないからこそ、いないんじゃないのかな。ダミアンと一緒に帰ったのかも?」
「あっ、そういう事もあるよね」
婚約者と一緒に下校するというのは珍しい行為ではない。
リサが同年代であれば、アイザックも週の半分は彼女と一緒に下校する事を選んだだろう。
(このまま下校すると寂しいだろうから『ちょっとウチの店に寄って帰る?』とか誘うべきなのだろうか……)
友人達やティファニーもいるので、二人でデートというわけではない。
友達との付き合いの範疇である。
しかし、アイザックの友人達は婚約者連れではない。
「こいつ、女をはべらせているところを見せつけてきやがる」と思われるのが怖くて、アマンダを誘うのをやめた。
アイザックがどうしようか迷っているうちに、アマンダは通りがかった生徒に声をかける。
彼女の友達なのだろう。
帰る方向が同じらしいので、ウォリック侯爵家に縁のある者なのかもしれない。
友人に声をかけてくれた事で、アイザックも気兼ねなく下校できるようになった。
軽く雑談しながら、昇降口に向かう。
すると、そこには人混みができていた。
「どうしたんだろう? アイザック、見える?」
ティファニーが、アイザックに何があったのか確認してくれと頼む。
彼女に言われるまでもなく、アイザックは他の生徒の頭越しに様子を窺っていた。
何が起きているのかはわからないが、ジャネットの姿が確認できた。
「ジャネットさんがいるね。……なんだろう、戸惑っているように見えるけど」
ジャネットが誰かと話しているのはわかる。
だが、確認できたのは背が高い彼女だけ。
もしかしたら、人影に隠れてダミアンがいるのかもしれない。
(おいおい、もしかして……。新学期早々、問題を起こすのはやめてくれよ)
「もう、うんざりなんだ! お前みたいな女と、これから人生を共にしていくなんてできない! 婚約なんて解消だ! 僕は真実の愛に生きていく!」
ダミアンが叫ぶ声が聞こえた。
この時点で、アイザックはこの場にニコルもいるのだと確信する。
(ダミアン……。お前、チャールズやマイケルの事から学習しろよ……)
ニコルと婚約するという確証があれば別だが、どうせニコルはそんな約束をしていないだろう。
アイザックは、ダミアンの行動に呆れるしかない。
「あの声、ダミアン!? 嘘、嘘、嘘っ!」
だが、アマンダは違う。
アマンダが人混みをかき分けて、ジャネットのもとへ向かおうとする。
彼女も、今の言葉でダミアンがジャネットに別れを告げているとわかったのだろう。
その顔には驚きと焦りの色が見える。
アイザックも、彼女のあとに付いていった。
(なんで新学期早々に問題を起こすんだよ? なに? 三年生になったら立つイベントフラグでもあったのか?)
アイザックは神を呪う。
三年生になっても、ゆっくりできないと言われているように感じたからだ。







