346 十七歳 貸し
(学校に行きたくねぇ……)
凱旋パーティーの翌日。
アイザックの気分は沈みこんでいた。
まだ終業式を迎えていないので、学生らしく学校に行かねばならない。
だが、同じクラスにはアマンダやティファニーがいる。
彼女達と顔を合わせる覚悟が、アイザックにはまだなかった。
顔を合わせたくないという思いが、アイザックの歩みを鈍らせる。
「気持ちはわかるけどさ。そうやって肩を落として歩くのはよくないんじゃないか?」
「どうみても『失敗した』って語っているようにしか見えないぞ。……ロレッタ殿下とアマンダさんの衝突のあとだからこそ、堂々としておかないと」
ポールとカイがアイザックの様子を見て、姿勢を正した方がいいと指摘する。
彼らも今日は部活の朝練を休んで、アイザックと一緒に登校してくれていた。
本来なら「凄い事をやったな!」と褒めちぎるところだったが、昨日の出来事のインパクトが強すぎて、そういう気分にはなれなかった。
「わかっているけど……。個別に話す事にしたんだけどさ、ちゃんと話し合う前に顔を合わせるのが気まずくてね」
アイザックは溜息を吐く。
昨夜は気分よく眠りにつけたものの、目が覚めて辛い現実と向き合わねばならない事に気付くと、一気に気分が沈みこんだ。
せめてサシで話し合いをしていれば違っただろうが、今はまだ直接話す気になれない。
――どんな事を言われるのか?
――どんな噂が流れているのか?
その事を考えると気が気ではなかった。
(ニコルだって見ているだけじゃないだろうし……。学生生活はまだ一年以上あるんだぞ。いったい、これからどうなるっていうんだ……)
考えれば考えるほど気が滅入る。
校門に着いた時など、周囲の視線が気になって頬が引きつっていたくらいだ。
しかも、担任のニールまでこちらを見て手招きしている。
(ん? 教師?)
アイザックは、なぜ教師に呼ばれているのか疑問に思いながらも彼に近付く。
「やぁ、色々と大変だったんだって? 話は聞いているよ」
「ええ、まぁそれなりに……」
(どこまでだ!?)
ドラゴン対策の旅も大変だったが、帰ってからも大変な思いをした。
ニールが、どこまでの範囲の事を話題にしているのかが、アイザックにはわからなかった。
しかし、そんな事はニールにとってどうでもいい事だった。
「みんなと話をしたいだろうけど、今日は我慢してもらう事になる。テストがあるからね」
「テストですか? 今学期は一学期の成績を基準にして成績を付けるという話をしていたはずですが……」
「その通り。登校しなくてもいいからといって、勉強を怠けたりしていないかどうかを調べるためのものだ。まぁ、結果は重要ではないから、成績に関係なく自分の実力を試す機会だと思えばいい」
「わかりました……。じゃあ、またあとで」
王都に到着した時に冬休みになっていれば、テストなどなかっただろう。
だが、まだ終了前。
ここが学校である以上、一応学力を確認しておきたいのだろう。
アイザックは大人しく従う事にした。
友人達に「またあとで」と言って別れる。
授業の合間や昼休みに会えばいいだけだからだ。
――だが、アイザックが休み時間に友人達と再び会う事はなかった。
「えー、今日は放課後まで友達と会えないんですか?」
廊下を歩いている時に、ニールからとんでもない新事実を教えられた。
「そうだ。テスト問題は同じだからな。一応成績には関係ないとはいえ、友達から教えてもらったりされたらテストの意味がない。それとまぁ……。はぁ、これも言っておかないとダメだな」
ニールは露骨なまでに嫌そうな顔をする。
「学院長から預かっている言葉がある。『クラスメイトにウォリック侯爵家のご令嬢がいるとやり辛いでしょう。長旅でお疲れだと思うので、今日くらいはゆっくりお過ごしください』だそうだ。確かによくやったとはいえ、特定の生徒にだけ便宜を図るのはなぁ……」
教育者として嫌だというのもあるだろうが、学院長のごますりに利用された方が嫌だったのだろう。
言付けを話す彼の姿は不満そうだった。
だが、アイザックは違う。
彼とは正反対に、嬉しそうな表情を隠しきれなかった。
(校長先生ぇーーー! じゃなかった。学院長ぉぉぉーーー! あんた最高だよ! さすがは世渡り上手!)
一日、そうたったの一日。
だが、この一日が大きかった。
学校で顔を合わせる事なく、後日一対一で話し合う事ができるチャンスだ。
細やかな心遣いに、ただただ感謝するばかりだった。
ニールが空き教室の前で立ち止まった。
彼が扉を開けると、ニコラスが最前列の席に座って待っていた。
「ニコラスくんにもテストを受けてもらう。言う必要はないと思うが仲良くな。あとで試験の監督官が来るから、それまで自習して待っているように」
「わかりました」
思わぬところで心の余裕を手に入れたアイザックの心は晴れやかだった。
この世界のテストを受けるのは苦ではないので、アイザックには困るものではない。
突然のテストとはいえ、重荷に感じる事はなかった。
「おはようございます。ずいぶんと余裕そうですね」
だが、ニコラスは違う。
アイザックに勉強を見てもらっていたとはいえ、不安な科目もある。
社会科だ。
ファーティル王国の歴史や地理は昔から学んでいても、リード王国のものは基本的に最近学んだ知識ばかりである。
事前に勉強しておけなかったので、社会科に関しては不安を感じていた。
成績に反映されないテストとはいえ、やはり良い点数を取っておきたかった。
「おはよう。点数を気にしなくていいテストだからね。……ところで、ロレッタ殿下の様子はどんな感じだった?」
アイザックはニコラスの隣の席に座りながら、気になっている事を尋ねる。
ロレッタはクラスが違うとはいえ、同じ学院内にいる事には変わりはない。
バッタリ顔を合わせる事になるかもしれないので、あらかじめ様子を確認しておきたかった。
「殿下は残念がってましたよ。ですが、恨み言をグチグチと言ったりはしていませんでした」
「そうか、申し訳ない事をしたと反省していたんだ。怒っていなくて何よりだ」
アイザックは表情に出さないように気を付けながら、心の中で喜びの声をあげる。
嫌われるところまでは仕方ないが、敵対されるような事があっては困る。
最悪の事態は避けられたのは、今のアイザックにとって良い話だった。
「使者を送って、話し合いの日取りをいつにするのがいいか伺うつもりだ。ちゃんと謝罪もしないといけないしね」
「明日なら予定が空いていますよ。少しでも早く話し合いたいと仰られていましたので、予定を空けておられましたから」
「そ、そうなんだ。じゃあ、屋敷に帰ったら使者を送ろうかな」
(うわー、やっべぇ。やっぱり怒ってるよ)
すぐに会いたいというのは、時間で怒りが冷める前に会いたいという意味だろう。
一度は安堵したものの、やはり会うのが怖くなってくる。
そのため、いつも通り話題を変えようとする。
「今回の旅は学ぶものが多かったとはいえ、学業に関してはちょっと不安かな。勉強はしていたといっても、テストに出る範囲とかわからないし」
「そうですね。アイザック兄さんに勉強を教えてもらっていたといっても、やっぱり不安です。でも、道中で学んだ事は多かったので後悔はしていません。何よりも、アイザック兄さんのような人になりたいと思っていたけど、自分には無理だと気付けたのは大きかったですね」
「嬉しい事を言ってくれるじゃないか」
アイザックがフフフと笑うと、ニコラスも同じように笑った。
年下の子に「兄さんのようになりたい。けど、自分には無理だった」と言われて悪い気はしない。
それと同時に、失望させないようにこれからも頑張り続けないといけないという責任を感じる。
(俺みたいになりたいか。そういう風に言ってもらえるようになるなんて……。ん?)
そして、一つの疑問に気がついた。
「……出発前に『使い潰すなら効率的にやるべき』とか言ってたよね? あれも僕の真似だったりするの?」
「そうですよ」
ニコラスは平然と言ってのけた。
これにはアイザックも呆気にとられる。
「いや、えっ、マジで……。そんな事を言った覚えないんだけど……」
「あれはとんでもない活躍をされたあとだったので、先代ウェルロッド侯のような方なんだと思っていたからですよ。ソーニクロフトでも少ししか話せませんでしたし、リード王国に来てからも身内として話す機会が少なかったじゃないですか。先代ウェルロッド侯のような方だという印象から真似をしていただけです。今は違うとよくわかっているので安心してください。もうあんな真似はしません」
アイザックがショックを受けているのを見て、ニコラスは慌てて弁解する。
彼としては救国の英雄の真似をしていただけ。
「効率よく使い潰すべきだ」とでも言っておけば、アイザックのような知恵者に近付けるような気がしていた。
それだけである。
少なくとも、ジュードなら言っていそうな言葉だったので、彼のイメージを持っていたなら間違いだとは言い切れないものがある。
アイザックも、ニコラスの気持ちが少しはわかるような気がする。
だから、厳しく叱りつけるつもりなどはなかった。
「一つ貸しね」
「はい……」
そこで、貸しを作るだけで済ませる事にした。
(頼むからロレッタと話す時に援護してくれよ。本当に頼むぞ。同席するかわからないけど)
アイザックが望むのは、ロレッタとの話し合いの時の援護だけだ。
そこで支援をしてくれるのなら忘れ去ってもいい。
その程度の事だった。
だが、ニコラスは違った。
ケンドラと仲良くしていた時に、殺意の籠った視線を向けられていた事に気付いていた。
アイザックとより仲を深めるためという下心が多少はあったとはいえ、親戚のケンドラとの交流だったはずなのにである。
この借りはとても大きなものになりそうだと、彼は深刻に受け止めていた。
ニコラスがゴクリと唾を飲み込んだ時、教室の扉が開かれる。
「さぁ、楽しい楽しいテストの時間ですよ。学生の本分は勉強。重要な任務を任されていたとはいえ、勉学をおろそかにしていませんよね? さぁ、お二人の心構えを見せてもらいましょうか」
入ってきたのは女性教師だった。
彼女はニールとは違い、学院長からテストをする意味を知らされていないのだろう。
純粋にテストで、アイザックとニコラスの学生としての心構えを知ろうとしていた。
(この世界のテストくらい余裕さ。このあとに残っている問題の方が大変だからな! ……あぁ、気が滅入ってきた)
アイザックは前向きにテストに取り組もうとしたが、深く考え過ぎたために落ち込んだままテストを受ける羽目になった。
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一方その頃、王宮の一室にモーガンとランドルフが呼び出されていた。
呼び出したのはエリアス。
用件は、正式な謝罪だった。
「エンフィールド公がウェルロッド侯爵家の貴重な跡継ぎという事を忘れていた。信頼していたとはいえ、一歩間違えれば命を失う任務に気軽に送り出すべきではなかった。外務大臣であるウェルロッド侯の意見を聞かず、面子を傷つけてしまった事にも申し訳なく思っている。誠に申し訳ない」
エリアスがテーブルに頭が付きそうなくらい深々と頭を下げる。
頭を上げると、次はランドルフを見る。
「サンダース子爵も息子が死地に送られると聞いて、かなり狼狽したであろう。私も息子を持つ身。一人の親として考えればあり得ぬ命令だった。本当にすまない事をした」
「いえ、確かに最初は驚きましたが、エンフィールド公なら無事に帰ってきそうな気がしておりましたので、さほど心配はしておりませんでした。本人も私共に心配をかけないよう振舞っていてくれましたので、お気になさらずに」
モーガンは堂々とした態度で謝罪を受け取ったが、ランドルフはうろたえてしまっていた。
アイザックをドラゴン対策に送り出された事に不満はあったが、国王自らの謝罪を要求するほどの不満ではなかった。
これは彼が言ったように、アイザックへの信頼があったからだった。
ランドルフの言葉で、エリアスも少しだけ気分が軽くなる。
「これは言い訳でしかないが、エンフィールド公の人柄が良すぎるせいで甘えてしまっていたようだ。あれが先代のウェルロッド侯であれば……。あのように気楽に命令を出したりはできなかっただろう」
「そうでしょうな」
エリアスの言葉に、モーガンが同意する。
ジュードが「ちょっとドラゴンを何とかしてきて」と、エリアスに命令される姿が思い浮かばないからだ。
――国王ですら気軽に命じる事のできない存在。
それがジュードだった。
だが、命じられた仕事は完璧にこなすので、命令されるのが嫌だというわけではなかった。
あまりにも切れすぎて、安易に用いる事ができないという雰囲気を纏っていただけだ。
アイザックには、それがない。
「エンフィールド公は公爵となった今でも『ワインを注げ』と命じれば、気軽に従うような雰囲気がある」
エリアスの感覚は当たっている。
実際、アイザックがエリアスに命じられれば、嫌な顔をせずにワインを注いだだろう。
「国王にお酒を注ぐくらい普通だよね」くらいのノリで、命じられるがままに動いたはずだ。
「先代のウェルロッド侯は『いつか自分が王になった時、このような者を用いねばならぬのか』と覚悟が必要な男だっただけに、エンフィールド公の扱いやすさに甘えてしまっていた。あそこまで実績を積み重ねておいて、威厳も何も感じさせない方が不思議なものだ。おそらく、あれも人を騙すための擬態なのだろう。私もすっかり騙されてしまっていた。おかげで本人のプライドや周囲への配慮を忘れてしまった」
エリアスは心底悔いる。
ちょっとした手抜かりで、アイザックから命令の拒否権を求められてしまうほど信頼を失ってしまった。
あの時、モーガンに意見を聞いていれば違った結果になっていただろう。
それもこれも、アイザックの気安さが原因だった。
「だが、けしてウェルロッド侯を軽んじていたわけではないぞ。そこは勘違いしてもらっては困る。今までもロックウェル王国への弔問など、私の名代が必要な時に任せていたくらいだ。そなたを信頼しているという事は忘れないでほしい。エンフィールド公を派遣する時は、ついその場の勢いで命じてしまっただけだ。あれは私の迂闊さによるミスだった。本当に申し訳ない」
エリアスは、モーガンを軽んじていたわけではないと説明する。
だが、モーガンの気にしているところが、そこではなかったのが悲劇である。
謝罪の言葉も空しい結果に終わる。
とはいえ、表向きは謝罪を受け入れる形を取らねばならない。
「陛下、大事なのは同じ過ちを犯さぬ事。過ちに気付き、それを認める事ができるというのは誰にでもできる事ではございません。今回の一件は水に流しましょう」
「ウェルロッド侯……」
モーガンの優しい言葉にエリアスは目を輝かせる。
「ですが、それはそれ。何か問題が起きた場合、ウェルロッド侯爵家に対して大目に見るという公文書をいただきたく存じます。エンフィールド公が動けば、物事が大きく動きます。中には王家を動揺させるようなものもあるでしょう。一時の混乱で勢いあまってウェルロッド侯爵家のお取り潰しなどされたくはございませんので」
「……わかった。必要な書類を用意させよう。本当にすまなかった。そう怒らんでくれ」
モーガンは言葉尻を捕らえ、要求をエリアスに突きつける。
アイザックに協力はする。
協力はするが、失敗しそうな時にアイザックが我慢できるかがわからない。
何年も気付かれないよう、密かに準備を整えてきたのだ。
無理にでも計画を実行するかもしれない。
その時に備え、公文書という形で保険を手に入れようとしていた。
公文書があろうとも、反乱を計画したとあれば当面の間は肩身の狭い思いをするだろう。
だが、家が続けばいつかは浮かび上がる事もできる。
最悪の事態を避けるための保険を用意しておきたかったモーガンにとって、今回の面談はいい機会だった。
彼とてウェルロッド侯爵家の当主である。
他の貴族としのぎを削ってきたのだ。
引け目を感じている者に対して、要求を突きつける事くらいは容易な事だった。
クリスマスは物凄く忙しくなるかもしれません。
見た事もない幼馴染が「ずっと好きだったの」と告白してきて、一緒に過ごすことになるかもしれませんので。
万が一に備えて予定を空けておくため、金曜日はお休みです。






