305 十六歳 グラハムが動いた理由
修道士達に火刑台へと運ばれている間、グラハムは大人しかった。
マットに殴られたのと、腕を焼かれたせいで暴れる元気がないからだ。
そんな彼も、火をつけられると大声をあげて叫ぶ。
悲鳴を聞いて、アイザックの腕に抱き着いているジュディスの手の力が強まる。
アイザックも嫌な夢を見てしまいそうになるので、ある程度火勢が強まってきたところでセスと共に教会の中へ入ろうとした。
そこに、新たな騎士の一団が教会前の広場に近付いてきた。
ウェルロッド侯爵家の騎士だけではなく、正規軍の騎士も混じっている。
彼らのあとから、ウェルロッド侯爵家の紋章が描かれた馬車もやってくる。
おそらく、連絡を聞いたモーガンだ。
緊急事態なので、護衛の他に王家から騎士を借りたのだろうと思われる。
「やめろ! 早く消せ!」
馬車が広場に着くと、思った通りモーガンが中から出てきた。
近くにいる修道士に命令を出すが、命じられた者は困惑するばかり。
これではダメだと思ったモーガンは、周囲を見回して責任者を探す。
すると、ハンスの姿を見つけた。
急いで彼に駆け寄る。
「ハンス! お前、なんで止めなかった! いや、止めるのが無理でも時間を稼ぐくらいはできただろう!」
「私の権限でできる範囲で処刑は遅らせました。だから間に合ったではありませんか」
詰め寄る兄の剣幕に、ハンスは怯む。
だが、ジュディスは助かっている。
落ち着いて返事をした。
「間に合った? ああ、そうだな。処刑されているところを見物できてよかったよ!」
当然、これは皮肉だ。
火勢が強まり、グラハムの姿が煙で見えなくなっている。
見物どころではない。
他人事のように落ち着いているハンスにイラつきを覚えた。
「もしかして、仲が良かったのですか?」
ハンスはモーガンが怒っているので、グラハムと仲が良かった可能性について考えた。
念のために確認をする。
「仲が良かった? ハンス……、お前……」
モーガンが拳を握り締める。
だが、弟とはいえ人前で殴るような事はしなかった。
代わりに、胸倉を掴んでグイッと顔を近づける。
「ふざけるな! お前だってサムに遊んでもらった覚えがあるだろう! ジュディスの処刑を他人事のように言うとは何事だ!」
モーガンは、ハンスの態度が許せなかった。
ランカスター伯爵とは長い付き合いだ。
当然、ハンスが家にいた時にも会っている。
そんな彼の孫娘を燃やしておいて、平然としている弟の事が腹立たしくてたまらなかった。
「教会に入って世俗とは縁を切ったとはいえ、私はずっとお前の事を弟だと思っていた。だが、こんな薄情な奴だったとはな。あれほど嫌っていた父上と同じではないか。貴様は父上と同じ外道だ! 貴様など弟ではない!」
だから、モーガンはハンスの事を罵倒する。
さすがにここまで言われれば、ハンスもグラハムの事を心配していると思ったのは勘違いだったと理解する。
「落ち着いてください」
「落ち着けるか!」
「ジュディス様は生きています」
「今は生きているかもしれん。だが、いつまでだ? 100を数えている間もなく焼け死んでしまうだろう! こうして話している間にもう死んでいるかもしれんのだぞ!」
「ジュディス様はエンフィールド公とご一緒です」
ハンスは教会の入り口を指差す。
モーガンが指で示された方向を見ると、確かにアイザックの腕に抱き着くジュディスの姿が見えた。
となると、一つの疑問が浮かび上がる。
「……では、焼かれているのは誰だ?」
「グラハムです」
あまり聞きなれない名前ではあるが、モーガンには心当たりがあった。
「王都の教会関係者でグラハムという名前の者は一人しか知らんが……」
「おそらく、そのグラハムです。事務局副長のグラハムが今焼かれています」
「えっ……」
モーガンは燃え盛る炎を見る。
だが、煙のせいで誰が焼かれているのかまでは確認できない。
「えっ……」
今度はアイザックとジュディスを見る。
長い黒髪で顔が見えないが、個性的な胸の膨らみでジュディスの影武者ではなく、本人だろうというのが判断できた。
「えっ……」
――ジュディスが火刑に処されると聞いてきたら、なぜか教会幹部が焼かれていた。
おそらく、そんな事をするのはアイザックの仕業だろうというのはわかるが、なぜグラハムが焼かれているのかがわからない。
しばらくの間、モーガンは視線をあちらこちらに落ち着きなく移していた。
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「なるほど、そういう事だったのか」
教会の中でアイザック達から説明されると、モーガンは何が起きていたのかを理解した。
やはりアイザックの仕業だった事に、不思議な安心感を覚える。
「ハンス、すまなかった」
「お気になさらずに。あの状況では、ジュディス様が燃やされていると勘違いするのも無理はありません」
モーガンは、ハンスに詰め寄った事を謝る。
ハンスも戸惑うのが理解できる状況だったので、モーガンを責めなかった。
ジュディスを助けるだけならともかく、原因を作った者を背教者扱いして火刑にしているなど誰が想像できるだろうか。
彼の処刑を実行したハンス自身、今でも信じられない事態だった。
「ハンスさん。今回の事でどこまで話せばいいと思いますか?」
アイザックがハンスに質問する。
これは「ジュディスが危ない」と知らせた事に関してだ。
処刑が実行される寸前だったという事は、最終的にセスが許可を与えていたはず。
会話が始まる前に、ハンスが裏切り行為を行なっていたという事を話していいのかを確認しておきたかった。
ハンスは軽く笑みを浮かべて答える。
「すべて話してくださってかまいません。私が連絡したという事もです」
「わかりました」
ハンスがアイザックに知らせたと知ってセスは「ん?」という表情を見せるが、すぐに切り替わった。
誤った判決で聖女ジュディスを処刑せずに済んだからだ。
セス自身、神に声を届けられる者としての評価を得た。
結果オーライではあるが、多少の事など目を瞑る事はできる。
「今回はハンスさんがウェルロッド侯爵家に知らせてくれたから、僕が助けに来るのが間に合ったんです」
アイザックは、自分の隣に座るジュディスに説明する。
護衛の騎士がいるとはいえ、教会の中にいるので怖いのだろう。
彼女はまだアイザックの腕に抱き着いていた。
この時、アイザックは――
「痴漢扱いされてもかまわない。今すぐ胸に顔を埋めよう」
「さすがに人前じゃダメだ。馬車の中とかでやるべきだ」
――という考えの間で揺れ動いていた。
アイザックは、腕に触れる胸の感触ににやにやしてしまいそうになるのを必死で我慢していた。
だが、どうしても口の端が緩み、自然と笑みが浮かんでしまう。
その笑顔を見て、セス達は「教会をどう料理しようか考えて楽しんでいるのでは?」と不安になる。
女をよりどりみどりな立場のアイザックが、胸の感触だけでにやにやしているとは彼らに想像ができなかったせいだった。
「ここからはジュディスさんに聞かせたくない話になるんだけど……。ハンスさん、グラハムとの関係はどうでしたか?」
アイザックは、今回の件の核心に触れる話題を始める。
マイケルが原因なのかもしれないが、ジュディスが処刑されそうになったのは、グラハムの行動が一番影響が大きいと考えていたからだ。
「……関係は良くありませんでした。以前はライバル視されるくらいでしたが、近年は憎しみの感情が見受けられました」
「以前とはいつ頃の事ですか?」
「事務局長になる前までです」
ハンスの返事を聞いて、アイザックは確信を持った。
自分の腕に抱き着いているジュディスに対して申し訳なくなり――
「どさくさに紛れて揉んでも許してくれるかな?」
「いっそ、正面からお願いしてみるか」
――にまで欲求がグレードダウンする。
「ジュディスさん、申し訳ありません。おそらく、僕が原因です」
「えっ……。どうして?」
アイザックの衝撃的な告白を聞き、ジュディスの体がビクリと震える。
「ハンスさん。八年前の事はどこまで話してもいいのでしょうか?」
「全部話してくださって結構です。地方への寄付金集めという名目とはいえ、皆が知っている事ですし、隠すような事でもありませんから」
「ならば、その事も含めて、ジュディスさんに説明したいと思います」
アイザックは深呼吸をする。
周囲はそれを重大な発表をするための心の準備だと受け取ったが、実際は大違いだ。
胸の感触で弾んだ声が出てしまわないよう、心を落ち着かせるためだった。
頭の中では性的な妄想をしても、表に出さないだけの最低限の良識はわきまえていた。
「八年前、僕は兄を殺しました。その時の影響で、僕の父であるサンダース子爵が病に倒れてしまいました。この辺りの事はご存知ですよね?」
ジュディスがうなずく。
アイザックの兄殺しは貴族界隈で知らない者がいないほど有名な噂だ。
当然、彼女も噂を聞いている。
ランドルフが体調不良で倒れていたのも周知の事実。
表向きの噂はともかく、ほとんどの者が「妻と子を失ったショックで心を病んだのだろう」と理解していたくらい有名である。
それがなんの関係があるのか、ジュディスにはわからなかった。
「後継者が政務を行えない非常事態。本来ならウェルロッド侯が領地に戻るところですが、外務大臣という要職に就いているので難しい。ですので、僕が領主代理に任命されました。しかし、領主としての教育をまだ受けておらず、幼い子供では経験をもとに実務を取り仕切る事もできません」
ジュディスがまたうなずく。
アイザックが言っている通り、子供が領主代理などできるはずがない。
難しいというよりも、不可能な事のように彼女には思えていた。
「ハンスさんはウェルロッド侯の実弟。教会に入る前に領主として必要な事を身に付けています。そこで、ハンスさんが僕の後見人になってくれる事になりました」
「……それが?」
ハンスが自分の事にどう関係があるのかわからないジュディスが首をかしげる。
顔が見えないが、不思議そうな顔をしているのがなんとなく察せられた。
「ハンスさんは地方に寄付金集めに向かうという名目でウェルロッドに来てくれました。そして、僕を手伝ってくれたお礼にウェルロッド侯爵家から多額の寄付をしました。この事自体は問題ありません。地方へ寄付金を集めにいったので、寄付金を得たというだけです。ですが、時期が悪かった。当時は誰を次期事務局長にするかの大切な時期。グラハムはハンスさんが実家の金で事務局長の地位を買ったと思ったのでしょう」
これは嘘だ。
だが、この話は修道士やランカスター伯爵家の騎士も聞いている。
「ハンスが手伝う代わりに事務局長になるための支援を要求し、モーガンがそれに応えた」などと馬鹿正直に話す必要はない。
そこは重要ではない。
今必要なのは、なぜグラハムがジュディスを狙ったのかというところである。
「だから、ライバルから憎悪の対象へと変わっていったのでしょう。ジュディスさんの事を告発する者がいても、普通ならグラハムも慎重な対応をしたはずです。しかし、ランカスター伯はウェルロッド侯の親友。僕達も友人関係という事もあり、両家の繋がりは密接なものとなっています。ハンスさんへの意趣返しの相手として、ジュディスさんは手ごろだったのではないかと思われます」
「でも、それは……」
ジュディスの頭が動いてハンスの方に向く。
おそらく「それだったら、説明せずに誤解を招いたハンスさんの方が悪いのでは?」と言いたいのだろうと思われる。
「僕が兄を殺さなければ、今のハンスさんとグラハムの関係はまだマシだったでしょう。直接行動したのはグラハム。でも、彼の心がそこまで荒む原因は僕にあります。本当に申し訳ない」
アイザックの行動は、原作にはなかったものだ。
グラハムが事務局長になっていなくても、ハンスとはまだ良好な関係のままだったかもしれない。
もしかすると、心に余裕を持っていた原作では「在学中に婚約者を告発すると、学生生活が気まずくなるぞ」とグラハムがマイケルを諭していたのかもしれない。
アイザックが何もしていなければ、おそらくジュディスがこの時期に処刑されそうになるという事はなかっただろう。
誰が悪いかといえばマイケルが一番悪いのだが、アイザックも原作の流れに影響を与えてしまった事を反省する。
「いいの。だって……、未来は、わからないから」
占いでも絶対に当たるとは限らない。
アイザックが言っていたように、結果を知った人の行動で変わってしまう。
占いでもわからない未来が、特別な力を持たないアイザックにわかるはずがない。
家督争いのために必死に行動していただけのアイザックを責める気など、ジュディスにはなかった。
アイザックは気を取り直して、次の話題に移る事にした。
「ところで、大司教猊下にお聞きしたいのですが、ここまで素早く処刑にまで事を進められたのはなぜでしょうか? それほどまでにグラハムが優秀だったのですか?」
原因が自分にあったとわかっても、グラハムがここまで素早く動けた事がわからなかった。
前もって証拠集めをしていたとしても、裁判で誰かが「性急すぎる」と止めたはずだ。
なのに、処刑執行まで進んでいた。
ジュディスはランカスター伯爵の孫娘。
根回しをしていたにしても、あまりにも手際が良すぎる。
何か理由があるはずだった。
アイザックに問われて、セスは気まずそうな顔をした。
だが、ここで隠し事をするのは得策ではないと考え、正直に打ち明ける事にした。
黙っていてアイザックに見抜かれれば、自分から話すよりも立場が悪くなってしまうと思ったからだ。
わざわざ最悪の選択を選ぶ理由がない。
「グラハムが優秀だったというのもあるが……。ブランダー伯爵家の存在が大きく影響している」
「ブランダー伯爵家が?」
(マイケルがなにかやったのか? 卑劣な奴め!)
アイザックは、真っ先に脅迫という行為が頭に浮かんだ。
教会にいる者は基本的に暴力が苦手だ。
本職の騎士に囲まれて脅されれば、グラハムの言う事に従わなくてはならなくなる。
有力者を囲い込んで、ジュディスの処刑に反対できない雰囲気を作っていたのなら、かなり悪質だ。
しかし、アイザックが思っていたのとは違う理由で、ブランダー伯爵家は教会内の影響力を持っていた。
自分がやるからといって、相手もやるとは限らないのだ。
「鉱夫などに怪我が続出しているので、治療費という形でブランダー伯爵領にある教会の収入も増加。近年、ブランダー伯爵家から無視できない額の寄付が納められている。自然とグラハムの影響力も増大していった」
セスの説明はわかりやすいものだった。
ブランダー伯爵家は鉱山の開発を行なっているが、混乱したウォリック侯爵領から逃げ出した者だけでは人の数が足りない。
だから、貧民街などから人を雇って鉱夫として働かせている。
とはいえ、素人が熟練者と同じように働けるわけではない。
作業中の事故で負傷する者が多く、治療を施す頻度も高めになっている。
「怪我人の代わりを雇えばいい」で済ませず、ちゃんと治療して熟練者になるまで面倒を見ようとしたのだろう。
それが教会の収入増加に繋がっているのは、おまけといった要素だと思われる。
問題は、多額の寄付金の方だ。
鉱山の運営が軌道に乗り、金銭面で余裕ができた。
それはわかるが、なぜ寄付をするのかだ。
マイケルがニコルに惚れたのは最近の事。
ジュディスを処刑するために前もって寄付をしておく理由などない。
以前から寄付をしているとなると、アイザックには理由が一つしか思い浮かばなかった。
「事務局長になるため、ですか」
「ハンスには『数年後には事務局長の交代を考えるように』と言っていたところだ。その時に備えて、実家の支援を求めていたのかもしれん」
セスがアイザックの言葉に同意した。
寄付金というやり方で事務局長の座を奪われたので、同じやり方で事務局長になる事で「お前はこういう卑怯なやり方をしていたんだぞ」とハンスに見せつけたかったのかもしれない。
これはブランダー伯爵家が豊かになったからこそできる事だった。
「僕のせいだ……」
アイザックの口から、自分を責める言葉が漏れる。
(先代のウォリック侯を俺が殺さなければ、ブランダー伯が鉱山開発に乗り出す事はなかった。実家が裕福になったせいで、グラハムが教会内で影響力を持ったんだ。他の貴族が弁護したりする余裕もなく、ジュディスがいきなり殺されそうになったのは俺のせいだ)
当時はアマンダとフレッドの婚約関係に影響を与えただけだと思っていた。
だが、その時に設置されていた時限爆弾が今になって爆発した。
原作ゲームにない行動をしたため、その歪みが出てきてしまっているのだろう。
ニコルに攻略されたゴメンズによって不幸にされるはずが、自分の手によって不幸にしてしまっている。
――アマンダ、ジュディス、ティファニー。
不幸にした女の子の割合で考えると、アイザックはニコルといい勝負だ。
それにグラハムの憎悪を駆り立て、ブランダー伯爵家に力をつけさせて、ジュディスの処刑を早めたのは自分のせいだ。
彼女の事ばかり責めてはいられない。
(いや、マイケルに決定的な行動を取らせたのはニコルの責任だ。今回の件で俺の責任は軽いはずだ。俺は悪くない)
そう考えはするものの、どうしても気まずい思いをしてしまう。
先ほどまでジュディスの胸で上がっていたテンションも「こうして腕で感触を味わえるだけで十分だ」というところまで下がってしまう。
「アイザ――エンフィールド公。ブランダー伯爵家が鉱山を開発した事にどのような関係が?」
モーガンがアイザックに尋ねる。
さすがにこればかりは関係があるように思えなかった。
どんな理由で自分を責めているのかが、ウェルロッド侯爵としてではなく、祖父として気になっていたためだ。
これにはアイザックも焦る。
「先代ウォリック侯が死ぬ原因を僕が作っちゃいました。てへぺろ☆(・ω<)」なんて正直に言ったら、とんでもない事になるくらい考えなくてもわかる。
テンションが下がったおかげで冷静になった頭で必死に言い訳を考える。
「いえ、そちらではありません……。ドワーフとの交易です」
「ドワーフとの交易?」
「そうです。ドワーフとの交易がなければ、ブランダー伯爵家がここまで力を付ける事はありませんでした」
それからアイザックは、その理由を説明する。
本来ならブランダー伯爵領で採れた鉱物は、ウォリック侯爵領が混乱している間だけ売れるはずだった。
ウォリック侯爵領での混乱が収まれば、商人達はまたウォリック侯爵領から鉱物を仕入れるからだ。
品質はブランダー伯爵領で採れる鉱物の方が上。
とはいえ、すぐにみんなが取引相手を切り替えるわけではない。
長年取引をしていた付き合いもあるし、侯爵家との縁を切る必要もない。
ウォリック侯爵領で採れる鉱物と激しいシェア争いをして、徐々に売れていくという流れになるはずだった。
しかし、ここでブランダー伯爵家にとって追い風だったのがドワーフの存在だ。
彼らは鉄などを持ち込めば、ある分だけ全部を買ってくれる。
ブランダー伯爵領で採れた鉱物は、倉庫で保管したり、安売りしたりせずに済んだ。
ウォリック侯爵領産の鉱物とシェア争いをせず、掘れば掘った分だけ売れるという状況は、ブランダー伯爵家に好景気をもたらした。
その資金力があったからこそ、グラハムに強力な支援ができたのだ。
という事を説明した。
アイザックは自分で説明しながら「それっぽい事を言えた」と満足する。
先代のウォリック侯爵を憤死させた原因を作った事は、黙って墓に持っていくつもりだった。
(デニスもそうしてくれたしな)
「それは、違う。……エンフィールド公は、悪くない」
ジュディスがアイザックを庇った。
彼女の言葉に、他の者達も賛同する。
――アイザックは、自分がエリアスに直訴させた事を知っている。
だが、他の者達は知らない。
「アイザックが気に病む事などない」というのは、この場にいる者共通の認識だった。
特にモーガンはその思いが強い。
ネイサンを殺したのはアイザックだが、ハンスを呼ぶという選択をしたのはモーガンである。
しかも、事務局長の座を射止めるために寄付を求めたのはハンスで、それに応えたのはモーガンだ。
「考えすぎだ」とアイザックに慰めの言葉をかける。
「ありがとうございます。……ジュディスさんを無事に助け出せたとはいえ、僕も動揺していたのかもしれません」
「エンフィールド公も動揺される事があるのだな」
セスが笑みを見せる。
アイザックの事を噂でしか知らないので、年相応の部分が見られて安心したからだ。
――その安心が、余計な一言を生み出した。
「エンフィールド公、悩み過ぎは良くない。あなたは奇跡の瞬間に立ち会ったではないか。しかも、奇跡を起こした当事者として。もっと自分に自信を持つべきだ。ところで、あのナイフを見せてはいただけないか? 是非とも、神器として教会で保管したいところだ」
セスはうきうきだった。
神に自分の声が届いた事も嬉しいし、奇跡の現場に立ち会う事ができたからだ。
だから、ついナイフを見せてほしいという言葉が出てきてしまった。
だが、アイザックはそれを認められない。
(おぃぃぃ、そこに触れちゃダメだろ!)
ナイフは偽物だ。
刺せば剣身が柄の中に入り込むバネのおもちゃ。
ケンドラのために作ったものなので、刃先も怪我をしないように作られている。
ギリギリペーパーナイフとして使えるかどうかと言ったところだろう。
そんなものを見られては、あの奇跡が偽物だとバレてしまう。
(いっその事、共犯にしてみるか)
そういう考えも浮かぶが、すぐにその考えは吹き飛んだ。
偽物の奇跡だとわかった時、宗教関係者がどういう反応をするのかわかったものではない。
ジュディスに知られるのはかまわないが、セス達に知られるのはマズイと考えた。
「大司教猊下。一つ確認しておきたい事があるのですが」
「なんだね? もちろん、ドワーフ製で貴重なナイフというのなら、それ相応の対価を支払おう」
セスは金銭面の問題でアイザックが渋っていると思った。
公爵となったアイザックが持っているものだ。
かなり貴重なものに違いないという思いに確信があった。
しかし、アイザックは対価を要求するつもりなどなかった。
絶対に渡さないという決意があったからだ。
「なぜ、そのように振る舞えるのかがわかりません。グラハムが根回しをしていたとはいえ、伯爵家の令嬢を処刑するとなると相応の立場にある者が許可を与えなければならないでしょう。王都の教会において、処刑の執行を認める最高責任者とは誰になりますか?」
アイザックが睨みながらセスを追及すると、セスの顔色が変わる。
処刑の執行を認めたのは彼自身だからだ。
「それは、その……」
セスが言葉に詰まる。
ナイフの事から話を逸らすための演技とはいえ、アイザックの厳しい視線を向けられたからだ。
彼はハンスに視線を送り、助けを求める。
自分が弁解するよりも、アイザックの面倒を見た事がある彼から援護をもらった方が安全だろうと思ったのだ。
頼られたハンスは、ただただ困った。
アイザックが自分に危害を加える事はないだろうが、セスの命を預けられたようなもの。
一歩間違えれば,グラハムのように火刑に処される流れになるかもしれない。
リード王国内の教会を束ねる大司教の弁護は、いきなり任されるには重すぎた。
だが、やらねばならない。
まだまだセスを失う事はできないからだ。
「確かに大司教猊下が最終判断を下されました」
「ハンス!」
いきなりの裏切りに、セスがハンスを睨む。
「ですが、それはグラハムが証拠を集め、裁判でジュディス様が何も反論なさらなかったからです。以前、エンフィールド公の後見人だった時に、報告書に必要な内容が記載されていれば決済してもいいという事を教えたはずでしょう? それと同じです。必要な証拠や手続きがあれば、処刑執行の書類にサインする。大司教猊下も立場は違えど、組織の上に立つという点では領主と変わらないのですよ」
ハンスは領主代理時代の事を持ち出した。
部下の報告書を一つ一つ疑っていては、いつまで経っても仕事が進まない。
――明らかにおかしな証拠があったり、ジュディスが否定していれば、セスもサインしなかった。
サインをしたのもやむなしという形で、ハンスはセスを弁護した。
「最終的な判断を下したのなら、その責任は最高責任者が取るべきだとは思いますけどね。……ジュディスさんはどうです? 大司教猊下も悪いと思いますか?」
アイザックは被害者本人の気持ちを聞く事にした。
すると、ジュディスは首を左右に振る。
「そこまでは……」
セスにまで責任を求めたくはないという事だろう。
アイザックは彼女の意を汲む事にする。
「わかりました。ですが、僕個人としては、奇跡が起きたからといって浮かれるのはどうかと思います。そもそも、処刑騒動がなければ奇跡など起きる必要もなかったのですから」
「それはそうだが……」
セスはまだ諦めきれない様子だった。
彼にとって神に祈りが届いたのは初めての事。
修道士になったばかりの頃は「いつか神に祈りが届きますように」と考えるが、祈りが届かない年月が長くなるほど「神に祈りが届かないのでは?」と考えてしまう。
神に祈りが届いたので、浮かれてしまうのも無理はない事だった。
問題は、奇跡を起こしたアイザックが、ナイフを手渡したくないという事だ。
「ジュディスさんの身の安全を保障してくださるのですか?」
「もちろんだとも! 今後は聖女として扱うので、我々が危害を加えようとする事はない。それどころか、ジュディス様の敵は我らの敵。教会の全力を挙げてお守り致します!」
「なら、今はそれでいいでしょう。ですが、今後の詳細については、ランカスター伯爵家の方々と話し合っていただきます。ナイフは、その話し合いの結果次第でお渡しするかどうかを決めさせていただきます」
「そんな……」
セスは絶望に満ちた表情を浮かべる。
神器となるはずのナイフが交渉の道具にされてしまったからだ。
神器を手に入れるためには、ランカスター伯爵家に対して、大幅な譲歩をしなくてはならなくなった。
奇跡の直後だというのに、当事者とは思えないほど冷静沈着な対応をするアイザックの事を少し憎らしく思う。
そんな彼の姿は、ジュディスや騎士達に威厳を保とうと偉ぶっていた事が無駄になってしまうものだった。
(よし、これで時間は稼いだ。その間にソックリなちゃんと切れるナイフを作らせよう。おもちゃのナイフを作った者に口止めもしておかないとな)
当然、アイザックには奇跡の余韻などなかった。
喜ぶどころか、冷や汗ものの状況である。
しかも、全部自分が作りだした偽物。
奇跡だと無邪気に喜べる状況ではなかった。
アイザックとセスの会話を聞いていたモーガンが、まだ触れていない話題について切り出そうとした。
セスを責めるよりも、そちらを優先するべきだと思ったのは事実であるし「アイザックが責めて、自分が助ける」という形をとってバランスをとっておきたかったという考えもあったからだ。
「責任といえば、グラハムを処刑したのは時期尚早だったのでは? 生かしておけば、ブランダー伯爵家を追い込む証人にする事もできたはずです」
「いえ、彼は今のうちに殺しておく方がよかったのです」
だが、アイザックはグラハムを生かしておくという考えを否定する。
これにはちゃんとした理由があった。
(マイケルには生きておいてもらわないと困るんだよ)
「ブランダー伯爵家はお取り潰し! マイケルは死刑!」などという事になったら大問題だ。
逆ハーエンドのルートを進んでいるらしいニコルの邪魔はしたくない。
ブランダー伯爵家が多少力を失うとしても、マイケルは生かしておかねばならない。
今マイケルがいなくなったら、ニコルの行動がどうなるかわからなくなる。
ジェイソンを攻略するまでは、最低限の形は残しておいてやらなければならなかった。
しかし、それはアイザックの都合。
誰にも本当の事は話せない。
表向きの理由は別に用意してある。
「マイケルが告発し、ブランダー伯爵家から強い要請を受けて処刑を進めたと証言すれば話は簡単です。ではグラハムから『ブランダー伯爵家は関係ない。告発は事実だが、それを利用してハンスに嫌がらせをするために自分が全て仕組んだ』と証言されたらどうでしょう?」
「……それでは責任の追及は厳しいな」
ハンスのように実家と縁が切れていない者は多いが、表向きは教会に入った時点で家とは関係のない者になる。
自分一人の責任だと証言されると、ブランダー伯爵家への責任追及は難しくなっただろう。
せいぜい、婚約者を告発したマイケルの評判が地に落ちるだけだ。
「ランカスター伯爵家の方々も、怒りで振り上げた拳を振り下ろす先が必要でしょう。グラハムを処刑する事で100か0かではなく、50の結果を確実に得られるようにしておきました」
「むぅ……」
唸ったのはモーガンではない。
セスや同席していた騎士達だ。
内容自体は無難な答えだと思えるもの。
だが、ジュディスを助けながら、そんな事を考えていた事があり得なかった。
ジュディスを助ける事だけでも至難の業。
彼女を助ける最中に、助けたあとの事まで考えて行動していた事が信じられなかったのだ。
モーガンは慣れてはいるが、アイザックの事を噂でしか聞いた事がない者達には驚きしかない。
ジュディスも驚いて、アイザックの腕に抱き着く力が強くなる。
「なるほど。確かにグラハムを生かしておけば、自分一人の責任という事にしてしまう可能性がある。ここで処刑しておけば、声高にブランダー伯爵家の責任を追及する事ができる。無実を証明する証人はおらず、教会に多額の寄付をしていたという事実が証拠になるからな」
今までアイザックがやってきた事を考えれば、今後の展開を考えていた事くらいたいした事はない。
モーガンは冷静に対応した。
その姿に、モーガンも只ならぬ者だという印象を周囲に植え付ける。
ランドルフもリード王国で一、二を争う武勇の持ち主だと思われているので「今のウェルロッド侯爵家は、歴代最強の三世代が揃っているのではないか?」と思われていた。
「それでは、ランカスター伯爵家の方々が揃ってから詳しい話をするという事で、今日はこれくらいで切り上げるとしましょうか」
アイザックが話を切り上げようとする。
ジュディスの身の安全は確保できた。
あとは彼女の家族がどういう事を要求するのか待つしかない。
ここでアイザックがすべてを決めてしまう事はできなかった。
そして何よりも、さっさとここを離れてナイフを見られてしまう可能性を減らしておきたかった。
「そうですな。ジュディス様、本日は誠に申し訳ございませんでした。聖女としての認定などもご家族が到着してからお話しするという事でよろしいでしょうか?」
セスが謝罪と、聖女の就任についてジュディスに話しかける。
「……聖女はいや」
だが、ジュディスが拒絶した。
謝罪は受け入れる事はできても、聖女扱いは嫌なようだ。
「なぜですか!?」
「正式に聖女に認定されると、今までのように気楽に占いができなくなるからではないでしょうか? それに、友人との距離も開いてしまう。それらの事を心配しているのではないでしょうか」
アイザックがジュディスの思いを代弁する。
彼女がうなずいているので、大きく間違った内容を言ってはいなかったようだ。
「そんな……」
「いずれにせよ、今すぐ決めるような事ではありません。処刑される寸前だったんですよ。落ち着く時間は必要です」
アイザックが慎重な意見を述べると、セスも渋々と同意した。
彼も処刑の許可を出した事を負い目に感じているからだ。
もし、もう少し強気に出られる立場であれば、そう遠くないうちに正式な聖女として公表していただろう。
それほどまでに、彼はあの奇跡を広く喧伝したいと思っていた。
「では、帰りましょうか。お爺様は馬車で来られたようなので、屋敷まで乗せていってあげてくださいよ」
正式な話し合いが終わったので、アイザックは家族に対する態度でモーガンに頼み事をする。
しかし、ここで意外な者が意外な主張をする。
「今日、泊めてください……」
――ジュディスだった。
彼女の意外な申し出に、アイザックの体が硬直する。
(えっ、それって……。俺にもモテ期がきた!? いや、でもリサっていう婚約者がいるんだ……。でも、ジュディスって意外と積極的だったりするのか?)
アイザックの頭の中が、一瞬で桃色一色になる。
思わず「喜んで!」と叫びそうになったが、婚約者の存在を思い出してグッと堪える。
代わりに答えたのはモーガンだった。
「かまわんぞ。屋敷に帰っても使用人しかおらんだろうからな。うちの屋敷にはマーガレットがいるし、ブリジット殿もいる。なんなら、ティファニーも呼んでおこう。サムとは親しい仲だ。我が家だと思ってくれていい」
「ありがとう、ございます……」
(なんだ、そういう事か)
アイザックのテンションが一気に下がった。
ジュディスは家族が領地に戻っているので、一人で屋敷に帰るのが心細いと思っていただけ。
窮地を助けたからといって、エッチなお礼をしてもらえると思っていた自分を恥じる。
これも前世で大人だけがプレイできるゲームをやり過ぎてしまったせいだろう。
(まぁ、いいさ。まだまだ考えないといけない事は山積みだ。考える時間が必要だしな)
まだマイケルに事情を聞いたり、他の貴族にランカスター伯爵家の味方をしてくれと頼んだりしなくてはならない。
アイザックは心の中でそのように強がって、ガッカリ感や羞恥心から逃れようとしていた。






