304 十六歳 神の奇跡
アイザックは、ジュディスの近くで様子を見ていたセスのもとへ向かう。
この時、皆の視線はアイザックに集まっていた。
それもそのはず、この場に乱入した者を注目しない者などいない。
まずアイザックは「心配ないよ」とジュディスに笑みを見せる。
そのあと、馬から降りて不機嫌な顔でセスに話しかける。
「大司教猊下。これはどういう事ですか?」
「……ジュディス・ランカスターは異端審問によって魔女に認定された。そのため、火刑による処刑の準備をしている」
アイザックが睨んでいるので気圧されてはいるが、セスも大司教という立場がある。
しかも、衆人環視のもとでのやり取りである。
面子がある以上、易々と下手に出るわけにはいかなかった。
「その火刑が問題です。あまりにも突然過ぎるではありませんか! いったい、ジュディス嬢が何をしたというのですか?」
アイザックは、聞いて当然の質問をする。
これにはちゃんと理由があったのだろう。
だが、認める事はできない。
彼女は不気味な面があるが、魅力的な一面も併せ持っている。
問答無用で殺そうとするなど、到底許せる事ではなかった。
アイザックの登場に慌てていたセスが落ち着きを取り戻す。
「異端審問で有罪となったのだ」
「それはわかっています。なぜ、そのような決定をしてしまったのか。理由をお聞かせ願いたい。内容次第では認めるわけにはいきません。その理由によっては、公爵としての権限を使ってジュディス嬢を連れ帰らせていただきます。どのような手段を使ってもね」
アイザックは脅迫の意思を隠さなかった。
正確に言えば、それは脅しではない。
処刑直前にまで事態は進んでいる。
教会側にも面子があるので、引くに引けない状況だ。
どうしても処刑を進めようとするのなら、騎士達に命じて強引にジュディスを解放させるつもりだった。
この場を抜け出せば、あとはどうとでもなる。
極端な話、エリアスに泣きつけばジュディスは守れる。
モーガンもなんとかしてくれるだろう。
ジュディスさえ生きていれば、あとは貴族の力を使っての話し合いで解決は可能。
それがわかっているので、アイザックは手段を選ぶつもりはなかった。
当然ながら、これは相手の出方次第だ。
穏便に済ませる事ができるなら、穏便に済ませるつもりである。
「ほう、神の代弁者たる我らを脅すというわけですか」
答えたのはセスではなかった。
どこか影のある男が口を挟んできた。
(誰だ、こいつ?)
今まで会った事がない相手だった。
そのため、アイザックの反応が遅れる。
「事務局副長のグラハム様です。先代ブランダー伯の弟君でもあります」
アイザックの反応を見て、ノーマンがすかさず耳打ちする。
主君が会った事のない相手や、名前を忘れた相手の事を教えるのも秘書官の仕事。
ある意味、ノーマンが雑用以外の秘書官らしい仕事を初めてしたともいえる。
(先代ブランダー伯の弟って事は……。マイケルにとって、俺とハンスの関係みたいなものか。……そうか、犯人はこいつか)
グラハムがマイケルの大叔父と聞いて、アイザックは彼がジュディスの処刑で重要な役割を果たしたのだと悟った。
マイケルがグラハムに相談し、教会内部の根回しを頼んでいたのだろう。
しかし、彼がマイケルの頼みを聞いて、ランカスター伯爵家と敵対する理由まではわからない。
それは追々調べていくしかない事だった。
「脅す? そう聞こえたのなら、やましい事があるのだろう。下がれ下郎! 大司教猊下と話していたところに口を挟むとは何事か!」
アイザックは彼が主犯だと思うと、自然と厳しい言葉になってしまっていた。
普段使わない言葉遣いが出てしまう。
「エンフィールド公、お待ちを。この一件は彼が持ち込み、中心となって異端審問の準備を進めていたのだ。彼と話した方が事情を理解しやすいだろう」
これをセスが取り成す。
しかし、これは親切心などではなかった。
アイザックが邪魔をする以上、ジュディスの処刑が執行されるかどうかわからなくなってしまった。
アイザックが強い怒りを見せているので、どういう結果になるにせよ教会に対する印象が悪化する事は確実。
エルフの一件はもとより、今後の事も考えて与える悪印象は最低限に抑えておきたいところだった。
そこで、実際に処刑の準備を進めていたグラハムに責任を押し付ける事にしたのだ。
――今回の話を持ち込んだのはグラハム。
――異端審問を率先して進めたのもグラハム。
ならば、責任を取ってアイザックに説明をするのが筋というもの。
その過程で憎しみがグラハム一人に向かってもかまわない。
むしろ、セスとしては歓迎するべき事態だった。
教会だからといって人に甘くはない。
保身に優れていなければ、どこかで誰かに蹴落とされる世界というのは同じ。
ただ魔法が使えるというだけで大司教にまでなれるわけがないのだ。
一方、グラハムはセスに切り捨てられたとは思っていない。
彼には正当だと思う理由があったからだ。
マイケルのように含み笑いをしている。
「これは神の名のもとに執行される正義。部外者に説明をする必要がありますか?」
「あるとも。エンフィールド公は我らの協力者だぞ。エルフとの橋渡し役を買って出てくださったのは記憶に新しいだろう? ちゃんとご説明するように」
セスはグラハムに説明をするよう促す。
アイザック相手に言い逃れをする事はできないと思っているからだ。
グラハムもセスに命じられては断れない。
仕方なくアイザックに説明を始める。
「大司教猊下がそう仰るのでしたら仕方ありませんね……。ジュディス・ランカスターは、以前から人心を惑わす魔女の疑いがあり、訴えられていた」
「マイケルからだろう? 身内の人間の言葉を真に受けていいのか?」
アイザックがグラハムに対して突き放すように言った。
その言葉が厳しいものである事にセスは驚いていたが、グラハムはより大きな驚きを見せた。
「なぜそれを……。さては貴様も悪魔に魂を売って、人の心を読む力を手に入れたな!」
――マイケルがジュディスを告発した。
その事を知るのは一部のものだけだ。
アイザックが知る由がない。
そのため、グラハムはアイザックが人ならざる者と取引をし、特殊な力を手に入れたのだと考えた。
エルフやドワーフと交渉するくらいだ。
悪魔とも交渉するくらいはできると思うのも無理はない。
だが、ある意味アイザックは特別な力を持っていた。
前世の記憶という、他に誰も持っていないはずの特別な力を。
「そんなわけないだろう。最近のマイケルの様子がおかしかったから、そう思っただけだ」
アイザックは「ジュディスから相談を受けた」とは言わなかった。
彼女に協力していたと知られれば、教会関係者は自分の言葉を聞こうとはしなくなるだろう。
それに、恥を忍んで相談に来たのだ。
ベラベラと話すべきではないと思い、マイケルの様子がおかしいという事にしていた。
前世の記憶で知っていると答えるのは、考えるまでもなく選択肢から外れていた。
「……我らも下調べもなく処刑するわけがない。ちゃんとその魔女に占われた者達に事情聴取を行った。すると『占いが当たらなかった』『占ってもらってから不幸になった』という話が多く見受けられた。人を信じさせて不幸のどん底に突き落とす。まさに魔女らしいやり口だ」
なぜかグラハムは大きな声を出すようになった。
その理由はすぐにはわからなかったが、彼の言葉を聞いた観衆がざわつき始めた気配を感じて、アイザックは理由を察する。
(そうか、大衆を味方に付けようってわけか。正当な理由っぽいものがあるのに実力行使をすれば、エンフィールド公爵家の評判は地に落ちる。こいつなりの牽制ってわけだな。なら、こっちもやり方を合わせてやるよ)
「で、その割合は?」
アイザックも観衆に聞こえるように大きな声で尋ねる。
こうして大きな声が出せるようになったのは、かつてランドルフが「かかれ、かかれ」と戦場に響く声を格好よく感じて、大きな声が出せるようにちょっとずつボイストレーニングしていたおかげである。
「割合? ……およそ半数といったところだ」
(嘘だな)
グラハムの言葉が嘘だとアイザックはすぐに見抜いた。
ジュディスの占いは的中率が高いらしい。
的中率が高いというからには、七割や八割はあるはずだ。
おそらく、ジュディスを陥れるために「占いが外れた」と不満を持つ者を中心に事情聴取をしたのだと思われる。
(それにしても、なんでこいつはこんなに敵意剥き出しなんだ?)
アイザックの頭を一つの疑問がよぎる。
ジュディスを罠に嵌めるだけではなく、アイザックに対する態度も悪い。
「へりくだれ」と言うつもりはないが、まるで公爵という立場を無視しているかのようだ。
聖職者の地位が曖昧なものだとしても、自分に対してこの態度はありえない。
セスですら、アイザックに配慮しているのだ。
事務局副長程度が取っていい態度ではない。
(そうか、事務局副長か! ハンスと似たような年齢の事務局副長。以前の選考で事務局長になれなかったのを逆恨みしているんだろう。となると、ジュディスの件を進めたのもマイケルに頼まれただけが理由じゃない。ランカスター伯爵家はウェルロッド侯爵家と仲がいいから、意趣返しの意味もあるんだろう。だから、無茶なマイケルの頼みを口実に、ジュディスを処刑するために証拠集めや根回しをしていたんだな)
アイザックはいくつかの仮説を立て、最も有力そうに思える答えを導きだす。
でなければ、魔女という疑惑のあるジュディスに厳しいだけではなく、アイザックにまで礼儀に欠ける態度を取る理由がわからない。
だが、それが事実なら大問題である。
ジュディスの処刑が早まったのに、自分が関わっている可能性が出てきたからだ。
「ほう、半数? ならば、ジュディス嬢の占いが当たるというのは事実のようだな」
「なに?」
だからこそ、アイザックは強気で攻める。
敵意を持つ者に弱みは見せられない。
それに、後ろめたさを誤魔化すためにも攻め続けるしかなかった。
「アーヴィン!」
「はっ!」
アイザックは自分の騎士に呼び掛ける。
「あっ、やっぱりなしで」
そして、すぐに取りやめた。
アーヴィンが「えっ」という表情を見せるが、それを気にしている場合ではなかったので無視する。
代わりに事態を見守っていた修道士達に視線を向ける。
「観衆の中から十人ほど君達が選ぶんだ。エンフィールド公爵家の騎士が選べば『仕組んでいた』とか言われかねないからな」
なぜそのような命令を出すのかわからないが、それよりも修道士達はアイザックの命令に従うべきか迷っていた。
皆がセスの様子を窺う。
するとセスが「従え」とうなずいて応えた。
修道士達が観衆のもとへ向かう。
この時、一番目立つ行動を取ったのは観衆だった。
誰もが修道士に選ばれたくないと、広場を囲んでいた者達の輪が露骨なまでに広がっていく。
アイザックに何をされるかわからないからだ。
いや、正確に言えば、彼らはわかっているつもりだった。
――ジュディスの処刑の現場に居合わせた者達を見せしめにして、教会を脅すつもりだ。
観衆は、そう思いこんでいた。
選ばれた者達は見せしめに使われると思い、必死に逃げようとする。
「危害は加えない。わかりやすい質問をするだけだ」
アイザックは観衆に向かって、そう呼び掛ける。
だが、誰も自分から選ばれようとはしない。
逃げ遅れて修道士に腕を取られた者が渋々従うだけだ。
十人の犠牲者が選ばれると、また見物の輪が狭まっていった。
「ブランダー伯爵家の騎士も誰か一人来るように」
平民だけではなく、ブランダー伯爵家の騎士を使う事によって、これから行う事の信憑性を高めようとする。
こちらは隊長クラスらしき男が自分からやってきた。
アイザックは、まず彼に質問する事から始める。
「簡単な質問だ。難しく考えず、頭に浮かんだ事を答えるように」
「はい」
「占いによって良い結果が出たらどう思う? 今のままの生き方で幸せになれるという結果だったらだ」
「今のままの生き方を続けます」
騎士はなぜそのような質問をするのかわからなかった。
しかし、ブランダー伯爵家に仇なす質問ではなかったので、正直に答える。
「では、悪い結果だったら? 今のままでは不幸になるとわかればどうする?」
「……違う生き方を選びます」
ここで彼は気付いた。
――アイザックが何をしたいのか。
――自分に何を言わせたかったのかを。
だが、気付いた時にはもう遅い。
アイザックが今度は平民達に次々と質問していく。
すると、皆が騎士と同じ事を答えた。
それもそのはず、下手な答えを言ったら何をされるかわからないという不安があるせいだ。
そして、皆がそう答える事をアイザックは望んでいた。
「大司教猊下。私自身もジュディス嬢に占ってもらう機会がありました。あのファーティル王国への援軍に赴く際です」
アイザックは戦争に行った事をさり気なくアピールする。
そうする事で、自分が何者であるかを観衆に思い出させるためだ。
「僕」ではなく「私」と言っているのは、その方が立派そうに見えるからだった。
「ですが、占ってもらったりはしませんでした。戦争に勝てるという結果が出れば『勝てるのだ』と油断してしまい、負けるという結果が出れば『勝てないのだ』と諦めてしまったでしょう。私は弱い人間です。未来を知る事が恐ろしかった」
この言葉を聞いていた者のすべてが「嘘だ!」と感じていた。
もっとも、それは占いに関係するところではない。
「私は弱い人間です」というところに対してだ。
戦争の英雄で、他にも様々な騒動の中心になった男が弱いはずがない。
しかし、ツッコミを入れる空気ではないので、誰もが黙っていた。
「ジュディス嬢の占い自体の的中率は高い。だからこそ、占いの結果と違う結果になる事もあるのです。占いで良い結果が出ても、悪い結果が出ても、占いに影響を受けて人の生き方が変化するからです。特に悪い結果が出た人は必死に違う生き方をしようとするでしょう。しかし、違う生き方をしても、それが良い結果に繋がるとは限らない。占ってもらって、生き方を変えたものの、それが結果に繋がらない。それを不満に思った者の声が大きく、人心を惑わす魔女だという誤解を招いたのではないでしょうか」
アイザックは「占いは間違っていない。人の行動が変わったせいで、結果が変わったのだ」という事を主張する。
人間というものは「良かった」と思う事は自分の中で満足して終わるが「ダメだった」と思う事は人に不満という形で話してしまう生き物だ。
占いの結果に満足しなかったから、占ってもらった者はジュディスの事を悪く言う。
そして、そういう者が事情聴取に率先して協力したのだろうと思われる。
マイケルの悪意だけではなく、人の悪口がジュディスをここまで追い詰めたのだ。
「それはどうかな。中にはそういう事例があったとしても、ほとんどの占いが間違っていただけかもしれん。ただの詭弁だ。それに見てみればわかる。あの女は魔女だ!」
グラハムはアイザックの言葉を否定した。
逆にアイザックは彼の言葉を否定できなかった。
(ジュディスの格好が悪すぎる……)
今は制服姿なのでまだマシだが、顔を隠すほど長い前髪は不気味である。
それに、なぜか胸の型に合わせて作られているので、胴体部分を縛られて大きな胸の部分がより強調される姿になっていた。
アイザックには呪いを振りまく魔女ではなく、男をたぶらかす方向性の魔女のように見えてしまう。
容姿に関しては擁護が難しかった。
観衆もグラハムに賛同する反応を示していた。
しかし、ここで「そうですね」などというわけにはいかない。
ハンスが事務局長になったせいで恨みや妬みを買っているのなら、ここはアイザックが強引にでも庇ってやらねばならなかった。
「彼女があのような姿をしているのは、神から授かった占いという特別な力を使うのに専念するためだ。髪の下には女神と見まごうばかりの美貌が隠されているのを知らないのか? そもそも、見た目で判断するのなら不気味な含み笑いをしているマイケルこそ裁かれるべきでは? あいつは何を考えているのかわからないからな」
アイザックは真っ向からグラハムの言葉を否定する。
見た目の問題ならばマイケルも含み笑いで、何を考えているのかわからないのでいい勝負だ。
それはグラハムもわかっているのか、すぐに反論が返ってこなかった。
悔しそうな顔をする。
ある意味お似合いの婚約者だったというのに、どうしてこうなってしまったのかと、アイザックは思ってしまう。
「その魔女は裁判の時に一言も反論しなかった。己の罪を認めていたという事だ。聖火によって、その罪は浄化されねばならん」
「馬鹿かお前は!」
グラハムの言葉に、アイザックは侮蔑の感情を隠さず罵倒する。
「年端もいかぬ娘が『お前は魔女だ。裁判の結果次第では処刑される』と言われてまともに反論できるものか! それも、下校中にいきなり攫われたのなら、なおさら恐ろしく感じるだろう。それを聖火で浄化する? ふざけるな!」
ジュディスは話すのが苦手だが、それは家庭の事情によるもの。
一々説明するのが面倒だったので「怖くて声が出なかった」という方向で弁護する。
これには観衆もアイザックに同意する反応を見せた。
まるで彼らの支持を集めるゲームでもやっている気分になるが、これはジュディスの命が懸かっている。
ゲーム感覚でやっていいものではないと、アイザックは気を引き締める。
「大司教猊下、聖火というのはそれの事ですか?」
アイザックは大きな鼎のようなものについて尋ねる。
中には油でも入っているのか、火が燃え続けている。
「その通り。その火を使って火刑を執行する」
アイザックがこの火をなんとか利用できないか考えていると、腰に下げていたものが手に触れる。
(そうだ、これを使えば! セスの協力を得られれば、ジュディスを助け出せるぞ!)
――マジックナイフ。
ただのおもちゃではあるが、これを使ってジュディスを助ける方法を思いついた。
しかし、ナイフだけではダメだ。
それっぽく見える理由付けがいる。
アイザックがニヤリと笑う。
その笑みを見て、セスは嫌な予感しかしなかった。
「大司教猊下にお願いがあります。神に祈りを捧げてくださいませんか?」
「祈りを?」
「そうです」
アイザックがナイフを抜いてみせる。
すると、セス達は一歩後ずさった。
だが、彼らにナイフを向けたりはしない。
ナイフの表面を聖火で軽く炙るだけだ。
火傷するほど熱くしてしまっては意味がない。
「ジュディス・ランカスターが無実であり、解放されるべきであれば、この一時だけ彼女をお守りくださいと祈っていただきたいのです。そのあと、僕が聖火で浄化したこのナイフで彼女を刺します」
「いいではありませんか! 手伝ってくれるというのなら、ここは手伝わせるべきです」
嬉々としてグラハムがセスにこの申し出を受けるべきだと進言する。
アイザックの視界の端では、ジュディスが首を振って拒否しているのが見えていた。
それでも、アイザックはやめる気はない。
「……いいだろう。エンフィールド公がそれで納得するのなら」
セスはアイザックが何をしたいのかがわからなかった。
ジュディスを助けようとしていたのに、彼女を殺そうとするなどわけがわからない。
形勢不利と見て、自分の手で決着を付けようという雰囲気でもない。
ここはアイザックの望み通りに進める事にした。
もし、ジュディスが死んでしまっても、アイザックが責任を取る形になるからだ。
「神よ! ジュディス・ランカスターが無実であるのならば、この一時だけ彼女の身をお守りください」
セスが観衆に聞こえるよう、大きな声を出しながら祈る。
アイザックは薪の上をこけないようにゆっくりとジュディスのもとへ近寄っていった。
「いや……、助けて……」
ある程度近付くと、震える声でジュディスがアイザックに助けを求めた。
アイザックは優しく微笑む。
「大丈夫ですよ。これがあなたの助けになります」
言葉自体は優しいもの。
しかし、その手に持ったナイフが言葉に説得力を持たせなかった。
逆に「死こそがお前の苦しみを解放する」とでも言っているようにジュディスには聞こえていた。
アイザックがジュディスの前までたどり着くと、彼女の心臓目掛けてナイフを振り下ろす。
「いやぁぁぁーーー」
ジュディスの叫び声は、今までに聞いた事がない大きな声だった。
死を覚悟して目をつむる。
――だが、痛みはなかった。
とはいえ、目をゆっくり開くと、胸にナイフが突き立てられているのが見えた。
しかし、痛みはなく、血も流れていない。
彼女は何が起きているのかが理解できなかった。
そして、それは彼女だけではなかった。
この光景を見ていた者すべてが、信じられないものを見たと固まっていた。
アイザックは怪しまれないよう、素早くナイフを引き戻すと、ナイフを観衆によく見えるように掲げてみせた。
「見よ! 神がジュディス・ランカスターを守り給うた! 彼女の占いの才能は悪魔に魂を売ったからではない! 人々を正しい道へ導く手助けをするために神がお授けくださったものだという証明だ! 称えよ、聖女ジュディスを! 称えよ、神に祈りを届ける事ができる偉大なるセス大司教猊下を!」
アイザックが高らかにジュディスの無実を宣言すると、観衆が「聖女様、万歳」「大司教猊下、万歳」と叫ぶ。
セスを見ると、膝を地面について胸の前で手を組んでジュディスに向かって祈っていた。
第一段階は成功といえる。
(よし、これでジュディスは大丈夫だろう。聖女様だからな)
アイザックが取った手法は、前世で読んだ魔女狩りの裁判方法の逆。
「マジックナイフで怪我をしなかったから魔女」ではなく「神の加護があったから無罪」という方法で使う事にした。
ケンドラのために作らせたバネを使ったおもちゃが、ジュディスの命を救う事になったのだ。
そして、この方法は教会の面子を守る事にもなる。
ジュディスを処刑しようとしたのは失態ではあるが「代表のセスが神に声を届ける事ができる」というのは、それを補って余りある名声となる。
むしろ、大きなプラスとなるはずだ。
アイザックに対して不満を持つ事はないだろうと思われる。
アイザックはジュディスから離れると、今度はグラハムの前に立つ。
「マット!」
「はっ!」
アイザックは、これ以上グラハムとの会話は不要と判断した。
ジュディスの無罪を神が認めたと皆が思った以上、彼と論ずる必要はない。
グラハムの身柄を確保させようと、マットを呼ぶ。
マットはアイザックが何をしてほしいのかを即座に理解した。
素早くグラハムに近寄ると、顎に拳を叩きこむ。
籠手をはめているので、かなり痛そうだ。
「マット……」
「こうすると羽交い絞めにするよりも楽で早いんですよ」
脳震盪でも起こしたのか、フラフラとしているグラハムの体をマットがガッチリ確保する。
貴族として教育を受けているとはなんだったのかと考えさせられる光景だ。
「エンフィールド公! いくらなんでも、いきなり殴るというのはありえない。彼を解放してもらいたい」
事態を見過ごせなくなったセスがアイザックに抗議する。
だが、アイザックには聞き入れるつもりなどなかった。
むしろ、彼に協力させるつもりだった。
「確かに殴るという行為はちょっと驚きましたが、問題はありません。むしろ、都合がいい」
アイザックがニヤリと笑う。
セスは嫌な予感しかしなかった。
これから第二段階が始まる。
「お願いがあります。もう一度、神に祈りを捧げてくださいませんか? グラハムが悪意をもって神の名を騙って悪用していないか試すので、彼の行いが正しいのであればお守りくださいと」
「それは……」
アイザックの要求を簡単には受け入れられなかった。
「これから首を切るから、敬虔な信徒なら神様が守ってくれるよな?」と言っているのと同じ事だからだ。
聖職者といえども、そんな事は防ぎようがない。
躊躇うセスを見て、アイザックは彼の後押しをする。
「この場にいる皆も見たくはないか? この者に神の代行者として、刑を執行する資格があるのかどうかを」
アイザックは観衆に向かって語りかけた。
方々から「そうだ、そうだ」という声があがる。
彼らは貴族の娘が火刑になると見物に来ている者達だ。
本当にそんな大それた事をする資格があるのかどうかを確かめたいと思っていた。
これに困ったのはセスだった。
先ほどジュディスが傷一つ負わなかったのは奇跡としか言いようがない。
奇跡が二度続くとは思えなかった。
おそらく、グラハムは傷を負う。
神に見放された教会関係者の存在は、教会の信用を失う事になる。
だが、ここで断れば、それはそれで信用を失う。
どちらがマシか迷っていた。
「彼を切り捨てるのなら、教会を悪いようには致しません。現に大司教猊下は神に声を届けられる偉大なお方だと知らしめる事ができたではありませんか。今回の一件を補ってあまりある成果ではありませんか?」
アイザックが観衆に聞かれないよう、小さな声で囁いた。
それが神の助けか悪魔の誘惑かはわからない。
ただ、セスは事態が悪化する前に対処する事を求められている。
ハンスの助言を求めて彼が視線を向けると、ハンスも「受けるべきだ」とうなずく。
「わかった。いいだろう」
セスは一度深呼吸をする。
「神よ! グラハムが敬虔な信者であるならば、彼の身を試練からお守りください」
彼は観衆に聞こえるように大きな声で神に祈った。
「マット、そいつの腕を聖火の中へ」
セスの祈りが終わったのを確認してから、アイザックはマットに命じる。
彼にマジックナイフを使ってやるつもりなどなかった。
さすがに意識朦朧としていても、グラハムは必死に抵抗しようとしていた。
だが、マットの力には敵わない。
火の中に手が入ると、グラハムは大きな悲鳴をあげた。
暴れまわるが、マットにガッチリと抑えられては聖職者では振り切れない。
どんどん皮膚が焼けただれていく。
「この者は神に見放された! さては悪魔に魅入られ、聖女様を亡き者にしようとしていたな!」
アイザックが叫ぶ。
観衆に「ジュディスは無罪で、グラハムは有罪」という認識を植え付けるためである。
「グラハム! 大司教猊下のように人を癒す力を持たない事務局の者とはいえ、悪魔に魅入られるとは何事だ! 確かに我らは神に仕えるというだけで普通の人間と変わりはない。だが、事務という形で教会の運営を支え、神に仕えていたではないか! 特別な力を持つ者を妬んで陥れようとするとは見損なったぞ! いくら魔を祓う力を持たない事務局副長とはいえ、あまりにも酷すぎる」
ハンスもアイザックに乗ってきた。
(なんでそんなに説明口調なんだよ……)
アイザックはそう思ってしまうが、すぐに無理もない事だと考え直した。
観衆にも理解できるように説明したかったのだと思われる。
セスや他の司教達のように、治療魔法を使える者は特別な存在として保護しなければならない。
あくまでも「教会に所属しているが一般人と変わりない事務員が悪魔に魅入られた」として、教会の被害を最小限にしようとしているのだろう。
だから、事務員という事を強調していたのだとアイザックは理解する。
「大司教猊下、本当に火刑に処されるべきは誰か。露見したのではありませんか?」
「そのようだな」
「アーヴィン、ハキム。ジュディス嬢を解放する。薪を除けろ」
「了解!」
セスが納得したので、アイザックはジュディスを助けるよう命じる。
エンフィールド公爵家の騎士だけではない。
ランカスター伯爵家の騎士や修道士も駆け寄り、薪を除けていく。
ある程度除去されたところで、アイザックはジュディスの前に向かった。
アーヴィンがジュディスを縛っていたロープを切ると、ジュディスがアイザックにもたれかかる。
(うひょう! マジかよ! すっげぇ!)
ジュディスの体のボリューム感は、この深刻な状況を吹き飛ばすほどインパクトが強かった。
アイザックもルシアから社交ダンスを習ったりしていた。
その時わかったのだが、胸があってもかなり男女の体は密着するという事だった。
だが、ジュディスは違う。
体と体の密着の邪魔をするほど胸が大きかった。
プルンプルンと震える胸がアイザックの思考力を奪う。
(あっ……)
しかし、すぐに現実に戻された。
震えているのは大きな胸だけではない。
ジュディスの体全体が震えている。
そんな彼女の体を抱きしめて無邪気に喜んでいたアイザックは罪悪感を覚える。
「助けるためとはいえ、怖がらせてしまってすみませんでした」
アイザックは偽物だとわかっていたが、彼女は知らない。
本物のナイフを突き立てられると思って怖かったはずだ。
まずはその事を謝った。
だが、ジュディスは首を左右に振る。
アイザックの行動も怖かったが、彼女が何よりも怖かったのは、突然処刑される直前までいったという現実だった。
いつも通りの帰り道――だった。
そこから裁判になり、何がなんだかわからないうちに柱に括り付けられる事になった。
非日常な体験が何よりも恐ろしかったのだ。
助かったという安心感から、彼女の目から涙が流れ落ちる。
「あり、がとう……」
「どういたしまして。本当ならこのまま屋敷にお連れしたいところですが、その前に大司教猊下と話しておかないといけない事があります。ランカスター伯爵家の騎士も来てくれていますので、先に帰っておいてください」
アイザックがジュディスを気遣うが、彼女はアイザックに抱き着いたまま離れようとしなかった。
個人的には嬉しい出来事だが、話を聞くのは彼女のためにはならない。
だから、帰るように説得しようとする。
「今回、ジュディスさんを告発したのはマイケルです。他にも大司教猊下と色々話さなければいけません。話を聞けば辛い思いをするかもしれませんよ。それでもいいんですか?」
ジュディスは少し考えたあと、うなずいた。
「帰るより……、話を聞きたい……」
ここで帰るよりも、これからどうなるのかを知っておきたいのだろう。
自分の命が懸かっているので、その事はアイザックにも理解できる。
「わかりました。では、一緒に話をしましょう」
アイザックはジュディスを支えながら、セスのもとへ向かう。
「大司教猊下、今回の件は今後の事を含めてよく話し合わなくてはいけません」
「うむ、私もそう思う」
「ジュディス嬢も同行したいそうです。そこで、怖がらないように数名の護衛を連れて同席してもらってもよろしいでしょうか?」
武装した護衛を教会内に入れるのは悩むところだが、今のジュディスは魔女から一転、聖女となった。
とはいえ、処刑される直前だったので、身の危険を感じるのも無理はない。
「許可しよう。この一件はこちらにも落ち度があるからな」
そこで、セスは許可を出す事にした。
聖女となったジュディスの今後についても話しておきたい。
それに、ちゃんとした謝罪をしておきたいと思っていたところだ。
ここで帰られるよりは、護衛を認めてでも話し合いをしたかった。
「では、あとの事は私にお任せください。すべてやっておきます」
ハンスが後始末を買ってでる。
もちろん、後始末とはグラハムの処刑の事だ。
彼は「悪魔の手先で聖女ジュディスを亡き者にしようとした」という事になっている。
彼を処刑する事でランカスター伯爵の心証を良くしようという考えもあった。
アイザックもその事はわかっている。
それに、グラハムにはここで死んでもらった方が都合がよかった。
止める理由もないので、大叔父に後始末を任せる事に異論はなかった。
とはいえ、処刑を見学しようという気分にはなれなかった。
アイザックはジュディスを連れ、教会へと向かっていく。
この時「火刑の現場を見たくない」というマイケルの気持ちが少しだけ理解できたような気がした。







