289 十六歳 決闘騒ぎ
今年の入学式は、人で学院内があふれていた。
――隣国からの留学生。
それも王女が来るという。
去年入学したジェイソンの時のように、ロレッタを祝うためにリード王国の貴族が集まっていた。
ファーティル王国からは、ロレッタの両親も来ている。
――ロレッタの父で王太子のマクシミリアン・ファーティル。
――ロレッタの母で王太子妃のマチルダ・ファーティル。
娘が心配だというのもあったが、国を救ってくれたお礼を言うためと、リード王国との信頼関係の強さをアピールするためでもあった。
王太子自ら国を離れてリード王国を訪れるのは、これ以上とない信頼の証となる。
ただの使者ではなく、王太子自らというのが大きい。
しかも、ロレッタは王位継承権でマクシミリアンに次ぐ二位。
――王位継承権保持者の一位と二位が揃って他国を訪問する。
よほどの信頼がなければできない事だ。
これで、また賢王エリアスの名声が高まるだろう。
その他にも、子供達の保護者が来ている。
ソーニクロフト侯爵家も当主自らの出席である。
彼らと繋がりを持とうと、リード王国の貴族が群がっていた。
――ロレッタを留学させる理由。
そんな事は一目瞭然だ。
誰だってロレッタをアイザックにあてがおうと考えている事くらいわかる。
「アイザックが王立学院で婚約者を探している」という話は有名である。
普通に婚約の話を持ち込んで断られたので、ロレッタを留学させて近づかせようという魂胆は丸見えだ。
ならば、彼らのご機嫌取りをしておいた方がいい。
ファーティル王国側との繋がりを持っていれば、ロレッタと結婚したアイザックとの繋がりも持てるようになる。
ひいては、アイザックを気に入っているエリアスの目に触れやすくもなるだろう。
今がチャンスだと挨拶周りをする者が続出していた。
だが、これはファーティル王国側にとっても歓迎するところ。
面倒だなどとは感じていない。
まだまだリード王国からの支援は必要である。
笑顔を見せておくだけで支援を申し出てくれる者もいるので、何もせずとも十分な成果を上げているのだ。
嫌がるどころか、もっと来てほしいと思っていた。
皆が満面の笑みを浮かべる中、アイザックだけは笑えない状況に陥っていた。
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(嫌がらせか?)
アイザックが笑えないのは、クラス分けによるものだ。
――今年はニコルと同じクラス。
その事実だけで眩暈を感じてしまう。
だが、認めざるを得ない事実だった。
教室に入ったところで周囲を一度見回し、まだ登校していない事を確認して安堵する。
(でも、理解できなくもない。チャールズと一緒にしておけないもんな)
ティファニーとチャールズの間で起きた問題は、学校中の皆が知っている。
ニコルとチャールズを引き離す事で、少しでも落ち着いてくれればと学校側は考えているのだと思われる。
ティファニーとニコルが同じクラスになってしまう事は問題のようだが、学校側はそうは思っていないのだろう。
これはニコルが「ティファニーと別れてなんて言ってない。チャールズが私の事を好きになって暴走しただけだよ」と弁解し、チャールズもその言葉を認めたからだった。
彼女がそそのかしたのなら責任があるが、チャールズの暴走なら責任はない。
ティファニーと同じクラスにしても問題はない。
もしくは、チャールズと一緒にしておくよりは影響が少ないと思われたのだろう。
アイザックも、多少はその考えに納得できる。
問題は、自分が狙われるという事が容易に想像できる事だ。
(来る、あいつは絶対に来る。パメラを助けるどころか、逆に助けを求めたいくらいだ)
今まではニコルの事を対岸の火事のように思っていたのかもしれない。
登校した時に掲示板を見て、ニコルと同じクラスになると知り、アイザックは絶望した。
こうして自分の身に危険が迫ると、パメラがどれほど恐怖を感じていたのかを理解できた気がした。
救いなのは、レイモンド以外の者は同じクラスのままだという事だ。
ティファニーやアマンダ、ルーカスといった者達は変わらず、レイモンドだけが一組に移動する事になった。
レイモンドがいなくなったのは寂しいが、いざという時に相談できそうな相手が残っているのは喜ばしい。
そして、もう一人。
頼りにできそうな者が増えた。
「新学期早々暗い顔をしてどうしたんだ?」
――カイである。
彼は三学期の成績で持ち直し、成績優秀者のクラスに移る事ができた。
フレッドから離れる事ができた彼の表情は極めて明るい。
憑き物が落ちたかのように晴れやかな笑顔をしていた。
アイザックと対照的である。
「ロレッタ殿下達は大丈夫かなぁって心配でね」
「大丈夫、上手くやってるって。下級生達にとっても貴重な同級生だ。悪い扱いはしないさ」
「だといいけどね」
アイザックは、ロレッタ達の事を心配する素振りを見せる。
素直に「ニコルと一緒のクラスでへこんでいる」などとは言えない。
パメラに助けを求められている立場だ。
その対象にビビっているように思われるのは得策ではないとわかっている。
見栄を張って、格好をつけようとしていた。
「僕もちょっと心配だなぁ。学生の中には暴走する子もいるだろうしね」
ルーカスも話に加わった。
彼はパメラから「ロレッタがアイザックを狙っている」という話を聞いている。
そのため、アイザック狙いの女の子が敵に回ったのではないかと危惧していた。
「んー、それは大丈夫だろう。殿下を守るための同行者だし」
同行者はロレッタの友人というだけではなく、護身術でも一定以上の実力を持っている者ばかり。
ニコラス達男子も武勇で一目置かれている若者。
ロレッタに危害を加えようとする者は、彼らが排除するだろうと思っていた。
ここで二人の認識がズレているのは、アイザックがロレッタが周囲に宣言した事を知らないせいだ。
「アイザックなら、ロレッタの目的くらいわかっているはずだ」と思って、誰も伝えなかったからである。
周囲の評価が高いのはいいが、こういう時は困りものだった。
そのせいで、アイザックは「留学生という目立つ存在がいじめられる事をルーカスが心配している」と考え、ルーカスは「アイザックを奪い合うような出来事にならないか心配だ」と考えているというすれ違いが起きていた。
アイザックがさほど心配していない様子を見せたので、ルーカスは安心する。
「今年も同じクラスだね。よろしく」
アマンダもアイザックに話しかけてきた。
彼女だけではなく、ティファニーやモニカも一緒だった。
「よろしく。見知った人が変わらずにいるっていうのは嬉しいよ。レイモンドは隣に行っちゃったしね。新しい顔ぶれもいるけど……」
アイザックはティファニーの顔を見つめる。
「大丈夫……、だと思う。悪いのはチャールズだから……」
やはり、ティファニーもニコルの事は意識しているようだ。
だが、事実かどうかはともかく「別れてほしいなんて言っていない」というニコルの言い訳はチャールズ自身が認めている事。
ならば、ニコルには責任がない。
ただ、男を狂わせるほど美しかったというだけだ。
一人の女としては腹立たしい限りだ。
美しさだけで婚約者を奪い取られたのだから。
今にも発狂してしまいそうだが、そんな彼女を支えていたのはアイザックの存在だ。
ティファニーにアイザックを想う気持ちはないが、誰もが羨む相手に好かれているというのは心の支えになっている。
――自分に女として魅力がないわけではない。
女としての魅力はニコルに負けてしまうのかもしれないが、一人でも自分の事を好きになってくれる人がいる。
それも国内でジェイソンと一、二を争う立派な男だというのは、心の平穏を保つのに十分な事だった。
ニコルと相対した時にどうなるかわからない。
怒りか悲しみかの感情を見せる事になる気はしていた。
「授業で関わらないといけない時以外は避けておけばいい。嫌な相手と無理に仲良くする必要なんてないさ」
チャールズの件は、ニコルの環境を変えるのに十分なきっかけだった。
男子にチヤホヤされていた彼女の事を、ほとんどの女子が面白く思っていなかった。
そんな状況で婚約者のいるチャールズをたぶらかしたのだ。
多くの女子がニコルを軽蔑し、避けるようになっていた。
今のニコルと関わるのは、彼女の魅力に負けた男子と、ニコルのおこぼれにあずかろうとする一部の女子だけ。
ティファニーがニコルを避けても、何ら不自然な事ではなかった。
「でも、ニコルさんと同じクラスになったし――」
「えっ、何々? 私がどうしたの?」
教室に入ってきたところで、タイミングよく自分の名前を耳にしたニコルが会話に混ざってくる。
本人にとっては自然な流れ。
しかし、他の者達にとっては違う。
邪魔者がやってきたと、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「あっ、さっそく私の噂をしてたんだね。もう、アイザックくんってば、そんなに嬉しかったの」
ニコルがアイザックの肩をポンポンと叩く。
(相変わらず馴れ馴れしい奴だな。こんな奴に婚約者を奪い取られたティファニーの気持――)
アイザックがティファニーに視線を向けると、彼女は無表情だった。
いや、彼女だけではない。
アマンダからも普段の陽気な笑みが消え失せ、虫けらでも見るような感情のない表情でニコルを見ていた。
(怖っ! 当然の感情かもしれないけど怖っ)
アイザックは、恐怖のあまりちびりそうになる。
ジェイソンやチャールズに嫉妬の視線を向けられた時も怖かったが、今回はそれ以上に怖い。
婚約者を奪われた女と、その友人の立場として考えれば当然だろう。
ニコルの事を「ようこそ、二組へ」なんて歓迎できるはずがない。
――当然の感情。
それがわかっていても、ニコルの近くにいる自分まで虫けらのように見られている気がして恐ろしい。
普段の彼女達を知っているだけに、落差の激しさを目の当たりにして膝が震えそうになる。
恐怖で固まっているアイザックに気付いたのか、アマンダとティファニーはニコニコとした表情に戻る。
だが、それはそれでアイザックには恐ろしかった。
普段、自分が話している時も表情を取り繕っているだけなのではないかと不安になるからだ。
「ティファニーもごめんねぇ。突然『ティファニーと別れたから僕と結婚してください』って言われちゃってさ。私も驚いちゃった。美しさは罪ってやつだね」
ニコルの謝罪になっていない謝罪に、ティファニーは顔を引きつらせる。
実質的に「お前は可愛くない」と面と向かって言われたのと同じだからだ。
さすがにニコルと顔を合わせるのを覚悟していたとはいえ、ここまで言われるとは思っていなかった。
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「ふざけるな、いい加減にしろ!」
クラスメイトの男子生徒が怒りの声を上げる。
ニコルのあまりの失礼さに怒っているのだろう。
もしかすると、ティファニーの事を好きだったのかもしれない。
男子生徒がアイザックのもとへ向かってくる。
(そうだ、もっと言ってやれ)
「今まで黙ってみていたが、もう我慢できない。一人で女子を独占しやがって。しかも、ニコルさんまで……」
男子生徒の視線はアイザックに向けられている。
「……えっ、僕?」
「お前以外に誰がいる! グレイディ子爵家エルトンの息子ダリルが、モニカ・ジェファーソンを賭けての決闘を申し込む!」
「モニ……、えっ?」
アイザックが状況についていけず「えっ? えっ?」と困惑していると、背後から新たな男が姿を現した。
「話は聞かせてもらった!」
「えっ、どこで?」
――現れたのはジェイソンだった。
(こいつ、さてはニコルの様子を見に来ていたな)
状況が飲み込めていないアイザックだったが、それだけはすぐにわかった。
そうでなければ、隣のクラスの会話など聞こえるはずがない。
そもそも、すぐに姿を現したのが廊下で聞き耳を立てていた証拠だ。
「その決闘、生徒会長として見届けよう。入学式が終わったあと、来賓の前で模擬剣を使って決着をつけるといい」
「ありがとうございます!」
ダリルがジェイソンに礼を言う。
「いや、ちょっと待ってください。いくらなんでもそんな無茶……」
「だから、模擬剣だ。死にはしない。無様な姿を見せたくなければ、勝ってみせるんだな」
――無様な姿。
その一言でアイザックは悟った。
(これがこいつの無茶振りか!)
ニコルがアイザックに親しそうに話しかけていたのを見て、ジェイソンは嫉妬したのだろう。
だから、ニコルの好感度を下げるためにアイザックに失態を演じさせるつもりなのだ。
(ダリルが仕込みかどうかはわからないけど、俺を貶めるためにはなんでも使うって感じか)
それがわかれば、もう何も怖くない。
ジェイソンがなんでもやるなら、アイザックもなんでもやる。
入学式にはエリアスも出席しているので、彼に決闘の不当性を訴え出ればやらなくても済むはずだ。
多少名誉に傷つくだろうが、決闘を回避する手段はある。
(けど、なんでモニカ?)
アイザックには女子を独占した覚えがない。
モニカはティファニーの友達として接しているだけだ。
まだアマンダやティファニーを賭けてるのならともかく、モニカを賭けて決闘するというのがわからない。
そこのところをちゃんと説明してほしいところだった。
アイザックの学生生活二年目は、いきなり混沌に満ちた状況から始まった。






