029 五歳 祖父へのお願い ウェルロッド
アイザックはウェルロッドの屋敷に戻り、夕食を済ませた後、パトリックのお腹を枕にしながら考えていた。
(さて、どう説得しようか……)
エルフとの交流は、ティリーヒル行きとは比べ物にならないほど反対されるだろうと思われる。
さすがに異種族との交流再開など、簡単に決められないと思っていたからだ。
――長らく交流の無かった相手と、どうやって交流を復活させるか。
敵対していたという点に関しては、騎士達から事情を聞いたところ解決できそうだった。
彼らにあったのはエルフに対する憎悪ではなく、恐怖だったからだ。
原因は二百年前の戦争で、エルフのウェイガンという大魔法使いが命と引き換えに使った魔法だ。
その魔法は、たった一撃で二万の人間を焼き尽くした。
たった一人のエルフが引き起こした惨事に、多くの人々が恐れをなした。
それ以降の人間達は怯えてしまい、数の優位を生かして密集して攻め寄せる事ができず、散発的な攻撃になってしまった。
しかし、散発的な攻撃ではエルフやドワーフに跳ね返されてしまい、攻めあぐねる事となった。
戦争継続を諦めて、和平を結ぶきっかけとなる事件だ。
――たった一人であろうとも、エルフは侮るな。
それが武人の教訓となる。
筋骨隆々とした者であれば、見れば“強そうだな”とわかる。
だが、魔法の力量は姿形ではわからない。
ブリジットのような少女であっても、魔法を使えば騎士五人など一方的に虐殺できる可能性が高い。
だから、彼らはブリジットの存在を警戒した。
魔法を使われる前に倒してしまおうとしたのだ。
(……自分で身を守れそうだからエルフに危険は無いだろうけど、インフラ整備しているところに出くわした旅人とかがビビリそうだな)
アイザックは「NEXCO ウェルロッド」の設立に関して不安を覚える。
その価値は認めてもらえても、領民に不安を感じさせるからとダメだしされるかもしれない。
(後悔するなら、やる事やってからじゃないとな)
アイザックは体を起こし、パトリックの体を撫でてやる。
それか何か良い資料はないかと書斎へと向かった。
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(あっ、ヤベッ)
モーガンの部屋を訪ねると、マーガレットまで居た。
トップであるモーガンから説得し「お爺様の許可が出た」という事を盾にして順番に説得するという計画が崩れ去った事を意味する。
「どうしたの、アイザック? 私がいると問題があるの?」
ドア付近で固まっているアイザックを見て、マーガレットはまるで心の中を見透かしたように言った。
もっとも、マーガレットの顔を見て、体が固まっている時点で問題があると言っているようなものだが。
「いえ、問題はありません。ただ、夫婦の時間を過ごす邪魔をしたかなと思っただけです」
「子供がそんな事を気にするものではありませんよ」
「もう、この子は」と、マーガレットが口元に手を当てて上品に笑う。
「アイザック、護衛の騎士から話は聞いている。例の件なのだろう? 座りなさい」
モーガンは、自分の前の席をアイザックに勧める。
単純にお話をして可愛がる時は、自分の隣に座らせる。
こうして前の席に座らせる時は、モーガンからお小言がある時だ。
幸先の悪い流れに、アイザックは一度深呼吸をしてから椅子に座る。
「お爺様、重要な話があります。人払いをしていただいても良いでしょうか?」
オドオドしていては、通る話も通らなくなる。
アイザックは祖父の目をしっかりと見つめ、人払いを願い出た。
そういう行動を取られると、困るのはモーガンの方だった。
孫に頼られるのは嬉しいが、アイザックの願いはネイサンとは比べ物にならないくらい厄介な物ばかり。
松茸狩りに出かけた軽率な行動以外に“何か問題が起こされそうだ”と思ったからだ。
しかし、話を聞かないわけにもいかない。
渋々と使用人達を退出させる。
「今までウェルロッドと王都の往復だけでしたので、つい外に興味を持ってしまいました。森に入るという軽率な行動を取って申し訳ありませんでした。それと、おそらく叱られるでしょうが、お願いがあります」
「なんだ」
モーガンの言葉には、少し呆れたような声色が混じっていた。
謝罪をしているにもかかわらず、同時に自分の要求を伝えようとしている事に呆れていた。
年齢的にも、そろそろ家庭教師を付けて教育するべきだろうかと考えてしまう。
主に倫理や道徳について。
モーガンの声に含まれている物を感じ取って少し迷ったが、アイザックは素直に話す事にした。
自分の権力への渇望を満たすには、茨の道を踏み出さねばならない。
命を失う事の無い交渉に、躊躇していられなかった。
「エルフとの交流を始めたいと思います」
「……本気で言っているのか?」
「はい」
護衛の騎士から「アイザック様がエルフとの接触を望んでいるようです」との報告を受けているので驚きはしない。
しかし、問題の大きさに頭痛を感じる。
「二百年前に休戦協定を結んで以来、お互いに交流を絶っていた。今まではそう思われていましたが、現地の人々は百年前から交流していたようです。これは正式に国交の樹立まで行った方が良いのではないでしょうか?」
アイザックの言葉に、モーガンは少し考えてから答えた。
「厄介事は嫌だから、お互いに関わり合いにならないでおこうという臭い物に蓋をするような対応よりも、もっと大きな枠組みで交流を持って火種をコントロール可能にしろというのか?」
――人間とエルフは断交している。
――しかし、現地の人間は交流を持ち、物々交換をする程度の友好関係を築いている。
――それを見て見ぬフリをして、何か問題が起きてから行動するのは下策。
――あらかじめ交流を持つ事によって、問題が起きた時に戦争ではなく、対話による解決が可能な状態を維持しておこう。
アイザックがそのように提案しているのだと、モーガンは受け取った。
彼とて外務大臣に選ばれる男。
持ち込まれた話から、そういった意図があると読み取った。
問題はアイザックが“その先”を狙っている事だ。
「はい。ですが、いきなり国ぐるみでは調整が難しいでしょう。最初はウェルロッド領との交易から始めるべきだと思います」
モーガンはアイザックが言わんとしようとしている事を感じ取った。
「つまり、入札に関係している商会を使えというのか?」
アイザックは返事をせずに黙っている。
少ししてから、意を決したように口を開く。
「それもあります。ですが、僕はその先を考えています」
持ち込んだカバンをテーブルの上に置く。
その中には、ブリジットに作ってもらった土の板がある。
「エルフによる街道整備。これを僕の名で行いたいと思います。幸い資金も――」
「ならん」
アイザックの言葉はモーガンによって遮られた。
「ティリーヒルでエルフが交易するくらいならば許せん事もない。だが、領内にエルフを入れる事は認められん。何事も急ぎ過ぎるのは混乱の元だ。それにあちらも準備ができていないだろう。交易を認める事で満足しなさい」
どの程度、エルフ達が恨みを持っているのかわからない以上、モーガンは安全策を取る事を選んだ。
街中で魔法を使われてしまえば、大きな被害が出てしまう。
交渉をする前から領内に受け入れる事を前提に考えるのは危険極まりない。
テロを警戒するのは統治者として当然の行為である。
「交易を認めてくれるのはありがたいのですが……。この資料を見てください。アルスター周辺では時々川の氾濫が起きています。エルフを使えば、堤防の強化も魔法でできますよ」
アイザックは諦めきれず、カバンから書斎にあった資料を取り出す。
アルスター周辺の治水の悪さが書かれている物だ。
これも魔法によって川を掘り下げ、堤防を高くする事で解決する。
土木機械の無い世界では、エルフは最高の建設作業員であった。
彼らを使わずにいるのはもったいない。
アイザックはエルフの労働者としての雇用を薦める。
「……アイザック、何を焦っているの?」
そんな彼を見て、マーガレットが口を挟んできた。
女の勘なのか。
どこかアイザックが焦っていると感じ取った。
マーガレットに問われて、アイザックは誰もいないとわかっているが、一度部屋を見回して誰もいない事を確認する。
そして、意を決したように口を開いた。
「僕は、一刻も早く力が欲しいんです……」
「何のために?」
「自分の身を守るためです」
アイザックはギュッと拳を握り締める。
本当は国を奪い取るためだ。
ちょっとした嘘ならともかく、愛する祖父母に重大な嘘を言うのが少し辛かった。
マーガレットはモーガンと顔を見合わせる。
「アイザック、お前には誰も手出しをさせん。これから先もだ。何を心配している?」
モーガンの問いかけに、アイザックは顔を歪めながら言い辛そうに答える。
「……メリンダ夫人と兄上に関してです」
アイザックの答えに二人は言葉が詰まる。
「そんな事は無い」と答えてやりたいが、メリンダはネイサンのために精力的に地盤固めを行なっている。
アイザックが身の危険を感じるのも無理はない。
だが、彼らはそこまで危険だとは思っていなかった。
「いくらなんでも、あなたに危害を加えればネイサンは廃嫡。メリンダは処刑になるわ。やるはずがないわよ」
本当に暗殺を考えているのなら、勢力の確保など後回しでいい。
アイザックがいなくなってからの方が、勢力の掌握は簡単なのだから。
命を狙っているのなら、わざわざ多数派工作のような面倒な真似をする必要はない。
その事から“メリンダが直接危害を加えるつもりはないだろう”と思っていた。
「お婆様の言う通りだと思います。今のところは、という限定ですが。お爺様とお婆様は僕よりも確実に早く亡くなられます。そして、お父様が亡くなられた時。僕を守ってくれる人はいません。むしろ、僕がお母様を守らねばなりません。殺されたりはしないと言っても、お家騒動が起きるのを恐れて、どこかに幽閉されたりするかもしれません。そんな事が起きないように、僕は守る力を身に付けたいんです」
アイザックの言葉はモーガンの心に突き刺さる。
継承権第二位という肩書きこそあるものの、そこに実態は伴わない。
これは家庭内で無用な争いにならぬようにと、静観を決め込んでいたモーガンにも責任があった。
元々はランドルフがルシアとの愛に目が曇り、二人の間にできた子の継承権を優先すると決めた事がきっかけだった。
だが「実家の力関係を考えれば、簡単に反故にされる」という事に気付いていた。
彼としても、ウィルメンテ侯爵家と関係が深まるのは悪い事ではないと思っていた。
だから、ランドルフが満足するならそれでいいと思い、継承権の事を認め、特に手を打たずにいたのだ。
――ランドルフも、もう少し大人になれば現実がわかるだろう。ならば、いつかこの事を教訓として成長してほしい。
その程度の気持ちで決めた事だった。
当時はアイザックがここまで早熟な子として生まれてくるとは思わなかった。
そして、そのせいで苦しめていたとは思わなかった。
モーガンは自分自身とランドルフのミスを、アイザックに背負わせていたと知る。
とはいえ、エルフの協力を求める事は認められない。
それはそれ、これはこれだ。
「だがな、エルフという異種族の力を借りるのはよろしくない。力を誇示して従わせれば、配下に対する求心力を大きく失う事になってしまう。そうなれば今以上に辛い立場になるぞ」
人という者は立ち位置を気にするものだ。
アイザックの周りにエルフしかいなければ、そこに自分の居場所は無いと思ってしまう。
そうなれば、ネイサンを担ぎ上げようとする勢いが増すだけだ。
しかし、アイザックは深刻な表情をしていなかった。
「大丈夫です。エルフは土木作業だけをしてもらうつもりでした。ただ、他にも味方を引き寄せる呼び水としては利用するつもりでしたが」
――エルフを呼び水として使う。
その言葉にモーガンは顔をしかめる。
花を育てる優しい子だと思っていたアイザックが、いつの間にか大人の世界に踏み込んでしまっていたからだ。
「……利権か」
「はい」
東の森にエルフがどの程度の人数で住んでいるのかはわからない。
だが、新しい市場が開拓されるという事は、新しい利権が生まれるという事。
二百年前ぶりのエルフとの交易など、多くの者が望むだろう。
エルフに街道を整備させる事で「交通網が整う」というメリットだけではなく「エルフと接触を持っている」という事を通行人に宣伝する効果もある。
すると、誰もがエルフとの窓口になるアイザックに接触を持つようになる。
商人や貴族は交流が認められれば、自然と自分の利益を守るために行動するようになる。
つまり、エルフとの交流を望む人々が、交流を主導するアイザックを守る盾となるのだ。
そこまで考えていたのかと、モーガンはアイザックの成長に驚く。
「確かに新しい取引先ができるのは大きい。だが、ブラーク商会をどうする? かならず一枚噛もうとしてくるぞ。お前は受け入れられるのか?」
アイザックがブラーク商会を嫌っているのは知っている。
そして、侯爵家のお抱え商人である以上、この話に関わってくるはずだ。
それをどう対応するのか、モーガンはアイザックに確かめたかった。
アイザックの返答は至ってシンプルだった。
「受け入れません」
「それならば、どう対応する?」
もしも、アイザックが感情的になっているだけならば、この話から外すつもりだった。
貴族には面子がある。
正当性が無ければ、お抱え商人という立場にあるブラーク商会を締め出すような真似はできない。
「大事な仕事を任せられない商会をお抱え商人にしている」と、陰口を叩かれてしまうからだ。
つまらない事かもしれないが、つまらないからこそ譲れないような事も世の中にはある。
モーガンはアイザックの答えを待った。
「僕の名前でワイト商会、グレイ商会、レイドカラー商会に仕事を任せます。ブラーク商会に任せない理由は、侯爵家に近すぎるからです。ブラーク商会が関わってエルフと問題が起きれば、それは侯爵家全体が起こした物と同一視されるでしょう。僕が主導して三商会に仕事を任せれば、その責任は僕一人に負わせられます」
アイザックの答えはモーガンを失望させた。
「それは無責任というものだ。自分が責任を取るという気持ちは立派だが、この場合は責任を背負いきれるかどうかが重要になる。ブラーク商会を使わないというのは、まぁ良いだろう。だが、お前に任せる事はできん。せめてもの名目上の責任者にしてやる。それで我慢しなさい」
モーガンは「成長しているとはいえ、さすがに今のアイザックに交渉を任せる事はできない」と思った。
何かを約束する時は、責任を負えるかどうかが重要になる。
アイザックは責任に対する覚悟が甘い。
人と人との繋がりは「ダメだったら放り投げよう」ではいけないのだ。
交渉が上手くいっても、秘書官を派遣し、アイザックはお飾りとして座らせておく事になるだろう。
ここで、モーガンは一つの疑問が思い浮かんだ。
「それで、どの程度まで話は進んでいる? まさか、すでに契約を交わしているのではないだろうな?」
アイザックは賢い。
だが、それは小賢しいとも言える。
すでに契約を交わして、既成事実を作っている可能性がある。
まずはその事を確認しなかった事を悔やんだ。
「いえ、それはまだです」
モーガンはホッと息を吐く。
「ですが、十日から二週間後に代表者と話し会って、交流の再開に関して話しましょうという話はしました。ですから、お爺様かお父様にエルフと会ってほしいのですが……。ダメな場合は、使者を送ると伝えてます。ですので、ダメならダメと言っていただければ……」
アイザックの声が段々と小さくなっていく。
今までの様子から「ダメだ」と言われそうだと思ったからだ。
しかし、モーガンの反応は予想とは違ったものだった。
「ダメなはずがあるか。どうなるかわからんが、エルフとの交渉を行ったという事実だけでもあれば十分だ。来年の春から私は外務大臣だからな」
今回の話は厄介事ではある。
だが、同時にチャンスでもあった。
二百年もの間、交流の無かったエルフと交流を再開したとなれば、外務大臣に任じられた時に箔が付く。
アイザックに全てを任せるような危険な真似はできないが、自分が交渉するのならエルフとの会談は歓迎するべき事態だ。
――起きてしまった事態を最大限利用する。
そういうしたたかさがあるからこそ、侯爵家の当主が務まるのだ。
「こちらに来なさい」
モーガンがアイザックに手招きをする。
アイザックは言われた通り祖父に近づいた。
(褒められるのかな)
モーガンに抱き上げられた時、アイザックはそう思った。
しかし、今回は様子がおかしい。
膝の上に座らされるのではなく、腹這いにされたからだ。
(この体勢は……)
「痛っ!」
尻の方からバチンという音が聞こえてくる。
同時に激しい痛み。
この事から、尻を叩かれていると気付く。
「お爺様!」
アイザックは涙目になりながら声を上げる。
だが、尻叩きの手が止まる事はない。
「エルフとの会談のきっかけを作れたのは良い事だ。だが、それはそれ。わずかな護衛で森に入るという軽率な行動を取った事の責任は取らねばならん。わかるな?」
今までモーガンはアイザックを猫可愛がりしていた。
しかし、そのせいで“どんな行動をしても大目に見てもらえる”と思い込んでいる節がある。
その事を反省し、今は心を鬼にして折檻する。
ここで矯正しておかねば、いつか取り返しのつかない事になってしまうかもしれないからだ。
二十回ほど尻を叩いた後、アイザックをマーガレットに手渡す。
アイザックは唇を噛み締めて泣き叫ぶのを我慢していた。
そんな孫を慰める役目を、妻に任せようとしたのだ。
「私はランドルフと話をしてくる。アイザックは任せるぞ」
「ええ、わかりました」
モーガンは部屋を出ていった。
残されたマーガレットは、涙を浮かべているアイザックを抱きしめてやる。
「今回はあなたが悪いわ。色々と興味が出てくる年頃かもしれないけれど、して良い事と悪い事があるの。今回の行動は、まだ幼いあなたがしてはいけない事だったのよ」
アイザックは祖母の胸の中で頷く。
声を出そうとすれば、泣き叫ぶ事を耐えられそうにないからだ。
マーガレットは、それ以上何も言わなかった。
アイザックは賢い子だ。
こうして注意されれば、今後は気を付けて行動するだろう。
それに、口先だけの慰めなど不要だと思っている。
抱き締めて人の温もりを感じさせる事が、子供を落ち着かせるのに最も有効な方法だと知っているからだ。