278 十六歳 エリアスからの呼び出し
ポールは見知らぬ生徒との戦いだった。
彼はバックラーと呼ばれる鍋の蓋のような盾を上手く使う戦い方をしていた。
盾を突き出して相手の視界を狭め、相手の動きを制限して、やりたい事をやらせずに勝つ。
派手に剣を振り回して戦うのに比べると地味だが、手堅い戦い方だった。
一年生最後の模擬戦は、カイとフレッドの組み合わせで行われた。
彼らは槍を使った試合で、結論を言えばフレッドの勝利だったが、カイもただ負けたわけではなかった。
模擬戦では有効打に数えられない四肢への攻撃を中心に当てていた。
実戦であれば負傷によってフレッドの動きは鈍り、いつかはカイが勝っていただろう。
――実戦向きの戦い方をする事で周囲の期待に応え、さりげなくフレッドに華を持たせる。
フレッドは負けると露骨に不機嫌になってしまう。
だが、大勢が見ている前で露骨に負けるわけにはいかない。
だから、模擬戦で求められる戦い方とは違うものを見せる事によって、自分の実力をアピールしながら、フレッドに勝ちを譲った。
彼なりに悩んだ結果、絞り出した答えなのだと思われる。
友人達は各自で見せ場をちゃんと用意していた。
アイザックは、その事に安心する。
彼らは普通の生徒と違い、周囲にアイザックの友人として見られている。
当然、他の者よりも多くを要求される。
「特徴なし」では肩身の狭い思いをしてしまうだろう。
多少なりとも結果を残せているので、ひとまずは安心といったところだった。
こうして文化祭は特に問題なく終わった。
――そう、文化祭は。
文化祭が十二月に始まるという事は、そのあとのイベントも詰まっているという事だ。
一番のイベントは、二学期の期末テストだった。
「げぇっ、順位が下がってる!」
カイが悲鳴をあげる。
前回は五十位台だった彼の順位が、今回は六十位台になっている。
――一年生は初めての文化祭。
力の入れ加減がわからず、張り切り過ぎて勉強にまで手が回らなくなっていた者が多かったせいだ。
ポールも残念がっているが、カイほどではない。
カイはフレッドと違うクラスになりたいので、成績を気にしていたのだから。
「どうやら、文化祭の準備を頑張り過ぎたみたいだね」
「仕方ないよ。カイは注目度が高かったし、槍の練習に集中するしかなかったからさ」
文化祭という日常とは違った行事のあと、みんなテスト結果という現実に引き戻された。
似たような悲鳴は、ところどころで起きていた。
成績が下がった者もいれば、上がった者もいる。
成績が上がった者の口からは、安堵の息が漏れていた。
「一位の四人はブレないのが凄いよ。特にニコルさんは凄いね。戦技部で練習している姿をよく見かけていたのに……」
アイザックは科学部が廃部になったので時間があった。
ジェイソンとパメラは生徒会役員として働いているものの、勉強をする余裕はあったはずだ。
カイは戦技部の練習で疲れて勉強どころではなかった。
状況は同じだったはずなのに、成績を維持する彼女の凄さを実感する。
「確かに勉強と部活を両立する人は凄いよね」
これにはアイザックも素直に同意する。
前世でも部活を頑張りながら成績を高い水準で維持する友達がいた。
ニコルも凄いが、彼女だけができている事ではない。
ただ、努力をすれば誰でも結果を残せるわけではないという事も知っている。
彼女のモチベーションが「男を攻略する」という事で保てているのかどうかはわからないが、頑張って結果を残し続けられているのはなかなかのものだ。
「前世の記憶を持っていて、その分のアドバンテージを活かしているだけの自分とは大違いだ」とアイザックは思わされる。
他の友達は特に大きく順位は変わっていなかったものの、ティファニーだけは十九位と少し順位を戻していた。
落ち着きを取り戻し、いくらかは勉強に集中できるようになったらしい。
これにはアイザックも安心する。
他の生徒が文化祭に集中し過ぎて成績が落ちただけかもしれないが、とりあえずこのまま以前の彼女に戻っていってくれればと願う。
(今年はこのまま何事もなく終わってくれればいいのになぁ……)
二学期中は、ニコルに新たに攻略される被害者は出なかった。
どうやら、アイザックの提案を素直に聞いてくれたらしい。
原作のゲームではどんなペースで攻略していくのかわからないが、三年生になってから一気に攻略してくれた方が周囲に与えるインパクトが大きい。
来年も控えめにしておいてほしいところだった。
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多くの文化祭の楽しい雰囲気から一転、期末テストという現実を突き付けられてから冬休みに入る。
しかし、アイザックにとっては、そう悪いものでもなかった。
体育はティファニーと互角にやり合えるようになったおかげで九に。
芸術の評価も九になった。
十ではないのは、技術面の未熟さによるものだった。
この辺りは、筆記だけではなく実技のある授業なので仕方がない。
とはいえ、体育と芸術の評価が上がった事で、成績表には九と十ばかりが並ぶ事になった。
前世の知識があるおかげとはいえ、この結果にアイザックは満足していた。
もちろん、家族も「言う事なし」と満足してくれている。
成績の事をよく理解していないケンドラに「おにいちゃん、がんばったね」と言われた時など、今までにないほどいい笑顔をアイザックは見せてしまった。
――ニコルの事がなければ順調にいっている。
そんな状況のアイザックに、王宮から呼び出しがかかる。
「冬休みに入ってからなんで?」と思うが、すぐに「冬休みだからだ」と思い直した。
学校のある期間中は気を利かせてくれていたのだと。
用件があるなら手紙で伝えてくれればいいのにと思いつつ、アイザックは王宮へ向かった。
王宮に着くと侍従長が自ら出迎えてくれた。
アイザックは、こういう時に自分が公爵という立場にあると実感させられる。
中身は肩書きに見合うほど育ってはいないので、少し息苦しさを感じる場面だ。
今回は会議室や応接室などではなく、リビングルームのようなプライベートを感じさせられる部屋に通された。
「よく来てくれたな」
「陛下のお呼びとあらば、いつでも馳せ参じます」
軽い挨拶を交わし、アイザックが席に着くとエリアスは溜息を吐く。
「今回は話したい事が三つある。そのうちの二つは苦情寄りだな」
「苦情ですか? いったいどのような内容なのでしょうか?」
(もしかして、パメラの事か?)
一番の心当たりは、彼女の事だった。
ニコルが同級生にポロッとこぼしてしまったのかもしれない。
そこからジェイソンに伝わり、エリアスに呼び出されてしまったのではないかと考える。
(いや、でもそれはないな。パメラの事だったら、ジェイソンも同席しているはず。じゃあ、なんだろう?)
アイザックには心当たりがあり過ぎる。
とはいえ、それは心の中で考えている事だ。
反乱を考えているなどという事はバレていないはずなのに、心当たりがあるせいで動揺してしまう。
「ピストという科学教師はドワーフ相手に有効なカードだそうだな。それを独り占めするのは酷いのではないか?」
「先生の事でしたか」
アイザックは表情に出さないように気を付けながら、心底安堵する。
エリアスはドワーフの興味を惹き付けるピストを、アイザックが独占する事に不満を感じているようだ。
パメラの事を持ち出される事を考えれば、この程度はいくらでも弁明できる。
「そうだ。教師をやめさせてまで引き抜くのは、いささかやり過ぎではないか? もちろん、何らかの罰則を与えるつもりなどないが、一言言ってくれてもよかったのではないかと思ってな」
エリアスにとって、アイザックは重要な存在だ。
賢王としての名声を高めてくれているし、リード王国の発展と繁栄のためになる事をしてくれている。
だから、その行動を咎めるつもりはない。
しかし、やはり国王である自分に対して、報告くらいはしてほしいと思っていた。
ドワーフ相手に非常に効果的な存在ならなおさらだ。
「申し訳ございません。ですが、申し開きをするならば、私は一切引き抜きをしておりません」
「そういう事にしておきたい。という事か」
アイザックの言い分を、エリアスは信じなかった。
相手は希代の英雄である。
しかも、ウェルロッド侯爵家の当たり年。
自分に不利な状況になるような証拠は残さず、上手くピストを誘導しているのだと受け取っていた。
だが、アイザックは違う。
ピストに関しては、本当に何もやっていない。
むしろ、こっちが被害者だと言いたいくらいだった。
「いえ、本当に何もしておりません。確かにドワーフ向けの新技術の開発を依頼しておりました。そのために場所と人員、資金を提供しておりましたところ、開発に熱中して教師を辞めてしまったのです」
アイザックの言い分にエリアスは首をかしげる。
彼にとって信じられない事だったからだ。
「王立学院の教師の待遇に問題があったのか?」
だから、傍らにいた侍従長に確かめる。
「いえ、教員は貴族の子弟を育てるという重要な役割を任せております。不正がないように無役の貴族ならば、誰もが羨ましがる程度には優遇しております。特に今年は殿下を始め、侯爵家や伯爵家の子弟が数多く集まる年。不満がでないよう気を付けていたはずです」
「だろうな」
これはエリアスも知っていた事だ。
過去には家同士の因縁が絡み、生徒を暗殺するような教師までいたくらいだ。
そういった者が出ないよう、今年はよく注意をしていたはずだった。
待遇面で不満が出て、生徒に不利益を出さないように細心の注意を払ってもいた。
そもそも、王立学院の教師は二十年務めると、男爵家に支払われる貴族年金と同額の年金を受け取れるようになるなど、待遇面では優遇されている。
教職という狭き門をくぐり抜けておきながら、それをあっさり捨てるような真似を行うのは常識的に考えられない事だった。
だが、ピストはその常識をぶち壊す者だった。
「陛下、ピスト先生は……。いえ、ピストは常識に囚われない人物です。だからこそ、ドワーフの興味を惹いたとも言えます。彼が望むものは科学の探究。個人で自由にできる多額の給与よりも、科学の研究に使える研究資金の方が重いと考える人物です」
「ふむ……。自分の生活や他人の評価を気にしたりせず、自分の描きたいものを描く芸術家のようなものか?」
エリアスは自分が想像しやすいものに置き換えて考えた。
「そういったタイプが近いかと思います。科学は教育分野の一種としてあったらいいという程度で、他の教科に比べて冷遇されていました。王立学院にいた時は研究に必要な予算なども少なかったみたいです。そこに僕が研究所を用意してしまったせいで、教師としての待遇を捨ててまで研究にのめり込んで、教師を辞めてしまったようですね。これは僕にとっても計算外でした。辞めるとしても、普通は年度末に辞めるでしょう? 二学期になって担任の教師が変わったと聞いて驚きましたよ」
アイザックはエリアスに同意を求める。
こういう時は説得ではなく「自分も驚いた。あいつの常識、絶対おかしい」と同意を求める方がいい。
その方が共感を生み、アイザックに対する非難の気持ちも和らぐからだ。
「確かに二学期が始まる前に辞めるというのは無責任だな。むしろ、なぜそのような者が教職に就けていたのか……」
エリアスのアイザックを非難する気持ちが、ピストへと向いてしまったようだ。
あまりピストに不満を持たれてしまっても困るので、アイザックはピストを庇う事にした。
「科学という他の者が興味を持たない分野の専門家だったからではないでしょうか? 他に代わりがいれば、他の者が教師になっていたでしょう」
「かもしれんな。しかし、これからドワーフ相手に必要な人材がいなくなるのは困るな」
エリアスはチラリとアイザックを見る。
「学院に返して」とでも言いたいのだろう。
だが、アイザックに気を使って言えない。
自分をチラチラと見てくる四十過ぎのおっさんに、アイザックは気持ち悪さを感じていた。
「実はアルスターかザルツシュタットあたりに、ドワーフとの共同研究所を作る事になっています。そこには科学部に所属していた生徒も送り込むつもりですので、実地で学んだ経験者を将来教師として招く事ができるかと思います。あっ、もちろんその生徒は常識を持ち合わせていますよ。今すぐではないかもしれませんが、いつかはリード王国のためになる事です」
アイザックは将来の事を持ち出して、ピストの返還を断る事にした。
実際にクランも送り込むつもりなので嘘ではない。
「将来か……。これから科学が必要になるというのに、タイミングが悪いな」
「命令して教師に戻すなり、王家直轄の研究所なりに所属させる事は可能です。ですが、本人のやる気を考えれば、ドワーフに実験器具を作ってもらえる共同研究所でやらせた方がいいかなと思っています。人間の技術では実現できなかったものも開発してくれるでしょう。これもリード王国のためになるでしょう」
「かもしれん……。しかし、本当にすべてを投げ打ってでも研究がしたいという者なのか?」
「はい。誰かグレイ商会に人を送っていただければ、すぐにおわかりいただけるかと思います」
「そうか、ならば仕方がないか」
アイザックが今までにないくらいハッキリと断言したので、エリアスは大人しく引き下がる事にした。
だが、逆にそこまで言われる男がどんな者か見たくもなる。
国王という立場のせいで、気楽に見学に行けないのが残念なところだった。
エリアスは気を取り直して、違う用件を持ち出した。
「では、今日呼び出したのには理由がある。十二月二十五日の協定記念日は予定を空けておくように。エドモンド殿とヴィリー殿と共にパレードを行う。彼らとの友好の立役者として、一緒にパレードに参加してもらいたい。そのあとは先遣隊としてきていた者達との送別パーティーを行う。そちらにも参加してもらいたい」
「もちろん引き受けます。ドワーフの先遣隊としてやってきたジークハルトとは個人的な交流もあります。彼らを気持ちよく見送りたいという気持ちはありますから」
「ならばいい。詳細は追って知らせる」
本来ならばこちらが主な用件になっていてもおかしくないのだが、すんなりと決まったせいでピストの件の方がメインになってしまっているようにアイザックは錯覚した。
ここでアイザックはある事に気付く。
「もう一つの用件とはなんでしょうか?」
苦情寄りの用件が二件あると言っていた。
まだピストの件しか聞いていないので、もう一件あるはずだ。
「まぁ、なんだ。息子と同じ年齢の相手にこういう事は言いたくないのだがな……」
「はい?」
アイザックが不思議そうな顔をすると、なぜかエリアスは恥ずかしそうに少し頬を赤らめる。
「せっかく王宮を自由に訪れる権利があるのだから、もっと気楽に訪ねてきてもいいのだぞ?」
(お前は乙女ゲームの登場キャラか! ……いや、まぁ世界としてはそうなんだろうけどさ! 言う相手が違うだろう!)
まるで「恋人に会えなくて寂しい」と言われているようで、アイザックは心の中でツッコミを入れてしまう。
ジェイソンと同世代の相手に言うのが恥ずかしいだけなのだろうが、頬を赤らめてほしくないものだ。
「申し訳ありません。学業に専念している事や、陛下のお邪魔をしてしまうのではないかと思い遠慮しておりました」
「かまわん、遠慮などする必要などない。エルフやドワーフを魅了するそなたの話を私も聞いてみたいのだ」
「かしこまりました。ですが、卒業するまでお待ちいただけると助かります。やはり公爵という立場がありますので、学業がおろそかになって人に侮られるような事は避けたいのです」
「むぅ……。それはそうだな」
エリアスは、アイザックを公爵にした事を後悔した。
リード王国国内における貴族の最高位だからこそ、周囲に実力を見せねばならない。
もうアイザックを侮るような者はいないだろうが、学校の成績は数字として目に見えてしまう。
自分自身も学生だった時代もあるので、アイザックが成績を気にする気持ちもよくわかった。
「では、卒業後を楽しみにしていよう」
「どんな話をするか考えておきます」
アイザックはエリアスと仲良くなる事を避けるのに成功する。
これは仲良くなった場合、反乱を起こせなくなってしまうからだった。
ニコルにたぶらかされたジェイソンとは対峙できても、エリアスの事を考えて動けなくなってしまうかもしれない。
だったら、最初から最低限の関係でいた方が気分が楽だ。
(あれ? それじゃあ、ジェイソンを攻略したあとのエンディングはどういう事なんだろう?)
ここで一つの疑問が浮かぶ。
――ジェイソンがニコルに世界をプレゼントしようとして戦争を起こす。
エンディングではそういうシーンが流れていたそうだ。
なら、その時エリアスはジェイソンの望むままに戦争を起こしていたのだろうか?
「賢王」と呼ばれるのを嬉しそうにしているエリアスが認めそうにない事だ。
その辺りの事を詳しく調べていれば、何か役に立ったかもしれない。
しかし、今からでは調べる方法がないので、その時になってみないとどうなるかわからない。
大きなヒントを逃したようで、アイザックは損をした気分になっていた。