277 十六歳 模擬戦の見学
「おにいさん、かっこうよかったね」
「うん、かっこうよかった」
ケンドラとローランドが手を繋いで歩いて、アイザックの事を話している。
演奏会が終わったあと、ウィルメンテ侯爵が妻のナンシーと息子のローランドを連れて、ウェルロッド侯爵家の面々と合流したせいだ。
大人達は二人の事を微笑ましい表情で見守っているが、一人だけそうではない者がいた。
(気安くウチの妹の手を握ってんじゃねぇぞ! まだ七歳だぞ! 子供がそんな大胆な事をしてはいけません!)
――アイザックだ!
自分も幼い頃にティファニーと手を繋いだ事もある。
それに比べれば、幼いとはいえ婚約者同士が手を繋ぐ事くらいどうという事はない。
だが、アイザックはその事を棚に上げて、ローランドの行為を不満に思っていた。
「サンダース子爵夫人の子育てはなかなかのものですわ。芸術はご自身が教えてらしたんでしょう? やはり、ローランドの教育をお願いしたいと思ってしまうくらい」
ナンシーがルシアに息子の教育を頼む。
彼女も夫から、ルシアの子育て力の高さを聞いていた。
それは今回の件で確信する事になった。
――政治、軍事、技術、芸術。
ここまでの活躍は、ウェルロッド侯爵家の血筋だけでは説明できない。
ちゃんと教育を施しているからこそ、才能を発揮できた。
彼女やウィルメンテ侯爵は「やはりルシアの教育こそが活躍の鍵なのだ」と思い込んでいた。
「確かにピアノの弾き方も教えましたけど、作曲までは教えていませんわ。私の教育などたいした事はありません」
「またまたご謙遜を。子爵夫人はもっと自信を持つべきですわよ」
ナンシーが「子育てが上手い」と褒めると、ルシアが「アイザック自身の成長だ」と答える。
そんなやり取りが繰り返されている中、ウィルメンテ侯爵がアイザックに話しかけてきた。
「子供達の仲も良さそうだ。このまま両家の仲も深まっていくといいですな」
「……そうですね」
本来なら、二人の仲が良いのは喜ぶべきところだ。
だが、まだケンドラには婚約や結婚というのは早すぎるという思いがある。
ランドルフが「このまま上手くいってくれるといいな」と気楽に考えている分、アイザックがケンドラの嫁入りを深刻に考えていた。
しかし、その反応を見てウィルメンテ侯爵は不安に思った。
過去の経緯があるせいだ。
「確かに当家との婚約は、メリンダの一件を思い出された事でしょう。ですが、もう誰もエンフィールド公が当主になる事に疑問を持たないでしょう。ウェルロッド侯爵家の後継者問題が再燃する事はありえません」
「そうですね。そうあってほしいものです」
アイザックも、言われなくてもわかっている。
もう余計な事を考える傘下の貴族はいないはずだ。
だが、今はそんな事を話しているわけではない。
ローランドがケンドラと手を繋いでいる事が問題だった。
彼の視線は、ずっとローランドに釘付けだった。
その行動のせいで、ウィルメンテ侯爵は不安を覚える。
アイザックが口では納得している素振りを見せても、決して油断はしていないという姿を見せられているのだと感じていた。
先ほどの演奏で賛美を浴びせられた事によって、気分が浮ついていてもおかしくないところだ。
なのに、浮ついているどころか、まだ幼いローランドを警戒しているアイザックの隙のなさには恐れと不安を覚えさせられてしまう。
「同じ王国貴族として、これから付き合っていかねばならないし、ウィルメンテ侯爵家との仲が良くなるは良い事だと思いますよ」
ランドルフが助け舟を出す。
いや、もしかすると彼は本当にそう思っているだけかもしれない。
だが、ウィルメンテ侯爵はランドルフの言葉に乗って、両家の仲が改善している事をアピールしようとした。
「フレッドもサンダース子爵に敬意を抱いている。何と言っても、あのロックウェル王国のトムを討ち取った猛者だ。強くなる事を目的としているフレッドにとって、私よりもサンダース子爵の方が尊敬の的となっているようだな」
「いえ、あれは偶然でしたので……。ウィルメンテ侯の方がよほど強いでしょう」
「実戦で結果を出した者の方が上だ。私もいいところを見せたかったが、あそこまで早く戦争が終わらされてはな」
ウィルメンテ侯爵はランドルフを褒めつつ、間接的に「結果を出していないフレッドよりもアイザックの方が上」と認める形でアイザックも褒めた。
アイザックとの力量差がここまで開いてしまっては、対等な協調路線よりも多少下手に出る方向でやっていくしかない。
幸いな事に、アイザックは公爵になっている。
侯爵が下手に出るのに、何一つ問題はない。
ウィルメンテ侯爵にとって、今は今でやりやすい状況だった。
間違いがあるとすれば、アイザックは彼が思っているほどウィルメンテ侯爵家を恨んでいないという事だ。
正確に言うならば、ローランド個人に嫉妬はある。
だが、媚びたりせずとも、対等な協力者としての関係を築く事はできる余地があった。
彼がアイザックを過大評価しているせいで、わざわざ自分の立場を下においてしまっているのだった。
「そういえば、運動場でフレッドの試合もあるそうだ。一緒に見学しないか?」
「いいですね。こうして学院内に入るのも久し振りなので、運動場の方も見ておきたいです」
ウィルメンテ侯爵の誘いにランドルフが乗った。
アイザックも同意しようとしたが、その前にやっておく事があった。
「僕も見に行きたいですが、科学部の出し物があるので、そちらに行かないといけません。友人達に任せっきりではいけませんので」
「それは残念です。もし、よろしければご友人と一緒にと言いたいところですが……。クラブ部活動の邪魔はできませんな」
ウィルメンテ侯爵は残念そうな顔を見せる。
半分は芝居であり、半分は本心だ。
ローランドとケンドラの仲が良好なので、そこを糸口にしてアイザックとも関係を深めるきっかけになると思っていた。
なのに、そのアイザックがいなくなるのは残念極まりない。
同時に「もっと二人の仲を深めてからでも遅くはない」という思いもあった。
二人の仲睦まじい姿を見せつければ、多少なりともアイザックの態度が軟化するはずだ。
今はこのまま立ち去ってくれても、絶対に困るという状況ではないので、半分だけ残念そうな芝居をする余地があった。
「見学に行く余裕があれば、というところですね。ドワーフに注目された事で大盛況かもしれませんので」
アイザックは「それではまた」と皆に言い残して、科学部のところまで向かう。
そこは、想像もしない状況になっていた。
アイザックの姿を見つけたレイモンドが声をかけてくる。
「やぁ、どうだった?」
「予想以上に高評価だったよ。……こっちは?」
「見ての通りさ」
「見ての通りって……」
――科学部の周辺には誰もいなかった。
「ドワーフの人達が見てくれたあとは、まばらに来てくれてたんだけど……。一度、人が途切れたらもう誰もこなくなっちゃった。まぁ、いつも通りだね」
クランがこんな状況でも気にした様子がなかった。
去年までの事を考えれば、一時的にでも見物客がきてくれただけでも彼女には十分だった。
少しでも科学部の名を、他人の心に残す事ができたからだ。
「ねぇ、よかったら二人でどこかに見学に行ったら? そろそろ戦技部の模擬戦とかも始まると思うし」
「ですが、それでは先輩一人残る事になってしまいますよ」
クランを一人残して、自分達だけが見学に行くのは気が引ける。
そう思ったアイザックが心配する言葉をかけるが、クランは笑顔を浮かべて否定する。
「いいの。たぶん、もう人はこないだろうしね。それに、これはささやかなお礼。アイザックくんに対して、私ができる事って限られるからね。友達のいるところを見て回るのも楽しいわよ」
「先輩、ありがとうございます」
アイザックは彼女の気持ちを受け取る事にした。
正直なところ、ポールやカイも参加する模擬戦がどうなるのか気になっていたところだ。
見に行っていいのなら見に行きたい。
それに、彼女のために書いた推薦状を恩義に感じてくれているなら、こうして少しでも借りを返させる事で気分が軽くなるはずだ。
今回は彼女の言葉に甘える事にした。
「戦技部の模擬戦が終わったら、一度戻ってきますね」
「そうしてくれると助かるかな。私もちょっと離れたい時があるかもしれないし」
(あぁ、一人だとトイレにもいけないもんな)
アイザックはそう思ったが、さすがにそれを言葉にするほどデリカシーがない男ではなかった。
レイモンドと共にもう一度お礼を言って、運動場の方に向かう。
----------
道中で合流したレイモンドの両親であるオグリビー子爵夫妻は緊張していた。
理由は至って簡単だ。
子爵夫妻は息子の近くにいたが、息子のレイモンドがアイザックのそばにいる。
そして、アイザックの近くにはウェルロッド侯爵家とウィルメンテ侯爵家の家族が揃っている。
同席を許されているとはいえ、プレッシャーを感じる面子ばかりだ。
「あの、やっぱり一年生ではフレッドくんが一番なんでしょうか?」
「いや、やはり若手の一番手はマクスウェル子爵家のカイ……。いや、ルメイ男爵か。おそらく彼だろう。他の武官連中もフレッドではなく、彼を見に来ているのではないかな」
両親は緊張しているのに、レイモンドはウィルメンテ侯爵に質問をしている。
たいした度胸だ。
オグリビー子爵夫妻は、息子の成長を思わぬところで見せつけられた形となる。
「レオ将軍を討ち取りましたしね」
アイザックが相槌を打つ。
これにウィルメンテ侯爵はうなずいた。
「その通り。先代ウェルロッド侯を討ち取った者というだけではなく、戦場においては神出鬼没の立ち回りをする厄介な相手だったそうだ。フォード元帥の作戦を実行できる手駒として考えれば、その価値は非常に高い。そんな将軍を討ち取った若者が、どの程度の腕前か皆が注目するのも無理はない」
なかなかの高評価である。
「その分、カイのプレッシャーも半端ないだろうな」とアイザックは思った。
この世界の大人達は無茶振りが酷い。
アイザックも、演奏順を最後から二番目とか三番目にしてほしかったと思っていた。
ジェイソンが無茶振りするのも、この世界においてはちょっと酷いというレベルだったりする可能性もある。
(とりあえず、がんばれ。カイ)
カイが手柄を立てるきっかけを作ったのはアイザックの作戦だったが、彼は他人事のように応援する。
自分の番が終わったので安心しているからかもしれない。
しばらく雑談をしていると、司会が模擬戦の開催を宣言する。
――第一試合は、まさかのニコルvsダミアンだった。
刃引きの剣と盾を持ち、甲冑に身を包んだ二人が姿を現した。
これは戦技部に所属する女子がニコルしかいなかったというのと、ダミアンの体格がニコルに近かったというのが組み合わせに影響していた。
ニコルはフレッドに挑戦したりはしているが、やはり体格差は大きい。
腕のリードの長さもあるが、体重差もかなり影響する。
それでは不公平なので、体格が似た者同士の試合が組まれていた。
アマンダが戦技部に入っていれば、女同士での試合になっていたかもしれない。
だが、彼女は家庭科部に入ってしまった。
そのしわ寄せがダミアンに及んでいた。
試合内容は一見互角に進んでいた。
しかし、実際は違う。
アイザックはマットから指導されているので、どちらが有利に進めているのか試合内容が理解できるようになっていた。
(ニコルが優勢か……)
ニコルの剣技自体は人並程度。
しかし、基礎体力をしっかり鍛えているのだろう。
足運びなど動作の一つ一つが速く、打ち込んだり打ち込まれたりしても体がブレない。
本気を出せば、ダミアンをすぐに倒せそうなくらいの力量差があるように見えた。
だが、ダミアンの面子を考えて遠慮しているのだろう。
剣を打ち込む腕の振りが下半身の使い方に比べて鈍く見える。
アイザックはダミアンに同情した。
自分にもわかるのだ。
戦いの専門家である武官の面々には「女子に手加減されている」とバレているだろう。
今後の立場が心配される。
しばらく剣戟が続き「頃合いよし」とでも思ったのだろう。
ニコルが大振りで剣を打ち込もうとした。
ダミアンが盾でニコルの攻撃を防ぎ、ニコルの胴を薙ぐ。
それが有効打となり、ダミアンの勝利で終わった。
ニコルはダミアンに華を持たせたのだ。
観客からは拍手が送られる。
――だが、それはどちらに向けられたものだっただろうか。
必死に戦っていて、ニコルの手抜きに気付かなかったダミアンは自分のものだと思い、周囲に手を振って拍手に応える。
彼のそんな姿を見て、アイザックは憐れむのではなく、ニコルの事を心配していた。
(あれって体力のステータスが高いからできる事なのか? とんでもねぇな)
ニコルは運動神経だけで、互角に戦っているように見えるよう手を抜きながら見事に戦っていた。
――運動神経が高いから、どんなスポーツでもすぐに慣れる。
スポーツ漫画の天才キャラのような錯覚を覚える。
(そういえば、あいつは主人公だったな……)
運動すればするだけ、確実にステータスが上がったりするのかもしれない。
なんとなくズルイようにも感じるが、彼女も相応の努力をしている事を知っている。
何もせず身に付いたものではないので、ズルイではなく羨ましいと思う程度だった。
ウィルメンテ侯爵夫妻は、フレッドの友人であるダミアンの事を知っているはずだが、彼の戦い振りに何も言わなかった。
そのせいで、アイザックの中でダミアンへの同情が高まっていく。
「二人とも知っているので、ちょっと声をかけてきます」
一言だけ。
本当にほんの少しだけではあるが、同情からダミアンを知っていると、さりげなくウィルメンテ侯爵に言った。
母親同士が友人関係にある事は、調べればすぐにわかる事だ。
嘘ではないと、ウィルメンテ侯爵もわかってもらえるだろう。
今回は相手が悪かった。
ニコルは腐っても原作の主人公だ。
他の生徒相手なら、もっと健闘している姿が見られたかもしれない。
「彼は無価値ではない」と、一言だけ庇ってやる事にした。
だが、言葉だけではない。
アイザックはその場を離れ、先ほど戦っていた二人のもとへ向かう。
実際に挨拶をして、顔見知りという事をアピールしてやる必要があると思ったからだった。
戦技部の生徒のところに近づくと、アイザックに気付いた二人が小さく手を振った。
「二人ともお疲れ様。おめでとう、ダミアン。ニコルさんは惜しかったね」
「うん、ダミアンくんが強くって負けちゃった」
「いや、ニコルさんもなかなかだったよ。フレッドに挑んでいるだけあったよ」
ダミアンは上機嫌だ。
フレッドは手加減されているとはいえ、本職の騎士を相手に訓練をしている。
同級生の中では一、二を争う強さだ。
そんな彼といい戦いをしていたニコルに勝てて満足しているのだろう。
ニコルに強さを認められたというのも大きいのかもしれない。
「そういえば、演奏会でトリを務めたんだって? 一年生でそれは凄いよ」
ダミアンがアイザックの事を話題にする。
「そうそう、私も聞きたかったなぁ。最初に試合を組まれていたから、準備もあっていけなかったの。私にも聞かせてほしいなぁ」
ニコルがさりげなく「私のために演奏して」とアピールする。
だが、アイザックは苦笑いで返した。
「いや、もう人前で弾きたくはないかな。結構緊張しちゃったし。家族の前で演奏するくらいに留めておくよ」
「えー、残念。でも、そうか。家族の前でならするんだ」
「僕も聞きたかったよ。でも、仕方ないね。気が向いたら、来年も演奏してみてよ」
アイザックが「もう人前では演奏はしない」と言うと、二人が悔しがる。
だが、アイザックもあんな緊張はもうしたくない。
それに、真剣に練習をしてきた者達の出番を奪うのも失礼だと思っている。
もう演奏会には出たくはないという思いは強かった。
「気が向いたら……ね。とりあえず、二人とも怪我がなくてよかった。ポールやカイの試合も残っているから、今日はこれくらいで」
「またね」と言って、アイザックはその場を離れる。
「イベントを見逃しちゃった……。戦技部に入っている場合じゃなかったかも……」
ニコルがボソリと呟く。
何か彼女には計算外の事でも起きたのだろうか。
彼女は本当に悔しそうな顔をしていた。







