275 十六歳 文化祭
リード王立学院には体育祭がない。
その理由は、怪我人が多かったからだ。
二百年前まではエルフの魔法で治療ができたが、戦争後はエルフと袂を分かったので、後遺症を負う大怪我をした時に満足な治療ができなくなってしまった。
これは主に騎馬戦が本物の騎兵による騎馬戦だったせいだ。
落馬によって、最悪死に至る事もあった。
戦傷や戦死ならば、まだ納得できる。
だが「学校の行事で国のために働けなくなるのはいかがなものか?」という意見が多くなり、体育祭が単独で開催される事はなくなった代わりに、文化祭の一部として戦技部が模擬戦を披露するようになった。
(どうせシナリオライターが、世界観に合わせた競技を思いつかなかったとかなんだろうな)
サッカーくらいならなんとかできそうだが、世界観に合う競技を考えるのが面倒臭かったのだろう。
アイザックは「短距離走とか遠投なんかの陸上競技をやらせればいいのに」と思ってしまう。
彼がこんな事を考えているのは、文化祭の当日だったからだ。
リード王立学院では、十二月に文化祭が開催される。
これは地方の貴族が王都に集まってくるのを待つためだ。
生徒の保護者達が文化祭を見学できるように、文化祭の開催時期が考慮されていた。
文化祭ではクラス毎ではなく、部活毎で催し物をする。
これは何らかの理由で帰宅部になっている者達への配慮だ。
王立学院の生徒は、基本的に「ダルイから」といって帰宅部になるという事はない。
家庭の事情であったり、運動よりも勉学に励む者であったりする。
クラス毎に催し物をすると、彼らも周囲との付き合いを考えて参加しなくてはならなくなる。
だから、部活毎で余裕のある者が参加するものとなっていた。
(部活毎の方が、特徴のある催し物をさせておけるもんなぁ……)
アイザックは、どうしても疑り深い見方をしてしまう。
――ただ、クラス毎にイベントを考えるのが面倒なだけだったのではないかと。
信用のできる相手かどうかは重要である。
アイザックは、この原作ゲームのシナリオライターをまったく信用していなかった。
そのため、悪い方向へと物事を考えてしまう。
アイザックも文化祭に科学部の一員として参加していた。
ピストがいなくなったので、科学部は今年の文化祭が最後の活動となる。
そのため、アイザックも思い出作りに手伝っていた。
「こんな、こんな一等地で披露できるなんて初めてっ! アイザックくんのおかげかもね!」
クランが感動しているが、場所は玄関口に近いとも遠いとも言えない半端な場所。
正門から玄関口へのメインストリートからちょっと離れている。
アイザックには、そこまで喜べるような場所だとは思えなかった。
「今まではどこでやっていたんですか?」
「部室よ。部員の家族くらいしか来なかったから、今まで寂しかったの。あぁ、最後に科学部の晴れ舞台を先生に見せたかったなぁ」
科学部の部室は校舎から離れたところにある。
興味のある者や、家族くらいしかわざわざ見学に行かなかったのだろう。
こうして人目に付くところで研究を発表するのが初めてという事もあり、クランは少々興奮気味に見えた。
「先生も来てくれますよ」
レイモンドがクランに慰めの言葉をかけるが、彼女は首を横に振った。
「きっと来ないわ。ドワーフと会ってから、先生は張り切っていたもの。文化祭とか気にせず、研究に打ち込んでいるところよ」
クランが「ピスト先生はこない」と断言する。
彼女はアイザック達よりも付き合いが長い。
ピストの性格をよくわかっているのだろう。
かなりの確信を持っているようだ。
嫌な信頼である。
「今日は見学者がきてくれますよ。とりあえず、二十人は確定です」
「そうね。みんなの家族分くらいは……」
アイザックは十人ほど見学に来る者に心当たりがあったが、クランはそれを部員の家族の事だと受け取っていた。
来場者は校門付近から並ぶ家庭科部の屋台に寄ってからくるはずだ。
三人はドキドキしながら待つ。
――最初にきたのは、アイザックが予想していた者達だった。
「おぉ、ここだここだ!」
ドワーフの大使のヴィリーが仲間を連れて押し寄せてきた。
ジークハルト達、先遣隊も文化祭が終わってから帰るので、ドワーフだけで二十人近い者達が科学部の机の前に集合する。
当然、彼らだけではなく、外務省から付き添いも出されているので、人間も合わせると三十人ほど。
科学部創設以来、最大の見学者数である。
周囲の学生は「何事だ?」と、科学部のスペースに注目していた。
「エンフィールド公が何かを発表するというので、みんなで見学にこさせていただきました」
「ありがとうございます。ですが、出し物は僕のアイデアだけではありません。ピスト先生が残したものもありますので、そちらも見ていってください」
「もちろんですとも。楽しみにしております」
アイザックは一度ヴィリーに向かって微笑むと、クランに視線で合図を送る。
ここは最上級生として、彼女に仕切ってもらうつもりだ。
「それでは、ご覧ください」
まず、クランはアイザック達が見学に行った時と同じ、紙皿に水を入れて火にかけるというものから始めた。
これはシンプルなもの。
似たような現象を知っているのか驚きの声は上がらなかった。
次に水を張った皿の真ん中に火のついたロウソクを立て、ガラスのコップを被せる。
コップの中に水を吸い上げるもの。
理科の実験でやったな、とアイザックは横から見て思っていた。
こちらには興味を引かれたようだ。
「ほう、どういう事かな?」
「これは空気の中に火を燃やすのに必要なものが含まれているという実験です。口の中から空気をなくそうとすると、引っ張るような力がありますよね? その力がコップの中で発生しているはずです。この水が上がった分だけ、火を燃やすのに必要なものが使用されて、なくなった分だけ水が吸い上げられているのではないかと考えられています」
――ロウソクで温まって膨張した空気が冷やされて気圧が下がる。
アイザックは、そんな原理を前世で聞いた覚えがある。
だが、酸素が二酸化炭素になって水に溶け込むのも、多少なりとも影響があるとも聞く。
クランの説明が間違っているとは、専門知識のないアイザックには断言できない。
むしろ、酸素の存在を知られていない世界で、ここまでたどり着いている事を素直に褒めるべきだろう。
「そういえば、坑道の中でも特に息苦しいところでは火が消える事もあるな」
「鉄を溶かす時も空気を送るとよく燃えるぞ」
「空気の中にある火が燃えるのに必要なものと、私達が呼吸をするのに必要なものは同じかもしれません。命を燃やすって言いますしね」
「違いない」
ドワーフ達から笑い声が上がる。
クランは、上手い事を言ったと満足げだ。
アイザックやレイモンドも合わせて笑う。
(あながち間違っていないのが凄いところかな)
クランは酸素の存在を言い当てている。
ピストから教えてもらっただけかもしれないが、目に見えないものの存在があると確信するのは難しい。
もしかしたら、魔法のような不思議なものがある世界だからこそ、目に見えないものを信じる下地ができているのかもしれない。
「こういった『なんでだろう?』と思う事を調べ、解明していこうというのが科学です。ドワーフの皆さんと協力していければ、作るのが難しい実験器具などを使ってより多くの実験をやっていけるのではないかと思っています」
「なるほど。こういった事の原理を調べていけば、新しいものを作るのに役立つかもしれませんね。ピストさんがノイアイゼンに来る日が待ち遠しいです」
「えっ……、先生がノイアイゼンに?」
ヴィリーの言葉にクランが反応する。
「あれ、先生から聞いてなかったんですか?」
「聞いてない……」
レイモンドは勉強会の手伝いをしているので、クランの方がピストの手伝いに行っている回数は多い。
なのに、彼女はピストのノイアイゼン行きをまだ知らなかったようだ。
ピストもよく手伝ってくれているクランに、それくらいは伝えておくべきだろう。
研究一筋もいいが、それ以外のところがダメ過ぎる。
「ノイアイゼンには、ドワーフの技術を見学に行くだけですよ。まぁ、来年度からはウェルロッドかアルスターあたりに研究所を作って、そちらに引っ越す事になるかもしれませんけど」
「そうなんだ……」
クランは明らかに動揺している。
アイザックも、こういう時のためにちゃんと用意をしている。
だが、ドワーフ達と話している今するべき話ではない。
もう少ししてからだ。
「続きは僕とレイモンドがやりますね」
どう見てもクランは実験の説明を続けられそうにない。
彼女のあとを引き継ぎ、実験を見せていった。
「このあとに行われる演奏会では僕も演奏するので、よろしければ見にきてください」
「楽しみにしています」
一通り実験を見せると、ドワーフ達は満足してくれたようだ。
違うところも見に行かなくてはいけないので、去り際に自分の出番をアピールしておく。
音楽の授業で、アイザックはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」を演奏した。
これは「オリジナルの楽曲を作ってみましょう」という宿題をこなすためだった。
だが、それが悪かった。
音楽教師が「演奏技術は人並ですが、作曲の完成度は素晴らしいの一言です!」と絶賛してしまった。
そのため、文化祭の音楽発表会で演奏する事になってしまったのだ。
丸パクリなので気は引けるが、断れる雰囲気ではなかったので引き受けてしまった。
(他のみんなはまだかなぁ)
アイザックは正門の方を見る。
エルフ達は家庭科部の創作料理を楽しんでいるようだった。
アイザックの家族も来ているはずだが、人混みで姿が見えない。
今、科学部の研究を見に来ているのは「ドワーフが見ていたから見ている」という者ばかり。
科学自体には興味がないので、アイザックに挨拶をして、すぐに去っていった。
少し余裕ができたので、アイザックはクランに希望を与えてやる事にした。
「クラン先輩。今回だけの一度のチャンスです。よく考えてお答えください」
「なに?」
いつになく真剣な表情をしているアイザックに、クランは不思議そうな顔で用件を尋ねる。
「ピスト先生の事が好きですか? 家族から離れて、遠いところで一緒に暮らしたいと思うくらいに」
「ア、アイザック」
あまりにもストレートな質問に、レイモンドがアイザックを止めようとする。
だが、アイザックはやめる気などなかった。
「いいんだ、レイモンド。理由までは聞きません。結婚したいかどうかだけ教えてください」
アイザックが念を押しで訊ねると、クランは首を縦に振った。
しかし、その表情は暗い。
「でも、両親が……」
「そりゃあ反対するでしょうね。年も離れているし、研究を優先して娘を蔑ろにする可能性も高い。それに、教師をやめたから、これからの生活もどうなるか不安。僕だって今の状態だったら反対するでしょう」
「なら、どうしてそんな事を聞くの?」
クランの質問に、アイザックは内ポケットから一通の手紙を取り出した。
エンフィールド公爵家の印璽で封蝋がされている。
「これには、ピスト先生の身柄はエンフィールド公爵家とウェルロッド侯爵家が保証すると書いてあります。ドワーフとの関係を深められる貴重な人材だという理由も一緒にです。これをご両親に渡せば、不安のいくつかは解消されるでしょう。あとは、先輩の気持ち次第です」
「でも、なんで私なの? アイザックくんなら、もっと良い人を紹介できるんじゃない?」
「いいえ、それは違います。それとなく先生に結婚してもいいと思えるタイプを聞いてみたんです。なんて答えたと思います? 『科学に興味がないよりは、科学に興味のある女性がいい』という感じの事を言っておられました。先生の身近にいる科学に理解のある女性。誰がいるでしょうねぇ」
アイザックは「先輩以外にいないよね」と言った視線を向ける。
これは嘘だった。
本当は「研究の邪魔をしなければ誰でもいい」と、ピストが言っていた。
だが、それは言わなくてもいい。
それに「研究の邪魔をしない=科学に理解がある」という受け取り方をしても、大きな間違いではないだろう。
クランのために、少しだけピストの言葉を曲解してやっていた。
「先生に近付く物好きな女性なんていない。たぶん、私以外には」
彼女はアイザックの手紙を受け取ろうとするが、掴む直前に手が止まった。
「本当に私でいいの?」
「それは先生に聞いてください。実は他の女性が好きだったという可能性もありますので。僕が先輩を選んだのは科学に興味があって、先生にはもっと強い興味を持っておられたからです。一緒に研究に打ち込むタイプもいいですが、先生の私生活をサポートしてくれる人の方が安心できますからね。先生が暴走しそうな時に止めてくれると助かります」
「さすがアイザックくんだね。先生への思いを全部見抜かれちゃってたんだ」
クランは一筋の涙を流す。
これは悲しみではなく、自分の恋路を応援してくれる後輩への感謝の涙だった。
「近くで見ていればわかりますよ。なぁ、レイモンド」
「うん。先輩は科学が好きだけど、先生の方が好きそうだなっていうのは感じていました」
「嘘っ、恥ずかしい!」
クランが両手で顔を覆い、耳まで真っ赤にして恥ずかしがる。
「推薦文は初めて書いたので、上手く書けているかは自信がありませんけどね。まぁ、家族にチェックしてもらったので大丈夫だと思いますよ」
ここから先はクラン次第だが、ニコル対策の第一段階――
ピストをニコルから引き離す。
――というのは成功したはずだ。
婚約者持ちの女の子から男を奪うというのはあっても、既婚者を離婚させてまでというのはなかったはずだ。
ピストがクランと結婚し、王都から離れたらニコルに攻略される事はないだろう。
それに、彼女はピストほどの科学狂ではない。
暴走しそうな時にはストッパーとなってくれるだろう。
科学の造詣も他の者より深いので、理解を示しつつ、上手くたしなめてくれると信じたい。
(まずは一歩ずつ、着実にだ)
ニコルは、マットやピストに会わせろとは言わなかった。
という事は、ピストを安全圏に置いても文句は言われないはずだ。
アイザックがこういう行動に出ているのには理由がある。
――ニコルに関わって人生が狂うはずだったキャラの中で、せめて一人くらいは幸せになってほしい。
すでにチャールズは人生が狂い、このままでは幸せになれそうにない。
そんな男があと四人、女は三人現れる。
ピストはサブ攻略キャラではあるが、原作に登場するキャラである事には変わりはない。
ニコルと関わらなければ幸せになれるのかどうかを、確認したいという考えもアイザックにはあった。







