021 五歳 曾祖父の影響力
三月に入った頃、ウェルロッド侯爵家では家族会議が開かれていた。
こんな事は今までに無かった。
まだ何かが起きるには早い。
アイザックはどんな話が行われるのか不安だった。
身構えて会議に挑む。
家族が揃い、使用人達が退出する。
残っているのはモーガンの秘書官だけだ。
それでアイザックは察した。
――何か重要な話が行われると。
誰に聞いてもらってもいいという内容ならば、使用人達を退出させる理由がない。
だが、アイザックは安心していた。
(もし、ネイサンに継承権を優先すると言うならば秘書官は必要ない。それに、すぐに広まる事だから使用人が居ても良い。きっと他の事だ)
いや、実際は自分にそう言い聞かせて落ち着こうとしていた。
今はまだ種を蒔いているところだ。
ここで本当にネイサンが継承権で優先されると言われたら、家督争いの大義名分を失ってしまう。
それはマズイ。
表面上は落ち着いてはいるが、内心穏やかではなかった。
モーガンが何を言い出すのか黙って様子を見る。
「今回、外務大臣の内示を受けた」
モーガンは一同を見回しながら言った。
「現外務大臣のランカスター伯は、最近体調を崩す事が多くなり、職務をこなす事が辛くなっているそうだ。そのため、私に話が回ってきた。先代当主である我が父ジュードほどではないが、それなりに期待されている」
そこでモーガンはランドルフを見る。
「私は期待に応えるために職務に専念するつもりだ。領主としての仕事はランドルフ。お前に任せる」
「はい」
責任の重さを感じ取り、ランドルフは真剣な表情で仕事を請け負った。
「準備期間として一年頂いた。春と夏はランドルフへの引き継ぎを行い、それ以降は外務大臣としての引き継ぎを行う事になるだろう。だが、これはあくまでも予定。早まる可能性もある。皆もランドルフを支えてやってくれ」
「はい」
今度はランドルフ以外の者達が答えた。
特にルシアとメリンダは「領主の息子の妻」から「領主代理の妻」になる。
今までマーガレットが行っていた内向きの仕事をこなさなくてはならない。
これからは今まで以上に忙しくなる。
「ランカスター伯が不調だと広く知られるのはよろしくない。口外はせぬように頼むぞ」
モーガンは秘密だぞと言って話を締めくくる。
(だったら、俺とネイサンは居ない方が良かったんじゃないか?)
アイザックはそう思ったが口には出さなかった。
子供だからと排除されるのではなく、家族だから信頼して知らせてくれていると思う方が嬉しいからだ。
「しかし、期待とはどの程度ですか? まさか、お爺様くらいの……」
ランドルフは恐々としてモーガンに聞いた。
ランドルフの祖父ジュード。
彼はランカスター伯爵の前任者だったからだ。
「いや、さすがにそのような事は期待されていない。むしろ、ランカスター伯のような真っ当な働きを期待されている」
その言葉を聞き、ランドルフはホッと息を吐き出す。
ジュードと同じことをされては、身内としても安心できないからだ。
ウェルロッド侯爵家の先代当主であるジュードは口下手で口数が少なかった。
だが、人の心を読み、自在に動かす事のできる男だった。
外交交渉だけではなく、謀略にも長けており、ジュードが訪れる国は気が気ではなかったそうだ。
友好国ですら、不穏な動きがないか監視を常時付けていたと聞く。
隣国の同盟国が攻め込まれた際、和平の仲介を行うために援軍と共に向かった。
その時に本陣が奇襲を受けて戦死するまでの間、外交の舞台はジュードの独擅場だったと記録されている。
ウェルロッド家の記録だけではなく、王国の近代史にすら名前が出てくるほどだそうだ。
だが、彼も完璧ではなかった。
息子のモーガンですら、父が戦死したと報告を受けて悲しむよりも先に安堵したとアイザックは聞いている。
有能さと引き換えに、人として大事な物が欠落していたのだ。
そんな男と同じ働きを期待されても、モーガンができるはずがない。
期待に応えられても、それはそれで困る者が出てくるだろう。
普通の外務大臣として期待されていると聞き、モーガン自身も「それならば喜んで」と引き受けたそうだ。
(曽爺さんも半端ねぇけど、その後の外務大臣を引き受けたランカスター伯っていう奴も凄ぇよ)
先人が偉大であれば偉大であるほど、後を継ぐ者は比べられる。
「あの人ならこのくらい解決できましたよ」と言われてしまうのだ。
そんな貧乏くじを引く事ができるのは、よっぽど肝が据わっていなければできない。
アイザックは会った事のないランカスター伯を心の中で称賛する。
「これまで通りの生活とはいかなくなるだろう。だが、皆にも頑張ってほしい。何か質問はあるか?」
ここでアイザックが手を挙げる。
「外務大臣という事は、お爺様は王都に住む事になるのですか?」
これは聞いておきたかった。
アイザックには重要な事だからだ。
「そうだ。各国の大使との交渉や交流もある。私とマーガレットは王都に住む事になる。……アイザックやネイサンと会えなくなるのは寂しいがな」
モーガンはアイザックやネイサンを慈しむ目で見る。
それにランドルフが抗議する。
「父上、可愛い息子に会えないのは良いのですか?」
冗談めかしたランドルフの言葉を、モーガンは鼻で笑う。
「お前は別れを悲しむより、独り立ちを喜ぶ年だ。ようやく独り立ちかと思うとせいせいする」
「酷いですね」
二人は笑う。
いつかは、こうして別れの日が来るとわかっていた。
突然の死に別れではなく、生きて離れられる分ずっと良い。
この後は特に質問もなく、和やかな雰囲気で解散となった。
――だが、アイザックの心中は穏やかではなかった。
(あと一年か、マズイな……)
今まではモーガンやマーガレットがいた。
二人の存在感はメリンダを抑えるのに十分だったはずだ。
――では、彼らがいなくなったらどうなるのか?
アイザックを不安にさせたのはそこだった。
抑える者がいなくなった時、メリンダがどのような行動に出るのかわからない。
今のまま地道に支持者を集めて乗っ取りを考えているのならばいい。
だが、結果を求めてすぐに行動を起こされたらどうなる事か。
(今はまだ防ぐ手立てがない。何か手出しできなくなる理由が欲しい)
本来ならばモーガンが侯爵で外務大臣という、まさに国家の重鎮となった事を喜ぶところだ。
しかし、アイザックには身の危険を感じる危うい結果となってしまった。
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アイザックの取った行動は、本を読み漁る事だった。
特に何かいい方法はないかと、曾祖父ジュードの行動を書かれた物を読んでいた。
(敵国の同盟国に行って、酒を飲んで帰るだけで仲間割れを誘うか……。どんだけ怪しまれてるんだよ)
――ジュードが訪れておいて何もしないはずがない。
そう思われる事を逆手に取って、本当に何もせずに友好の使者として振る舞った。
お陰で疑心暗鬼になった敵国は、背後の安全を確保するために同盟国に攻撃を仕掛ける羽目になった。
「ジュードは酒を飲んで帰っただけだ」と弁明しても、そんな嘘くさい弁明など信じられなかったのだ。
後ろめたいところがあるから、本当の事を話せないのだろうと思われてしまっていた。
(自分が周囲にどう思われているかを理解して、それを利用した謀略まで行う。この人の柔軟性は凄ぇわ)
いくら努力しても自分ではたどり着けそうにない高みにいる。
まるで物語の主人公のような曾祖父の行動を、小説を読むような感覚で読み進めていく。
読み終わった時、アイザックは良い小説を読んだ時の充実感があった。
(……いやいや、ダメだろ。なんで満足してるんだよ)
アイザックは反省した。
だが、仕方のない面もある。
今まで読んだ本は、絵本やこの世界の歴史を中心とした内容だった。
ツッコミを入れながら読める伝記など、久々に読んだ本の中では格別に面白い本だった。
つい夢中になって楽しんでしまっていた。
(でもまぁ、死んでてくれてホッとするけどな)
モーガンが自分の父なのに死んで良かったと思った事に、アイザックも「同感だ」と思った。
かつてモーガンには姉妹が居た。
しかし、今はもう生きている者はいない。
ジュードに殺されたからだ。
かつて、ジュードは王国に不利益をもたらす者達と娘を結婚させた。
ここまでなら政略結婚として普通の事である。
ジュードが人と違うところは、この後に娘諸共全員毒殺した事だ。
もちろん、侯爵だからといって他の貴族を殺して良いという法はない。
だから――
「何者かの手によって私が毒殺されかけた。娘婿達もその巻き添えを喰らって死んでしまった」
――というような言い訳をした。
誰も信じなかったが、自分の娘達も犠牲になった事を理由に罪の追及を逃れた。
アイザックは我が子ですら捨て駒として扱うジュードに恐れ、同時に敬意を抱いた。
(人を従えるには飴と鞭がいる。その鞭である恐怖だけで見事なまでに人の上に君臨していた。本当に凄い人だ。こういう人になりたくはないけど、その才覚は素晴らしい。方向性さえ間違えなければ、もっと良い意味で歴史に名を残せただろうに)
飴と鞭を使い分けずに人を従えている。
いや、もしかすると飴もあったのかもしれない。
その飴も何かの布石だと思われて、特別書き残すものではないと思われているだけだろう。
曾祖父は凄い人だ。
けれども、今はそんな事を気にしている場合ではない。
自分の将来の方が大切だ。
アイザックはジュードの伝記を諦めて「種族間戦争」の本を手に持った。
(この世界にはエルフやドワーフがいる。彼らを味方にできないかな?)
二百年前までは人間と共存し、友好的な関係だった。
しかし、徐々に関係は悪化。
二百年前に種族間の戦争が始まる事態にまでなった。
それ以来、それぞれの種族の国を作り、交流が途絶えているらしい。
交流を禁じる法もないので、上手く味方に付ける事ができれば頼もしい存在となるかもしれない。
ウェルロッド侯爵領の南部、岩塩の鉱山がある山脈の南側にはドワーフが、東部から南東にかけて広がる森にはエルフが住んでいるらしい。
接触を持とうとすれば持てる距離だ。
だが、問題がある。
(でも、彼らの領域に近づいたら殺されるらしいんだよな。やっぱやめといた方が良いよな)
かつての種族間戦争以来、自分達の領域を死守するようになった。
領域を犯す者には死の制裁が加えられると、本には書いてあった。
そんなリスクは冒せないし、誰かに「行ってこい」と命令しても従ってくれる部下がアイザックにはいない。
手を伸ばせば届く距離にある切り札に手を出せない。
アイザックは、非常にもどかしい思いをする。
(いや、これでいいんだ。劇薬の扱いは難しいからな)
ニトログリセリンは心臓病の薬となるが、扱いを誤れば危険な爆薬となる。
異種族に頼り、権力を奪うというのはそれ以上に危険だという事くらいはわかっている。
結局は別の方法を探すしかない。
(ちくしょう、サンタなんかに願うんじゃなかった。俺が望んでいたのはこんな急激な情勢の変化じゃない)
最大の保護者が傍からいなくなる事態を、アイザックは呪わずにいられなかった。






