192 十四歳 突然の知らせ ウェルロッド
ウェルロッドに戻ると、まずはアイザックの鎧を探す事になった。
演習の実行を最初に言い出したので、参加するつもりだったからだ。
もちろん「ちょっと鎧を着てみたい」という興味もあった。
父と共に屋敷の宝物庫に探しにいく。
「これなんかどうだ?」
ランドルフが指し示したのは、少し年代を感じる角ばった鎧だった。
「格好良いとは思いますけど……」
アイザックは渋い顔をする。
角ばった鎧は無骨な格好良さがある。
しかし、どうせなら丸みを帯びた最近の鎧の方が欲しかった。
矢を弾き返す避弾経始に優れた形状の方が、万が一の時に生き延びやすい。
実際に戦場へ赴くわけではないのだが、見栄えよりも生存性を優先した鎧の方が欲しかった。
だが、ランドルフはアイザックがそんな事を考えているなどとは思わない。
ただ「古臭いのが嫌なのかな?」と思っただけだった。
「アイザック、この鎧はお爺様が使われていた由緒ある物だぞ。体格にも合うと思うし、自分の鎧を作るまでの繋ぎとしては十分だ」
「えっ、お爺様って……。曽お爺様ですよね?」
「そうだ」
――ジュードの使っていた鎧。
そんな立派な物を使わせてやるというのだ。
きっとアイザックも喜ぶだろうと、ランドルフは得意げになっていた。
「嫌ですよ、そんなもの。縁起でもない」
「なんだとっ!?」
しかし、アイザックの返事は予想外のものだった。
「曽お爺様って戦場で奇襲を受けて戦死されたんですよね? さすがに立派な方の遺品とはいえ、縁起が悪過ぎますよ」
「いやいやいや、ちょっと待てアイザック。お爺様は外務大臣として戦場に向かわれたんだ。武装はしていない。亡くなった時に着ていたわけじゃないぞ」
「あっ、そうだったんですね。でしたら、ありがたく使わせてもらいます」
「まったく、現金な奴だな」
死んだ時に身に着けていなかったと知ると、アイザックは喜んでジュードの鎧に手を伸ばす。
その変わりぶりにランドルフは呆れかえった。
まずアイザックは兜を手に取って被ってみる。
「結構重いですね。前も見えないし、頭が痛いです」
前世で被ったバイクのヘルメットとは違い、内側にはクッションも何もない。
しかも、バイザー部分がアクリル板ではないので、まったく視界が通らない。
見た目の恰好良さとは違い、実用性は低そうだった。
兜の収まりが悪く、なんとかしようとするアイザックを見て、ランドルフは「微笑ましいな」と笑顔を浮かべた。
「兜はそのまま被るものじゃないぞ。クッション入りの頭巾を被って合わせるんだよ。前が見にくいのは仕方がない。しっかり顔を守らないと、流れ矢で命を落とす事になるからな」
「もしかして、鎧を全部着ると凄く重いんじゃ……」
「もちろん重い。幸い、演習で皆が集まるまでまだ日にちがある。実際に着て慣れるしかないな」
「うわぁ……」
軽い気持ちで演習に参加するつもりだったが、思ったよりも大変な事になりそうだ。
しかし、いつかは鎧を着こなす必要がある。
今のうちに練習しておくのもいいだろう。
(学生になったら学業で忙しくなるし、友達付き合いとかも重要になってくる。今は学生になったらできない事をやっていこう)
最前線に立つ気はないが、戦場では不測の事態を考えておかなければならない。
辛そうだが、鎧を着る練習をする事に決めた。
----------
二週間後、兵士を率いた貴族達が領都ウェルロッドに集結した。
数は二万。
今年度の募集分を合わせれば四万はいるはずなのに半分もいない。
しかも、実戦部隊は一万を超える程度との事。
アイザックが「これだけしかいないんですか?」と聞くと、ランドルフが「通常はこの数だ」と答えた。
リード王国は二百年前の種族間戦争以来、国土が戦場になった事がない。
周辺の同盟国を守る遠征軍を出すばかり。
いくら何でも、同盟国の国土で現地調達を行うわけにはいかなかった。
そんな事をすれば、誰が侵略者かわからなくなってしまうからだ。
そのため、補給物資を運ぶ輜重兵を多く揃える編成になっていた。
演習に半数しかいないのは、兵士が治安維持の警察としての役割を担っているという事もあった。
リード王国に攻め込まれた時は全軍を動員するが、非常時でない時は治安維持の兵士は残しておく。
最近はドワーフ製の品物を運ぶ馬車を守るため、今までより街道の警備を強化している。
演習に警察組織まで空っぽにして参加させるわけにはいかなかった。
だから、国土防衛時に動員する全軍の演習ではなく、他国へ遠征する編成での演習となった。
とはいえ、二万の兵士が揃っている光景は壮観である。
全軍ではないとはいえ、アイザックもこの光景に満足していた。
特に大勢の兵士達が見守る中、馬に乗って通るのは快感だった。
――俺もいつかは騎士になりたい。
――立派な鎧を身に着けたい。
みんながそんな目で見てくるのだ。
気分が良くなる。
だが、その目は兵士達だけ。
貴族達が集まっている場所に近付くと、まったく違う視線を向けられた。
――その視線に込められたものは恐怖。
アイザックがジュードの鎧を着ているせいで、一定以上の年齢の者達は薄れかけていた記憶を呼び起こされた。
もし、ランドルフがジュードの鎧を着ていれば違っただろうが、着ているのはアイザックだ。
理由はないが、なぜか「危険だ」という危機感を持たせる事になった。
「みんな、待たせた。だが、待ってもらった分の価値はある。今回は大規模な演習という事もあり、怪我人が多数出る事が予想される。そこで、エルフの皆さんに来てもらった」
ランドルフの言葉で貴族達がどよめく。
演習とはいえ、接触する以上は怪我人が多く出る。
打ちどころが悪ければ、死者が出る危険性だってあった。
エルフによって死傷者を減らせるのはありがたい事だった。
これは兵士達の事を心配しているのではない。
自分達の事を心配しての事だ。
兵士が死んだり、障害が残ったりすれば代わりの兵士を用意しなければならない。
その場合、市民や農民から徴兵する事になる。
だが、市民や農民を徴兵すると、当然その分税収が減る。
新兵を訓練する金が出ていってしまうだけでなく、収入も減ってしまうのだ。
死傷者が少なければ少ないほど、貴族にとっては都合がいい。
ランドルフの気遣いはありがたいものだった。
もっとも、これはアイザックの提案である。
かつてモラーヌ村に行った時に話していた事を実践しただけだ。
――こうして演習に駆り出して、やがては実戦にも引きずり込む。
その第一歩として、モラーヌ村の近辺にも使者を出して治療班を集めた。
問題があるとすれば、何故かノリノリのマチアスまで同行してきた事だろうか。
他のエルフは普段着なのに、彼だけは年季の入ったチェインメイルを着ている。
マチアスに乗り気でいられると、余計な事をしないか不安なので勘弁してほしいところだった。
「これから一ヵ月間、大規模な演習を行う。この中には戦争を知らない者もいるだろう。私もそうだ。実戦ではないが、この演習を通じて非常時に対応できる力を身につけよう」
兵の訓練は各自で行っている。
だが、領地を挙げての組織立った行動は、予算の都合もあって滅多に行えない。
模擬戦とはいえ、これほど大規模な軍事行動はランドルフも初めての経験だった。
少し興奮しているように見える。
興奮しているのはアイザックも同じ。
二万人というのはドーム球場の半分も埋まらない。
しかし、その上に立つとなれば別だ。
今はランドルフがいるが「いつかは自分が指揮する事になる軍隊」と思えば、その興奮も大きくなる。
数字上はもっと大勢の人間の上に立っているのだが、整列する兵士を目の当たりにしてようやく「大勢の上に立っている」と実感する事ができた。
「では、キンケイド男爵。これから行う演習の説明を」
「ハッ」
ランドルフはキンケイド男爵に説明を命じた。
彼は二十年前の戦争にも参加しており、かつては王都の屋敷で警備隊長を任されるほど信頼が厚い騎士だった。
実家を継いだあとは騎士だった経験を活かして、軍関係の仕事でランドルフの信頼を取り戻しつつあった。
今回の演習に息子も同行させている。
「今回は行進ではなく、行軍を優先した内容を考えております。見栄えのためには行進訓練も大切ですが、実戦における部隊行動を最優先とする事で戦場での勝利を目指せる軍にしていくつもりです」
キンケイド男爵の言葉に不満そうな顔をするものは多いが、彼の意見を否定する者はいなかった。
一糸乱れぬ行進は、パレードにおいてとても見栄えのいいものである。
しかし、戦場では役に立たない。
それよりも、せっかくの大規模な演習なので、戦場において戦って勝つための方法を身に着けたいという思いがあった。
これはウェルロッド侯爵家が文官の家系で、傘下の貴族も含めて戦争に強くないという事が影響している。
ファーティル王国に援軍を送る場合、王国東部のウェルロッド侯爵家やウィンザー侯爵家が先発する。
だが、どちらも文官の家系という事もあって、時間稼ぎしかできないと他の貴族達に思われていた。
今までは王国正規軍やウィルメンテ侯爵家、ウォリック侯爵家が到着するまでの時間稼ぎしかできなかった。
――見下してきたやつらを見返してやりたい。
その思いから、皆がキンケイド男爵の提案を受け入れた。
----------
演習開始から三日が経った。
この頃になると、アイザックは後悔していた。
(家に帰りたい……)
演習の地は領都の東。
馬で二時間ほどの距離にある平原で行われていた。
しかし、大人達の気合が入っているので、実戦さながらに天幕を張っての野営を行っている。
アイザックは侯爵家の人間という事もあって優遇されているが、それでも不便を感じていた。
(でも、俺が参加するって言い出したし、やっぱり帰るとは言い辛いよなぁ。そもそも、この演習自体も俺の意見だし)
自分が言い出した事なので、それを否定する事は口にできない。
我慢して見学している事しかできなかった。
アイザックが演習に参加した事を後悔している時、本陣に騎兵が近づいてきた。
「もしかして、こちらにウェルロッド侯爵家の方はおられますか?」
伝令の騎兵が本陣に駆けてくる。
「ここにいるぞ! 何があった!」
ランドルフが返事をする。
すると、伝令はランドルフに近付き、馬から降りてひざまずいた。
「ファーティル王国にロックウェル王国が侵攻を開始。至急援軍を求むとの事です」
「なんだと!?」
まったく予想もしていなかった報告で、しばしの間ランドルフが硬直する。
代わりに、アイザックが伝令に尋ねる。
「敵の数は?」
「正式な数は不明。今までにないほどの大軍だそうです」
この報告を受け、本陣にいた者達は凍り付いた。
――二十年振りの本格的な戦争。
演習を行っていたのに、まさか本物の戦争に巻き込まれるとは思いもしなかった。
「よし、わかった。お前はこのまま屋敷に報告をして王都へ早馬を送るように伝えろ。私もすぐに戻って出陣の用意を……」
ランドルフは、そこまで口にして言葉が出なくなった。
――出陣の用意は、すでに終わっている。
それどころか、一ヵ月分の食料なども用意されていた。
追加で物資を送らせる手筈を整えれば、今すぐにでもファーティル王国に向かう事ができる状態だ。
彼はアイザックを得体の知れないものを見るような目で見た。
「父上、命令を出さないのですか? それと、その目は息子に向ける目ではありませんよ」
アイザックは、父に変な目で見られて嫌そうな顔をする。
だが、ランドルフには確認しておかねばならない事があった。
「アイザック、お前……。知っていたのか?」
ランドルフの震える声は、この場にいた者達の思いを代弁していた。
――この時期になぜ演習を始めたのか?
その理由はただ一つ。
ロックウェル王国の侵攻に対応するためだとしか思えなかった。
「知るはずがないでしょう。僕も伝令によって今知ったばかりなんですから」
「ああ、そうだな。確かにそうだ……」
しかし、ランドルフは納得しなかった。
そこで彼はもっともらしい答えを導き出した。
「知っていたのではなく、予測したのだ」と。
これは本陣にいた他の貴族達も同様だった。
戦争を起こす場合、食料を買い集めたりする必要がある。
もちろん、敵国に気配を察知されないようにひっそりと行うはず。
――だが、アイザックは商人などの動きからロックウェル王国軍の動きを察知した。
――だから、今この時期に大演習を行い、素早く行動できるようにしていたのだろう。
それがこの場にいた者達共通の思いだった。
アイザックの事を頼もしいと思いつつも、その知謀に肝を冷やした。
そもそも、アイザックはメリンダ夫人の謀反を利用してネイサン派を壊滅に追いやった男だ。
心の機微を感じ取る能力に長けているものだと思われていた。
その思いが確信に変わった瞬間だった。
――もし不埒な考えをしていれば、アイザックに見透かされて対応される。
これは傘下の貴族達に「余計な事を微塵も考えず、アイザックに絶対の忠誠を誓うしかない」と思わせるのに十分な出来事だ。
二心を抱けば、何も行動に移さなくても細かい態度で気付かれ、処分されるかもしれない。
中には「すでにジュード様を超えている」と、今にも失禁しそうなくらい恐れおののく者もいた。
「今すぐに出発したいところだが、家族への手紙を書き残したい者もいるだろう。一度ウェルロッドに戻り、兵士達にはここで一晩休ませて明日出発しよう」
ランドルフの言葉に皆がうなずく。
演習だと思っていたら、いきなり実戦に投入されるのだ。
心の準備ができていない者ばかりだった。
(まじで戦争か……。どうしようかな)
アイザックからすれば戦争は大歓迎だ。
手柄を立てれば、それだけ他の貴族達の評価も上がる。
特にウィルメンテ侯爵家やウォリック侯爵家といった武官の家に属する者達には効果絶大だろう。
それに古今東西、戦争で功績を立てた者が王になるという事は数多くある。
是非とも戦場に出向いて、手柄を立てておきたかった。
だが、怖くもある。
戦場に出るという事は、自分の命を失う事になるかもしれない。
今はまだ死ぬわけにはいかないので、本当に行っても大丈夫なのかと心配になる。
(いや、大丈夫かな。別に指揮官先頭って文化でもないし、侯爵家の息子なら安全なところにいればいいだろう。それにエルフもいるから多少の怪我をしても助かるはずだ)
アイザックは、そんな能天気な事を考えていた。
前世でも、今世でも戦争に無縁で育ったのだから仕方がないのかもしれない。
――これから戦争が始まるというのに、まるで他人事のような堂々とした態度。
その姿は、落ち着かない様子を見せるランドルフと対照的で、周囲からはとても頼もしい姿に見えている。
アイザックの意図せぬ形ではあるが、傘下の貴族に畏怖の念を抱かせ、求心力を高める事には成功していた。







